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第87話 反論を許さない愛

「私の子どもなのですが、3歳2ヶ月になっても2語分以上の言葉が出ないんです。知能が遅れているんでしょうか。何か私たちの育て方が間違っていたんでしょうか。個人差がある? そんなの関係ありません。外的要因であれば、日本全国から栄養のある食材を取り寄せていますし、著名なデザイナーが手かげた知育玩具も常にこの子のそばにあるようにしてしています。内的要因であるならば、心配はいりません。私たちの子なのですから」


 かなたが覚えている1番幼い頃の記憶は、ツンとアルコール臭がする病院の診察室で、医者に必死に問いかけ続ける母親の姿だった。

 医者が何度も落ち着かせようとするが、母親は「お願いですから私の訴えを聞いてください」と言って全く引き下がらない。

 その母親の様子を、かなたは指を咥えながらじっと見つめていた。


 早くママとおままごとしたいなぁ、と思って、かなたはじっとしていることに我慢できずに母親に催促する。


「あ、そぼ」


 遊ぼう、と声をねだったかなたを見下ろす母親の顔は、ひどく疲れていた。

 

 ◇

 

「……やっぱり、ちゃんと検査した方がいいんじゃないか」


 家の広いリビングでかなたは積み木で遊んでいる。それもすぐに飽きて、絵本を読もうとするが一ページめくっただけで飽きてそのまま寝転んだ。


 そのかなたの様子を見ながら、夫の提案に母親は重くため息をつく。


「なんで、こうなったんだろう……。私、26で産んだのよ? まだまだこれからだって言うのに、色々諦めたのに……。高齢出産だったら”こういう”リスクがあるってわかったから産んだのに。それに、早生まれでしょ? 私のサークルで同学年でまだ2歳4か月の子がいるんだけど、もう片手でドレミファソ弾けるのよ。ピアノ教室経営してるから常に家にピアノの音を聞いてるからだと思うけど……寝る時にももっと教育にいい曲を聞かせるべきかしら」


「だから”そういう”リスクがあるから検査をしろって言ってるんだよ、お前の愚痴を聞いている意味はないんだよ」


「そう医者に言ったのに検査させてくれなかったのよ! 個人差がありますから……って、そういうことじゃないのよ! 私とあなたの子よ!? なんでほかの子より出遅れてるのよ! やっぱりあの医者はおかしい!」


「怒鳴るな。とにかく、習い事をさせろ。毎日の英会話の勉強も怠るなよ」


「そんなこと言ってあなたちっとも育児に協力しないじゃない!」


「俺には仕事があるんだ、お前はいつも家にいるからいいだろ」


「私があの子と四六時中一緒に居なきゃいけない苦しみがあなたにわかるの!?」


「うるさいなぁ、仕事から帰ってきたときくらいゆっくり酒飲ませろよ」


「そういってお酒ばっかり飲んで! ああ、もうっ……! なんでこう、うまくいかないのよ……」


 両親の喧嘩を見ながら、かなたはソファの布を舐めていた。

 

「汚いことをしないの!」


 瞬間、母親が突進するようにやってきて、無理矢理ソファから引きはがされた。そのあまりの勢いにかなたはぐずる。


「だーかーらぁ! そんな程度で泣かないの! なんでそんな我慢強くないのよ! 声がうるさい、うるさい、うるさいぃっ……!」


 父親はグラスを片手にいつの間にか私室へと戻って行った。リビングでは泣きわめくかなたの声と、うずくまって呻き声を上げる母親の声だけが響いていた。


 ◇


「あの、五歳児にもなって『水が怖い』『冷たいのが嫌』って言っているんですけど、おかしいですよね、先生。普通ならこれくらいの年の子なら泳げるじゃないですか、ほら、今泳いでる子だって、そう。これって何がおかしいんだと思いますか? 個人差がある……ってもう聞き飽きました。普通の子なら泳げるはずです。先生、これからの授業ではあの子がいくら泣いても無視して泳がせてください。無理やりプールに入れさせてください。そうでもしないとあの子は、やらないんですよ」


 プールの習い事でも、かなたは母親から呆れられていた。


「そろばんが目の前にあるのに、あの子はいつまでたっても指で数えてるんです。そんなのあり得ません。あの、マウントではないんですけれど、主人は京都大学の大学院を修了しているんです。それも理系です。もこの年の頃には珠算6級に合格したと言っているんです。その夫の頭脳を受け継いでいるなら、なんであんなにもたもたしているんですか。いえ、先生の教えを疑っているわけではありません。もっとあの子に厳しく指導してほしいと言っているんです。ほめて伸ばすだなんて、甘ったれた言葉はやめてください。大人の社会で通用しない戯言を遣う意味がありませんから」


