夢を謳う
古びたホテルの廊下で少年が二人睨み合っている。栗色の髪をした少年、そして彼より少し背の低いくりくりした癖毛の少年。
睨み合う。
どちらもゆずる気はなさそうだ。
一日前。
「こんにちは」
少年二人は小さな古いホテルの狭いロビーにいた。カウンター越しにゆっくりした足取りでカールした髪の十四、五くらいの少年が現れた。
「で、何人。二人?」
「ああ、はい。泊まれますか」
栗色の髪をした細身の少年、涼は丁寧に、しかしニコリともせずに聞いた。その正面で対峙している癖毛の太壱は台帳を投げてよこす。
「これに記入して」それを言い終わらないうちに奥から大声が響く。
「太壱! ちゃんと愛想よくしなさい。どうせ学校にも行かないでやることもないんだから。手伝いくらいちゃんとやりなさいよ。追い出すよ」
「うるせーな」
太壱はさも不満そうに眉を寄せた。涼はその間に記入を済ませ、乱暴に差し出された鍵を受け取る。
「行くぞ、健斗」
「はーい」
後ろで成り行きを見守っていた少年は、素直にその言葉に従った。
その日の夕食を彼らはこのホテルの食堂でとっていた。食堂と言えるような広さもなく特別美味しい料理というわけではなかったが、二人は特に気にする様子もなく箸を運んでいく。
「あんたらどっか食いにいけば?あんたらだけだよ、ここで食ってんの」
迷惑そうに太壱が言った。その分仕事が増えるからだ。
「そんな金はない」
「涼はケチだからね」
健斗が焼き魚を骨のまま口に放り込みながら笑った。涼はというとすっかり箸をおき、残ったおかずを豪快に食事を続ける彼の方に押しやる。
「ってか、何のためにこんな町来たの。旅行ではないよな」
母親のものなのか、赤と白のチェックという可愛らしいエプロンを身に着けた太壱は食べ終えた食器を次々重ね、お盆にのせていった。意外に手際がいい。
涼は少し考えた後、答えた。
「おれたちは旅をしてるんだ」
「旅?」
「ああ。で、情報を探してる」
涼は伺うように机の横に立つ彼を覗き込んだ。太壱は訝しげに眉をひそめる。
「何の、情報」
「青い空の」
それを聞いた彼はきょとんとし、見つめる二人の少年それぞれに視線を送ると「はっ」と鼻で笑った。
「何それ。そんなの探して旅してるってこと?勉強嫌いの俺でも知ってんよ。伝説とか空想の類っしょ、それ」
彼は見下したような視線を二人に向けた。それは被害妄想だったかもしれないが、椅子に座っている涼はそう感じた。
彼は立ち上がった。
「なんだよ」
太壱はたじろぎ、一歩後ろに下がる。
「先に部屋に帰る」
「はーい。オレは全部食べてからにするから」
「ああ」
涼は太壱に目もくれずドアから出て行った。
「なっ何だよ、あいつ。ムカつくわ」
彼は煤けた色をした癖毛の髪をガシガシかきむしると、皿の乗ったお盆を乱暴に掴み調理場に消えていった。
健斗はそんな様子を見送りながら、冷たくなっているパンを口に運んだ。
次の日の朝、涼は健斗の声で目を覚ました。薄目を開けて見ると、もう着替えを済ませ二段ベッドの上の階から降りてきているようだった。
「涼、朝ご飯食べに行くよ」
嬉しそうに狭い部屋ではしゃぐ。二段ベッドにイスが二つ置かれただけの部屋だった。ただひとつの窓も向きが悪いのか日差しが全く差し込んでこない。
「おれはいいよ。一人で行って来いよ」
「涼は食べなさ過ぎ。後で腹減ってもしんないからね」
「はいはい」
涼はむくりと起き上がると伸びをした。手が上のベッドに当たった。
彼はゆっくりベッドから降りると開いたドアからの光を頼りに、緩慢な動きで着替えを済ませ、本を一冊手に取る。何度も飽きることなく眺めた本。暇さえあれば見ていた。
明るいところで見ようーと涼は光を求め部屋を出て行った。
廊下は片側一面窓になっていた。日差しが差し込み眩しいくらいである。なんでこっち側を部屋にしなかったんだろうと涼は思った。
廊下の壁に背中を預け、本を開こうとしたとき彼はやってきた。
「何してんの」
涼は構わず持っていた本を開く。太壱は物珍しそうに本を見つめた。
