王太子に裏切られた公爵令嬢の心に突き刺さった刃は、新しい婚約者が優しく溶かしてくれました。
悔しかった。
悲しかった。
そして、頭に来た。
何でどうして、ユリウス王太子殿下は、あの娘を選んだの?
あんな市井で育ったどうしようもない娘、
そんな娘を王太子妃に???
わたくしが王太子妃になるのではなかったの?
レイディシア・バーセル公爵令嬢はそれはもう、自分に自信を持って生きて来た。
ユリウス王太子殿下とは幼い頃からの婚約者だったが、
婚約者になる事自体、当然だと思っていた。
バーセル公爵家は王国一の名門。祖父の世代に隣国の王女が降嫁して来て、隣国の王家の血も引いているのだ。
祖母はそれはもう、プライドと気品の塊だった。
レイディシアに対して、
「お前はこのカイゼル王国で、王妃になるべくして生まれてきたのです。ですから、誇りを持って日々、励みなさい」
王家としては、バーセル公爵家を取り込みたい狙いがあったのだ。
だから、レイディシアが生まれた時点で、ユリウス王太子との婚約が決定していたと言っていい。
だから、レイディシアは初めてユリウス王太子に会った時は、まだ互いに10歳だったが、
「わたくしが将来、貴方と結婚して王妃になるのです。よろしくお願いします」
と言って、手を差し出した。
エスコートをしてもらう為に、
ユリウス王太子は柔らかく微笑んで、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と手を優しく握ってエスコートしてくれたのだ。
見せてくれた王家の庭の美しい薔薇の数々。
嬉しかった。
その薔薇を一緒に見ながら、ユリウス王太子は、
「君のような美しい人が私の婚約者なんて、とても嬉しいよ」
と言ってくれた。
胸がときめいた。
でも、
「当然です。わたくしはとても美しいのですから、美しいわたくしと婚約できるのです。感謝しなさい」
と照れ隠しに言ったら、ユリウス王太子は噴き出して、
「感謝しているよ。可愛いね。レイディシア」
楽しそうに笑ってくれた。
金髪碧眼のユリウス王太子。
レイディシアも金髪碧眼で、美しさには幼い頃から自信がある。
ユリウス王太子もとても美しい顔をしていた。
レイディシアは赤くなりながら、
「ユリウス王太子殿下もとても美しいですわ。わたくしの婚約者にふさわしいわ」
「アハハ。そう言って貰えて光栄だよ」
幸せだった。出会った時から幸せを感じた。
この人と結婚出来る事に、神様に感謝した。
年月が過ぎるのはとても早い。
とくに楽しい日々はとても早く過ぎてしまって。
ユリウス王太子と共に過ごす日々は毎日は黄金色に輝いていた。
「レイディシアはとても努力家だね。尊敬してしまうよ」
「王太子妃に、いずれは王妃になるのです。ですから、励まないといけませんわ」
懸命に勉強した。
ユリウス王太子殿下にふさわしい女性になるために。
寝る間も惜しんで、家庭教師に習った事を復習した。
マナーも懸命に覚えた。
ダンスだって完璧に踊れなくてはならない。
祖母も両親のバーセル公爵夫妻もレイディシアにそれを望んだ。
祖母は、レイディシアに、
「失敗をしてはなりません。一つの失敗が、大きな過失に繋がって、王家の足を引っ張るのです。お前は王妃になるのだから、しっかりと学ばねばなりません」
「解っております。お祖母様。わたくしは失敗なんてしませんわ」
16歳になった時に、初めて王宮の夜会でダンスを踊る事になった。
月の夜と名付けられた夜会のファーストダンスは、将来の王位継承者とその婚約者が初めのダンスを踊るのがしきたりである。
16歳になったので、月の夜の夜会に出る許可が下りたのだ。
初めての夜会。緊張する。
皆が、王位継承者とその婚約者が踊るダンスに注目する。
失敗は出来ない。
その日の為に、ユリウス王太子と懸命に練習した。
ステップを間違えては駄目。
美しく踊らなければ駄目。
