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BLUE SKIES  作者: kimra
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涙(後編)

「ただいま」

 帰ってきた涼に、亜麻色の髪をした、色の白い女性が駆け寄ってきた。

「おかえり、涼。どうだった? 健斗くんのこと夕飯に誘った? せっかく友達になったんだし……」

「違う。友達なんかじゃない」

 母親の流香の言葉を遮り、涼は言う。彼女は驚いて目を丸くした後、困ったように薄い灰色の瞳を揺らすと、少年の前にしゃがみこんだ。

「……成程。ケンカしたのね」

「ぼくは友達なんかほしくない」

 栗色の髪の少年はきつく唇をかむ。震える彼の腕を流香は優しく掴んだ。

「涼、聞いて」

 俯く彼の目を見つめる。彼女は懸命に笑みを浮かべた。

「人にはね。助けてくれる人が必要なの。みんな、友達や恋人や色々な人に助けられてるの。涼もね、目が見えにくくなった時、助けてもらえるように……」

 そこまで言った時、涼が掴まれていた腕を激しく振りほどいた。彼女は驚いて少年を見つめる。彼の瞳には悲しい色が揺れていた。

「……いい。見えなくなったら、死ぬからいい!」

 涼は先程脱いだ靴を素早く履くと、小雨の降る外へ飛び出す。流香は追うこともできず、マネキンの様に長い間そこに立ち尽くした。



 静かな雨が降り続いていた。辺りはすっかり暗くなり始めている。訪問者がやってきた時、その家の住人は夕食の真っ最中だった。

「流香! どうしたの」

 来客を出迎えに玄関に向かった栗色の長い髪を後ろで束ねた女性は、そこに立つずぶ濡れの彼女を見て声を上げた。その声に、髪を刈り上げた少年と黒髪を撫ぜつけたがっしりした男性が飛び出してくる。

「涼が……、涼が帰って……来ないの」

 流香は顔に張り付く髪を気にするでもなく、寒さに震えながら言った。

「探したけど……、見つからなくて」

「それで、リオには連絡したの」

「出張中だから……」

 それを聞くとリオの姉は「そんなの関係ないでしょ」と呟き、タオルを持ってきた旦那に電話を掛けるように言う。健斗はただその状況を見守っていた。そんな彼に気付き、流香は玄関マットに膝をつく。

「健斗くん。涼と仲直りしてやって。原因はわからないけど、許して……。あの子の友達でいてやってほしいの」

 握りしめたタオルを持つ手が震えている。潤んだ灰色の目が、健斗を見据えた。

「ヤだ」

 彼は流香の目をまっすぐ見つめ返して、きっぱり言う。彼女は思いもよらない答えに、狼狽した。

「涼はいい奴で友達なんてほっといてもちゃんとできるのに、なんでそんなこと頼むの? そんなの涼が、かわいそうみたいだ」

 流香は灰色の瞳を大きく見開いた。否定できない。そんな自分が恥ずかしい。

 そんな彼女の横をすり抜け、靴の踵を踏みつぶすと健斗は扉を開けた。

「オレ心当たりあるから、見てきます」

「ちょっと、健斗」

 数日前からの母親の声を背に、彼は暗い雨の中を傘も持たず駆け出した。



 暗い林の中。葉のない木は雨除けには全く意味を成してはいない。そんないつもの木の根元に、彼は膝を抱えて座っていた。

「涼」

 そこへいつもの跳ねるような足取りで、髪を刈り上げた少年はやってきた。名前を呼ばれた少年はビクリと肩を震わせる。

「やっぱここにいた。流香さん心配してたよ。帰ろう」

「さわるな」

 涼は健斗が差し出した手を、思い切り払いのける。栗色の髪の少年の手は氷の様に冷たくて、小さく震えていた。

「ぼくは病気なんだ。いつか、目が見えなくなる。黙ってたけど……、目が見えなくなりたくなかったらぼくに、近づかない方がいいよ……」

 彼は俯いたまま、絞り出すように言葉を紡いだ。髪の先から、止めどなく雫が落ちる。涼は次に来る目の前の少年の言葉に身構えた。傷つくのはやっぱり怖い。

 けれど、返ってきた言葉は彼の予想だにしないものだった。

「バカだな、涼」

 驚いて弾かれたようにその言葉を発した少年を見上げると、彼はさもおかしそうに笑っていた。涼はぽかんと口を開けたまま、彼を見つめる。健斗は得意げに唇を歪めた。

「知らないの? 涼の病気ってうつったりしないんだよ。オレの孤児院にも同じ病気の奴がいて、いつも遊んでたけど、うつった奴なんていないもん」

 涼は微動だにしない。そんなことは知っていた。でも、誰もわかってくれなかった。こんな風に、言ってはくれなかった。

「ほら、帰るよ」

 にっこり笑って健斗は手を差し出す。光ひとつない林で、なぜだかそれははっきり見えた。涼はゆっくり立ち上がる。小雨の降る暗い林だが、今の彼の目の状態では歩けないわけではない。でも、彼はその手を取った。

 彼の隣にずっといた孤独。それが当たり前で、それでいいと思っていた。でも。ホントは、ずっとずっと淋しかった。叫びたかった。「苦しいよ」って泣きたかったんだ。

 目の前が霞んでいく。暗い林のはずなのに、ぼんやりとした光が見えた気がした。

 そして、涙は、溢れだした。



 昨日の雨が嘘のように晴れていた。ただ道のあちこちに、泥水をたたえた水溜りが点在している。それが昨晩の出来事を思い起こさせる。

 あの後、ぬかるむ地面の暗い林から何とか帰りつくと、流香はとにかく泣いて、ヨレヨレになって帰ってきたリオはとにかく笑っていた。健斗はまだ日の浅い父親から、げんこつをもらった。

「じゃ、いってきます」

「涼」

 出かける彼をいつも通り、母親の流香が見送りに来た。涼は困ったように笑う。

「わかってる。暗くなる前に……」

「ごめんね、涼。ママ、心配しすぎやめる。ちゃんと涼の事信じるね」

 流香は明るく微笑んで、「いってらっしゃい」と手を上げた。涼は不思議そうに首を傾げる。そして、小さく頷くと走り出した。





 肩を掴んで揺さぶられて、涼は我に返った。

「涼ってば、また寝てんの」

 問題集を眺めたまま固まっている彼に、隣に座る健斗は怪訝そうな視線を向ける。年季を感じさせる食堂。向かいに座る西条は、緊張の面持ちで入口にちらちらと視線を送っている。約束の時間が近いようだ。

「起きてる」

 涼は背もたれに背中を預け、伸びをした。

「それ、食べていい」

「どうぞ」

 黒いつなぎの少年は瞳を輝かせる。用件はそれだったようだ。涼は懸命にクラブサンドを口に運ぶ少年に呆れた視線を送り、少し笑った。

「おい、いらっしゃったぞ。しゃんとしろ」

 西条が安っぽいパイプ椅子を引いて立ち上がる。少年達も同様にして、入口を振り返った。

 そこに現れたのは、彼らも知っている人物で。


 二人の少年は無言のまま、その“優秀な人物”を見つめた。








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