17 待てない女
「ジュリアのことなんだけど」
繭子がサラダをフォークにのせて言う。
ジュリアというのは繭子の愛犬の名だ。
遼一の会社の近くのカフェでのランチデートは、ピークタイムを過ぎているせいか、客もまばらだった。
このところ、遼一は仕事に忙殺されていた。
チームでは新プロジェクトが始動している。
連日の残業に加えて、休日出勤が続いていた。
まとまった休みはしばらくとれそうにない。
どこかに出かけたり食事を一緒にするのは難しいと遼一が伝えると、ランチでもいい、会社の近くで、と繭子は提案してきた。
そこまで言われたら断る理由が見つからなかった。
今日も会議が押して繭子との約束に時間に遅れた。
と言っても会議が終わったわけではない。
朝から始まった会議が長引いて、いったん昼休憩をはさみ、このあと続きが再開だ。
同僚の多くは会議室に居残って簡単な昼食をとっている。
その中を抜け出してきたのだ。
20分ほど遅れたてきたが、日傘をさした繭子は店の前で待っていた。
「ジュリア、私に懐いているでしょう?」
「え? ええ」
「新居に連れていったらいけないかしら?」
結婚後の話なのだろう。
遼一はフォークを口に運びながら半分うわの空で聞いていた。
結婚するものとして、繭子はその後の生活を考えているようだった。
「いいんじゃない」
遼一が言うと、
「そう?」
繭子が顔を輝かせた。
「まかせますよ」
「そう? 散歩は私がするわ」
これまで繭子を焦らせてきたぶん、このごろでは遼一の方が押し切られ気味だった。
遼一がハンカチをとり出して首筋に当てると、
「ハンカチ、きれいね?」
繭子が何気ないふうに言った。
「クリーニングですよ、アイロンが必要なものは全部」
「そうなの」
ふと繭子の目が和んだ。
アイロンをかけてくれるような女がいると疑ったのだろうか。
ここ一年ほどは遼一のマンションに出入りするのはリリコだけだが、リリコはアイロン掛けなどする女ではない。
「それでね、大型犬が飼えるマンション、けっこう限られてくるのよね」
「そうですか」
「都内にもあるにはあるんだけど、人気で、なかなか空きが出ないらしくて」
「そうなんだ」
「郊外だと不便になってしまうでしょ」
「ええ」
適当にうなずいて、遼一は残ったコーヒーを流し込んだ。
もっと喋りたそうな顔の繭子には悪かったが、ランチデートも早々に切り上げた。
名残惜し気な繭子とは店の前で別れ、遼一は急いで会社に戻った。
先ほどまでの会議の進捗状況を思い返しながら、エレベーターに乗り、第2会議室に向かう。
犬がどうだとか言っていたような気がするが。
ずらりと並んだラップトップと、その横に積まれた大量の資料。
誰かが用意してくれたらしい、新しいペットボトルが20本、会議用テーブルに並んでいた。
ドラフトを今日中にまとめ、明日の朝には取引先に提出しなくてはならない。
もちろん、出来上がった資料はデータでも提出するのだが、実際に会議の現場ではいまだに紙にまとめられたものが重宝される。
遼一は今回の営業部門のチームリーダーだった。
急に現実に引き戻された。