 そろばん教室でも、かなたは母親から呆れられていた。


 絵画教室でも、英会話教室でも、バレエでも。


 週に5つの習い事をさせられたかなたは毎日が疲労困憊で、行きつく暇もなかった。

 家に帰れば母親からの習い事の評価が低いことを罵られ、毎晩遅くまで自主練習をさせられた。


 習い事というお金も時間もかかるコストを多く支払っている。それなのに一向にかなたは上手にならないことに母親は憤りすら覚えるようになる。


「つか、れた……」


 ベッドの上で眠る7時間の睡眠だけが、一日の中で唯一安らげる時間だった。


「なあ、習い事5つは多いんじゃないか。どこか一つや二つに絞ってそこに集中させてやればいい。とりあえず運動神経はないのは分かったからそれ以外で」


 かなたの父親がそう諭し、


「……そうかもしれない」


 母親もそれに同調しそうになる。


 かなたに必要以上の負荷がかかっていること、そのせいで本来出せるパフォーマンスが出せていないこと、ということに気づけていれば、もっと違った結末があったかもしれない。


 だが、そうはならなかった。


「パパ、ママ、見て! 描いたの、顔!」


 かなたの3個下の妹のこころが、クレヨンで描いた絵を両親に見せてきた。2歳児とは思えないほど綺麗に描かれていて、絵のところどころには木や川など、多感で好奇心旺盛な認知力の高さが垣間見える。


「偉いじゃない、こころ! 嬉しいわぁ」


 その絵を大切そうに受け取り、母親はうっとりとした目で見つめる。


「へえ、うまく描けてるじゃないか」


 自分の子の絵の才能にほれぼれとしながら、父親はグラスを置いて絵に夢中になる。


「私、ママに、褒められて、うれしい」

 

 こころは2歳児にして言語面でずば抜けたものがあり、ちょっとした質問に対してもたどたどしくも3語以上の言葉で返していた。身体面でも平均台を渡れるなど卓越したものを見せ、音楽センスではピアノの音を聞いただけで鍵盤で同じ音を出せる絶対音感を有するなど、ありとあらゆるすべての点において秀でていたのだ。


「ママ、パパ、だいすきっ!」

 

 さらに、こころが母親に見せるその笑顔は、あまりにも美しかった。自分の顔で足りないパーツをすべて奇跡的に補ったと言えるような、完璧な顔立ちをしていたのだ。ぱっちりとした目で見つめられ思わずクラっとするほどの感覚になり、表情豊かでほっぺがぷにぷにと柔らかく、食べてしまいそうになる。

 保育園の保育士にも『今まで見てきたこの中で一番可愛い!』と絶賛され、通り過ぎる人が思わず振り返るほどの魅力を有していた。

 あふれんばかりの才能を持ち、ベビータレントにスカウトされるほどの天性の美貌を兼ね備え、パパとママが大好きで上手に甘えてくる娘に母親と父親はぞっこんだった。


「こころは本当に可愛いねぇ……」


 母親はこころを抱きしめてしみじみと言う。かなたの顔は母親とよく似ていた。母親自信は美人と謳われていたものの顔のパーツのほんの些細な箇所に強くコンプレックスがあったのだ。そのパーツの欠点さえ無ければ完璧だったのに、と毎日鏡の前に立っては手でその箇所を隠して戻してはため息をついていた。


「……それに比べて、あの子はもう疲れて眠って……頑張りもしないで、本当情けない。可愛げもない……」

 

 その欠点を解消した完全に整った自分の上位互換とも言えるこころを見て満ち足りた気持ちになる一方で、その欠点を受け継いだかなたを見て反射的に忌避感を覚えていた。

 

「あいつも、こころを見ればちゃんと頑張ろうって言う気持ちになるかもな。こころが2歳児でもう習い事3つ始めてるのに毎日楽しそうにしてて、吸収力も高い。妹が真面目にやっていたら自然と背筋も伸びるだろう」


 父親の言葉に母親はこころを抱きしめながら頷く。


「可愛げがないのだから、せめて運動でもなんでもいいから同世代の子から抜きん出た才能を発揮してほしいものね。年収が高くて他の子たちよりもアドバンテージがあるのにそれで平凡だったら、もうどうしようもない。これだけ子育てに投資してきたんだから、せめて見返りくらいくれないと」


 両親は、かなたが2人の"期待通り"にならないのは、かなたが不真面目だからと本気で考えていた。なぜなら、下の子のこころは"ちゃんとしている"から。



 ◇◇◇



「ねえ、いつまで遊んでるつもりなの? よくもまあテストで100点取れなかったのにそんなヘラヘラした顔でテレビ観れるわよね。はぁ? 82点だった? それが何? じゃあ残りの18点はどうでもいいんだ。なんでそんなに向上心がないの? 頭どうかしているんじゃない? 私立落ちて公立に行かざるをえなくなったんだから、せめて落ちこぼれの中でも1番目指そうっていう気概ないの? はぁ、もうわざとらしく落ち込むの見てて腹立つからやめなさい! 早く習い事行ってきなさい。なに、あんたはバスで行けばいいでしょ。私はこれからこころを車で迎えにいかなきゃいけないの。そう、あんたが落ちた私立の小学校ね。こころはクラスの中心になって行事でもみんなを引っ張っているそうよ。成績もトップですって。あなた、こころを間近で見てるのに何も響かないのね。はぁ、ほんと、あなたは頑張らない子だこと」


