第5話 ピン札、かっこいいー!
「ちょっといい?」
若いお母さんが、私に向かって言いました。
「そのかわいい水着、どこで売ってるのかと思って、聞きにきたの」
え?
私は、一瞬、わけがわかりませんでした。
「とっても、かわいいフグちゃんだから、あたしも、この子も、ほしくなっちゃって。どこで売ってるの? その水着」
私は、くるりとお尻を向けて、女の子とお母さんに、フグを見せました。
「わあっ! かわいい!」
若いお母さんが言って、小さい女の子は、その愛らしい顔を、ぱっと輝かせました。
天使のようです!
「これ、お母さんが、いえ、母が、南市の百貨店で買ってきて、つけてくれたんです」
「虎部具百貨店ね。すごくかわいいわ。あたしとこの子も、真似して、つけちゃってもいいかしら?」
「はい! つけちゃってください。あ! つけてもらえたら、いえ、つけていただけたら、私もすごくうれしいです」
「チリちゃん、よかったね」
若いお母さんは、娘のチリちゃんの顔を覗きこむようにして言いました。
チリちゃんは、きらきらした目で、私のお尻のフグを見ていましたが、私と目が合うと、少し、はにかんでから、また天使のように、にっこりと微笑みました。
「お姉ちゃん、ありがと」
たどたどしく言います。
何て、かわいいんでしょう!
私はチリちゃんの前で膝を折って、しゃがみました。
「こちらこそ、チリちゃん、ありがと」
「あたしの友だちにも、虎部具でフグちゃんを買ったこと、教えてあげてもいいかしら。やっぱり、フグちゃんの水着、ほしがってたから」
若いお母さんが笑顔で言います。
「はい。おそろいで、私、うれしいです」
私は、立ち上がると、若いお母さんにぺこりと頭を下げました。
それから、若いお母さんとチリちゃんは、友だちらしい母子連れが集まっているほうへ、ゆっくりと歩いていきました。
チリちゃんは、ときどき、後ろを振り向いては、私に、ひらひらと手を振ってくれました。
「やっぱり、かっこいいのかしら?」
私は、お姉ちゃんを見て、それから、リクちゃんを見ました。
「うん。かっこいいって」
リクちゃんは、当然だというように、うなずいてくれました。
「お姉ちゃん、かっこいいって」
「よかったじゃない」
お姉ちゃんは、けろりとして言います。
なによ……。
かわいくて、かっこいいフグちゃんを、ずっと笑いものにしていたくせに!
都合のいい記憶喪失です!
「アユ、気分もよくなったところで、スジコ丼、買ってきてよ」
……。
やっぱり、都合のいい記憶喪失のようです。
スジコ丼のことはちゃんと覚えています。
「いいですよ、俺一人で、ドン・ジョンソンに行ってきますから」
リクちゃんは、一歩前に出て言いました。
足元の石がごろりと音をたてました。
「リクちゃん。私も行く」
「アユちゃんは泳いでいていいよ」
「買って、戻ってきてから、まだまだ泳げるもん。大丈夫」
リクちゃんを一人で行かせることなどできません。
それに、私は、チリちゃんと彼女のお母さんから、すてきなエネルギーをもらっていました。
グリズさんは、大人が持つような黒革の長い財布から、一万円札をだして、それをリクちゃんに手渡しました。
「おまえに、これを預ける。いいか、俺のスジコ丼を、おまえに託すからな」
何やら、すごい言いまわしです。
でも、リクちゃんは、グリズさんの言うことなんて、まったく聞いていなかったようです。
リクちゃんの目は、手にしたお札にくぎ付けでした。
「すげえ! ピン札!」
興奮して、両手でそれを掲げ、透かし見たりしています。
「かっこいい!」
もうっ、リクちゃんたら……。
お子ちゃまなんだから……。
私は、おかしくなりました。
「アユちゃん、ほら、これ、ピン札だよ、ほら」
リクちゃんは、私に、お札を持たせようとします。
しょうがないわねぇ、無邪気なものだわ……。
私は、苦笑しながら、それを手にしてあげました。
「すごーい! かたーい!」
お、思わず、声が出てしまいました!
だって、本当に、かたかったんですもの!
私、こんなにかたいピンとしたお札、初めてです!
「本当に、ピンピン!」
「だろう?」
「ねえ、ねえ、リクちゃん! 新しいお札のにおいがするよ!」
私は、お札を、リクちゃんの鼻先に持っていきました。
「うわっ! すっげぇ、するー!」
リクちゃんは、空を仰ぎ、叫びました。
「ピン札、かっこいいー!」
私が笑いだして、リクちゃんもげらげら笑いました。
「もうっ! あなたたち、早く、買いにいってよ」
あきれたような声をだしたのは、お姉ちゃんでした。
「リク! 俺のスジコ丼、おまえに託したからな!」
グリズさんは、少し低い声で、さっきと同じことを言いました。
たぶん、リクちゃんがさっき聞いていなかったと気づいたんでしょう。
グリズさん、ちょっと、目が怒っていました。




