第88話 どうしようもない私に優しい君が舞い降りた
「……で、二次元キャラに婚約を誓ったオタクが生まれたって訳よ」
そして、実に平坦な口調でかなたは身の上話を終えた。外はすっかり暗くなっていて、かなたは部屋の明かりをつける。
こうして昔の自分のことを曝け出したのは初めてのことだった。
かなたは、語っていくにつれて感極まって泣いてしまうのではと思った。
過去の苦しみと向き合って、胸が張り裂けるような、悲しくて辛い気持ちになるのではと不安だった。
だが、何の感情の起伏もなく語り終えてしまい、自分でも拍子抜けしてしまう。
さんざん泣いて涙が枯れたからか、感極まることもない。
その理由は――
「……ていうか、君、泣きすぎ」
「だって、だって、だってっ……!」
目の前で倫太郎がワンワンと大声で泣いているのを見て、妙に冷静になってしまったからだ。そう、かなたは思った。
「そんな、そんな、悲しいっ、う、ううぅっ……!」
「もう、ティッシュこれで何箱目よ。ティッシュ代だって馬鹿にならんのよ? ウチの家の財形圧迫させんといてくれる?」
かなたは軽快に笑いながらティッシュを渡すが、倫太郎はいつまでたっても涙が止まらない。誰よりも大きい倫太郎の体が、かなたの過去を知り悲しみに明け暮れるように震わせている。
「体でけえからやっぱり涙も随分と大量に流すもんだなぁ」
「鈴木さんが、そんな、両親にっ……ひどいこと、されて、されてっ……! 俺、許せない、ですっ……! 鈴木さんはこんなに、こんなに凄い人なのにっ……! なんで、なんでそんな見捨てるようなことができるんですかぁっ……!」
「あはは。まあ人の家庭はそれぞれだからねえ」
「そんな、そんな言葉で丸めて良いわけないじゃないですかっ!」
倫太郎が泣き腫らした顔で、思わずかなたに詰め寄る。
きょとんとするかなたの顔を見て、倫太郎は自分がかなたに向かって叫んでしまった事の後悔と、顔と顔が近づいてしまった羞恥で、トコトコと後ずさりして顔をうつむかせた。
「ご、ごめんなさい……!」
「まあ別にいいけどさ」
自分のためによくもまあここまで泣けるものだ、と腕を組みながらかなたは倫太郎を見る。
こんなどうしようもない、いつまでたっても親の愛を欲してしまう、情けない自分のことなんか一笑に付して構わないのに。
「俺、これまで、友達なんて、いなくて……ずっとひとりぼっちだったを……鈴木さんは、救ってくれて……本当に俺の人生の、恩人でっ……!」
「いやぁ、こんだけ友達が出来たのも君自身のおかげじゃない? 私はただ背中を押しただけだし」
「そんなこと言わないでくださいっ……! 鈴木さんは俺の恩人であることには変わりないんですからっ……! ううぅっ……」
「いつまで泣くねん、もー。そろそろ泣き止まんね」
身の上話を語っている間、かなたは泣くことができなかった。
代わりに、話の合間合間に、とっさに無意識のうちに、自虐的なギャグを入れて自分で笑っていた。
『んで、プール教室に通っても結局50メートル泳ぎ切れなくて、母親に強制的に辞めさせられたんだよな。何年間プール教室に居たの、どんだけやる気がないのって。ここまでくるともう可能性としては私がガチでやる気がなかったか、あるいは前世が入水自殺した女子かの二択なんよ』
『妹と一緒に両親が北海道行った時は三泊四日だから、四連休ずっと家に一人でいてさ。お菓子食べ放題だったけども、これ仮に私が飴でも飲んで喉詰まらせたら一人で寂しくご臨終じゃん。んで旅行から帰って来た三人が玄関を開けるとそこには死後3日たった私がお出迎えすることになるんだよな。バッドエンドのホームアローン?』
『親から追い出されてこのマンションに住んでんだけどさ、たまにすげえ綺麗なお姉さんが隣の部屋にやって来たかと思ったら一時間もしないで出て行ったんだよね。逢引きにしちゃあ短いなと思ったけど冷静に考えたらあれデリヘルなんだよね。私なんちゅうマンションに住んでんだよ。こうなったら私も寂しい時はデリヘル呼ぶしかないじゃん。お姉さんによしよしされて日々の疲れを取りたいなぁ。これ年の差百合ってことで一本短編漫画描けそうじゃね?』
それは逆に言えば、笑ってさえいなければ、過去の苦しみに耐えられなかったからだ。
