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BLUE SKIES  作者: kimra
17/35

もしも

 その薄暗い部屋の中で、涼とシロはゆっくりと言葉を交わした。後で考えると、一方的に悩みや不安を話し続けていたな、と思う。シロにはそうさせる空気があった。どこか安心するような、弱い部分を全部さらけ出したいような、そんな。

 ひと通り話が終わり会話が途切れたのを見計らったかのように、懐かしく騒がしい声が響いてきた。涼はピクリと肩を震わせると、布の張ったドアを凝視する。「久しぶり」というセリフを何度か口の中で反芻した。

「よう、涼。久しぶりだね。元気してた?」

 勢いよく布がひらめき、いつもの満面の笑みを浮かべて健斗は登場した。黒地に白の大きなドクロの描かれたTシャツを着ている。何も変わってない。いつもの彼だ。まあ、ほんの一か月程会っていないだけなのだから、それも当然のことだろう。

「ひ、久しぶり……」

 涼は店で使う固い営業スマイルを、キャンドルの炎を揺らしながら、まっすぐ彼とシロの元へ進んでくる少年へ向けた。向かい合っている彼らの近くに当たり前のように腰を下ろした健斗は、そんな涼の表情を見て不思議そうに首を傾げる。

「どしたの、涼。なんか変。ねぇ、シロ」

「うぅん、どうですかね」

 健斗は不審げな表情を浮かべたまま、右前に座るシロに同意を求めた。同意を求められたタレ目の少年は、薄く笑って栗色の髪の少年の方を向く。涼はきまりが悪いようで、口を曲げたまま何度も瞬きをして言った。

「シロさんとはさっき会ったばっかなんだから、わかるはずないだろ」

「あー、そっか。確かに」

 健斗は、大きく声を上げて笑う。シロも楽しそうに笑っている。涼は呆れた目をして健斗を見た。

「あ、そうそう、その顔。涼の顔はそうだよ」

 髪を刈り上げた少年は嬉しそうに、涼の顔を指さして笑う。ああ、確かにいつもこんな感じだったよな、と彼は呆れ顔のまま唇を歪めた。



 その夜。泊めてもらったその部屋で、珍しく涼は眠れないでいた。狭い部屋での雑魚寝のせいではない。多分シロに会ったからだ。

 自分の将来を想像して泣いたのか、と聞かれたときドキリとした。シロに尊敬の念すら感じるのに、彼のさまよう視線に恐怖も感じた。自分の目は、このまま変わらないような気がしていたから。人は毎日少しずつ変化するものに本当に鈍感だ。子供の頃から比べれば、確実に悪くなっているのに、だからこそ旅を決断したのに。焦りが胸に湧き上がる。健斗を待つ、そう決めた。それは本当に正しいんだろうか。

 ぐるぐると考え続け、結局涼は一睡もできないまま朝を迎えた。




 晴れているとはいえない灰色の空の下、涼はひとつ大きな欠伸をした。日差しが目に痛くて、彼は眉を寄せると地面へと視線を落とす。雨の痕跡はすっかりなくなっていた。彼らの住処の家からの帰り道。道のわからない涼を、健斗が案内がてら送ることとなった。

