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BLUE SKIES  作者: kimra
12/35

わかれ道

 試験当日、その日は晴れていた。一年の温度差はあまりない。その中でも珍しく、寒い日だった。日差しがなければもっと冷え込んでいただろう。

 少年たちはあれから二週間、勉強に明け暮れていた。西条も度々訪れ、勉強を見てくれたりもした。そんな中、本番はやってきた。

 しかし。

「大丈夫か。お前」

 涼は困ったように眉を八の字にして、赤い顔をしてのろのろと着替えをする健斗に聞く。後ろ髪を刈り上げた少年は、うつろな瞳で涼の方を見た。目が潤んでいる。熱があるのだ。

「大丈夫、大丈夫」

 そう言いながらもよろけてベッドに倒れ込む。その時ノックの音がした。

「そろそろ、出ないと遅れるぞ。途中で何があるかわからないし、早めに出て損はしないからな」

 ドアを開けると足早に西条が入ってくる。涼はシャツにカーディガン、カーゴパンツという格好にすっかり着替えを済ませていた。その傍らのベッドでは、中途半端な着替えのままの健斗が転がっている。

 西条はそれを一瞥した。

「とにかく、こいつは置いて、森江くんは先行きな」

「やだ。オレは行ける」

「三か月後にまたあるから、その時にしなさい」

 体を起こし着替えを続けようとする少年にちらりと視線と送ると、涼はキャップを被りいつものリュックを手に取った。

「じゃあ、行ってきます。おとなしく寝てろよ」

 健斗はいつもの子犬のような瞳で、栗色の髪の少年を見つめる。涼は困ったように口を一文字に結ぶと、くるりと向きを変え姿勢よく足早にドアへ向かった。

 ドアが閉まると同時に、西条のなだめる声が聞こえた。




 薄暗い部屋で一人の少年が立ち上がる。人影は左右にゆらゆら揺れた。

「絶対、オレも受ける……」

 健斗は床に落ちた濡れタオルを拾うこともなく、Tシャツの上に分厚いトレーナーを着こむ。そして小さめのショルダーバッグを肩にかけると、そのままドアに向かった。

 右へ左へよろけながら道を進む。その度人にぶつかったが、謝る余裕が彼にはない。ぶつかられた人が訝しげに少年を見つめた。

「遠い……」

 健斗は悲しげに眉を八の字に寄せた。暑いのか寒いのかわからないが、体が震え視界がぼやけてくる。懐かしい声で名前を呼ばれた気がして、彼は振り返った。

 そこで、意識は途切れた。


 次に目覚めたとき、目に入ってきたのはコンクリートの冷たい天井だった。あちこちひび割れている。布を張って部屋を区切っているようだ。体を起こそうとして、硬い壊れかけたパイプベッドに寝ていることに気付く。目の前に少女が立っていた。

「あのぅ」

 健斗は緩慢な動きで体を起こすと、彼女に声をかけた。大分、熱は下がったようで楽になっている。汗をびっしょりかいていた。

「あ、目、覚めたんだ?」

 振り返った少女は、健斗の知っている人物だった。彼は大きく目を見開くと、ひとつ大きく息を吸う。

真広まひろ……」

 少年が吐き出す息と共にその名前を呟くと、少女は泣き出しそうな顔で笑った。

「久しぶり、健斗。大変だったんだよ、急に倒れるから。ゆい呼んで運んでもらったんだ」

「唯……、いるの」

 健斗は辺りを見渡した。廃墟のような場所だった。ひび割れたコンクリートの壁と、そこに紐が張って布で区切られた空間。窓もひび割れているのか、半分には段ボールが貼ってある。ベッドの脇には色のはげた小さな扉付きの棚。その上には綺麗に畳まれた洋服が置いてあった。

 生活感がある。彼女はここに住んでいるのだと悟った。

「今は仕事」

 真広は悲しげな瞳に笑みを浮かべたまま、健斗に横になるよう促す。面影のある切れ長の瞳と小さめの口。でも、さらさらしていた長い髪は、短くばっさりと切られていた。

 彼女と最後に会ったのは五年前、健斗が孤児院を出た日だ。彼はその日まで彼女たちと共に、孤児院で過ごしていた。そこは決して裕福ではなく、日々の食べ物に困ることも度々あったし、学校に通えばいじめられることもあった。でも、先生がいて仲間がいて、辛いことの何倍分もの楽しい思い出が健斗の中にはある。今もある。