ただ耐えられているだけで、折り合いをつけることはいまだにできない。笑っているだけで、抗ったり現状を打破するような働きかけなんてできていない。
辛く苦しい人生の悲しみから、かなたは自虐的で不謹慎な笑いに逃げているだけ。
「ぐすっ、う、ううぅっ……!」
だからだろうか。
そんな自分の苦しみを真正面から受け取って、本当に馬鹿正直なまでに感情移入して泣いている倫太郎を見ていると、かなたは不思議な気持ちになる。
(……私の代わりに泣いてくれてんのかな)
倫太郎は鼻水が止まらず、何度も鼻をかんでは鼻まで赤くなっていた。
(大きな体には不釣り合いなくらいに、どこまで子どもっぽくて、純粋で、まっすぐな人間なんだ、彼は)
そんな倫太郎とこれまでたくさん会話を重ねてきて、楽しいこと、悲しいことを共有してきた。
何でもないオタクの話で笑いあって、真剣な顔で向き合って、笑顔も泣き顔も見せ合った。
(本当に、いい人で、優しくて……私は……)
そうしていつしか、倫太郎に向ける感情に、他の友達にはない緊張感が、芽生えていた。
思えば、コスプレ喫茶を守ってきてくれた時からそうだった。一緒に帰り路を歩いたり、学校で秘密の隠れ場所を共有したり、カラオケで悩んでいた自分のために雷華を呼んでくれたり、ライブのトラブルで誰よりも一番に助けてくれたり。
そして、バスケの試合で、決死の力を振り絞って戦う姿を見たときからだった。
あの時から、倫太郎と目と目を合わせるだけでドキッとして、胸がふわっと動いた。
それを悟られるのが本当に恥ずかしかったから、努めて普段通りに軽口をたたいてはごまかしていた。
(……ずっとずっと、隠そうとしてた、この、想い……)
でも、テスト前の自分を応援してくれて、肩を並べて頑張ってくれて、そして逃避行をする自分を追いかけてきてくれて、そうして今の自分の重苦しい話に逃げることなく真正面から受け止めて、泣いてくれている倫太郎を見て、もうかなたは自分を騙すが出来なくなっていた。
(……私は、ずっと、ずっと……前から、釘矢君の、ことが……)
『あんたって本当に可愛くないわね』
(ぅ……)
母親の言葉がまるで呪いのように、かなたの心をむしばんでいく。
倫太郎に向ける感情を、肯定できない。
こんなかわいくない自分が、恋、だなんて、芽生えて良いわけがない。親にも愛されないような自分が。
「……す、鈴木さんが、お、怒る、かも……しれない、ですけど……! これだけははっきりと、言わせてください……!」
倫太郎はぎゅっと拳を握って、泣き腫らした顔を向け、武骨で不器用な表情でかなたを見つめていた。
「俺は……鈴木さんが、世界で一番、可愛いと思います! 世界中の誰よりも、最高に可愛くて、可憐で、愛くるしくて……! ほんとうに、可愛いんです!」
「あはは。じゃああれか、君は星映こころよりも可愛いっていうのかい?」
かなたの妹は、星映こころだ。
そのことを、身の上話で倫太郎に伝えることはなかった。星映、という苗字は芸名で、芸能界デビューを果たす前に母親がそう名付けたもの。
幻想的な雰囲気を出すためかもしれないが、きっと一番は、自分みたいな不出来な姉がいることを少しでも隠したかったからだと、かなたは今にして思う。
きっと、誰も信じないだろうと思っていた。自分があの、日本中の誰からも愛されて、一番星に輝く奇跡のアイドルの姉であるだなんて。
「はい」
「はは、ああ、そうかい」
「あの、鈴木さんが、話されていた妹って……星映こころですか?」
「………………………へぁあ?!」
真剣な顔で倫太郎がそう言うものだから、かなたは突拍子もない声を出してしまった。
「な、な、何を、言って……!?」
「あの、なんか、雰囲気がすごく、鈴木さんと似ているなって、思って……。顔立ちも、すごい似ていて……特に鼻の形とか、本当にそっくりだなって……。あ、でも、もちろん鈴木さんの方が可愛いのは事実なんですけれど……」
「っ……! い、いいから、いいから!! それ以上しゃべらないでっ!」
思わず倫太郎の肩をバシバシとたたいてしまった。
恥ずかしくて。
そして、嬉しくて。
(なんで、なんで、なんで君はそういつもっ……! 私が言われたかった言葉を、そう恥ずかし気もなく言うのさっ……!)
