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BLUE SKIES  作者: kimra
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惑いの種(前編)

 長く滞在したこの古びたホテルを去るために、涼はすっかりくたびれたリュックに荷物を詰めていく。そこには以前より一層色褪せた空の写真集も含まれていた。パラパラとページをめくると、この旅の記憶をめくっているようなそんな錯覚に陥った。この写真集を見て、遠い昔に青い空があったと知り旅に出た。実はこれも造られた偽物だったのだろうか。

「なんでー」

 部屋の隅にパンパンになったスポーツバッグを持ち込んだ健斗は、なんとかチャックを閉めようと悪戦苦闘していた。涼はそんな彼を一瞥する。

「帰るだけなんだから色々捨ててけよ。もうそれだけでいいだろ」

 彼は健斗が肩に提げている小さなショルダーバッグを指して言った。西条が面接用にくれた物だ。

「ダメだよ。服も石もノートもタオルケットもいるでしょ。他にも」

 バッグをひっくり返し始めた灰色の髪の少年を横目で見ながら、涼はうんざりした表情を浮かべた。その後手際よく荷物を片付けた涼は、ベッドに腰掛けて先日の百野の言葉を反芻する。心はほぼ決まっていた。彼はどう考えても入りきらないだろう量の荷物をいちから詰め直している健斗に、意味ありげな視線を送る。その時ドアをノックする音がし、ダークグレーのスーツをシンプルに着こなしたリオが入ってきた。

「出発って明日だっけ」

 彼はまっすぐに部屋を横切って窓際の椅子に座ると、自然な動きで脚を組んだ。三人も人がいると狭い部屋が一層狭く感じる。

「うん、明日の昼くらいには出ようかなとは思ってるけど」

 涼は仕事帰りに寄ったであろう父親を、落ち着かない様子でチラチラと見つめた。目の合ったリオは不思議そうに笑顔で首を傾げる。

「どうかした」

「えっと、いや」

 栗色の髪の少年は困ったように口をつぐむと健斗を見る。灰色の髪の下の小さな瞳と視線がぶつかった。健斗は薄い眉を寄せ何度か瞬きをすると、荷造りの途中で散らかった床の中心で立ち上がった。

「オレ、唯たちに挨拶行ってくるね」

「わかった」

 少しホッとした表情を浮かべた涼を見ながら、健斗は不満げに顔を歪めたまま出て行った。リオは肘掛けに頬杖をついて、何も言わずその様子を見守っている。

「なにか話したいことがあるのかな」

 そしてドアが閉まるのを待ってそう言った。



 仲間たちの住む廃墟に着いた時既に、少年は不機嫌そうな顔をしていた。仲間の少年少女はそれぞれ目配せをしながら様子を窺う。

「明日帰るって報告に来たってことで。それは、悲しんでる表情、ではないよな」

 唯がコンクリートの床に腕組みしてあぐらをかいている健斗に言った。彼はヘの字口のまま右前に座っている唯、そしてその隣に座る真広とシロに視線を配った。手には以前ここに置いていった石を握っている。

「涼がさ、なんか企んでるんだよね」

「なに? サプライズパーティー的な?」

 深刻な顔をしている健斗に、こちらも真面目な様子で真広が言った。彼は声を出して笑った。

「涼がそんなこと思いつくと思う?」

 四人は目を見合わせ、沈黙する。皆思っていることは同じようだ。

「っていうか、言えばいいじゃん。何コソコソしてんだって」

 唯がとがった顎に手を当てながら言う。それに困ったような笑顔を浮かべたシロが答えた。

「涼はそれで素直に答えれるような人じゃないですな」

「だよな」

 健斗は固い床に転がると同時に、手に持っていた石を天井に向かって投げた。

「もう、知らない」

 あまり長く考えることが苦手な彼は、天井を見つめたまま薄い眉を寄せ目を閉じる。落ちてきた石を受け取った唯は他の二人と視線を交わして肩をすくめた。



 その狭い部屋のきれいとは言いがたいベッドの上に腰掛けている少年と、窓際の古い肘掛け椅子に座った男との間には沈黙が流れていた。何から話そうか考えているうちに時が過ぎる。男はそれを気にすることもなく息子を見つめたまま何も言わなかった。