ユリウス王太子も緊張した面持ちで、
「失敗は出来ないけれども、君と初めて踊る夜会。とても楽しみだよ」
そう言ってくれたのだ。
当日、薄紅色のドレスを着て、ユリウス王太子にエスコートされ、会場に入る。
フロワーの中央に二人で進み出て、
互いに両手を組んで、ダンスが始まるのを待つ。
ユリウス王太子が微笑んでくれた。
「大丈夫。成功するよ」
「ええ、そうですわね。成功させましょう」
曲が始まる。
二人で息を合わせて踊るダンス。
ああ、身体が動くわ。
ステップを間違えないように。
それにしてもなんて、素敵なユリウス王太子殿下の笑顔。
貴方はこういう時も微笑んでいるのね。
緊張しているはずなのに、無理して微笑んで。
一曲踊り終わって、周りの人達から拍手が聞こえてくる。
成功したのだ。
国王陛下からお褒めの言葉を貰った。
「見事なダンスだった。月の夜に相応しい。堪能したぞ」
「「有難うございます」」
二人して国王陛下に頭を下げて、そして顔を見合わせた。
互いにつないだ手をぎゅっと握り締めて。
この夜を忘れない。
レイディシアはそう思った。
17歳になった時に、とある日、ユリウス王太子殿下がなんだか様子が変になっていることに気づいた。
交流の為のお茶会。王家の庭のテラスで一緒にお茶を飲む。
ユリウス王太子は、レイディシアに、
「一般の女性ってどんな贈り物を喜ぶのだろう」
「一般の女性ですか?」
「ああ、君が薔薇が好きなのは知っているけれども、薔薇なんて貰ったって喜ばないだろう」
「どなたに贈るのです?」
「それは……」
誰に贈るの?他の女性の話なんていままで出たことがないわ。
誰?誰に心を奪われているの?
イラついた。
もし、よその女に心が移っているというのなら?
派閥の令嬢の一人が王室で侍女として働いているという。彼女に頼んで調べて貰う事にした。
その令嬢が詳細に調べて来てくれた。
メイドの一人が、庭の一角で、花を育てているという。
それもユリウス王太子の許可を貰って。
名前はアリアーナ。
ユリウス王太子は彼女の育てる色とりどりの小さな花を愛でていて。
よく、庭でアリアーナと一緒に話をしているそうだ。
アリアーナ?
庭で花を?
贈り物を贈りたいって?
王宮に出かけて、庭を散策したいと許可を貰い、その女が育てているという花壇へ足を運んだ。
その女がいた。
赤い髪の小柄な女がメイド服を着ていて、花に水をやっている。
その女に声をかけてみた。
「わたくしは、レイディシア・バーセルですわ。貴方がアリアーナかしら」
アリアーナという女は、頭を下げて、
「アリアーナと申します。王宮でメイドをしております」
「貴方は王太子殿下と親しいらしいわね」
アリアーナは顔を上げて、緊張した面持ちで
「王太子殿下は私の育てる花を喜んで愛でてくれますわ」
「そうなの。それで?」
「ただ、それだけの関係です。失礼致します」
そう言って、その女は背を向けて走って行ってしまった。
レイディシアはいらついた。
それだけの関係?それなら何故、王太子殿下はあの女を気にするの?
帰ろうとしたら、ユリウス王太子に呼ばれた。
「アリアーナが訴えて来たぞ。レイディシア。アリアーナは身分が下のメイドだ。怖がらせてはいけないだろう」
「ただ、質問しただけですわ。貴方と親しいらしいと」
「親しくて何が悪い。ただ彼女の育てる花が美しくて好きなだけだ」
「でしたら、贈り物は?」
「美しい花を見せてくれる礼に贈り物をしてもよいだろう?」
「王太子殿下の婚約者はわたくしです。異性に贈り物をするだなんて、殿下は愛妾にあの女を考えているのですの?」
「下賤な勘繰りをするな。私はただ、彼女の育てる花が好きなだけだ」
「でしたら、贈り物は控えて下さいませ。他の人が聞いたらどう思います?」
「ただ、感謝の贈り物をするだけなのに?それがいけないのか?」
「ですから……」
悲しかった。
異性に贈り物?