誰でもいいから、言ってほしかった。
君は妹よりも可愛いと。
親ですら言ってくれなかった言葉を。
ずっとずっと、妹の存在がコンプレックスだった。週刊誌の記者に「ブス」と言われてもそれを否定できない自分の顔が、すべてが、嫌だった。
可愛くないと言われ続け、こんなだらしのない言葉遣いで女の子らしくなくて、二次元の美少女キャラに救いを求めるような自分でも、なりたかった。
妹よりも、可愛い子に。
だから高校生のバイト先に、コスプレ喫茶を選んだのも、誰かが言ってくれると期待していたからだ。
可愛い衣装さえしていれば、君はあの星映こころちゃんに似ているけど、こころよりもずっとずっと可愛いねって、言ってくれるって。
わざとらしく”はぁと”だなんて名前にして、誰か気づいてくれるかなって思っていた。
でも、誰からもそんなこと言われることはなかった。メイド服の自分を見て”可愛い”だとか言う人はいたけれど、それは女子高生がコスプレをしているのが可愛いのであって、自分ではないと思っていたから。
隣にメイド服を着た星映こころがいたら、誰もがこころの方を指さして”可愛い!”って言うに決まっている。
「いてて……」
かなたの力弱いパンチに、倫太郎は苦笑いしながら抵抗する。
(でも、彼が言ってくれる”可愛い”っていう言葉が、私はむず痒くて……)
そして、星映こころよりも可愛いと、嘘のない瞳で言ってくれる。
可愛い。可愛い。可愛い。
倫太郎が真剣な顔で言うたびに、体が縮こまって、震えてくる。
嬉しくて、気持ちが良くて、どうにかなってしまいそうになる。
(ああ、私は……私は、ずっとずっと、前から……)
雫と三人で一緒にアダルトショップに行った日の帰り道に。倫太郎が初めて『可愛い』と言ってくれた日から。
(私は……釘矢君の、ことが……好きだったんだ……)
「このっ」
大きく振りかぶって、かなたは手のひらで倫太郎の硬い背中を叩いた。
「このっ! このっ! このぉっ! 可愛いって言うなっていってるだろうがぁ! もうっ! もうっ! もうぅっ!!」
照れ隠しのように、かなたは力強く、倫太郎の筋肉で覆われた背中に何度も手を振り下ろす。
倫太郎は痛がる素振りを見せず、甘んじてかなたのパンチを受け止めていた。
「ぐぅ……ううぅっ……!」
どこまで優しいんだよ、君は。かなたはもう感情の行き場所が分からなくなっていた。
喉から出そうになる。
私のことをここまで思っていてくれてありがとう。本当に嬉しい。救われた気持ちになった。
好きだよ。
君のことが。
(そんなの、言え、ないっ……)
かなたは、それを口に出す勇気がなかった。
反論を許さない愛以外を、信じることができなかったから。
スマホの画面にいるやんやは、どんな時でも、都合よく、自分を愛してくれる。
でも、目の前にいる倫太郎は、別だ。
倫太郎は1人の人間で、時として笑って、怒って、悲しんで、恨んだりするだろう。
その、人間ならだれもが持っている負の感情を、いつしか自分に向けられてしまうのではないかと思うと、不安で胸が張り裂けそうになる。
絶対的に自分のことを未来永劫永久不滅に愛を貫いてくれると、信じることができない。
(いやむしろ……そんな全肯定botみたいなことを強いるのが、彼に、申し訳ないんだ……)
どんなときでも、何があっても、私が何を言おうとも言わなくても、すべてそのまま私を愛して。
そんな我がままを他人に強いる自分が、嫌だ。
「……君はさ」
次第に手に力が入らなくなって、かなたは両手を床に付き、倫太郎の前でうなだれる。
「……本当になんで、私のことを、そこまで……助けてくれるのさ。たかが、友達の一人なのに」
そうでなかったら、ここまで苦しい思いをすることなんてなかったのに。そんな恨み節を、倫太郎に向ける。
「それは……」
かなたの問いに、倫太郎は息を飲む。
伝えて良いのだろうか、自分の、本当の想いを。
好きだという、想いを。
倫太郎は迷う。しかし、かなたの問いに対して、誤魔化すことはできない。