「百野、さんて人に会った」

 ためらいながら涼が切り出すと、リオは特に驚きもせずににっこり笑った。

「みたいだね。流香さんから聞いたよ。憤慨してたけどね」

「バーチャルの日にも会った」

「へえ」

 深刻そうに話す少年に、リオは少し不思議そうな表情を浮かべて頷く。涼は終始床に向けていた視線を上げて、窺うように父親を見つめた。

「前に限界で助けが欲しい時は助けてくれるって言ったけど、今もそう思ってる?」

 小さい頃から、『助けて』とはあまり言わない子供だった。うつむいて一人で悩んで、苦しんで、答えを出す子供だった。

 そんな少年の不器用な視線を受けて、リオは瞳に悲哀の色を滲ませて笑った。

「もちろん」

 はっきりとした口調でそう言う。その元々決まっていたような答えを聞いて涼は口を開いた。

「百野さんが言ったんだ。バーチャルじゃない青い空があって、そこを父さんが知ってる。でも危ないかなーって」

 その後、百野は去って行ったのだ。意味ありげな笑顔を残して。終わりだと思ったこの旅。もうなにもないと思ったこの場所にひとつ、ポツンと落ちた疑惑の種。

 リオは視線を窓の向こうに移して、大きくひとつ息を吐いた。

「バーチャルはどうだった」

「はあ、えっとすごかったし、よかったよ。でも人の気配がしなさすぎて正直、少し怖かった」

 膝の上に肘を置き、祈るように合わせた手を口元に当てながら少年は言う。彼の父親はその様子を一瞥するときれいな眉を寄せて苦笑した。

「だろうね。わざとだから」

「え」

「個別にバーチャルやるのも人の存在がないのも、帰りたいって思うようにだよ。ひとりぼっちだと大多数の人間は寂しさに耐えられなくなるからね。でも逆に人がいなくて揺さぶられない分、景色や自分の心には向き合えるようにはなるでしょ。人が一人っていう条件のために、健斗がじゃあ犬でいいやって言った時は笑ったけど」

 リオは思い出したように声を上げて笑った。

「じゃあ、健斗はおれのために犬になったってことか」

 涼が痛々しげに表情を歪めてそう言ったので、リオは困ったように栗色の髪がきれいにセットされた頭を掻いた。

「涼はさ、もう少し健斗を見た方がいい。健斗は献身的なやつだけどそれだけじゃないよ。自分の考えもちゃんともって行動できる人間だよ」

「知ってる」

 息子のその返答にリオは弱ったように眉尻を下げ笑う。涼は父親の顔を見て、ふてくされたような表情を浮かべた。 

「そうじゃなくて。父さんは知ってるの、百野さんが言ってた本物の青い空」

 その問いにリオは沈黙を返した。少年は右手に嵌めた指輪をもてあそびながら、窓の外を見つめている父親を見ている。正直気が長いとは言いがたい少年は、今すぐ答えが欲しかった。だけど我慢して、ただ次の言葉を待った。長い沈黙の後彼は言った。

「もしかしたらこうなるかもなぁ、とは思ってたよ。でもオレは違ってほしかったのかもしれない」

 リオは薄汚れた窓の向こうの景色を見つめたまま続けた。

「道があるのを知ったら、進まなかったことをいつか後悔する日が来るんだろうな。涼は行けるとこまで行きたいと、そう思ってるんだろう」

 視線を投げかけられた涼は、待ちわびたように力強く頷く。リオはそれを見て長い足を組み替えると、整えられた髪をくしゃくしゃと崩して苦笑した。





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