彼女の作る花が好き?
彼女が好きなのでしょう。
ああああっ。
わたくしは貴方の事が好きなのに。
共に過ごせてとても幸せを感じていたのに。
やっとの思いで言葉を振り絞る。
「解りましたわ。感謝の贈り物ですのね。でも、あまり親しく異性と付き合ってはいけません。貴方はわたくしの婚約者なのですから」
ユリウス王太子は無言で、その部屋を出て行った。
バーセル公爵家に戻ったら、祖母と両親に客間に呼ばれた。
祖母がレイディシアに、
「愚かな王太子殿下ね。メイドに熱を上げて。レイディシア。あの男は国王陛下に頼んでいるそうよ。メイドの女と結婚したいって」
驚いた。そこまであの女に入れ込んでいるの?
父バーセル公爵が、
「国王陛下は首を縦にふらないだろう。我がバーセル公爵家を取り込みたいだろうからな。
あの王太子が、メイドを将来の王妃にしたいと言うのなら……お前には別の男に嫁いで貰う」
「別の男って?」
ドアが開いて、ブルーディル公爵が一人の青年と共に部屋に入って来た。
ブルーディル公爵は宰相として、力をふるっている有名人だ。
もう一人の青年は、廊下で何度か見かけた事がある。主任外交官とよく一緒にいる青年だ。
ブルーディル公爵は、
「我が息子ベルドだ。レイディシア嬢。もし、あの愚かなユリウス王太子殿下との婚約が駄目になったら我が息子と婚約は如何かな?」
ベルドは、黒髪碧眼の21歳。現在17歳のレイディシアより4歳年上だ。
ベルドはレイディシアに向かって、
「私は外交官見習として、今、王宮に勤めております。どうか、もし、婚約が解消になりましたら、次の候補として私を第一に考えて欲しい」
声を潜めて、
「私は国王陛下の庶子です。王家の血を引いています。王家には現在、ユリウス王太子殿下の他は王女様しか、子がおりません。私は王位を狙っております。貴方に力になって頂きたい」
レイディシアはベルドに向かって、
「ではあのメイドは?貴方達が仕掛けたハニートラップ?」
ベルドは首を振って、
「いえ。メイドの件はこちらは関与しておりません。このまま貴方がユリウス王太子殿下と婚姻したら、私は王位を狙うだなんて思ってもみませんでした。でも、今、お二人の婚約が揺らいでいる。おそらくユリウス王太子殿下は、貴方と婚約解消して、アリアーナという女と婚約するでしょう。そうしたら貴方は私と婚約して下さいませんか」
祖母が扇を手に笑って、
「市井の女が王太子妃として、王妃としてやっていけると思っているのかしらね。お前を手放した事を後悔させるといいわ」
アリアーナという女に現を抜かしている事は確実だ。
でも、最後まで信じたい。
「わたくしを捨てて、あの女を王太子妃に?そんな事は絶対にありませんわ」
ブルーディル公爵が、
「では、次回の月の夜の夜会で、もし、ファーストダンスを踊るのが、貴方ではなかったら、我が息子と婚約を結んでくれますかな?」
信じたい。ユリウス王太子殿下の心を信じたい。最後まで。
「解りましたわ。今度の月の夜の夜会ですわね。わたくしが王太子殿下とファーストダンスを踊ると信じる事と致します。踊らなかったら、ベルド様と婚約を結びますわ」
どうかわたくしとファーストダンスを踊りますように。
そう願う事にした。
夜会の日が来た。
馬車に乗って、父と母と共に王宮に出向いた。
華やかな夜会の会場に入る。
桃色のドレスを着て、金髪をアップにして、精一杯オシャレをした。
もうすぐ夜会が始まる。
ユリウス王太子殿下はどこ?どこにいるの?