「珍しいね。眠れなかったの?」

 健斗が不思議そうに首を傾げて涼を覗き込む。栗色の髪をした少年は目を瞬かせながら「まあね」と答えた。そして小さく息を吐くと、ご機嫌な様子で歩く少年に声をかける。

「おれ今回は面接見送ったから」

 その言葉に短く髪を刈り上げた少年は少し沈黙し、「そっかぁ」と目を合わさずに零した。涼は地面を見たまま続ける。

「けど、次回は見送らない。試験も面接もバーチャルも、やる」

 ひとりでも。

 その言葉が、涼にはどうしても続けられなかった。それが、その言葉が、彼には決別の言葉に思えたから。

「それで、お前はこれからどうすんの」

 涼は顔を上げると健斗を見た。彼は困ったように、薄い眉を寄せて涼を見ていた。

「正直、わかんない。唯や真広やみんなに会いたくて。会って、ただ昔話なんかするだけだと思ってた。いろいろあったこと、知らない時間の事、話したかった。でも」

 ふいに健斗は足を止めた。涼も同じように立ち止り振り返ると、健斗はにっこりと笑った。

「でも今は、ただ助けたい。仲間が助けを必要としてる。オレにできることがもしあるなら、全力で助ける。当然でしょ」

 その言葉を聞いて、涼は声を洩らして笑った。「なんだよ」と健斗が少し不満げに口をとがらせる。

「いや、いつ聞いてもお前の仲間には憧れるよ」

 栗色の髪の少年は今歩いてきた道のずっと先の、彼らが肩を寄せ合って住んでいた廃墟の方を見ながら呟く。それに健斗は驚いた表情を浮かべた。

「なに言ってんの。涼だってオレの大事な仲間のひとりだよ」

 彼があまりにも当たり前のことのようにそう言ったので、涼は面食らった。彼から聞く仲間の話、その中に自分がいるのは夢だと思っていた。想像の中だけだと。それがそのまま現実にはならない。でも素直に嬉しいと思った。

「……それに」

 健斗は視線を移し、まっすぐに涼を見る。真剣な眼差しだった。

「止めたいんだ」

「止める? 何を?」

 涼は訝しげに眉を寄せる。健斗はしばらく考えた後、真一文字に結んでいた口を開いた。

「大切な人同士が傷つけ合うのを、だよ」

 涼には意味がよくわからず、ゆっくりと首を傾げる。けれどその言葉は、不思議と彼の心にずしりとした衝撃を与えた。

 健斗は腑に落ちない表情を浮かべている栗色の髪の少年を見て、薄く笑うとくるりと前に向き直る。そして2、3歩進むと目を輝かせて振り返った。

「涼のバイト先って、食べ物屋だったよね。なんかおごってよ。ね」

 そんな風に満面の笑みで言う少年に、涼は呆れたように目を細めると歩を進めた。



 慣れた手つきで皿の並んだトレイがテーブルに置かれる。それと同時に健斗は箸を手にすると、次の瞬間には焼かれた肉を頬張っていた。

「相変わらずよくそんな食えるな」

 料理を運んできた涼は一人前を食べ終え、美味そうに2食目を食べ進める少年を嫌そうに見つめた。健斗はそんなことは気にする様子もなく、ご機嫌な様子で箸を運ぶ。その時扉の開く音がして、涼は反射的に「いらっしゃいませ」と口にした。

「あ、こんにちは。この間はこれ、ありがとう」

 その女性はまっすぐ栗色の髪の少年へと向かってくる。藤河、という名前が彼の脳裏に浮かんだ。

「いえ」

 涼はペコリと頭を下げると、綺麗に畳まれたハンカチを受け取る。そして彼の横を通りすぎ、いつもの席へ向かう彼女を「あの」と呼び止めた。藤河は不思議そうに、でも優しい笑みを浮かべたまま振り返る。涼は、そんなやり取りを全く気にもせず食べることに夢中な健斗を指さすと言った。

「これが探してた健斗です。無事話しできたんで、一応報告です」

 そこで初めて健斗が顔を上げた。口いっぱいに食べ物を頬張っている。そんなに慌てて食べなくても誰も取らねぇよ、と思いつつ藤河の紹介をしようとした時異変に気付いた。健斗が小さな目を見開いて、紹介しようとしていた女性を見つめていたからだ。彼の手からはポロリと箸が零れ落ち、テーブルの上で乾いた音をたてる。涼は怪訝に思い今度は藤河に視線を移すと、彼女も同じように目を見開き驚きの表情を浮かべていた。

「先生……、先生、だよね」

 健斗が目を輝かせ、飛び跳ねるように立ち上がる。藤河は何も答えずただ瞳を揺らして、近付いてくる短髪の少年を見つめていた。薄いオレンジ色の口紅が塗られた唇が、小さく震えている。涼は訳が分からず、ただただその状況を見守っていた。

