まよいみち(中編)
お昼時を過ぎ注文も一段落していた。涼はテーブルの食器を片づけながらも、頭ではリオのことを考えていた。もちろん犯人だなどということは信じてはいない。でもこの間の少しいつもと違った様子。あれはなんだったんだろう。
「涼!」
ドアが乱暴に開き、転がるように灰色の髪を刈り上げた少年が飛び込んできた。嫌な予感がした。
「ば、ば、バレた。唯にバレた」
汗だくで眉を困ったように寄せながら、健斗が捲くし立てる。やっぱり、と栗色の髪の少年は呆れた表情でため息をついた。
「そんなことじゃないかと思って、藤河さんに電話したんだ」
「そ、それで」
「いなかった。長屋の代表の人が言うには藤河さん、家庭教師して生活してるんだって。どこの家に行ってるかまではわからないらしい」
灰色の髪の少年は、わかりやすくがっくりと肩を落とす。涼はそれを横目に見ながら食器を慣れた手つきで盆に乗せ、台拭きでテーブルをきれいに拭いた。
「とにかく今日早めに上がらせてもらうことにしたから、父さんに電話して来るなって言ってみる。それがダメなら長屋に行って藤河さん、探すよ」
それを聞いて健斗は泣きそうな顔で笑う。そして口を結んで真面目な表情を浮かべた。
「じゃあ、オレは唯を説得する。仲間だから」
涼がその言葉に笑みを浮かべ大きく頷くと、灰色の髪の少年は嵐のように去って行った。
バイトが終わると同時に店の電話を借りて、少年は電話を掛けた。呼び出し音がもどかしい。ホテルのフロントの男性の声が聞こえた。よく教育された丁寧な言葉遣い。その彼の涼に対する返答は期待外れのものだった。リオは不在らしい。
受話器を置いて暫く考え込んでいたが、思い立ったように近くに置いてある電話帳を開く。目的の電話番号はすぐ見つかった。国立中央研究所。涼は確認しながらその番号をダイヤルした。
電話に出たのは今度は女性だった。慎重に自分が森江リオの息子で、父親を呼び出してほしいことを伝えた。途中暗証コードというものを求められ動揺したが、昔何かあってリオに連絡取るときに必要だからと流香に教わったのをなんとか思い出した。お待ちくださいの言葉の後、すぐに聞きなれた声が聞こえた。
「どうした」
声に焦りの色が見える。仕事場まで電話したことで、なにかあったんだと思っているようだった。涼は少し言葉を選んだ後、受話器を握り直し切り出す。
「健斗に聞いた」
少しの沈黙の後、電話の向こうで「そう」とだけ聞こえた。
「あの場所に行くのやめろよ。相手は復讐するって言ってる。行ったらどうなるかわからないだろ」
「でも、約束は破れない」
はっきりとした口調だった。涼は瞳を揺らすと、受話器を持っていない方の手で意味もなく電話帳を捲った。
「復讐するって言ってるんだぞ」
「わかってる。彼らにはその権利がある」
「でも放火なんてやってないだろ」
電話が切れたのかと心配するほどの長い沈黙に、涼は向こうの様子を伺うように痛いほど受話器を耳に押しあてた。その時間がもどかしかった。
「直接やらなくても罪を犯してることもある。罰を受ける資格がある」
「殺されたらどうするんだよ」
再度訪れる沈黙に少年は耐え切れず電話を切ると電話帳を丁寧に元の場所に戻し、長屋に向かって店を飛び出した。
「唯、考え直せよ。リオは絶対そんなことしない」
涼のバイト先からここまで再度全速力で駆け抜けてきた少年は、荒い息を整えながら言った。そんな彼を痩せぎすの少年は眠そうな目で一瞥すると、隅にある元々あった扉付きの収納部分を開ける。蝶番がさび付いていて耳障りな音をたてた。
「オレのことよりあの男を信じるのかよ」
唯は開けた扉を少し閉め、彼を見つめる少年と視線を合わせる。「そういうことじゃない」健斗は珍しく声を荒げた。その声は走ったせいもあり上ずっていた。
「もういいから、お前は早く自分の居場所に戻れよ。ここにいる必要ないだろが。お前はもう仲間じゃないだろ」
「唯」
その声とともに激しい音がして、名を呼ばれた少年は尻餅をついた。健斗が殴ったのは収納の扉だった。視線を収納の中に戻していた唯は、急に閉まってきた扉を避けて転んだのだ。
「健斗、なんのつもりだよ」
痩せぎすの少年は怒りをあらわにして、ゆっくりとした動きで立ち上がった。
「唯がどう思おうと関係ない。唯は親友で相棒だ。オレの中では今でもそうだ。だからどうやっても行かせない」
痩せぎすの少年はその言葉に瞳を揺らし、顔を曇らせた。ケンカもあったが、最高の相棒だと思っていた二人。その日の終わり。笑って送り出した、あの日。本当はいやだ、ふざけんなと喚き散らしてやりたかった。
「お前がオレに勝てるとでも」
唯は軽く首を傾げるとそう言った。楽しそうに口を歪める。
「勝ったことだってあるでしょ」
健斗もにんまりと笑った。
真広がその部屋の音を聞きつけて様子を見に来た時、二人は殴り合い真っ最中だった。彼女は引きつるような小さな悲鳴をあげる。その声に健斗が気を取られた瞬間、激しい痛みがみぞおちに走った。
「健斗」