 彼にとって、それはとても大切なものだった。

「そっか。……っていうか、ここどこなの。孤児院は?」

 その言葉に彼女は顔を曇らせ、下唇をかむ。少年はまだ熱っぽい頭をそちらに向けると、まっすぐに少女を見上げた。

「あたし達の孤児院はもうないんだ」

「え」

「燃えちゃったんだよ」

 真広は絞り出すようにそう言うと、健斗と視線を合わせる。その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっていた。健斗は言葉の意味が理解できない。孤児院は彼の実家のようなものだった。

「え、え、なんで。なんで?」

 彼が起き上がったのと同時に、真広の目から雫がひとつこぼれた。

「健斗がいなくなって三年……、くらい経った頃、火事になって。全部燃えたんだ」

「なんで教えてくれなかったの」

 自然と彼女を責めるような口調になっていて、後になって後悔した。真広は汚れた袖口で涙を拭うと、無理やりに笑みを浮かべる。それは笑顔には程遠いものだった。

「唯が黙ってろって。復讐は自分がやるって言って」

「ふくしゅう……?」

 健斗は眉を寄せた。

「うん。唯が火をつけた人を見たの」

 彼は熱のせいか、うまく理解できない。額を掌で強く押さえ、「ひを、つけた?」と口の中で反芻する。健斗の孤児院時代の相棒は、その人間に復讐するというのだ。

「うん。その人が……」

 真広が言った名前に、健斗は耳を疑った。

 その後、戻ってきた孤児院時代の仲間に再会を果たした彼だったが、ずっと上の空の状態だった。ずっとずっと会いたかった、彼ら。

 みんなで暮らしたあの綺麗とは言えない黄ばんだ壁紙の小さな建物。でもかけがえのないあの場所で、懸命に生きていた過去。今も彼らはそうあると思ってた。

 変わらないでいてくれると、思っていた。

 ずっと、バカみたいに。




 日が暮れかかり、寒さが増してきた。首都銀京の街道は帰宅する人々なのか混雑している。涼はその慣れない人ごみを、きょろきょろしながら歩いていた。

「あのバカ、どこ行ったんだよ……」

 彼がホテルに戻った時、弱った顔をした西条が健斗がいなくなってると慌てて駆け寄ってきた。西条が仕事に行っていた間に出ていったらしい。涼は少しためらったが、探しに街へ出た。知らない街をあてもなく歩くのは怖い。暗くなったら戻ってくる自信がないのだ。

「きゃっ」

 前を全く見ていなかった涼は、橋のたもとで女性にぶつかってしまった。橋の向こうは長屋が立ち並んでいる。そこから橋を渡ってきたようだった。

「すいません。大丈夫ですか」

 彼はキャップを取り丁寧に頭を下げる。三十歳くらいに見える女性は黒目がちの目を細めると、「大丈夫」と笑った。優しい雰囲気を持った女性だった。

「よそ見してて。気を付けます」

 涼は再度軽く頭を下げると、「ったく、健斗の奴」とぼやいて歩き出そうとした、その時。

「けんとって人を探してるの?」

 先程の女性が声をかけてきた。涼は素早く反応すると、身振りを加えて言う。

「知ってるんですか。こう髪が短くて、落ち着きのない奴ですが」

「ごめんなさい。私の知ってるのは、子供なの」

「そうですか」

 彼は空を見上げた。灰色の空は少しずつ濃さを増している。そろそろタイムリミットだな、と思った。

「見つかるといいわね」

 眉を下げ不思議な表情で笑う女性に、「ありがとうございます」と涼は三度目のお辞儀をした。




「あ、あそこ。あのホテル」

 健斗が指さしたホテルを見て、真広の長く細い脚の歩幅は目に見えて縮まった。少年は不思議そうに振り返る。

 真広はまだ熱のある健斗を、ホテルまで送ると強引について来ていた。それは半分口実で、本当は離れていた時間を垣間見て、近づきたいという気持ちもあった。けれど、もっとずっと遠くなった気がして彼女は動揺したのだ。