姿が見当たらない。
皆、ざわざわした。
国王陛下と王妃も来ていて、慌てて指示を出している。
次期王位継承者のユリウス王太子殿下がファーストダンスを婚約者であるレイディシアと踊る。
月の夜と呼ばれた夜会のしきたりだ。
ユリウス王太子は姿を現さなかった。
ああ、それが貴方の答えなのね。
貴方はわたくしと婚約を解消して、あの女と婚約して先々結婚したいんだわ。
悲しかった。
悔しかった。
会場にいられなくて、ドレスを翻し、庭に出た。
庭でユリウス王太子が、アリアーナを抱き締めている姿が見えた。
アリアーナは泣きながら、
「会場に行って下さい。でないと貴方様の立場が」
「私は君と結婚したいんだ。君だけを愛したいんだ。君を王妃にしたいんだ。だから行かない」
「ずっと貴方様の事が好きでした。でも、メイドなんかの私の為に」
「私も君の育てる花が好きだ。こんな優しい綺麗な花を育てる君の事が忘れられなくなって。毎日、君を見るたびに心がときめいた。どうか私と結婚して将来王妃になって欲しい。優しい君が王妃でいてくれるこの王国民は幸せに包まれるだろう」
「嬉しい」
何を見せられているの?
あの娘に何が出来るというの?
今までわたくしは散々、努力をしてきた。
それなのに?
声をかけられた。
「私と婚約を結んでくれますか?レイディシア嬢」
ベルドだ。
レイディシアは振り向いた。
ベルドは真面目な顔をして、
「あの女を婚約者に選んだ事を後悔させてやりましょう。貴方の有能さを見せつけてやりましょう」
そう言って手を差し出して来た。
ベルドの事が好きかどうかなんて関係ない。
わたくしはこの煮えたぎる悔しい心を、ユリウス王太子殿下とあの女に、ともかくぶつけたい。
ベルドの手を取って、微笑んだ。
「婚約解消された後、貴方が婚約を申し込んで来たらお受け致しますわ」
「それでいい。会場に参りましょうか」
ベルドと共に国王陛下と王妃に向かって挨拶をする。
「ユリウス王太子殿下は、庭で、他の令嬢と結婚したいと申しておりましたわ。ですから、婚約解消を認めて下さいませ」
国王陛下はベルドの姿を見て、慌てたように、
「そしてその後は、ベルド。お前がレイディシアの婚約者になるつもりか?」
「そうです。父上」
王妃が叫んだ。
「許さないわ。あの女の息子が???あの女の息子が??貴方、認めては駄目よ」
しかし、国王陛下は、
「ユリウスが何の役にも立たない女を選んだ時点で、ベルドを認めなくてはなるまい。ベルド。お前の有能さを見せて見ろ。それから、王位継承者をどちらにするか考えよう」
ベルドは頭を下げた。
「有難うございます」
ベルドと共に、ファーストダンスを踊る。
会場に入って来たユリウス王太子とアリアーナは、驚いた顔をしていた。
ベルドのリードは完璧で、レイディシアは安心して踊ることが出来た。
今までダンスはユリウス王太子と踊って来た。
何だか寂しい。
悲しい……
初めて二人で緊張して踊った夜を思い出す。
貴方と繋いだ手の温もりは、今や遠い昔の夢……
踊り終わってレイディシアはユリウス王太子に向かって、
「貴方がそちらの令嬢に婚約を申し込んでいる話を聞きましたわ。婚約解消して差し上げます。わたくしは次の婚約者にベルド・ブルーディル様を考えておりますのよ。よろしいですわね」
ユリウス王太子は真っ青な顔をして、
「ベルドっ……お前……」
ベルドはにんまり笑って、
「私にも王位継承権があります。ですから、王太子殿下。せいぜい、失敗しないように気を付ける事ですね」