「健斗……、大きくなったね……」

 彼女は絞り出すようにその言葉を洩らす。それを受けた少年は照れたように肩をすくめた。

「先生は変わんないね。オレ今、唯たちと一緒にいるんだ。あの街外れにあるボロホテルにね」

 健斗はまるで子供が母親に今日会った出来事を報告するかのように、一生懸命身振りを加えながら話す。それに対して藤河は「そう」と小さく呟き、唇を歪めただけだった。

 いまいち状況の飲み込めない涼だったが、立ち上がったまま騒ぐ彼らに集まる、数少ない客の視線に気付き「あの」と二人の間に割って入った。

「とにかく、座ったらどうですか?」

「あー、そっか、そうだね。先生、そこどうぞ」

 まだまだ興奮の治まらない健斗は椅子に座ると、定食のトレイを引き寄せながら自分の向かいの席を指す。しかし、藤河は立ち尽くしている。テーブルに落ちていた箸を持ち直した健斗は、不思議そうに首を傾げた。

「先生、どう……」

「あの……、あの、私、用があって……。思い出して。今日は、ごめん。ごめんなさい」

 言葉を遮るように藤河が発した言葉はメチャクチャだった。その後落ち着きなく頭を下げる。心なしか、瞳が潤んでいるように見えた。

「えっ、えええ。あ、先生、また会える? 今度は唯や真広もシロもつれてくるよ」

 健斗は持ち直した箸をまたテーブルに転がり落とすと、弾かれたように立ち上がる。その振動で箸立てが倒れそうになったが、涼が手早くそれを元に戻した。髪を刈り上げた少年はそんなことは気にも止めず、『先生』と呼ぶ女性の前に立つ。彼女が健斗を見上げた。

「ほんとに大きくなったんだね……。こんな小さな子供だったのにな」

 藤河は胸の辺りに手を上げる。そしてまるでそこに誰かいるように撫ぜる仕草をした。

「唯たちも大きくなっただろうね」

「うん。シロなんかオレより全然でかくなってるよ」

「そうかぁ。もしもあの日……」

 彼女はそこまで言うと、慌てて目を押さえる。健斗が「先生?」と首を傾げて心配そうに顏を覗き込もうとする一瞬早く、藤河は駆け出してドアを出ていった。

 二人の少年は成す術もなく、ただその様子を見送った。




「あーうまかった。そろそろ帰るよ」

 頼んだ料理を綺麗にたいらげた後、短髪の少年は席から立ち上がった。

「ああ。みんなによろしく」

 涼は手際よく空いた皿を盆に乗せながら、そっけなく言った。不思議と寂しさや不安はなかった。『明日また学校で』そんな気持ちだった。

「あ、涼。先生がまた来たら……」

 その後の言葉が見つからないのか、健斗は薄い眉を寄せ、口をへの字に曲げた。栗色の髪の少年は無言で暫くそれを見守ったが、我慢できずに言葉を発した。

「なんとなく話してみるよ。ま、いつも通りに」

「ああー、そうだね。お願いします」

 素晴らしい答えを思いついたように、健斗は満面の笑みを浮かべる。涼はその顔を一瞥すると、テーブルを布巾で丁寧に拭いた。

 『先生』が去った後、しばらく食事にも目もくれず健斗は黙り込んでいた。涼は涼で仕事をこなしながら、藤河のことを考えていた。健斗に詳しい過去の話を聞きたかったが、そんなことは今は言い出せそうもない。

 ただ、彼女が以前言っていたことや悲しげな表情の答えは、きっと孤児院にいた彼らに繋がるんだろう。それぞれが何か傷ついてる。そんな気がした。

「じゃあね」

 健斗がいつも通りの笑顔で手を上げた。

「ああ」

 涼もいつも通りにこりともせずそれに答え、立ち去るのを待った。ところが、健斗は立ち去るどころか彼の方に一歩歩を進め、真摯な瞳で「リオはどうしてる?」と聞いた。

「は? 父さん? さあ、まあ行ったり来たりしてるけど。あ、そうだ。お前、西条さんに謝れよ。お前いなくなって……」

「リオに気を付けてって伝えといて。あんまり外れの方には来るなって」

「はあ?」

「よろしくね」

 そう言い残すと、健斗はぽかんと立ち尽くしたままの少年を残して仲間の住む街外れへと戻っていった。




 『仲間』の話を聞きながら

 何度も何度もそこにいる自分を

 想像した

 そんな日がくるなら


 もしも

 そんな日がくるなら と




 

 





 


 




  

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