早乙女涼夏
バイト先の先輩の髪が、ある日突然金色になった。
黒髪だったときでさえ、見上げるほどの身長で、多少の威圧感を感じてたのに、髪を金色に染めてピアスまで開けてると、夜の街にいる人みたいで、違和感が半端ない。
バイト先の書店に向かう電車の中で、窓の外を流れて行く景色をぼんやりと見つめながら、私は小さくため息をついた。
バイト先の先輩、五十嵐さんは、私の教育係だ。
教育係として紹介されたときは、無言で上から見下ろされ、その謎の威圧感に飛び上がってしまったけど、仕事を丁寧に教えてくれたり、高い所にある物を取ってくれたり、さり気ない気遣いをしてくれる人で、バイトに慣れる頃には、憧れの先輩になっていた。
それなのに! 先週の土曜日、書店に出勤したら見知らぬ金髪ピアスの男性が、休憩室で寛いでいて、扉を開けた私を鋭い視線で出迎えたのだ。
当然私は蛇に睨まれた蛙の如くに固まり「早乙女さん、おはよう」と声をかけられて耳を疑いながら、挨拶を返したのである。
本当に何があったんだろう。単なる気分転換? それならいいんだけど。金髪も似合ってるよ? だけど、なんだか無理をしてるような気がするんだよね。仕事にも集中できてないみたいだし……心配だなぁ。
「……めさん、涼夏さん!」
「っ! は、はいっ!?」
「降りないの? バイトに行くんだよね、駅に着いたけど」
「い、五十嵐さん! え、同じ電車?」
肩を軽く揺すられながら名前を呼ばれ、目を見開いて背後を振り返ると、困惑顔の先輩が電車のドアを指さして、こちらを窺い見ていた。
「一つ前の電車に乗り遅れてね」
「なるほど」
ははっと乾いた笑いを漏らしながら、決まり悪げに髪をかきあげた彼を見上げる。
目の下に隈ができてる。ちゃんと眠れてないんだろうか。電車に乗り遅れたのは、どうして? よく見ると、髪もところどころ乱れてる。急いで身支度してきたのかな。
「疲れてたら、無理しないでください。五十嵐さんの代わりというにはまだ未熟ですが、仕事、頑張りますので!」
「……えっと?」
私の言葉の意味が理解できなかったのか、小首をかしげる先輩をもどかしく思いながら、もう一度口を開く。
「ですから、無理しないで休んでくださいってことです」
「……早乙女さんには、俺が無理してるように見えるの?」
「見えます! 先週から様子がおかしいですから!」
バイト中、何も無いところでつまずいたり、本を抱えながらぼんやりしてたり! 見てる方は気が気じゃないのに。
「そうか……。大丈夫、心配してくれてありがとう。とりあえず、電車、降りようか」
「あっ! す、すみません! 降りましょう」
先輩のちょっとはにかんだ笑顔が眩しくて、私は火照った頬を隠すように彼から視線を逸らし、慌ただしく電車を降りた。
◆◆◆
駅から書店まで、いつもと変わらない風景なのに、先輩が一緒に歩いてるというだけで、周りの風景はいつもより色鮮やかになったようだった。
「やっぱ外は日差しが強いね、夏だからしょうがないけど」
「日傘、ありますよ。先輩も入りますか?」
「……用意周到だね。でも、遠慮しとくよ。ありがとう」
「そうですか。入りたくなったら言ってくださいね」
ちょっと残念。だけど、先輩の耳が少し赤くなったのが分かったから、大人しく引き下がる。
彼の悩みを聞き出す間もなく、書店に着いてしまった。駅からそこまで離れてないから、当たり前か。
カウンター内で仕事をしている、パートさんや他のバイトの人たちに挨拶して、休憩室に向かう。
皆に二度見されたのは、多分先輩と一緒に来たからだと思う。彼はいつも私より早く出勤してるから。皆も驚いたんじゃないかな。
ロッカーに荷物を置き、私服の上に書店の制服を着て、鏡を見ながら髪を整える。
乱れてる部分をサッと梳かし、ポニーテールに結び直す。前髪は黒ピンで留めて、黒縁メガネの位置を調節し、よし、今日も頑張るぞと頷いた。
ロッカーを閉めて、後ろを向くと、すでに支度を終えていた先輩が、連絡ノートを読みながら待ってくれていた。
急かさず待ってくれてるなんて、やっぱり優しい人だよね。