大好きな、大切な人だからこそ、その人の前では誠実でありたい。
それがたとえ、陰気で臆病で情けない自分の、恋心だとしても。
「……その、俺は、鈴木さんのことが……」
心臓がうるさい。鼓動が鼓膜を震わせているかのよう。
「好き、だから、です。友達として、ではなく……その、れ、恋愛、感情、と、して」
倫太郎は、告白した。
頬が燃えるように熱い。喉が渇き、顎が震えてしまう。
情けなく縮みこむ体を無理矢理まっすぐにして、少しでも胸を張ろうと、肩ひじを広げる。
「……」
かなたは、何も言わないで、うつむいたまま、じっとしていた。
(っ……だめだ、今、顔、上げると……私の、ニヤけた、顔が……彼に、バレる……)
本当は、飛び跳ねるくらいうれしかった。同じ想いを持っていたことに、心の底から叫びたくなるくらいに。
両思いだ。倫太郎は自分のことが好きで、自分も倫太郎のことが好き。
これでハッピーエンドだ。
辛く悲しいこれまでの過去の自分とはおさらばだ。
……と、簡単に切り替えるようなことが、かなたにはできなかった。
相思相愛だからこそ、その関係性が崩れてしまうのではないかと不安になる。
これほどまでに自分を愛してくれていて、そして自分も同じくらい愛している人に、今後の人生で出会える気がしない。
だから、失うのが怖い。
二次元の世界のキャラクターと愛し合うほうがずっとずっと確実で、ゆるぎない。
でも、それ以上に倫太郎が自分に向けてくれる感情の強さを、かなたは肌で実感していた。
はっきりと、胸を張って、堂々と恋を、愛を、伝えてくれる。
(……そんな人の愛情を、信じられない自分が、嫌だ……)
「……あのさ、釘矢君。私って、もうどうしようもないくらいに自己肯定感がカスで、リアル世界の愛情だなんて全然信用できない、なっさけない女なんだよ。わかるだろ?」
「……」
「だから、さ……、何て言うかさ、そう、君から思われてるってところに……可愛いって、言ってくれることに、まあ、なんというか、こう、素直に受け取れないわけなんだ」
せっかくの、倫太郎からの勇気を出しての告白を、素直ではないからという理由で断ろうと、してしまう。
そんな自分勝手すぎる自分に振り回される倫太郎のことが、申し訳なくて仕方がない。
「その、さ……君の気持ちは、十分に伝わった……でも、それに、私は、否定も、肯定もできない。卑怯な女だろ、私」
倫太郎は多感な男子高校生だ。好きな女の子としたいことといったら、きっと一つしかない。
倫太郎になら、この貧相な体を好きに使っても構わない。
胸を揉みしだいても、体中を嬲られても、挿入されても、別に構わない。
愛を愛で返せないのなら、体で返すしかないと、かなたは本気で思っていた。
「だから、私の、なんでも権を、君に譲るから。だから、こんな卑怯な私のこと、好きに使ってくれていいよ」
かなたは両手を広げた。何をされても抵抗しない。君が思うようにして構わない。
「私が嫌がること、なんでもしてあげる」
そう、宣言するかのように。
「……鈴木さん」
倫太郎の瞳孔が開く。そして、顔を近づかせ、にじり寄っていく。
(うん、そうそう。近づいて、そして、押し倒していいよ。エロ同人みたいにさ。私もああいうエロ展開ってされる側の立場って興味あったからさ。ちょっと汚いけど、舐めたらどんな味するのかとか、首絞められながらのって本当に気持ちいのかってさ……。ねえ、釘矢君。私のこと、■してよ。こんな、人様の告白を答えられない、悪女の私を)
「……俺」
かなたは迫りくる倫太郎に、思わず目を閉じてしまう。怖い、怖い、体を曝け出すのが、怖い。
でも、これは罰なんだ。
愛に愛を返せない自分に相応しい、罰なんだ。
「ずっと、気になっていたんです。どうしてそこまで鈴木さんの自己肯定感が、低いのかって」
倫太郎は、かなたの肌に触れることも、そして、欲望に塗れた視線をかなたの体に向けることなく、かなたの正面に座っていた。
「……?」
