2✦☾メイド長の愛は重い
「あぁら、わたくし、こんな熱湯を出されるほど、嫌われているのかしら?」
白くしなやかな指で花模様のティーカップを置くと、薔薇の花びらのような唇から棘のある言葉が飛び出す。
やわらかなレースのカーテンを通し、朝の光が差し込むお嬢様のお部屋。
壁紙や調度品は、乳白色と淡い金に統一され、床は磨き上げられた大理石。
出窓の花瓶には庭園で最も美しく咲いた花が生けられ、さわやかな香りを放っていた。
朝食前にここでお茶を嗜むのが、お嬢様の日課。
そのおかげで今日も朝から、豪奢な一人掛けソファに、足を組んで悠々と座るまばゆい御姿を拝見できるのだ……!
(ああ、今日も推しのビジュがいい……!)
薄桃色の肌に映える翡翠の瞳は、いつものように艶然と我々メイドを見下しており、その額から頬にかけては──確かに目立つ痣がある。
顔の左半分、目を中心にして、薔薇色のダイヤ形を重ねた星のような印が。
しかし、それすらお嬢様の魅力を損なうことはなく、むしろ唯一無二の彩りを添えているのだ。
(星々の輝きという意味の名前にふさわしい、マーベラスでワンダフルで……キューティクルは違うかしら?ああ、自分の語彙力の無さが恨めしい。とにかく、この世で最上級の一等星……!)
このお方こそが私が一生の忠誠を誓う推し、セラヴェル環伯家の一人娘・スティラお嬢様なのだ!!
このお美しいお嬢様に対し「醜い」などという中傷が蔓延っているのは許しがたいが……それも今夜までの我慢である。
(ふふふ……、驚くがいいわ!モブ中傷者どもめ!)
内心不敵に笑いつつお嬢様に見とれていると、これみよがしに、舌先を少し出して、その細い指先でちょんとつつく。
「熱すぎるお茶のせいで、舌の先、ちょっと火傷してしまったかもしれませんわ。お茶もろくに入れられないメイドが、このセラヴェル家にいるなんて、お父様が知ったら何と言うかしら?」
なんて愛らしい仕草なのかしら……と、恍惚としかけたが、それどころではない事態に、はっと気を引き締める。
(火傷ですって!?一大事!)
お嬢様の茶の温度は、螺術を扱えるメイドが常に調整している。
今朝の担当のテトは、かわいそうなほど委縮し、お嬢様の前で頭を垂れていた。
「わ、私の失敗でございます……。も、申し訳、ご、ござ……」
「大変申し訳ございません!!!スティラお嬢様!!!」
震える声で謝罪するテトの前に、私はしゅたっと立ちはだかると、怯えている彼女を後ろに下げさせる。
「火傷の具合は!!??その可憐なお口を開けて見せてくださいませ!?」
お嬢様の顔をのぞき込むが、両手の全力で押しのけられた。
「近い!!」
それでも私は怯まない。火傷なら一刻を争うのだ。
「こちらのお薬を!カオリナ……、その、炎症をしずめる粘土です!」
前世で“カオリナイト”と呼ばれていた粘土鉱物。
水を含ませると冷たくなり、吸着性がある。火傷の応急処置に最適だ。
陶器の材料でもあり、この屋敷にも常備されている。
──そう、私は前世で鉱石学者だった。
地味すぎてチートとは言い難いが、鉱石知識だけは一応あるのだ。
「……も、もう治ったわよ!だから土を顔にくっつけようとしないで!だいたいなんでそんな物持ち歩いてるの!?」
ふてくされたように、そう叫びながらお嬢様は椅子に座りなおそうとしたが……、
(まずい!大理石の床にわずかに磨き用のロウが残ってるわ!お嬢様なら絶対に……)
案の定、お嬢様は見事に滑った!
「きゃっ──!」
瞬間、私がスライディングでお嬢様の下敷きとなり事なきを得たが……まさか椅子に座ったまま転ぶとは。テトに勝るとも劣らない天性のドジッ子!そんな残念さも愛おしいわけだが!
(お嬢様があちこちで怪我や火傷をするから、薬効になりそうな物は普段から持ち歩いているのでございます!!)
……とは、口が裂けても言えない。
「お嬢様、大丈夫でございますか!?」
背中に乗ったお嬢様は無事のようで、ほっと胸をなでおろす
「……シアナこそ、鼻血……出ていますわよ」
顔面から大理石に突っ込んだせいで、少々流血が起きたようだが、私などを案じてくださるなんて!……いま、私の背に天使がいる!
「この程度、お嬢様に乗っていただける僥倖に比べれば……、」
「いいからさっさと血を拭きなさい!この馬鹿!」
「ありがたきお言葉ありがとうございます!」
「話聞いてる!?」
お嬢様がしっかり椅子にお座りになられたのを確認すると、お嬢様の足元に這いつくばり、額を大理石にこすりつける。
「お茶も床の磨き残しも、すべてメイド長たる私の責任。申し訳ございません!」
「ちょ……、ど、奴隷のようなポーズはやめなさい!わたくしがやらせてるみたいじゃないの!」
これはジャパニーズドゲザのポーズ。
お嬢様は知る由もないだろうが、元日本人の私にとって最上級の謝罪法だ。
「いえ!何ならこのまま、この頭を踏んで──いえ、むしろ踏んでくださいませ!!」
「だから本当に何を言っているの!?あ、あなた方も見てないで、シアナをなんとかして!」
お嬢様はメイド達を振り返ったものの、……なぜか皆、遠巻きに見守るばかりだ。
「やっぱりシアナメイド長はいつ見ても、スティラお嬢様の上を行きますね……。主にヤバさで」
ソリーナの小声が後ろから聞こえてくる。
「メイド長があの我儘三昧のお嬢様を抑えてくれるのは助かるけれど、毎度ながら異様な光景ね……」
「さすが、あの若さでメイド長になるだけはありますなあ」
「お嬢様付きメイドは一年ともたずに逃げ出しますのよ。お嬢様のあの性格じゃあ……。残り続けたのがシアナメイド長なだけですわ」
副執事長や他のメイドまでが、ひそひそ言っているけれど、全部聞こえているのだわ!