 彼女は自分を見る。色あせたチュニックにヨレヨレのジーンズ、勝負靴のパンプスもよく見たら傷だらけだ。

「真広?」

「いや、すごいホテルだな、と思って……」

 健斗はもう一度そのホテルを見上げると、声を出して笑った。

「今は特別なだけだよ。いつもはもっともっとボロで安いとこ。涼がケチだからさ」

「ケチで悪かったな」

 二人の正面の道を、涼が不機嫌な顔で歩いてくる。彼も今ちょうど着いたところだった。健斗が小さく舌を出して笑う。真広は俯いて服の裾を握ると、一歩後ろに下がった。

「私、帰る、ね」

「え、なんで。待って」

 健斗は立ち去ろうとする少女の手を掴むと、涼の前に進んだ。

「こっちが真広。孤児院時代の仲間なんだ。で、こっちは涼。従兄弟で親友」

「こ、こんばんわ」

 真広が恐る恐る礼をする。それに答えて涼も綺麗なお辞儀をした。

「森江 涼です。こんばんわ」

 その言葉に少女は「え」と小さく言葉を漏らす。その呟きに気付いた健斗は、失敗したというように口をへの字に曲げた。火をつけた人物の名。

『森江 リオ』

 彼女は確かにそう言った。そう言ったのだ。

「もりえ?」

 真広は不思議そうにしている涼を見た後、隣の健斗を見つめる。彼は困ったように刈り上げた頭を掻いた。

「あ、じゃあ、帰るね。健斗」

 彼女は二、三歩後ずさると向きを変えた。健斗はその背中に大きく声をかける。「またね」と。真広は振り向かず、曖昧に頷いた。



 散々説教された後、健斗はおとなしくベットに横になっている。涼は窓際のソファで何か考え込んでいたが、おもむろに立ち上がった。

「あのさ、今日の筆記試験がどうだったかまだ結果は出てないけど、受かってても見送るから」

「え、いいの」

 その言葉に飛び起きると、健斗は目を輝かせた。涼はひとつ息を吐くと、腰を下ろす。

「ここまで一緒に来たんだ。お前がそんなにバーチャルやりたいなら、待つさ」

 ソファの背もたれに肘をつき、その手の上に頭を乗せると少年は薄く笑う。健斗は嬉しそうに笑っていたが、ふと何かを思い出したように笑みを消した。

「そういえばリオは?」

 涼はその変化を特に気にするでもなく、「ああ」と呟く。健斗が勢いよく柔らかなベッドに寝転がった。

「家に帰ってる。向こうの仕事も溜まってるらしくて。またすぐ戻ってくるって言ってはいたけど……。っていうか、これ昨日も言ったぞ」

「そうだっけ」

 昨日は体調の悪さを隠すのに必死だった。それでほとんど何も聞いてなかったのである。健斗はベッドの中で体を丸くし、涼に届かないような小さなため息をついた。

「なあ、涼」

「何」

 涼は健斗の方に視線をやる。しかし、布団に潜り込んでいる彼の表情は見えなかった。いつもうるさいくらい賑やかな少年は、珍しく沈黙している。熱のせいかな、と涼は思った。

「やっぱ、なんでもないわ。寝る」

 健斗はそういうと寝返りを打ち、体の向きを変える。栗色の髪の少年は呆れたようにその様子を見守ると、自分も眠るためにベッドに向かった。

 その日の健斗の様子を、もっと訝しむべきだったのか。でも何度その道を通っても、何をどう言っても結果は同じだったような気がする。

 ベッドに「試験はひとりで受けてください」と汚い字のメモを残して、

 彼は、その夜、姿を消した。



 数えきれない人生の分岐点

 おしよせるリセットのきかない選択肢の中

 君が決めた道 僕の決める道

 ここが

 わかれ道


 なのかな 




 



 




 

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