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BLUE SKIES  作者: kimra
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棘(後編)

 少女は隅の席でそわそわと落ち着きなく椅子に座り直した。そこへ栗色の髪をした少年が歩いてくると、湯呑を盆からテーブルへと移す。その後空いた食器を盆へ乗せた。

「退屈じゃない?」

 涼がそう言うと、宮日は大きく首を横に振った。

「全然、平気。もうすぐ終わりだよね。待ってる。健斗も来るかもだし」

「あいつはいつも来るわけじゃないよ」

「いーの。待ってるから」

 少女が頬を膨らませふてくされたように俯くのを見て、涼は軽く首を傾げる。その時ドアが開く音がして涼は素早く顔を上げ、そちらに視線を移した。よく見かける常連の中年男性が二人。涼はなぜかがっかりした表情を一瞬浮かべた後、いつも通り事務的に「いらっしゃいませ」と声をかける。宮日は、その少年を怪訝そうな表情で見つめた。

「お待たせ」

 仕事を終えた涼は、宮日にそう声をかけると大股で近づいてくる。少女は勢いよく立ち上がると椅子をテーブルに戻し、笑顔のままショルダーバックを肩からかけた。涼は背中に感じる厨房からの視線に、いつもは丁寧にする礼もせずドアへと向かう。昨日からの好奇の目にうんざりしていた。

「そういえば、宮日ってなんのバイトしてんの?」

 店を出て少し進んだところで、涼は後ろをちょこちょこ歩く少女に聞いた。宮日は目を輝かせると、嬉しそうに話す。

「あ、あのね。涼んちの近所に郵便局あったでしょ。そこで……」

 そこまで言った時、彼女は涼が自分を通り越したさらに先を見ているのに気付いた。真剣な瞳をしている。宮日は綺麗に整えられた眉を寄せると、後ろを振り返った。

 そこには一人の女性が立っていた。

「藤河、さん」

 栗色の髪をした少年が、硬い口調で呟く。名前を呼ばれた女性は真摯な瞳で、まっすぐ彼を見ていた。その二人の間で宮日は訳も分からず、少年と女性の間で視線を泳がせ、意を決したように言った。

「あ、あの」

 二人の注目が少女に集まる。

「だ、誰かな? し、親しい感じかな」

 宮日は眉を八の字に寄せ、絞り出すように懸命に言葉を紡いだ。その問いに涼は「ああ」と納得がいったようにひとつ頷くと、藤河を手で示した。

「こちら藤河さん。健斗の昔の……、知り合い……」

「孤児院の管理人……っていうか、先生をやっていた藤河と言います」

 そう言うと彼女は優しい笑みを浮かべる。しかし、そこには緊張の片鱗がしっかり残っていた。

「あ、私、健斗とも友達です。篠谷しのたに 宮日みやびって言います」

 宮日は慌てて頭を下げた。その言葉に柔らかい雰囲気の女性は、「そう」と嬉しそうに笑うことで答えた。涼は二人の女性を見渡し一区切りついたことを確認してから、真剣な表情を浮かべ藤河に向き直った。

「今日は何か話があって?」

 彼女はその質問に黒目がちの瞳を僅かに揺らし、「そこの公園で話しましょう」とくるりと踵を返す。涼もその後に続こうとしたが、深刻な面持ちで立ち竦んでいる少女に気付き足を止めた。

「あ、ごめん、宮日。悪いけど……」

「私も行っちゃダメかな。ほら、私も健斗の友達だし、ね」

 縋るような目で少女は栗色の髪の少年を見上げる。本当の理由は彼がこの女性藤河と、どんな話をするのか気になって仕方なかったのだ。そんな自分勝手で、どうしようもない理由。困ったように肩を竦める涼に、宮日は心の中でごめんなさいと謝った。

 そんな二人を見て、「構わないわよ」と藤河が優しく笑った。


 そこは公園と呼んでもいいものか、と疑問を持つような場所だった。荒く整備された土に、木のベンチがポツンと置かれただけの広場。三人はそのたったひとつのベンチに、少年を挟むように並んで座った。

