無知の王様(後編)
二人の少年はコンクリートの壁に背をもたせ掛け、ぼんやりと灰色の空を眺めていた。背中がヒヤリと冷たい。その冷たさが心地いいと感じた。少し離れたいつもの廃墟ホテルから、時折人の話す声が流れてくる。気怠そうに崩れかけた塀の前にしゃがんでる少年は、傍らに立つ痩せた少年を見上げた。
「今日は涼とシロでどこ行ったの」
その問いにだぼついたズボンのポケットに両手を入れた唯は、隣の健斗を見下ろし答える。
「さあ、なんか約束してたみたいだけどな」
「なんかすっかり仲良くなったねえ、あの二人」
灰色の髪の少年はそう言うと得意げに笑った。痩せぎすの少年は視線を空に戻し、足を組む。
「当人同士にしかわからないもんがあるしな」
その後しばらく空を見上げたまま二人は沈黙していたが、健斗が地面に落ちていた小石を弄りながら口を開いた。
「唯はまだ復讐を考えてる?」
痩せぎすの少年は見るともなく空を見たまま、「どうかな」と呟く。灰色の髪の少年は足元にいくつか石を並べながら、逆の手で鎖骨の下あたりを触った。そこには大きな罰点の傷がある。唯はその様子を一瞥した。
「結局その傷をお前につけた奴と、孤児院燃やした奴って同じだったんだよな。じゃあ、二人でやっちまうか」
「いいね」
二人の少年は視線を合わさずそう言うと、また沈黙する。健斗が小石をひとつ投げた。
「オレさ、会ったんだよね、そいつに」
「その傷の奴にか」
「うん。ここへ来るとき寄った町で。びっくりするくらい小さい男だったよ」
少年は小さな石を何度か手の中で転がした。
「でも、怖くて一歩も動けないんだ。正直、殺してやりたいと思った。でも、できないとも思った。オレを引き取ってくれた両親に迷惑かけられないし、それに」
健斗は唯を見上げる。彼は眠そうな二重の目で視線を合わせた。
「あの最悪な時間を唯やみんなのおかげで乗り越えてさ、今楽しく笑えるようになったのに。全部無駄になるのかと思うと、嫌だなーと思ったんだ」
そう言うと彼は困ったように笑い、「弱虫の言い訳かな」と言いながら立ち上がった。痩せぎすの少年はゆっくり首を振ると、また空を見上げる。
「許せないよな、多分、一生。でも、そのためだけには、もう、生きたくない」
「うん」
健斗は手の中の小石を遠くへ放った。
シロに連れて行かれたのは、銀京の外れだった。建物も進むごとにどんどん減り、物寂しい雰囲気に変わっていく。シロを一ミリも疑ってはいない涼だったが、少し心配になってきた。
「どこまで行くんですか」
その問いに木の棒を杖代わりに使いながら前を歩いていた長身の少年は、くるりと後ろを振り返った。
「すいません。こんな怪しいとこ、連れてこられたら怖いですな。大丈夫、すぐそこです」
シロはいつものようにふわりと笑うとゆっくり進む。疑われたと思って嫌な気持ちにさせたかなと心配しながら、栗色の髪の少年はその後に続いた。
「ここです」
彼の言った通り、すぐにその場所に到着した。特に何もない、ただ道と寂れた建物があるだけの場所だった。その建物にすら人がいるのか疑わしい。更には道もいくらかもいかないうちに途切れているようだ。そしてその先には、ただ枯れた大地が広がっていた。
涼は訝しげに眉を寄せた。右手に嵌めた薬指の指輪をくるくる回す。色素の薄い長身の少年は、垂れた目を細めて笑みを浮かべた。
「なんにもない、ですよね。本当は誰もここには連れてこない、と思ってたです。けれど、君が僕に不安を話したのを聞いて、僕も誰かに話したくなったのです」
「おれに、ですか」
自分で言うのもなんだが、シロとはそんなに親しいわけでもない。彼にはもっと親しい仲間がいる。涼は腑に落ちない顔で、目の前に立つ整った顔立ちの少年を見つめた。
「はい。実は唯たちには今更話すのが、怖いんですな。こんな風に言うのは君に対して失礼なのは、わかってるんですが」
親しいからこそ話せない、反応が怖い。会ったばかりの自分だからこそ、どんな反応でも受け止められるということか。涼は少し悲しい気持ちになった。しかし、彼の前で弱音をはいた自分も似た気持ちだった。よく知らない相手だからこそ、素直に怖いと言えたのだ。
「大丈夫です。健斗にも言いません」
その言葉にシロは優しく微笑んだ。
「ここは僕が捨てられた場所なんです。幼くて、あんまりよくは覚えてませんが、ここにブロックか何かの小屋があって、そこに」
彼は今はかろうじて土台が残る場所を指さし、丸くなってしゃがんでみせる。涼は何も言葉が思いつかず、小さく頷くしかできなかった。
