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何も起きない異世界召喚 僕のスキルは、意味不明だった  作者: 一月三日 五郎


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第十話 正しかった決断と、望み

 しばらく、その場から動けずにいた。

 足の裏が、床に縫い止められたような感覚だった。


 原因はわからない。

 だが、ただ事ではないことだけは、体が先に理解していた。


 孤児院には、誰もいない。

 生活の途中で放り出されたような痕跡だけが残り、人の気配は完全に消えている。


 それだけなら、まだ説明はついたかもしれない。

 だが、目に入る光景は「留守」ではなかった。


 鍋は使われ、戻されている。

 椅子は引かれたままではなく、寄せられている。

 子供部屋には、いつもの散らかり方が残っている。


 生活は、途中で断ち切られたようには見えない。

 終わったあと、そのまま残されている。


 それが、異様だった。


 名前を呼ぼうとして、喉が動いた。

 だが、音になる前に口を閉じる。


 ――名前を、知らなかった。


 その事実が、遅れて効いてくる。

 ここにいた人間たちを、ひとりも呼び戻せない。


 気を取り直そうと、何度か深呼吸をする。

 だが、うまくいかない。


 考えなければならない。

 ここで立ち尽くしていても、何も変わらない。


 待っていれば戻ってくるだろうか。

 そうは、どうしても思えなかった。


 探しに行く?

 ――どこを。


 森か。

 街中か。

 それとも、門の向こうか。


 どれも、根拠がない。

 勘で動くには、状況が悪すぎる。


 誰かに相談する?

