6 尾崎怜と、その恋人と、もうひとりの男
尾崎怜は隣でかすかな寝息を立てている女を起こさないように、そっとベッドを抜け出した。
もう昼に近い時間だった。
薄いカーテンを透かして日差しが洩れている。
床に落ちたTシャツを拾い、頭からかぶりながらバスルームに向かう。
水で顔を洗い、歯を磨いていると、怜の気配に目が覚めたのか、Tシャツと短パン姿の女がまだ眠たげな顔をして怜の肩に頭をもたせてきた。
ボブの髪の毛は寝乱れたままだ。
「コーヒー、淹れる?」
鏡の中で、女が背後から怜の顔をまぶし気に眺め、まだ夢の中にいるような声で言った。
「うん、濃いめで」
「オーケー」
裸足のおぼつかない足取りで女が狭いキッチンに入っていった。
彼女、琴音は幼馴染だ。
付き合っているような、いないような。
他の女と付き合ったことも何人かあったけれど、気づけばいつも琴音のもとに戻ってきていた。
とくに告白したこともなく、せがまれたこともない。
熱烈な恋愛感情ともちがうが、一緒にいて疲れない、恋人のような関係が続いていた。
怜が音をミュートにしてギターをいつまでも弾いていても、放っておいても文句も言わない。
どこかに遊びに連れて行ってほしいとも、何も。
琴音はギターのリズムに軽く体を揺らせて、それだけで満足なようすだった。
キッチンからはコーヒーの香りが漂い、リビングのテーブルに淹れたてのコーヒーが置かれていた。
渋谷の手狭なマンションだったが、スタジオで仕事をしている身にはアクセスの良さがありがたい。
琴音は眠り足りないようすで、ソファの上で膝を抱え、マグカップに口をつけている。
「きのう、何かあったの?」
「何で? 仕事だよ、スタジオの」
怜が自分のマグカップを手にし、琴音の横に腰をおろした。
「いつもと違う気がしただけ」
さりげなく琴音が言う。
たしかに、昨夜ははじめて愛し合う恋人たちのように、じれったく、もどかしく、何度も求めあった。
怜が求めた。
そうせずにはいられない衝動が怜の内にあった。
仕事で、自分が鳴らしたギターのフレーズに興奮したせいで、
そのせいで、だろうか。
悪酔いした先輩に人目もはばからずにいちゃつかれたせいか。
それとも他に。
あの男。
スタジオを出て、酒席に移動してから、代理店スタッフの中に妙に怜の気にかかる男がいた。
じろじろ見てくるわけではない、むしろ怜からあえて目をそらし、そのくせ、ときおりふいに投げかけてくる視線が怜を鋭く射た。
何か意味ありげな視線。
怜は女だけでなく男にも言い寄られることもいくたびか経験があったし、他人の注目を浴びるのはよくあることだった。馴れっこだ。
だけれども。
レコーディングが始まる前の顔合わせでは名刺を差し出し、広告代理店の営業マンだと自己紹介していた。
名刺の名前は中川遼一。
初対面のはず、だった。
それなのに。
あの視線はいったい何だったのだろう。
怜は琴音からマグカップを取り上げ、腕を伸ばしてテーブルに置くと
琴音をソファに押し倒した。




