4✦☾お嬢様との出会い
私がここまでスティラお嬢様に入れ込んでいるのには、ちゃんと理由がある。
決してお嬢様が超マーベラスに美しいから――いやそれも大いにあるのだが――それだけではないし、高飛車美女に這いつくばる趣味があるからでも……た、多分ない。
スティラお嬢様は、私の大恩人なのだ。
大げさではなく、あの出会いがなければ、私は今生きていなかっただろう。
私は酷く貧しい家に生まれ、両親の愛にも恵まれなかった。
大人になった今も前世の記憶があるのも……元はといえば、虐待を受けていたからである。
この世界では、約五歳の夜――六十回目の満月の下で行われる「クレミナラの夜明け」という儀式によって、前世の記憶を失い、その時に精霊と螺力を前世から引き継ぐ。
それをもって「今世での本当の誕生」とされる、この世界では最も重要な儀式だ。
しかし私は、その儀式を受けられなかった――。
同じ時期に生まれた子供たちが儀式で祝福されていた頃、私は飢えと寒さで死にかけていたのだ。
だから、いまだに前世の記憶を抱え、精霊もおらず、螺術も使えない。
「誰よ!異世界転生者はチートで無双とか、のんびりスローライフとか言ったのは!!」
前世のオタク知識があった私からすると、そう叫びたくもなる悲惨な転生人生だった。実際何度かは叫んだかもしれない。
皆が使える螺術も使えないのでは、むしろ逆チートである。
母は物心つく前に亡くなり、父は家によりつかず、たまに帰ってきても殴られるだけだった。
父が行方不明になった後は、祖母が引き取ってくれたものの、学校にも通わせてもらえず、家に閉じ込められて育った。
その祖母が毎晩のように言っていたものだ。
「いいかい。精霊がいないことも、螺術が使えないことも、前世の話も……。決して誰にも言ってはいけない。特に、『教会』には知られてはならないよ」
「どうして?」
「『円環』から外れていると思われてしまう。そういう者は『逸脱者』として、迫害されてしまうから――」
「円環」とは仏教の「輪廻転生」に近い概念で、この世界では神に等しい重要なものだ。
この世のすべての生命は、円環の上で共に生き、螺旋状に輪廻転生を繰り返しながら楽園へ向かうとされている。
……円環から外れる「逸脱者」とは、「異端者」「異常者」の意味だ。
当時はそこまで理解できていなかったが、「逸脱者」という言葉の響きは恐ろしく、私の心に焼き付いた。
「あんたは……教会には近づいてはいけないよ。何をされるかわからないから……」
それが祖母の遺言となった。
この世界の「教会」――「円環の守護者」は、ただの宗教団体ではなく、行政と警察を兼ねる権力機関だ。孤児院も学校も、ほとんどは教会の管轄下である。
教会を避けて生きるとは、公的な援助や教育を一切受けられないということ……。闇社会近辺で生きるしかないということだった。
いくら前世の知識があろうとも、この世界では言葉も文字も社会の仕組みも違う──、この世界でろくな教育を受けられていない私が、その知識を活かせることはほぼ無く……。
「チートとかスローとか気ままとかでなくてもいいから、せめてこう、人並の人生であってほしかった……!」
いくらそうわめいたところで、その後も悲惨な人生は続き、祖母が亡くなって数年後、私は十四歳でとうとう娼館に売られかけるまでになってしまったのだ。
「転生したら虐待され闇社会で娼館に売られました」なんて辛すぎるお話で、今世終わらせたくない!!
しかしそこで、初めて前世の知識が役に立つ時が来る。
大人の知識があった私は、女衒──要は奴隷商人である──たちの会話内容からかろうじて危険を察知して、売られる直前になんとか逃げ出せたのだ。
なんて、ささやかな前世チート……、それでもこのおかげで、私の人生は大きく変わることになる。
そう、転生物語にはつきものの、「大逆転」が、ついに私にも訪れることになるのだ……!
