28✦七年前✧「野良猫のようなメイド」(3)
上階に足を踏み入れた瞬間、私は目を見開いた。
書架の中は乱雑に崩れ、そこかしこに本が散らばっているのだ。
「……いったい、これは何としたことです」
思わず声が漏れる。まさかシアナが?……一瞬、疑念がよぎったものの、もし彼女がやったのなら、わざわざ私を呼びに来るはずもない。
唖然としている間に、シアナが突然、駆けだした。
「シアナ!? 図書室で走るなど──!」
叱責の言葉が喉まで出かかるも、あまりの惨状に続く言葉が出ない。
と、何か小さな影が、私の足もとをすり抜けた。
「な……何……?」
「アデリーナ、捕まえて!」
突然下から響いたかん高い声に驚いて吹き抜けをのぞくと、螺旋階段の下にスティラお嬢様が立っていた。
仁王立ちで、こちらを仰ぎ見ておられる。
「お嬢様!?」
思わず声を張り上げたその時、またしても何かが私の足をかすめて走り抜ける。
今度は、はっきりと見えた。これは……、
「アデリーナ様!猫です!」
「猫!?」
「そう、窓から入っちゃったのよ!」
スティラお嬢様は階段を駆け上がってこられる。
(お嬢様、走ったりしたらまた転ぶ……!)
と思った瞬間、シアナが風のように舞い降りてお嬢様の手をとり、見事なタイミングでお嬢様の転倒を防いだ。……猫並みの身体能力だ。
「もう!この階段、嫌いなのよ!」
「どうかこのシアナを、お嬢様の杖にしてください!」
「まとわりつかないで、ウザい!」
「ありがとうございます!」
二人のかみ合わない会話をよそに、野蛮な毛玉たちは、書架の間を縦横無尽に駆けまわっている。
「何がどうなっているのですか!二人ともちゃんと説明なさい!!」
思わず叫ぶ。
まさか、この私が神聖な図書室で声を荒げる日がこようとは、思いもしなかった。
✦••┈┈┈┈••☽••┈┈┈┈••✦
騒ぎの元凶は、三匹もの猫だった。虫か何かを追って飛び込んだらしい。
すべてシアナが捕らえ、窓の外へと逃がしたあと、ようやく静けさが戻る。
「猫が、窓から図書室に入ってゆくのが見えたので、追いかけました」
「窓からですか!?」
表情を変えずに説明するシアナに、思わず強い口調で問いかける。
「私は窓からしか入れません」
「シアナ。図書室には窓からも、入るべきではありません。私に報告すべきでした」
「……すみません」
「謝る時は『申し訳ございません』と言うのです」
「申し訳ございません」
唇だけを動かして、シアナは私を見つめている。
「前から、猫がたまに入り込んで荒らしてたみたいなの。シアナから聞いてはいたけれど、あんな高い窓から入れるなんて思わなかったわ」
お嬢様は壁際に備え付けられたソファに腰を下ろし、足を組まれた。
「前から……?」
天気の良い朝は私が図書室の鍵を開けて窓を開け、夕刻にはセズネイ様が窓を閉めている。
私とセズネイ様のどちらも……気が付いていなかった。
「そりゃ、シアナも入り込んで、すぐに本を元に戻していたからよ。……シアナってば、私だけに報告するものだから」
そう言われて、シアナは突然お嬢様の前に這いつくばった。
これは、たまにシアナがとるポーズだ。おそらくは浮浪児時代についた痛々しい癖なのだろう。
「シアナは……、お嬢様以外に、どう話せばいいか、わからないです」
まったく。本当にお嬢様だけに懐いている野良猫のようだ。
「ともあれ、先ほども言いましたが、メイドは図書室への立ち入りは禁止なのです。出ていきなさい」
それには返答せず、シアナはじっとうつぶせたままだ。
「アデリーナ!じゃあ、この惨状をどうするのよ。わたくしとあなたで片づけるの?わたくしはごめんよ」
スティラお嬢様がざっと両手を広げた。
確かに……。
猫三匹が暴れまわった図書室は、ひどい有様だった。
特に四階は、相当数の本が床に落ちてしまっている。
「私、元に戻します」
「シアナ!勝手にいじるんじゃありません。ちゃんと場所が決まって……」
「覚えています」
その一言に、私は思わず言葉を止めた。
シアナは立ち上がると落ちた本を拾い上げ、丁寧に折れを直して棚に戻していく。
その手つきには、迷いがない。まるで本の配置をすべて記憶しているかのようだ。
「……シアナ、あなたは」
「申し訳ありません」
シアナはしばらく黙って本を片付けていたが、ぽつりぽつりと話し始める。
「私はこの世界での教育をまともに受けていませんが、アデリーナ様に教わり、ようやっと本を読めるようになりました。そうすると……読む手が止まらなくて」
「この世界での教育……?」
妙な言い回しだが、そんなことよりも気になることがあった。
私は確かに、シアナに読み書きを教えている。……が、ここにあるような本を読み解けるまでは程遠いはずだ。
しかし、シアナの口ぶりは、まるでここの本を読んでいたかのよう……。
私は、モノクルをかけなおし、シアナを見つめる。
「……シアナ、今手にとっている本を読んでみなさい」
