23 不実な彼と彼の好きな人と
インターフォンが鳴っていた。
琴音は居留守を使った。
怜が留守中でも合い鍵で部屋に入っていいが、インターフォンには出ない、そういう約束だった。知り合いに出くわさない用心なのだろう。
カフェのバイトが休みの日、琴音は横浜の実家から来て怜の部屋の掃除をしていた。
ロングボブの髪の毛をヘアゴムで束ねると、洗濯機を回し、その間に散らかった部屋を片付け、掃除機をかける。
そろそろ洗濯が終わる時間だが、コーヒーを淹れることにした。
ドリッパーをコーヒーサーバーにセットし、粗挽きコーヒーにポットの湯を注ぐ。
コーヒーが滴るのを眺めながら、来る途中のコンビニで買ってきたクッキーを齧った。
怜はレンタルスタジオに出かけていた。
琴音がいる間に怜が帰ってくるかはわからない。
以前よりも練習時間が多くなった気がする。
そうでなければ仕事でスタジオに入っている。
怜と顔を合わせずに帰る日もあった。
琴音には、怜は変わったような気がしていた。
どこかが、何かが、微妙に。
コーヒーを飲んでいると、洗濯機で乾燥が終わったアラーム音がした。
飲みかけのマグカップをテーブルに置き、洗濯ものを取り出す。
「あたし、何やってんだろ」
ソファに座って洗濯物を畳みながら、頭に浮かんだことが口からこぼれた。
洗濯も掃除も怜に頼まれたわけでも、とくに感謝されるわけでもない。
琴音が勝手にやっているだけだ。
琴音自身もそんなことをしたくて来たのではなかった。
怜に会いに来たのに、怜がいないからやっているだけだった。
ただの暇つぶし。
怜にとっての琴音も、もしかしたら。
愛している、と怜に言われたことはない。
怜の「好き」は、たとえばプリンが「好き」なのと変わりない。
子供の頃からずっといっしょだったのに、近頃の怜は見知らない他人のようだった。
見えない誰かに、それとも何かに、嫉妬しているのかもしれない、と思う。
先日、ちょっとした口論があった。
「好きな人、いるの?」
何気ないふうに訊いてみた。
「いるよ」
怜があっさり答えた。
天気の話でもするように。
「じゃあ、私は?」
「琴音のことも好きだよ」
怜が抱き寄せようとした。
「愛してる?」
「愛、か」
怜は首を傾げ、
「愛してる、言うのは簡単だけどね、言ってほしい?」
琴音の顎を指先で持ち上げた。
「言ってほしいんじゃない、気持ちが聞きたいの」
琴音が怒ると、怜は困り顔になった。
「好きじゃあダメなの? 不満?」
「不満とかじゃなくて」
尖らせた唇が怜の唇でふさがれた。
いつだってそうだ。
答えをはぐらかされ、キスでごまかされていた。
今、繋いでいる手を琴音が離せば、それきり消えてしまいそうな脆さで、ふたりはかろうじて繋がっている。
琴音はコーヒーが残ったカップをシンクに置いて部屋を出た。
自分の足跡を怜の部屋に残すように。
サンダルを履いて外に出ると、外はまだ夏の日差しが残っていた。