思っていた展開と何か違っているようで、かなたは困惑する。
「それは、きっと……親の、影響、だと、思うんです。だから、俺……その、なんでも権を、使って……鈴木さんが、嫌がっていたことを、します」
息を吸って、吐いて、倫太郎は、凛々しい顔で宣言するのだった。
「かなたさんに、俺、何度でも何度でも、可愛いって言い続けます。俺の可愛いって言う言葉を受け止めてくれるまで、本当に自分が可愛くて仕方がない存在だって、自分自身を愛せるようになるまで、ずっと、ずっと」
「……な、なに、それ」
かなたは、理解ができなかった。
せっかく、自分の体を好きにしていいって、■■■してもいいって、言ってるのに。その性欲を、すべてぶつけてもいいって言ってるのに。
どうして、私を救おうとしてくれるの。
「そうして、お、俺の告白を、鈴木さんが……真正面から、受け止めてくれたら、もう、俺は、それで、いいです」
なんで、なんで、なんで。
どうして、そこまで君は、そんなにも、優しいの。
「……あはは。じゃあ、なんだ、あれか、君は。私を、こ、こ……攻略でもしようって言っているのかい」
「はい」
肩を引いて姿勢を正し、倫太郎は首肯する。
「告白の答えを、もらえるまで。俺の愛が、鈴木さんに信じてもらえるまで。俺は、想いを、伝え続けます。あきらめないですから、俺」
「……あ、あはは。お、面白いことを言うねえ、君」
かなたは目を開けて、笑った。
予想以上だ。ここまで、私のことを気に掛けるだなんて。
面白くて、可笑しくて、枯れたはずの涙が出てきそうになる。
「はー……ふ、ふふ。一応言っておくけど、私、こう見えて攻略難易度は高いぞ? 自己肯定感がカスの女に付き合わされて、精魂尽き果てても知らないぞ?」
「……望む、ところ、です。必ず、分からせて、やります、から」
倫太郎は、凛々しく清らかな顔で、仰々しく答えた。
(ああ、もう、本当に、君は……)
かなたは、希う。
どうか、倫太郎がいつまでも自分のことを愛してくれていますように。
そして、倫太郎の愛の告白に、笑顔で「私もだよ、ばかやろー!」って、答えられる日が、来ますように。
◇◇
「で? 好きな女の子と手をつないでみたらどうだい?」
夜になって、かなたは倫太郎を駅まで送る。その道すがら、かなたは冗談めかしく、倫太郎の手を握った。
「えぁ」
握られた倫太郎はと言うと、さっきまでカッコいい顔をしていたのがまるで嘘みたいに、汗をだらだらと流して顔を真っ赤にしてしまっている。
かなたが握る手はとても小さくて、強く握ったら脆く壊れてしまいそうで、そして、温い。そのぬくもりが、愛おしい。
倫太郎は手汗がびっしょりになってしまい、眼をきょろきょろとさせながらどもってしまっている。
「ほれほれ、可愛いって言ってみてごらんよ、ん?」
「あ、は、はひっ、か、かわ、かわ、いぃ、ぃっ……」
「あっはは! すっげえしどろもどろじゃん! ほれほれ、こんなんで慌ててこの先大丈夫か―?」
かなたは大きな倫太郎の手に指を滑らせ、恋人つなぎにしてみた。
「はあうぅっ……」
それだけで倫太郎は全身に電流が走ったみたいに反応するから、かなたは面白くなってしまう。
「ふふ、あれだな。これから君が私に可愛い、可愛いって言うたびに、手を握ったら私は完封できるわけだな。こりゃいい反撃の方法を知ってしまったなぁ」
「なっ……慣れます! 慣れてみせます!」
「ほんとう? 大丈夫? いけそう?」
かなたは上目遣いで、倫太郎を見つめた。
目を大きく開いて、ちょっぴり媚びた表情を見せるだけで、倫太郎は耳まで真っ赤にして顔をそむけてしまう。
「そ、その表情……ひ、卑怯すぎます……可愛すぎて、直視、できないです……」
「なんだよ、さっきまであんなに私のことを可愛い可愛いって言ってたくせにー」
「それはっ……そうなんですけど……ううぅ」
「まったく、先が思いやられるなー」
かなたはぶんぶんと握る手を振る。それに倫太郎の大きな体がつられる。
「はー……しかしあれだな、明日の学校、バチクソに怒られるんだろうなー……」
