19 彼が彼に恋をして
「それは、ね」
リリコが一拍おいて、
「世間じゃ恋って呼ぶの」
くすぐったそうに笑った。
「恋、って」
遼一は手にしたタバコを取り落としそうになった。
「そんなこともわからないなんて、ね」
リリコが出来の悪い生徒を見るような目で見る。
「あっちは男だぜ?」
「だから?」
「だって」
「好きになるのに男とか女とか関係ある?」
ほかの誰にも話せないことでも、リリコには素直に話すことができる。
怜が遼一の会社を訪れた日、真夜中にリリコはやってきた。
「外まだ暑いのよ」
リリコはノースリーブのカットソーに膝丈のハーフパンツで、バッグをリビングのソファに放ると、冷蔵庫から勝手に缶ビールを取出した。
遼一とリリコは珍しくリビングのソファに並んでビールを飲んでいる。
「リリコ、やっとわかった」
ひとり、うなずく。
「ずっと苦しかったのは、その彼のせいだったんだ」
遼一は無言で吸いもしないタバコの煙を目で追っている。
「好き同士ならハッピーじゃない?」
「そうはいかないだろ」
「なんで? リリコ、わからないな」
「高校生じゃないんだ」
「だから? 大人だから? それが何?」
リリコが喉を鳴らしてビールを飲んだ。
「まだ恋を知らない男の子に戻ったちゃった?」
「そんなふうに見える、俺?」
「見える」
遼一自身、怜が恋しくもあり、その反面、怖くもあった。
これ以上、互いに接近していくのが怖かった。
あんなに焦がれていたというのに。
今になって怖気づいていた。
怜からのLINEに返信できないのもそのせいだ。
「リリコ、知ってるよ」
「何を?」
「ハッピーじゃない理由」
黙り込んだ遼一がビールに口をつける。
「全部が欲しいんでしょ? 彼の全部」
じれったそうに、リリコが言った。
「ゼロか100か、どっちかじゃなきゃイヤなんでしょ?」
「ゼロか100?」
「何もない、ゼロ、でなかったら、マックスの100」
――ただひとり、緋沙子とは100と100で愛し合っていた。
ふたりの時間は、この世にふたりきり、互いがすべて、だった。
他の女たちは、どうだったろう。
遼一を愛した女たちは、遼一本人を愛したというよりも、遼一の恋人である自身を100で愛したのではなかったか。
「50愛しても愛されても、それじゃ不幸なんでしょ? 50を幸せと思う人もいるのに、あなたはそれじゃ満足できない、きっと、そう」
「だったら、俺はどうすればいい?」
リリコの前では教えを乞う小学生並みだ。
リリコは新しいビールを開け、口をつけた。
「結婚しても幸せにはなれない、って前に言ったの、覚えてる?」
復習の時間。
「今、目の前にあるのは『平凡な地獄』か『危険な地獄』の二択」
「どっちも地獄って、それじゃ選びようがないな」
「じゃあ、どっちも選ばないって選択もあるかな」
リリコが新しいビールで喉を湿し、
「結婚は50が幸せなの、50を幸せと思わないとやっていけない。
でもそれじゃあなたは幸せじゃない、地獄みたいなものね。
彼とどうにかなっても彼の100手に入れられるかな」
そう言い、たしかめるように遼一を見た。
「100あげても、100返ってこない、彼、悪い男かも」
「怜が」
「そう。彼にとっての100はたぶん音楽、でしょ?」
「だろうな」
「あなたは彼にとって100じゃないし、なれないかもよ」
「じゃあ、どうすれば?」
「だから。50でいるしかないの、地獄でも、ね」
「100だったら」
「そではそれで地獄でしょうね、その子とあなたとじゃ」
「ゼロでいい、って言ったら?」
言いかける遼一の胸を、リリコが人差し指で軽く突いた。
「残念。もうゼロじゃないもの」