「健斗はあれから来たかしら?」

 藤河は悲しげな瞳で少年を見ながら聞いた。涼はその問いにゆっくり首を振る。それを見て髪を後ろでひとつに縛った黒目がちの瞳の女性は、「そう」とだけ呟いた。

「来てたら会うつもりだったんですか」

 少年がまっすぐ見つめると、彼女は逡巡し唇を噛む。宮日は話が見えず、更に聞くタイミングもつかめず、様子を見守った。

「情けないわね……。そう決めてきたのにまた迷ってる」

 藤河はそう呟くと、自嘲した。

「ずっと、そう。謝りたい。罵られても叩かれても……。許されないってわかってる。なのに、いざとなったら怖くてたまらなくなるの。逃げたくなる。だめよね。本当、こんなんで先生なんて呼ばれてたなんて……」

 彼女がそこまで言って両手で顔を覆った時、涼の隣に座っていた少女が急に立ち上がった。

「わかります」

 宮日は泣きそうな表情を浮かべて、まっすぐ正面を向いたまま言う。涼は呆気にとられたまま、少女が次の言葉を紡ぐのを待った。

「私も傷つけたことあります。謝りたいって思って、でも、ずっとずっと言えなかった」

 栗色の髪の少年はそこで何かに気付き、優しく笑った。

「宮日、おれは」

「いいの、黙ってて」

 いつものふんわりとした口調と正反対の態度の少女に、涼は言われるがまま口を噤んだ。宮日は、ゆっくりと涙目で見つめる女性の前まで進むと、真剣な表情のまましゃがみこんだ。

「謝るのって勇気いりますよね。時間が経てば経つほど謝れなくなって、怖くて、また時間が経って」

 その言葉に藤河は、きつく目を閉じる。涙が固く握られた手の甲に落ちた。

「あたしが謝ったのは、もう何年も経った後でした。ずっとそのことを考えてたわけじゃないけど、いつも胸に小さな棘みたいのが残ってた。だからたまたま話すチャンスが来た時、必死で謝ったんです。何を言ってんのかもうめちゃめちゃだったけど、とにかく謝ったんです」

 それは自己満足でしかなかったのかもしれない。相手にしてみれば、忘れたい過去だろう。苦労してやっと、癒えた傷なのかもしれない。

 宮日はワンピースの袖で溢れそうな涙を拭うと、言われたまま黙って話を聞いている涼をちらりとみる。彼は困ったような、優しい笑みを浮かべていた。

「許して、もらえたの?」

 その問いに少女は飴色の髪をふわりと揺らし、目の前の女性に向き直る。そして、涙目のままにっこりと笑った。

「ありがとうって、言ってくれたんです。相手はもちろんその事覚えてて、あたしはもう忘れてると思ってたって。気にしててくれて、ありがとう、って」

「そう、よかった」

 藤河はそれだけ絞り出すように言うと、両手で顔を覆った。




「ごめんね、涼」

 藤河と別れ近くのレストランに向かう途中、宮日がためらった様子で呟いた。

「何が」

 栗色の髪の少年は面食らったように彼女を見ながら、首を傾げる。少女は俯いたまま、視線を泳がせた。

「だって、よく事情も知らないであんなにでしゃばって……」

 涼は「ああ」と呟くと、宮日の前で立ち止まってまっすぐ彼女を見る。飴色の髪の少女は少年の前で立ち止まったまま、整った眉を寄せ次の言葉を待った。

「全然。すごく助かった。おれ、正直何話していいか全くわからなかった。宮日いてよかった。ありがとう」

 栗色の髪の少年は、ぺこりと綺麗な礼をする。藤河はあの後ひとしきり泣いて、健斗が来た時は連絡ちょうだいと長屋の電話番号を渡してくれた。ありがとうと笑って別れたのだ。

「え、ええ、そんな。いてよかったなんて、そんな」

 ふわふわした髪の少女は真っ赤になった頬を、両手で覆った。涼は頭を上げると「じゃ、行こうか」と、向きを変え歩き出す。顔のほてりの治まらない少女は、その後をちょこちょことついて行った。





 あの日 チクリと刺した棘

 取り出そうとして 忘れようとして 

 こんなにも頑張ってるのに チクチク痛む

 この棘を

 君に抜いてもらおうなんてのは

 なんとも

 身勝手すぎる気もするけど



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