「何それ。ボロボロじゃん」
「見てわかるだろ。青い空の写真集だよ。言っとくけど貴重なもんだからな」
「高いの」
その問いに涼は呆れた顔をして目をふせた。金額じゃない。
「正直バカみたいだと思うけど。無駄な努力して」
涼は、寝癖なのかいつもより更にくりくりした頭の少年を一瞥して言った。
「無駄な努力すらしてない奴には言われたくないけど」
「はあ?」
太壱はむっとして本を捲る彼を睨む。涼は視線を上げて目を合わせた。
二人は睨み合うように向かい合った。
「おれたちに絡むのは年の近い奴と話したいからだろ。こんな早く起きてんのだって学校に行くか迷ったからじゃないの」
「ば……っ、違ーよ」
明らかに図星のようだ。涼は少し考え、意を決したように聞いた。
「いじめられてんの」
「ふざけんな。ただ二、三日サボったら行くタイミング掴めなくなっただけだ」
苦々しくそう言い放つ太壱に涼は呆れ果てたようだ。ゆっくり瞬きをすると彼から写真集に目を移した。
「てめぇ」
「涼ー」
険悪なムードにそぐわぬ明るい声が響く。健斗が満足そうな表情でこちらに向かってきていた。
「今日は何すんの。まだここにいるんでしょ」
「ああ。今日はもう少ししたらこの辺の人達に話聞いて、明日朝一で……っておい」
涼は油断していた。いや、油断してなくても虚をつかれただろう。健斗も小さな目を丸くしている。
「ははっ。ざまあみろ。これは俺が売ってやる」
太壱は奪い取った写真集を高く掲げ、廊下を走り出した。涼も弾かれたように後に続く。健斗も訳が分からず後を追った。
廊下には人がおらず、彼らは連なるように駆け抜ける。そして二人は入口の扉を飛び出していった。
「足、早いなあ」
健斗は外に出たところで大分小さくなった人影を見ながら呟く。朝食を食べ終えたばかりの彼はそのまま座り込んだ。
外は晴れていた。日差しがあると暑いくらいだ。黒いつなぎを上だけ脱ぎTシャツになると彼は空を見上げる。
「全然、大丈夫、だな」
爆走する二人はもうすっかり見えなくなっていた。
彼らは商店街を走っていた。寂れた雰囲気で半分の店はシャッターが閉まっている。前を走る少年はもうすっかり息があがっていた。
「マジ、かよ」
後ろの少年はまだまだ余裕がありそうだ。これでは追いつかれるのも時間の問題だろう。
「いいかげんにしろよ。もう諦めて返せ」
涼が前を走る少年に叫ぶ。太壱は苦々しい顔をするとふいに口元をにやりと歪め、進行方向を急に変えると細い路地に入った。そこは日差しの届かない暗い路地だった。地元民にしかわからない抜け道なのだろう。
太壱は足元に雑多に置かれた様々な物達を器用に避けて進む。その時。
後ろで大きな音がした。太壱は振り返る。涼が派手に転んでいた。
「ははっ、だっせぇ」
彼は腹を抱えて笑った。そんな中、涼はスローモーションのようにゆっくり起き上がった。太壱は走り出す準備をして身構える。キレて更なるスピードで追ってくるんじゃないかと思った。
が、彼の予想は外れた。
涼はそのままゆっくり後ろに下がると商店街の道へと戻って行ったのだ。太壱はぽかんとその様子を見守っていたが、我に返り叫んだ。
「おい、いいのかよ。売っちまうぞ、おいってば」
慌てて元の道に戻ったが、彼はもう遥か向こうを歩いていた。
「涼、大丈夫?」
「大丈夫だよ、これくらい」
健斗は心配そうに、ベッドに座り険しい顔をしている涼を見る。白いズボンの膝は赤く染まっており、顏のおでこの辺りにも血が滲んでいた。
「それより写真集だ。売ってたら」
涼は険しい顔を更にしかめた。あれは彼の宝物だった。ずっとずっと昔、小さな子供の時から。
「そんな悪いことするやつじゃないよ、きっと。オレが話してこようか。涼だとまた揉めるでしょ」
そう言って健斗がノブを回す。カタンとドアが何かに当たった。
「涼」
涼は不思議そうにゆっくりと顔を上げた。それと同時に「じゃーん」と言って健斗が差し出したのは。
「これ」
「涼の写真集だよ。オレの言った通りでしょ」