✦••┈┈┈┈••☽••┈┈┈┈••✦
新月の夜、逃げ出した私はとにかく暗い方へ向かって走っていた。幼いころ、暗闇に隠れれば父に殴られなかった記憶が、無意識にそうさせたのだろう。
だが、月の無い荒地は、本物の闇だった。自分の手も足も見えず、一歩先もわからない。――このまま闇にのまれて消えてしまうのではないか。
恐怖に駆られた私は、そこからはわずかな光を求めて走り続け、自然と東にある王都エルトリアへ向かっていた。
夜明けのころ、エルトリア郊外にある、崩れかけた東屋にたどり着いた私は、飢えと恐怖で震えながら身を隠した……ところ、何かに突然蹴っ飛ばされたのだ。
「いったぁーーい!誰よ、こんなところに汚い置物を放置したの!管理人の怠慢だわ!……あ、あら?」
私の「大逆転」は少女の不満げな悲鳴ともにやってきた。
朝の散歩中、御目付役の目をかいくぐって現れたスティラお嬢様、その人である。
かがみこんでいた私に気が付かず、盛大に蹴躓いて、すっころんだのであった。
「あらやだ、置物じゃなくて人じゃないの。ってことは主人の怠慢ね!どこの使用人?あなた」
うずくまったまま驚いて口もきけない私の前で、お嬢様は膝と手についた土を簡単に払うと、すっくと立ちあがった。
そのお姿と感動は、今でも忘れられない。
朝の光を背に受けて輝く金糸のような髪に桃色の頬、深い湖のような瞳が私の目を真っすぐ見つめている。
そして何より、そのお顔を彩る星々のような痣──。
今世で初めて見る「美しい人」を前に、私はただ息を呑むしかなかった。
「わたくしはセラヴェル環伯家の娘、スティラ。ここはわたくしの秘密基地なのよ?」
色とりどりのきらめきを封じ込めたようなその姿に、ふいに前世の日々がよみがえる。
美しい鉱石や宝石にかこまれ、夢中で研究していた過去を。
……その記憶はあっても、凄惨な日々が私の心を固く凍らせてしまっていたのだ。
──かつて私は、美しいものが好きだった。きらめくものに感動していた。心惹かれ、ときめいていた……!
光を浴びて氷が融けるかのように、私の心も感情を取り戻してゆく。
「それにしても、あなたってば汚らしいこと!しかも匂うわ。さすがに使用人じゃないわね?どこの誰なの、名乗りなさい!」
ぐいとその人がこちらに身体を傾けると、痣の中で好奇心に瞳が輝いている。
その瞬間、私はかつての大切な何かを思い出した気がした。
「ちょ、な、泣く事ないじゃない!?わたくしが泣かせたみたいじゃないの!」
知らない間に、私は感動のあまり涙を流していたらしい。涙などとうに枯れ果てたと思っていたのに。
「よ、汚れくらいうちのお風呂で磨けばなんとかなるわよ!匂いだって、うちには数百もの香水もあるわ!それに……、ちょっと聞いてる!?」
「……なんて、綺麗な人……」
それだけを呟いて、私は気を失ってしまった。
今思えば、推しを目前にして語彙力をなくし昇天するオタクの姿そのものだが、当時はリアルに昇天しかねない健康状態だったので、冗談にもならない。
✦••┈┈┈┈••☽••┈┈┈┈••✦
眠っている間、私は前世の夢を見ていたように思う。
仕事に関係ないことはあまり思い出せなかった……、プライベートはいまいちだったのだろう。
そんな中で“推し”を見つけ、ようやく人生を楽しむようになった矢先──原因はわからないが、私は死んでしまった。
“推しは推せるときに推せ”……。
それは「人生は楽しめるときに楽しめ」という意味でもあったのだと思う。
きっと、来世こそ悔いのないようにとの願いを込めて──。
そして、次に目覚めたとき、私はセラヴェル家にいたのだ。
✦••┈┈┈┈••☽••┈┈┈┈••✦
付き添いの従者は、汚く身元も不明な私を屋敷に連れ帰ることに猛反対したらしい。だが、お嬢様は譲らなかった。