「五十嵐さん。今日もよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
◆◆◆
テープが終わりそう。備品室から持ってこないと。
カウンター内でお客様の対応をしながら、消耗品の整理をしていると、セロテープが終わりそうになっていることに気付く。
パートさんに声をかけてから、カウンターを離れ店の奥に向かう。
「ウケる……そんなに振ったときの言葉、気にしてたの? 無理してピアスまで開けちゃって。残念、それでも地味な本質は変わらないよ」
嘲笑するような女性の笑い声。
静かな店内に不釣り合いで、眉をしかめながら、本棚の奥を覗く。
「……何しに来たんだ? もう別れたんだから、俺に用なんて無いだろ。仕事中なんだ。冷やかしなら帰ってくれ」
感情を押し殺したような先輩の声。
初対面のときから今日まで、一度も聞いたことがない、冷淡な声だった。
「真面目な大和くんがー、グレちゃったっ! てー、友達が言ってたから、見に来てあげたんじゃない! なぁに? そんなに傷ついちゃったのぉ? まぁ? 私、あんたと付き合ったのだって別に本気じゃなかったんだから、いくら外見を装っても、よりを戻すつもりなんて無いんだけどねー」
酷い。あの人、わざと先輩を傷付ける言い回しをしてる。本気じゃないって何? 最初から遊びで付き合ってたってこと?
先輩の元気がなかったのって、あの女性のせいなの?
先輩が髪を金色に染めたのも、耳にピアスを開けたのも?
「……分かったから、もう会いに来ないでくれ」
「ねぇ、知ってる? 私の友達ってー、あんたの」
先輩の声が僅かに震えてる。もう聞いてられない!
「あのっ! お客様対応中すみません! 五十嵐さん、電話対応代わってもらってもいいですか? 非通知なんです!」
本当は、先輩に絡んでる女性に「地味で何が悪いッ?」て言いたかったけど、店内で騒ぎを起こすのは得策では無いと自重した。
「え、あ、分かった」
「ちょっと大和!?」
「あー! お客様、すみません。お探しの本でもございますか? 私が対応代わらせていただきます」
「……ないわ、そんな物」
派手な女性は吐き捨てるようにそう言って、店を出て行った。
◆◆◆
「早乙女さん、電話、鳴ってないって言われたんだけど、もしかして、方便だった?」
カウンターに戻ると、困り顔の先輩がさっそく声をかけてきた。
「変に割って入ったら騒ぎになるかと思いまして。ご迷惑でしたか?」
「いや、助かったよ。ありがとう。後でまた詳しく説明させて」
「分かりました。話したくないことは伏せてもらって大丈夫なので!」
「うん」
◆◆◆
バイト終わり、近くの喫茶店で、先輩は話し出した。
「彼女は大学のサークル仲間で、去年告白されて最近まで付き合ってたんだ」
「先輩って彼女いたんですね……」
「まあ……ね。恋人らしいことは全くしなかったけど、初めて付き合った人だから、できるだけ大切にしたつもりだったんだよ」
「……うらやましいッ」
惚気か? 惚気なのか!? あの派手な女性が恨めしい。
『初めての彼女』という座を手に入れておきながら、本気じゃなかった?! 挙句に、先輩が傷つく言葉を言って振るとか……。
決闘でも申し込みに行かないとダメなのかもしれない。
「先輩! あの人にどんな言葉で振られたのかは分かりませんが、私は今までの先輩が好きです。金髪も似合ってますが、無理するくらいなら、言われた言葉なんて忘れて、ありのままの五十嵐さんでいてください! 私はそんな先輩が好きなんですッ」
「あ、ありがとう……。だけど、ちょっと落ち着いて早乙女さん……ここ、喫茶店……だから」
先輩が真っ赤に染まった顔を片手で覆って、制止してくる。
しまった。やってしまった。
ああ、私って、先輩のことが好きだったんだな。てっきり憧れてるだけだと思ってた。
夕方の喫茶店には、あまり人はいなかったけど、まばらにいた人たちに、生暖かい視線を向けられ、私は恥ずかしさで、テーブルに突っ伏した。
お読みいただきありがとうございました。
続きを書くことがあるかもしれないので、長編にしてあります。一応これで完結です。