涼は手触りを確かめるようにそれに触れた。まぎれもなく彼のものだった。涼はゆっくりページを捲った。
「これもあるよ」
そう言って健斗は、彼の隣に年季の入ったくすんだ救急箱を置いた。涼はそれには目もくれずボロボロの青色の写真集を眺めていた。
次の日。
彼らは予定通り朝一で発つべく、荷造りをしていた。涼は準備を終え、ベッドに座っていたが上のベッドから小石やら紙やら木くずやらが落ちてくるのに気付き呆れ顔で立ち上がった。
「健斗、お前。またガラクタ拾ってきてるだろ」
「ガラクタじゃないよ。コレクションだよ」
そう言いながらベッドの上に広げた石などをスポーツバッグに入れていく。
「そんなだから重くてすぐ疲れんだろうが。捨ててこい」
「えぇーーー」
健斗は不満げに顔を歪める。「昼抜きにするぞ」と睨まれて初めて彼はしぶしぶ頷いた。
「捨てるんじゃないからね。次来た時まで隠しとくだけだから」
「はいはい」
ポケットと両手いっぱいにガラクタを持つと彼は出て行った。
「そろそろ出発すんのか」
開いたドアから太壱が顔を出した。ちらりと涼を見たがおでこに貼られた絆創膏を見て、気まずそうに目をそらす。涼は彼の方をまっすぐ見て言った。
「怪我のことは別にいい。おれが勝手に転んだだけだ。でも、写真集を盗ったことだけは謝れよ」
その言葉に太壱は押し黙った。落ち着きなく目を泳がせ躊躇っている。そして暫くのち、意を決したように口を開いた。
「わ、悪かった。ゴメンナサイ」
涼は「ふん」と鼻で笑った。太壱は信じられないという表情を浮かべる。
「まさかとは思うけど。お前、今、バカにしたろ」
涼は平然と言う。
「お前と同じことしただけだろ」
「はあ。俺が何したって」
ふと昨日の光景が浮かんだ。食堂で彼らの夢をバカにしたこと。そうだ、鼻で笑った。
そして気付いた。勇気を出して言ったことをバカにされるのはやっぱり腹立たしくて、傷つくのだ。
「ごめん」
「わかればよろしい。あ、そうだ。救急箱どうも」
涼は丁寧にぺこりと頭を下げてそれを手渡した。それを受け取りながら太壱は少し迷いのある口調で聞いた。
「そういえば、情報はあったのか」
「いや、これと言ってなかった。皆お前と同じ反応だったし。まあ、慣れてるし平気だけど」
太壱は少しの間逡巡し、「あんまり自信持っては言えないんだけど」と前置きをしてから言葉を繋げた。
「ここに泊まってた客が言ってたんだ。ここから、北にずっと行ったとこにある阿郷ってとこに首都から戻ってきた軍人がいるんだって。そういうやつならなんか知ってるんじゃねぇか」
涼は咄嗟に立ち上がった。
「ほんとか」
「や、いや、記憶も曖昧だし、なんも知らない可能性のが高いと思うけどな」
太壱は涼の期待に満ちた瞳に言ったことを後悔しているようだった。頭を掻き視線を泳がせる。
「それでもいい。ありがとう」
涼は彼の方を向いてペコリと綺麗なお辞儀をした。
「たっだいま」
健斗は軽い調子で部屋へ入ると、太壱が立ってるのを見て目を丸くした。そして交互に二人の顔を見まわす。
「またケンカしてんの」
「してねーよ」
二人の声が重なった。そして一瞬のち、三人の笑い声が重なる。
「あ、そうだ。お母さんが怒ってたよ。今日は学校行くって言ってたんじゃないの。遅刻するよって」
健斗の言葉を聞いて太壱は慌てて時計を見る。「マジか」という言葉が唇から洩れた。
「学校、行くことにしたのか」
涼がベッドに座ったまま、慌てて部屋を飛び出そうとしている少年に聞いた。少年は照れ臭そうに唇を歪めると、言った。
「俺、夢とかもねーし。なんか目的っつっても、学校行く他やることが見当たんねーんだよ。まあ、無駄な努力だろうけどな」
「いいんじゃない」
涼は笑みを浮かべた。「じゃ」と言って太壱は大急ぎで走り去って行った。
「おれらも出発するか」
「はーい」
涼が立ち上がるのと同時に健斗が幾分軽くなったスポーツバッグを手に取る。
彼らは暗い部屋の扉を開け、足早に進んでいく。
夢を探して 謳う
自分の心がわからず さまよって
それでも それしかできず ただ謳う




