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何も起きない異世界召喚 僕のスキルは、意味不明だった  作者: 一月三日 五郎


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第八話 転がる金貨

 玉座会議の後、守護者は珍しく城を抜け、酒場の入り口をくぐった。

 気晴らし、というほど殊勝な理由でもない。ただ、あの場の空気を少しでも肺から追い出したかった。


 空いている卓に腰を下ろし、無言で杯を受け取る。

 酒は濃く、喉を焼いた。


 隣の卓では、見覚えのある兵士二人が取り留めのない話をしていた。

 城を離れていた間の出来事や、耳に入った噂話など、愚痴混じりの近況だ。


「ようやく帰ってこれたぜ」

 年嵩の兵士は、溜まっていたものを吐き出すように言い、

 ぐっと酒をあおった。

 久々の酒なのか、杯の半分を一息に空ける。


「……そうだな」


 年若い兵士は短く相槌を打ち、

 つまみに手を伸ばす。

 

「行きはまだいい。

 砦までは城の魔法で飛ばされる。

 そこからが最悪だ。

 隣国まで半日歩き。

 用だけ済ませて引き返し。

 帰りは城下まで、全部足だ」


どん、と杯が乱暴に置かれる。


「何も起きなかったからいいものの、

もし魔獣にでも出くわしてたら

どうなってたか」


「……王命だ」


「分かってるよ」


 その言葉に、守護者の指がわずかに止まる。

 聞き耳を立てるつもりはなかった。

 だが、杯を傾けたままでも、その声は否応なく耳に入ってきた。


「討伐隊に組み込まれるよりはいいけどよ」


「……ならいい」

 年若い兵士が、短くそう返した。


 何気ない言葉の端に、引っかかりを覚える。

 守護者はそこでようやく、記憶を手繰り寄せた。


 ——あの少年の追放を命じられた兵士だ。


 視線を向けると、二人もこちらに気づいたらしく、ほんの一瞬、目が合った。

 次の瞬間、彼らの表情が変わる。


「……守護者、殿?」

「……こんなところで、お会いするとは」


 杯の底で、酒が静かに揺れた。


 最初はよそよそしかった会話も、

 魔獣討伐の話題をきっかけに、

 次第にほぐれていった。


 討伐の成否、魔獣の癖、

 笑い話にしていい失敗。

 誇張と笑い声が混じり、

 杯は何度も満たされる。


 守護者は多くを語らなかったが、

 否定もせず、ただ耳を傾けていた。

 それだけで、場は不思議と落ち着いた。


 やがて兵士の一人が立ち上がり、

 引き継ぎの時間だと言った。


 守護者は軽く手を上げる。


「今日は俺が払う」


 守護者の粋な計らいに小躍りしそうになる年嵩の兵士に、

 もう一人が、思い出したように言った。


「……金、あっただろ」


 一瞬の沈黙。

 兵士は視線を逸らし、口を引き結ぶ。


 少しばつの悪そうな顔で、彼は懐に手を入れ、金貨を一枚取り出した。

 差し出されたそれを、守護者は軽く受け取る。


「すごいな」


 感嘆とも皮肉ともつかない声で、守護者はその金貨を受け取った。


「次は俺がおごる。だから、また飲もう」


 そう言って、守護者は勘定に向かった。


 だが酒場の主人は、首を横に振る。


「魔獣を片付けてくれた礼だ。

 今日は勘定はいらん」


 亭主はそう言って、軽く頭を下げた。


 短い言葉を二、三度交わした末、

 守護者は諦め、金貨を懐にしまった。


---


 酒場を出ると、城下はすでに夕暮れに沈みつつあった。

 露店は店じまいを始め、人の流れも城門の方へと傾いている。


 守護者は外套を引き寄せ、石畳を踏みしめた。

 一日の疲れが足に残っていたが、歩調は崩さない。


 城門をくぐるころには、空の色は赤から灰へと変わり、

 城内には松明の火が灯り始めていた。


 奥へ進むにつれ、声が次第に荒くなる。

 やがて、廊下の先で怒声が響いた。


「だから、それでは手遅れになると言っている!」

「無茶を言うな。兵も糧秣も足りん!」


 低い声と荒い声がぶつかり合い、言葉尻だけが断片的に漏れてくる。

 机を叩く音、鎧が擦れる音。

 誰かが制そうとするが、その声はすぐにかき消された。


 輪の外では、控えの士官や伝令たちが息を潜めて立ち尽くしている。

 視線を伏せる者、壁際に身を寄せる者。