アリアーナもユリウス王太子の隣で真っ青な顔をしていた。
国王陛下が命じる。
「まずは、来月にこちらに訪れるマディニア王国の皇太子夫妻を接待して欲しい。ユリウス。そちらの娘との婚約は認めよう。ユリウスとその娘、そしてベルドとレイディシア共に接待しろ。ちなみに、北の果てのマディニア王国語は難しいぞ」
レイディシアとてすべての王国の言葉をマスターしている訳ではない。それでも、通訳を揃えて、必ず接待を成功して見せる。
ユリウス王太子が助けを求めるような視線をこちらに向けて来た。
後悔してももう遅いのよ。
貴方が王位が欲しいというのなら、わたくしを手放すべきではなかった。
わたくしは必ず、ベルドと共に有能さを見せて、ベルドに王位を継がせて見せるわ。
ユリウス王太子とアリアーナは接待に失敗した。
ユリウス王太子が通訳を通じて、親交を深める中、アリアーナはただただ、笑っていただけだった。
マディニア王国のディオン皇太子は、
「そちらが新しい王太子殿下の婚約者か?」
と通訳を通じて話しかけても、ただただ笑っているだけだ。
ユリウス王太子が慌てて、通訳を通じて、
「こちらが私の新しい婚約者であるアリアーナです」
アリアーナはにっこり微笑んだだけだった。
慌ててユリウス王太子が、
「花を育てるのが上手なんですよ」
ディオン皇太子は困ったように、視線をベルドとレイディシアに向けた。
それに比べて、ベルドとレイディシアは皇太子殿下夫妻を満足させたのだ。
ベルドは通訳を通じて、
「そちらの王国は冬は雪深いと聞いております。我が王国で採れる果物の輸入量を増やしたいとの事、私からみたお勧めは、我がブルーディル領で採れるマルデルの実だと。あれは保存がきいて、とても食べやすい我が公爵領独特の果物です」
ディオン皇太子は、
「マルデルの実?聞いた事がないな。だが、保存の利く果物は有難い。是非とも試食させてくれないか?」
ベルドは頷いて、
「用意させましょう」
レイディシアはセシリア皇太子妃に、つたないがマディニア王国語で、
「冷えませんか?何か膝にかけるものでもお持ちしますか?」
セシリア皇太子妃は気遣いに感謝して、
「有難うございます。ちょっと体調を崩していて、お気遣い嬉しいですわ」
「身体の暖まる飲み物でもお持ち致しますわね」
ディオン皇太子は、レイディシアに、
「マディニア王国語が上手いな。レイディシアは」
「少しはお話しできないかと、お褒めに預かり光栄ですわ。ただ、日常会話程度しか嗜んでおりませんが」
ディオン皇太子に、
「なかなか博識な令嬢だな。こちらが勉強になった。ベルド殿はいい婚約者をお持ちだな」
と褒められた。
セシリア皇太子妃には、
「お気遣い頂いて助かりましたわ」
と感謝された。
格の違いを見せつけた。
とある日、ユリウス王太子に呼ばれた。
王宮の広間に来てみれば、
ユリウス王太子は、
「私の側妃になって欲しい。アリアーナだけでは、色々と無理だ。社交界でもアリアーナは馬鹿にされて、無視されている。君ならアリアーナを支える事も出来るだろう」
頭に来た。
だからはっきり言ってやった。
「わたくしはベルドとの婚約が成立しております。ですから貴方の側妃になることはありません。その前に酷いお話ですわ。わたくしは側妃より、王妃になることを選びます」
ユリウス王太子は、
「君を王妃にすると言ったら、私と婚約してくれるか?」
「都合のいい頭ですこと、貴方と婚約することは二度とありませんわ」
「私達は共に思い出を作ってきただろう?素敵な思い出を」