「そ、そう、ですね……」
「停学になったら最悪だな、マジで。これ以上校則違反できないから、もうプレハブ小屋の屋上には上がれねえなー」
「……はい」
「雫にもさっきLANEで返事を返したんだけどさ、まあ私がしばらく既読無視してしまったもんだから、もう炎上してしまっておるよ。明日どんな顔で雫に会えばいいことやら」
「つ、常鞘君も、心配、していましたよ」
「常鞘が? うっそだー」
「いや、ほんと、です。鈴木さんの家を出るタイミングで、常鞘君からLANEが来て……大丈夫だった? 鈴木さん、無事でいた? って……」
「それ原文ママで言ってみてよ」
「……『見つけたら一発ぶん殴っとけ』」
「君それをよう良い様に解釈したな? まー、迷惑かけたのはそれはそうなんだけどさー」
担任にも頭下げなきゃな―、とため息交じりに呟きながら、こつんと頭を倫太郎の腕にくっつけた。
「ひょあっ」
突然かなたが顔を密着させてきて、倫太郎は再びきょどってしまう。
「じゃ、釘矢君やい。私の頭、ポンっと叩いてよ。さっきまで君のことぼこぼこにしちゃったし、その仕返しも兼ねて良いからさ」
「いや、鈴木さんのパンチ全然痛くなかったですけど……」
「いーから。なんか、ほら、暴力ってダメじゃん? だから、ほら、ほら。殴って殴ってー」
「と、倒錯している……」
まるで自分の腕に染みついた汗の匂いを嗅ごうとするくらいに迫っているかなたの顔を、倫太郎はもちろん殴れない。
それでも子どものようにねだるものだから、倫太郎は恐る恐る、かなたの頭のてっぺんを、ポン、とたたいた。
「は、はい、はい! これで、終わり! ど、どうですか、いいですよねっ!?」
「なんか、叩かれたっつーより、頭ポンポンされたみてーだな」
かなたは叩かれた頭の箇所を手で撫でまわした。
「し、仕方ないじゃないですか! す、好きな人に、な、殴れないですって!」
「それで頭ポンポンかー。いやぁ、君もヤるねぇ」
「なんですか、なんなんですかー、もう! 恥ずかしいから揶揄うのやめてください!」
そんな悲痛の叫びをかなたは笑いながら、倫太郎に気づかれないように、赤くなった耳を髪の毛で隠す。
夜の冷たい風が、火照った二人の顔を優しくなでた。
「じゃ、ここで、今日はお別れだな」
駅に着き、改札前でかなたは手を離す。
「しっかし、よう汗かいてんなー、おい」
かなたは自分の手汗を全部倫太郎のせいにした。
「す、すいません……そ、それじゃあ、あの、ま……また、明日、です。鈴木、さん」
「あ、ちょっとまって」
「……え?」
「そういえばさ、君、いつまで私のこと苗字呼びすんの?」
「え、あ、そ、それ、は」
「愛する女の子のことは下の名前で呼ばなきゃなぁ、ねえ?」
「うっ……!」
言われて、倫太郎は怯んでしまう。
かなた、かなた、かなた。
下の名前を頭の中で呼ぶたびに、頭が茹で上がってしまう。
「は、は、はひぃ……」
「あっはは! なんじゃいその顔!」
「……かなた、さん」
倫太郎は吐息交じりに、かなたを見下ろしながら、切なさげにつぶやいた。
「うひゃぁああ! ご、ごめんなさいはずかしいですっ……!」
我慢できずに顔をそむいて蹲る倫太郎を見て、かなたは高笑いした。
かなたが愛する人に下の名前で呼ばれて赤面していることに、倫太郎は気が付かない。
倫太郎に勘付かれないように、かなたはパッと倫太郎から離れた。
「じゃあね、また、明日!」
そう笑顔で返され、倫太郎もまた自然と笑顔がこぼれる。
そうだ、その笑顔だ。
その笑顔に、これまでずっと、救われてきたんだ。
世界一可愛い、その笑顔に。
「はい……! また、明日……!」
改札に入って、エレベーターに乗って見えなくなるまで、ずっとずっと、倫太郎はかなたに手を振っていた。
倫太郎がどんどん、遠くに行って、消えてしまう。
その最中。
倫太郎に聞こえない声で、かなたは、愛おし気に、熱を込めた声で、囁くのだった。
「またね、倫太郎」