「わ、わたくしは、ただお茶がちょっと熱すぎるかなって……とにかくお茶を淹れなおせばいいのよ!!」
お嬢様の悲痛な叫び声を受け、仕方なく他のメイド達に引きずられて退室する。
血で汚れた床の掃除をメイド数人に申しつけつつ、私は床を見ながらつぶやいた。
「大理石の磨き粉は、今後ロウじゃなくてトリポリ……ええと、別の粉に変えましょう。滑りにくくできるものがあるの」
トリポリ粉なら、赤土や川砂など、おそらく近辺からの採取で自作できるはず。暇を見て作っておこう。
お嬢様の安全が少しでも向上するならば!
「磨き粉どうこう以前に、床ダイブで血を撒き散らすメイド長がいるのが怖いです」
「お給金は良いのに、ここのメイドが次々辞める理由がよくわかるわ……。私も身の振り方考えよっかしら」
……メイド達が何か言っているようだけれど、気にしないことにする。
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「まったく、あのワガママお嬢のどーこが『陰気でおかわいそう』なんさ。噂なんていいかげんなもんよね」
広い屋敷の回廊をメイド達を引き連れ歩いていると、最近入ったばかりのチェスカがふんと鼻を鳴らした。彼女は地方出身で少し話し方が変わっている。
「チェスカ、恐れ多いわよ!確かにスティラお嬢様は、陰気とは程遠く、流星のごとき輝きで………」
「あー、メイド長に愚痴った私が馬鹿でした。すんませーん」
反省する様子もなく、頭の後ろで腕を組んでいる。まったく!
「お顔の痣は確かに目立ちますけれど……、お嬢様はまったく気にしてませんものね」
「私がお化粧で隠せないか試行錯誤していましたら、バカなことに時間を使わないでと、かえって叱られてしまいましたのよ!?」
ラーサが肩をすくめると、隣でリルネも不満そうに呟いた。
(そりゃあ、あの痣もお嬢様の大切な一部だもの。お嬢様はご自分の美しさをよくご存じなのだわ!最高!!)
……と、叫びたいのは我慢した。上司としての威厳というものがある。
「皆、態度をわきまえなさい。私だって頭を踏んでいただくのを我慢したのですよ?」
メイド長らしく皆を諫めたつもりが、なぜか全員が無反応……、ソリーナだけが呆れ顔で振り向き、ハンカチを渡してくれた。
「……とりあえず鼻血拭いてください」
「ありがとうソリーナ。でもそう呆れないで。わかっているわ。お嬢様に背中に乗っていただけたうえ、頭まで踏んでいただこうなんて分不相応というものね?」
「誰もそんな話していませんし、シンプルに気持ちが悪いです」
相変わらずクールな子……。
でもこれくらいじゃないとスティラお嬢様付きのメイドは務まらないというのはある。
実際に、ソリーナはお嬢様付きメイドの中では私に次ぐ古株で、他は入れ替わりが激しい。
お嬢様にふさわしいメイドなど、そういないのは仕方ないが、メイド長としては悩みの種ではある。
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「メイド長!ささ、さっきは、本当に申し訳ありませんでした!!!」
厨房に入ると、テトがそれこそ土下座をしかねない勢いで頭を下げてきた。
「大丈夫よ。お嬢様も火傷を負ってないことは確認したし、何より、最終確認を怠った私に責任があるもの」
「け、今朝から精霊の調子が良くないようで、失敗に気がつきませんでした……」
「そうだったの。精霊の様子は他の者からはわからないから、よく注意してあげてね」
螺術は、守護精霊の力を借りてコントロールするが、その姿は精霊の加護を受けている本人にしか見えないのだ。
「それに、今日使った食器は、お嬢様お気に入りの白磁のカップだったわね。あの素材は熱伝導率が……その、熱くなりやすいのよ。そのことも注意してあげればよかったわね」
「メイド長……!本当にいつも、ありがとうございます!!」
テトはさらに深く頭を下げた。ああ、なんて良い子なの。
「それに、テトのおかげで今朝も推しの罵声をいただけて、むしろこっちがテトに感謝……」
「メ、メイド長?」
「テト、無視していいですよ。メイド長の病気ですからこれは」
ソリーナが横から口をはさむ。
「何を言ってるの、私は健康よ?」
「お茶淹れなおしますねー」
手際よくお茶を淹れなおしつつ、ソリーナはキリっと私を振り向いてこう言った。
「さっさとすませましょう。今日は大切な日なのですから」
そう。今夜は、私の大切なスティラお嬢様の、待ちに待った社交界デビューの日……、つまり推しを王国中に布教する絶好のチャンスなのだ!!
……だが、私には一つ大きな懸念があった。