「それに泥を塗ったのは貴方ですわ」
ユリウス王太子は頭を下げた。
「君しか出来ないんだ。どうか助けてくれ。私にとって君は必要だ。アリアーナの事は愛している。だけれども君は私にとって無くてはならない人だ」
胸に刃が刺さった。
深々と心が悲鳴を上げている。
「わ、わたくしは必要とされただけの女だったのね。わたくしは……」
ユリウス王太子を殺したかった。
胸をめった刺しにしたかった。
でないと、心が壊れてしまう。心が砕けて砕けて砕けて。
ああああっ……
「迎えに来た。レイディシア」
背後からベルドが声をかけてきてくれたお陰で冷静になれた。
「有難う。ベルド。わたくしは帰ります。失礼しますわ」
廊下をベルドと共に歩いていたら、ベルドが、
「泣いてかまわない。私の胸で。悲しみを吐き出したかったら吐き出すがいい」
「それは出来ませんわ」
「庭に出ようか」
庭に出ると、ベルドにぎゅっと抱き締められた。
「ここなら誰も来ない。だから思いきり泣くがいい」
涙があふれる。声を出して泣きたかった。
ベルドの胸で声を殺して泣いた。みっともなく声を出して泣くなんて出来ないから。
でも、泣いて泣いて泣いて……
背をそっとベルドが撫でてくれる。
胸に刺さった刃が溶かされて行って、ただただ今はベルドの優しさが嬉しかった。
それから、三か月後、ユリウスは王太子を下ろされた。
アリアーナが王宮から逃げ出したからだ。
ベルドが正式に王太子に任命された。
王宮の夜会でベルドと共にダンスを踊る。
月の夜の王位継承者が最初のダンスを踊る夜会だ。
今日は水色の豪華なドレスでベルドにリードされながらダンスを踊る。
幸せかと言えば、そういう訳でもない。
ユリウス王太子は離宮に閉じ込められて過ごしていたが、行方不明になった。
屑の美男をさらって教育するという変…辺境騎士団がさらったのではないかと人々は噂した。
逃げ出したアリアーナは王都から出て行ったらしい。その後はどうなったのかさだかではない。
ユリウスに告げられた言葉が傷となって心を抉っている。
その傷は遠い日の思い出と重なってレイディシアを苦しめている。
むなしい日々、悲しい日々。
そんなとある日、ベルドに王宮の庭に誘われた。
「君がいまだにユリウスの心があるのは解っている。それでも私は君の事を愛している。どうか、私に全てを預けて欲しい。君の苦しみも悲しみも傷も何もかも背負っていきたい。王宮の廊下で君を見かけるたびに、あまりの気高さと美しさに圧倒されていた。ああ、私が王位継承者だったら、とユリウスの事を羨ましく思っていた。夜会でファーストダンスをユリウスと踊る君を私は遠くから眺めていた。届かない令嬢として、ずっとずっと憧れていたんだ。だから、こうして婚約者として傍にいられるなんて今は幸せで。でも、君はちっとも幸せそうじゃない」
「心に突き刺さった刃がいまだにわたくしを苦しめているのですわ。ユリウス様との思い出が」
ベルドが手を差し伸べて来た。
「これからは私がその思い出を上書きしていこう。共に王国の頂点として輝く為に。君は泣いている顔よりも気高く微笑んでいる顔の方が似合う」
ベルドの手を取った。
心の傷はとても深くて、でも、この人とならわたくしは輝く事が出来る。
まだ彼の事を愛しているかどうか解らないけれども、でもきっと……
薔薇の咲き乱れる王宮の庭で、ベルドとダンスを踊る。
それはきっと新しく上書きされる懐かしい思い出になるはず。
そう思いながら、ベルドとダンスを踊るレイディシアであった。