書架に戻すためにシアナが持っていた本は、治水に関する専門書だった。
少し読み書きを習ったくらいで読めるような内容ではない。
実際、シアナは多くの単語で躓き、読み飛ばしながらの朗読となった。
私は最初のページでシアナを止める。
「では、今読んだ内容を、自分の言葉でいいので要約……、簡単にまとめなさい」
「この大地は雨が多くはありません。だから、人びとは昔から水の使い方を工夫してきました。大切なのは雨が降る時期と降らない時期をちゃんと知っておくこと。水は多すぎても少なすぎても困るので、多すぎるときには貯め、あるいは溢れないように流し、少ないときには貯めた水をいかに分けあうかを考えることが大事です。この本ではまず……」
「もうけっこう」
シアナは本を閉じた。
「あなたは、今多くの単語を読めませんでしたね?」
「……はい」
「では、どうやって内容を理解したのですか?」
「前後のつながりから考えたのと、雨や川について自分の知っていることから……」
私はじっと考え込んだ。
「……シアナ。本は、書いてあることを正しく読み取ることがまず大切です。推察や経験で、勝手に補ってはいけません」
「申し訳ございません」
私は大きく息を吐くと、最上階の窓を眺める。
「図書室の窓にはすべて鉄格子をつけます。猫もメイドも入れないように」
「……はい……」
「そして、セラヴェル伯に許可をとります。図書室の鍵を日中は開けるように」
頬杖をついてつまらなさそうにしていたスティラお嬢様が、にやりと笑った。
「扉の鍵が開いていても猫は入れないけど、……メイドは入れるわね」
シアナがぱっと顔を上げる。
「私は円環に選ばれた者として、知を正しく使えそうな者には、分け与える責任があると考えます。……シアナ、あなたに図書室で本を読む許可を与えます」
「アデリーナ様!!」
シアナは、私の足元にも這いつくばった。
「他人の足元に這う必要はありません。そういう時はお辞儀もしくは跪くのです」
しかし、シアナはいっそう額を地面に擦り付けただけだった。
やれやれ。猫とメイドが窓から出入りしていたのに、私もセズネイ様もまったく気がつけなかったとは……知を預かる者として情けない限り。
セラヴェル伯にもご報告さしあげなければならない。
――しかし、怪我の功名かもしれない。
(シアナ……この子には、知を扱う力がある)
自らの学力を遥かに超えた書物でも、読めぬ字を推測で補い、経験と結びつけて意味をつかむ。それは理解しようとする意志そのものだ。
何より、壁をよじのぼる程の強い探求心と知的好奇心──!
「まあ……、今後は壁登りは許しませんが。危険すぎます」
いつになく頬を紅潮させ、的確に本を書架に戻していくシアナを見つめる。
(円環に選ばれずとも、導けば芽吹く者がいる。ならば、導くことも選ばれし我らの責務かもしれない──)
書架を整え終えるころには、私の中にもそのような決意が芽生えていた。
「まったく、猫の後始末は大変ね。アデリーナの言うこともわからないではないわ。次はちょっとくらいは考えて猫を拾うわ」
(拾うことをやめる気はないのですね……)
ほぼソファに座っていただけのくせにぶつくさ言うお嬢様に内心苦笑しつつ、……ふと、後ろを歩くシアナを振り向いた。
「シアナ。この屋敷にいて、幸せですか?」
一瞬、驚いたような表情をしたものの、シアナは次の瞬間に即答した。
「はい!とても!」
──それは私が初めて見た、シアナの満面の笑顔だった。
✦••┈┈┈┈••☽••┈┈┈┈••✦
あれから七年。
メイド長となったシアナは今、物置小屋にメイド達を集めて何か新しいことを始めようとしている。
「そう、テトが全力の火螺術で板ガラスを溶かして、固まりを作るのよ。元が厚い物はそのまま切るから除いてね」
「は、はい!」
「メイド長、テトの全力だと小屋ごと燃え尽きますわ!」
「本当だわ!テト待って!!と、溶かすのはやめましょう」
すっかり明るく表情豊かになり、むしろ笑っていない時の方が珍しくなった。
「シアナ!?どうしてドレスの準備で、小屋から煙が出るの!?」
「お嬢様!!申し訳ありません!危ないのであちらに……」
「足元に這わないでってば!!邪魔!!」
……這いつくばる癖だけは、どうしても抜けなかったが。
野良猫同様だった頃からは想像もできないほど成長し、メイド達にもよく気を配っている。
──お嬢様のこととなると少々騒がしいのは玉に瑕だが……、今やセラヴェル家に欠かせない人材となった。
それだけに……。
「……どうして、お嬢様の螺力のことを知っていたのか……」
先日の様子では、まだお嬢様の秘密については、知り得ていないようだった。
しかし、万が一シアナ持前の好奇心が、セラヴェル家の禁忌へと向かってしまったなら、その時は……。
私はふっとため息をつく。
そうならないように、諭し導くのもまた、私の役目だ。
すべてはスティラお嬢様、セラヴェル家のために──。