「この子、確かに汚れて臭くて野良猫より酷いけど……なかなか正直で、見どころはあると思うの」
どうやら、私が倒れる前に呟いた「綺麗な人」という言葉を聞き逃さなかったらしい。後で知ったがお嬢様は褒め言葉に滅法弱いのだ。
「ちょうど私付きのメイドがまた三人ばかり辞めたじゃない?貴族の娘は甘やかされていてダメね。いっそこの子を見習いにすればいいわ」
お嬢様には砂糖菓子のように甘いセラヴェル環伯が、娘の我儘を許さないはずもなく。
そうして私は、浮浪児から一転、上位貴族のメイドとなった。
「さ!いいかげん名前くらいは言いなさいよ。今まで何て呼ばれてたの?」
「……ノイラ」
「まあ、『闇』って意味じゃないの。『クレミナラの夜明け』で新しい名前をもらわなかったの?」
「……知らない……」
普通は、儀式で新しい名前を与えられると知らなかった私は正直に答えてしまった。
この国には、生まれた子どもにわざと酷い名前をつける習慣がある。幼く弱いうちは「価値のないもの」と見せかけて、悪霊から子どもを守るためだそうだ。そして五歳の儀式後に新たに命名しなおすらしい。
しかし、儀式を受けていない私は十四になるまで、闇の名を背負い続けてしまったのだ。周囲にいた大人の誰一人気づいてくれることもなく……。
改めて、自分の人生のあまりの惨めさにうつむいた私を見て、お嬢様はにっと笑った。
「じゃあ、わたくしが名前をつけてさしあげるわ!『ルシアナ』――光という意味よ」
その瞬間、暗闇に閉ざされていた心に、鮮やかな光の亀裂が入った。
「……私には…立派すぎます」
光の名……そんなものを、自分に?というのが信じられなかった。
「えぇ?面倒ねぇ。じゃあ『シアナ』。あなたは今日からシアナよ。でも本当の名前はルシアナだから忘れないで」
亀裂から差し込む光はあまりにまばゆく、強い力で黒い殻を割っていき……、私はその時に初めて、殻から出ることができた。
それまでは、自分が闇にいることすら、わかっていなかった。
私はあの日に、本当の意味で今世に生まれ出でることができた。
あの出会いこそが、私にとっての「クレミナラの夜明け」だったのだ――。
✦••┈┈┈┈••☽••┈┈┈┈••✦
そこから私は読み書きから礼儀作法まですべてセラヴェル家で叩き込まれた。螺術が使えないことについても「街や人の中では使えない種類」と言えば、それ以上追及はされなかった。
十分な食事、温かな寝床、自分専用の机、大きな図書室。そして何より、お嬢様のそばにいられるという至福。
幸せすぎて不安になるたびに、「ルシアナ」という名を胸に抱きしめる。――私には光がある。光の名が、守ってくれる。
闇の名で、闇に生きていた私に、光をくださったのはお嬢様なのだ。
✦••┈┈┈┈••☽••┈┈┈┈••✦
「え?ルシアナって名前?当時、野良猫を拾うのにハマってて、その名前候補の一つだっただけよ」
数年後、お嬢様はこともなげにそうおっしゃった。
「ネコチャンといえば、人類の上位存在!!そのような尊き名前をこの私に!!ありがとうございます!」
「意味わかんない。えーとね、他の候補は、ミャミャーンでしょ、コロタマタマ、ポテリンニャ……」
「本当にルシアナでよかった!!運命に感謝!!」
割と危機一髪の名前だった……!
ともあれ、お嬢様は私にとってゴッドマザーでもある、かけがえのないお方……。
そして今夜は、そのお嬢様のデビュー日なのだ――!
(推しは推せる時に……)
前世の私からの遺言をしっかりと握りしめて、私はすっくと立ちあがる。
大丈夫よ、私!
推しは推すし、今度こそ人生も楽しむわ!
大好きなものに人生を捧げてみせる!
「ようやくここにきて、前世チートも存分に発揮することができそうだしね……!」
最愛の推しの「主役」がかかったデビュー衣装、全力でプロデュースいたします!!