「こうやって二日か三日かじっとしてたら、一人の大人が来たんですな。それが、先生のお母さん、カカさんだったです。彼女は僕に色々話しかけてくれたです。が、僕には全く分からなかったのです」
永谷の言葉が浮かんだ。『蛮民』という言葉。涼は無意識に一歩身を引いた。
「僕をここに連れてきた、母が何度も言っていたんです。絶対しゃべるな、と。だから、僕は喋らなかったです。でもとっさにこぼれる言葉で、僕に言葉を教えてくれたカカさんはきっと気付いたと思います」
シロは膝を抱え丸くなったまま、その膝に顔を埋めた。栗色の髪の少年は何かうまい返答をと頭をフル回転させたが、何ひとつ言葉が出てこない。教科書の知識など今、何も役に立たない。丸くなったまま、少年の独白は続いた。
「カカさんも僕にその言葉を使わないように言いました。大きくなって、その理由を知ったです。僕は、多分、蛮民です」
涼はその場にただ立ち尽くし、ごくりと喉を鳴らした。
先日永谷に聞いていて、よかったと思った。そうでなければパニックをおこしていたかもしれない。精一杯の告白を冗談だと笑ったかもしれない。彼の中の蛮民は教科書の中だけのものだった。荒い画像の鬼のような絵。残忍な人殺しだ。
ひとつ息を吐くとシロはすっくと立ち上がった。ちょっと困ったように笑っている。栗色の髪の少年は身動きせず、その様子をただ見ているだけだった。
「困らせて、しまいましたかな。みんなの想像の中にいる蛮民は、もっと恐ろしいモノですから。僕もよくわからないです。でも、みんなの蛮民のイメージがああだから僕も生きてられるのかもです」
シロはそう言うと遠くの荒野の更に向こうを見るように背筋を伸ばし、未だ身じろぎ一つしない少年を振り返った。一度見たい、でも二度と見たくはない、故郷。それはどんなものだろう。
「帰りましょう」
長身の少年は杖を使いながら、彫刻のように固まったままの栗色の髪の少年から少し距離を取ると歩き出す。涼は当惑した表情を浮かべたままそれに続いた。
がっくりと肩を落とした少年は、珍しくトボトボと大通りを歩いていた。結局気の利いたことも言えず、シロとは例の廃墟ホテルで別れた。何を言っても偽善や同情にとられそうな気がした。実際自分がどう思っているのかもわからない。
前に西条が蛮民の子供を殺した話を聞いた。あの時、その話は空想でしかなかった。現実味も、色も持ってなかった。けれど、今想像する。西条さんとシロさんが銃を向け、殺しあう。そんな光景。
涼は首を横に激しく振る。大きくため息をついて年季の入ったホテルのドアを開けると、ロビーのソファで少年が待っていた。
「遅いよ、涼」
灰色の髪の少年はパンを口に頬張りながら言った。栗色の髪の少年は無視して部屋へ向かおうとする。健斗が慌てて立ち上がると、その後に続いた。
「西条さんに合格祝いで色々買ってもらったんだ。涼と食べろって」
彼がそう言って差し出した大きな袋は、もう半分以上ゴミのようだった。涼は振り返らず進むと、部屋の前で立ち止まる。パンを口に入れたままの少年も、当たり前のように立ち止まった。
「お前、泊まるんじゃないだろうな」
「そうだけど」
当たり前のように灰色の髪の少年は答える。涼は呆れたように目を細めた後、少し考えると言った。
「もしおれが人を襲う化け物だとしたらどうする」
「はあ?」
健斗は小さな目をぱちぱちさせると、大きく首を傾げる。そして迷いのない口調で言った。
「だから何。涼は涼でしょ」
その答えに涼は驚いて目を見開いた後、泣きそうな表情を浮かべた。目の前の少年はパンを口に運びながら、ドアと彼を交互に見て開けるのを待っている。彼は鍵を回した。
「言っとくが、シングルベッドと椅子しかないからな」
健斗はドアが開くと同時に一目散に中に滑り込むと、内鍵を閉める栗色の髪の少年を振り返り、にっこり笑った。
「じゃあ、オレベッドで寝るからさ。涼で椅子で寝たらいいじゃん。どこでも寝れるんだし」
「お前……。もういい、バカバカしい」
涼はベッドに転がって袋の中身を漁る少年を見ながら、呆れた表情で窓際に置かれた固い椅子に腰を下ろした。
ぼくはたくさんの知識を 持っていた
ぼくはいろんな世界を 知っていた
本を見て 噂を聞いて 知っていた
何をわかっているつもりだったのだろう
ぼくは何の手触りも知らず 何の言葉も持たない
ぼくは 自分という
小さな小さな世界の
王様だった