 ――この世界で、誰に。


 これまで出会ってきた人間たちの顔を、順に思い浮かべる。

 誰もが遠い。


 だが、その中で、ひとりだけ浮かんだ。


 門番。


 初日に、言葉を交わしただけの相手。

 それでも、役目として人の話を聞く立場だ。


 それでいい。

 今は、それでいい。


 門までの道は、なんとなく覚えている。

 街の中を抜けていく、石畳の道だ。


 歩き出した瞬間、足の裏に痛みが走った。

 それでも、速度を落とす気にはなれなかった。


 息が上がる。

 胸が熱い。


 だが、止まれない。


 いなくなってから、まだ一日も経っていない。

 ――まだ、間に合うかもしれない。


 その言葉だけを、何度も心の中で繰り返した。


 門は、記憶通りの場所にあった。

 高い石壁と、木と鉄でできた扉。

 そして、その前に立つ二人の門番。


 初日に会った男が、今日もそこにいた。


 息を切らせた自分を見ると、少しだけ眉をひそめる。

 だが、驚きはない。

 日常の延長として人を見る目だった。


「どうした」


 短い問い。

 それだけで、喉の奥に溜まっていたものが溢れ出す。


 孤児院のことを話す。

 順序も、言葉選びも、気にしない。

 見たまま、感じたままを吐き出す。


 門番は、黙って聞いている。

 途中で遮らない。

 表情も、ほとんど変わらない。


 話し終えたあと、少しだけ間があった。


「待ってろ」


 それだけ言って、踵を返す。

 声に、私情はなかった。


 もう一人の門番に何事かを伝え、

 詰め所の奥へ消えていく。


 取り残された自分は、門のそばに立ち尽くした。

 勝手に動いていいのか、判断がつかなかった。


 待つ、という行為が、これほど長く感じられたことはない。


 最初は、立ったまま空を見ていた。

 雲の流れが、やけに遅い。


 やがて、足を動かし、門の周囲を行き来する。

 数歩歩いては、戻る。

 それを何度も繰り返す。


 呼ばれる気配はない。


 時間が、感覚からずれていく。


 日が傾き始め、影が伸びる。

 風が冷たくなり、昼の匂いが薄れていく。


 その頃になって、ふと、東の空が明るいことに気づいた。


 最初は、夕焼けだと思った。

 だが、色が動いている。


 目を凝らす。


 黒い煙だった。


 まっすぐではなく、うねるように立ち上り、

 風に引き裂かれながら、空へ伸びていく。


 鼻に、匂いが届く。

 木が燃える、焦げた匂い。

 鼻の奥に刺さるような、はっきりとした臭い。


 嫌な予感が、確信に変わる。


 考える前に、体が動いた。


 門を振り返りもせず、走り出す。

 石畳が、足元で波打つ。


「おい、気をつけろ」


 ぶつかりそうになり、怒鳴られる。

 普段の自分なら、一言くらい謝っていたかもしれない。

 だが、そんなことを考える余裕はなかった。


 何度か、つまずきそうになる。

 転びそうになり、体勢を立て直す。


 息が、苦しい。

 肺が焼けるように熱い。

 足は豆が破れ、踏み込むたびに、じんじんと痛みが弾けた。


 それでも、止まれない。

 止まったら、もう走れないと思った。


 道の先が、赤く染まり始める。

 煙が、濃くなる。

 空気が、重くなる。


 孤児院に辿り着いたとき、

 そこにあったのは、炎だった。


 屋根の一部が崩れ、火の粉が舞っている。

 乾いた木がはぜる音が、絶え間なく響く。


 窓から、火が舌を伸ばしている。

 中にあったものを、無差別に呑み込みながら。


 近づこうとして、熱に押し返される。

 顔に、焼けつくような風が当たる。


 助けに入れる距離ではない。

 すでに、人がどうこうできる段階ではなかった。


 ――だが、そこに人がいないわけではなかった。


 すでに、人は集まっていた。


 井戸の方から、空の桶を抱えて走る者がいる。

 だが、水を運ぶ手は、途中で止まっていた。


「もう無理だ」


 誰かが、そう呟いた。


 別の声が、かぶさる。


「屋根まで回ってる」

「中には、もう――」


 言葉の続きを、誰も口にしない。


 ただ、炎を見上げて立ち尽くしている。

 泣き声も、怒鳴り声もない。

 あるのは、諦め切った沈黙だけだった。


 一歩、前に出ようとした瞬間、

 腕を掴まれた。


「入るな」


 掠れた声だった。


「死ぬぞ」


 その言葉が、胸の奥に落ちる。

 強く握られた手が、離れない。


 呆然と、燃える建物を見るしかなかった。


 何が起きたのか、理解が追いつかない。

 なぜ燃えている。

 自分が調べたとき、火の気はなかった。


 火の不始末?

 違う。


 放火?

 なぜ。


 疑問だけが、頭を埋め尽くす。


 気づけば、声が漏れていた。


「……ドミノ……」


 願うように、縋るように。


「……ドミノ……」


 何度呼んでも、

 何も起きない。


「……ドミノ……!」


 最後は、叫んでいた。


 そんな自分の、みっともないあがきを見つめるように。

 視界の中で、

 ただ一枚のドミノだけが、倒れずに立ち続けている。


「……望みを叶えるんじゃ、なかったのかよ……!」


 声が、掠れる。


 膝をつき、拳を地面に叩きつける。

 硬い感触が、腕に返ってくる。


 涙が、止まらない。

 止めようもなくあとからあとからこみあげてくる。


 ほとんど顔も覚えていない。

 ろくに話したわけでもない。

 名前すら、聞けていない。


 たった一日。

 過ごした時間は、それだけだ。


 それでも。

 それでも――


 自分を受け入れてくれる場所に、

 なっていたかもしれなかった。


 目の前で燃え落ちていく、

 「選択肢」のひとつ。


 それを見送るしかなく、

 その場に崩れ落ちた。


 燃える音が、遠くなる。


 熱も、光も、涙も、

 すべてが滲んで、輪郭を失っていく。


 意識が沈んでいく、その最後に、

 倒れずに立ったままの、

 あの一枚のドミノだけが、やけに鮮明に残っていた。


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