むせ返りうずくまる彼に真広が駆け寄る。痩せぎすの少年はよろつきながら立ち上がると、彼女と入れ替わりに入口へ向かった。くすんだカーキ色の長袖Tシャツの長めの袖で口元の血を拭いながら、体を預けるようにして閉まりかけの収納の扉を開ける。そして中から取り出したズシリとした何かをじっと見つめた後、細身の唯にそぐわぬズボンのベルトにねじ込んだ。健斗にはよく見えなかったが、それが哀しい物なんだというのは理解できた。
「唯……」
「真広とシロはここにいろ」
「で、でも」
真広は灰色の髪の少年の背中をさすりながら、困惑した今にも泣きだしそうな表情を浮かべた。
「何度も話しただろ。復讐はオレがやる」
「ゆ、い」
やっとのことで健斗が呼んだ名前は振り返らずに去っていく少年の足音とともに、周囲の静寂にとけていった。
男は立っていた。数日前そこでそうしていたように、数年前のあの日、そこでただ立ち尽くしていたように。
「森江、リオ」
少年は背中を向けている栗色の髪の男に、固い口調で声を掛けた。仕事帰りなのか暗いネイビーのスーツを品よく着こなした男は、一呼吸おいた後ゆっくり振り返った。その顔は逆光のため表情が確認しずらい。唯はまっすぐ男を睨みつけた。
「大丈夫? 怪我してるみたいだけど」
栗色の髪の男は少し距離をおいたまま、心配するように声を掛け顔を覗き込む仕草をする。その行動は目の前に立つ痩せぎすの少年の気に障った。
「ケガの心配? はは、なんだそれ。笑える」
唯は瞳に怒りを浮かべたまま薄い唇を醜く歪めると、頭上の空のような薄鈍色の回転式拳銃をウエストのベルトから取り出した。震える手で銃口を数歩前に立つ男に向ける。姿勢よく立つ男は、構えもめちゃくちゃな少年の凶器の前で、微動だにせずただそこにいた。
「ただ、聞きたい。あんたが死ぬ前に。オレ達が、何した。まだ何もわからないあいつらが、なんで死んだ」
少年は荒い息とともにそう吐き出す。奥歯が時折ガタガタと音をたてる。それを目の前の男には悟られたくなかった。
男は沈黙する。そして言葉を発しようとした瞬間、バタバタと騒がしい足音が乱入してきた。
「リオは、ちが、う」
距離をおいて立つ二人が注目する中、今にも倒れそうな様子の健斗が涙目でむせ返りながらそう言った。今日何度目の全力疾走だろう。もういやだと地面に転がってしまいたかったが、そうもいかない。
「お前」唯がため息とともに忌々しそうな視線を、彼の隣までよろよろと進んでくる少年に向けた。灰色の髪の少年はゆっくりリオと唯の間に歩を進めると、優しい瞳で彼を見る男に言った。
「リオ、本当のこと言えよ。なんか知らないけど、責任感じて死のうとしてるみたいだけど、そんなのオレも涼も納得できない」
そこで彼は体を折り曲げまた何度か咳き込み、大きく呼吸すると続ける。顔も体もあちこち痛んだ。
「この間会った時、オレ言ったよな。どうしたらまた、みんなで笑えるんだろうって」
健斗はゆっくり体を起こしリオの前まで進むと、まっすぐに彼を見上げた。
「リオが死んだら、その日は二度と来ない。もう、二度と来ないよ」
栗色の髪の男は奥二重の目を寄せた眉の下でゆっくり閉じると、「わかったよ」と言いながらやんわりと笑みを浮かべた。それを見て灰色の髪の少年は両手を上げて唯を振り返る。
「休戦だよ、唯。リオは逃げない。話聞いてからでも遅くないでしょ」
その言葉を聞いた痩せぎすの少年は、複雑な表情で瞳を揺らし緩慢な動作で銃を下ろした。
電話を切って店を飛び出した涼は全速力で橋へ向かった。人の多さにはまだまだ慣れない。人を避けることに苛立ちを感じた。橋へ辿りつくと今日は迷わず向こう側へ渡る。そこには川に面して、十件くらいの玄関の並ぶ長屋があった。表札らしきものはなく、どこが誰の家かはわからない。
栗色の髪の少年は戸惑うように視線を泳がせ、並んでいる玄関を見つめた。右手の指輪を無意識に回す。暫くそうしていたが、大きく頭を横に振るといちばん近い引き戸をノックした。「はいー」間延びした声とともに一人の老女が戸を開ける。涼は丁寧に綺麗な礼をした。
「あの、藤河さん、藤河いずみさんのお宅が知りたいんですけど」
その言葉に彼女は訝しげに少年を見回す。涼は随分上達した営業スマイルを向けた。老女は疑う姿勢を崩さず、無造作に手を上げ彼の背後を指さす。帰れということかなと後ろを振り返ると、探し人が立っていた。
「ありがとうございました」
少年の綺麗な礼とともに発した感謝の言葉は、最後まで聞かれることがないまま戸は閉められた。
「だ、大丈夫よ。あのおばあさん、いつもああだけどいい人だから」
「はい。でも、少し自信喪失しました。って、そんなことどうでもいい」
少年は弾かれたように顔を上げて藤河の腕を掴んだ。彼女はびっくりしたように黒目がちの瞳を見開いた。
「どうしたの」
「とにかく来てください。話は移動しながら」
「ど、どこへ」
「孤児院、のあった場所です」
その言葉に彼女は掴まれた手を振り払って立ち止まった。涼は焦りの色を浮かべたまま振り返る。その視線の先には想像とは違う表情をした藤河がいた。
「わかったわ。行きましょう」
真剣な瞳でひとつ大きく頷くと、長いスカートを翻して橋へ向かう。
「ついて来て」
そこで初めて少年は、自分が今から向かう場所を知らないことに気付いた。