 誰もが口を挟めず、ただ成り行きを見守っていた。


 軍議が白熱しているらしい。


 このままでは喧嘩になる。

 そう察した守護者は、輪に割って入った。


「……どうした。ずいぶんと声が荒れているな」


 低く、穏やかな声だった。

 だが不思議と、それだけで場の空気が変わる。

 怒鳴り合っていた二人も、言葉を切った。


「まずは落ち着け。

 順に話せ。俺が聞こう」


 守護者は片方を見て、次にもう片方を見る。

 急かすことはせず、途中で口も挟まない。

 時折うなずきながら、静かに耳を傾けた。


 兵の動かし方、糧秣の算段、動く時機。

 主張は食い違っているが、

 目指す先は同じだと分かる。


 ひととおり聞き終え、

 守護者は小さく息を吐き、口元をわずかに緩めた。


「なるほど。

 ……では、こいつで決めよう」


 守護者は懐に手を入れ、金貨を一枚取り出した。

 指先で重みを確かめるように転がし、親指に力を込める。


 乾いた音がして、金貨は高く跳ね上がった。

 天井に当たって甲高い音を立て、

 柱や壁に弾かれたらしく、行方が分からなくなった。


 一拍の沈黙。

 誰も声を出さず、視線だけが宙を追う。

 小さな音が、梁の向こうで二度、三度と跳ねた。


「……しまった」


 守護者が頭に手をやる。


 金貨が当たった天井を見上げ、

 誰かが小さく息をのんだ。


 一瞬の沈黙。


 それでも堪えきれなかったように、

 誰かが吹き出した。


 それを合図に、周囲から笑いが広がる。

 怒声で満ちていた廊下の空気が、すっとほどけていった。


 守護者は肩をすくめ、何事もなかったように輪を見渡した。


 笑いが収まり、場が落ち着いたのを見て、

 壁際に立っていた侍女へ視線を向ける。


「……悪い。金貨、探してきてくれるか」


 声をかけられた侍女は、一瞬戸惑い、それから静かにうなずいた。

 侍女が静かに下がるのを見届けてから、

 守護者はもう一度、輪の中心へ視線を戻した。


 誰かが咳払いをし、誰かが机に広げていた書付を引き寄せる。

 先ほどまでの荒い声は消え、代わりに低い声が交わされ始めた。


「……では、話を戻そう」


守護者の言葉を合図に、

 机の上に書付が広げられ、低い声で議論が再開された。


---


 金貨が消えたあと、侍女は人の輪から静かに離れ、廊下の床に目を落とした。


 石畳の継ぎ目や壁際を確かめながら、数歩ずつ進む。

 輪から少し距離を取ったあたりで、敷石の隙間にわずかな光が挟まっているのに気づいた。


 金貨だった。


 拾い上げ、反射的に輪のほうへ視線を向ける。

 だが、すぐ近くで声が重なり合い、また軍議が盛り上がっているのが分かる。


 今は近づきづらい。

 そう感じ、侍女は足を止めた。


 少ししてから渡せばいい。

 そう判断し、金貨を腰の袋へ収める。


 そして向きを変え、

 本来の仕事である王の執務室の掃除へと向かった。


 無人の執務室は静かだった。

 扉を閉め、道具を置く。


 机の上の書付を整え、

 床に落ちた埃を払い、

 椅子を元の位置へ戻す。


 一通り手を動かしてから、

 侍女は小さく息をついた。


 そのとき、ふと金貨のことを思い出す。


 袋から取り出したそれは、

 彼女の身分では滅多に目にできないものだった。

 ひどく眩しく感じられた。


「……きれい」


 そのとき、背後で扉が軋む音がした。


 侍女が振り向くより早く、低い声がかかる。


「――おい」


 王だった。


 息を呑み、思考が追いつくより先に身体が動く。

 侍女は金貨を机へ滑らせ、積まれた書類の隙間に押し込んだ。


 遅れて我に返り、背を正す。

 そして慌てて頭を垂れた。


 王は無言で部屋に入り、椅子へ腰を下ろした。

 机に手をつくと、片手を軽く振る。


 下がれ、という合図だった。


 侍女は胸の奥で息を吐き、深く頭を下げる。

 怠けを咎められなかった安堵と、

 危ういところだったという思いが、遅れて込み上げてきた。


 余計な音を立てぬよう、足早に執務室を出る。

 扉を閉めてから、ようやく背中の力が抜けた。


 ――助かった。


 そう思いながら、廊下を離れる。


 執務室には、王ひとりが残された。

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