 小学生になると、母親は露骨にかなたとこころとで対応を変えるようになった。

 毎年の家族旅行もこころが行きたい場所が常に選ばれ、体験型のアクティビティではこころが楽しそうに遊んでいる傍ら、かなたは隅に追いやられていた。

 いくらかなたに体験させてもどうせ平凡な感想しか返ってこない、それに比べてこころは多感で表現豊かな言葉を連ねるからこころの方を優先するのは当たり前。そう、両親は判断していたのだ。

 一日中かなたを旅館の部屋で待機させ、3人で観光に飛び出すことも決して珍しくはなかった。


「今日はこころの演奏会があるから家大人しく待っていなさい。ご飯? あなたはコンビニでおにぎりも買えないほどバカなんだったっけ?」


 そして常日頃から、母親にこう言われることが多くなった。


「あんたはほんと、可愛くない」

 

 親への不満を吐き出す場所は学校しかなく、母親に可愛くないと言われそれに相応しい乱暴な言葉遣いをするようになる。女の子らしくない態度を取るかなたは、周りから避けられるようになっていた。

 

 それでもかなたがやさぐれることなく生きてこれたのは、雫の存在が大きかった。

 

「かなたちゃん! 描いた絵見せて見せてー!」


 絵画教室で知り合った学区外の同学年の雫は、独創的な絵を描くかなたをよく褒めていた。その頃絵の才能がないと父親に酷く叱責されていた時期だったからこそ、雫の純粋な褒め言葉に嬉しくなる。しかし同時に、「うるさいなぁ」と言ってしまい、せっかく褒めてくれた(自分なんかよりもずっと可愛くて綺麗な)雫にぶっきらぼうな言葉遣いをしてしまう自分のことが嫌になる。


「うひひ……♪」

 

 しかし雫は、かなたのそんな粗暴な反応に頬が赤くなる。普段自分が何を喋っても周りが大袈裟に誉めそやされてきてちょっとうんざりしてきた中で、かなたのような素っ気ないあしらい方をされるほうが何倍も嬉しかったのだ。「……変な子だこと」とぼやくが、かなたにとっては雫の存在は唯一と言っていい心の支えだった。


 だからこそ、雫がいた絵画教室を「いつまで経ってもコンクールに入賞しないならこれ以上絵を描く意味なんてない」とやめさせられた時、雫と離れ離れになることが嫌でたまらなくて泣き喚いたのだ。


 中学に入学した頃に学区が見直され、雫と同じ中学に入るとこができたのは奇跡だった。もしも雫と一緒になれなかったらかなたは学校で孤立していたかもしれない。

 

 中学に入った頃から、雫と一緒にいる自分がまわりからどう思われてるのかを意識するようになった。荒っぽい言葉遣いをする自分がバカにされるのは一向に構わないが、周りから浮いている自分と一緒にいる雫が奇異の目で見られるのは嫌だったから。

 なるべく周囲の空気に同調して、言葉遣いもなるべく穏やかな言い方をするようにした。


「そういうクラスの行事の決め事って、陽キャの皆さんだけで決めることではなくない? あんたらだけで決められても困るんだけど」


 しかし歯に衣着せぬ物言いは変わらず、クラスでいわゆる一軍女子男子たちが内輪のノリでクラスの行事を決めようとして他生徒が黙りこくる中、空気を読まない発言を発することは多々あった。そのおかげで敵を作り、随分と面倒な目にあったりもした。

 時としていじめのようなことも受けたりもしたが、両親からの叱責や罵倒に比べれば、かなたにしてみれば「ガキが喚いてる」と鼻で笑えるほどに本当に屁でもなんでもなかったから、それで泣いたりくよくよすることは一度たりともない。


「かなたちゃん! あの時言ってくれてありがとう! すっごいスカッとしたよ!」


 そんなかなたの立ち回りを、一部の女子たちから"堂々としてかっこいい"と褒められることもあった。

 

 クラスの中心にはなれないし、周りを引っ張るような明るくて爽やかな生徒でもない。

 それでも、いい意味で女の子らしくない、飾らない性格をしたかなたを慕う女の子が増え、次第に友達が増えていった。


 大変なこともあった。親には散々呆れられてきたし、才能ある天才美少女にはなれなかった。

 だとしても、こうしてなんとか辿り着いた今の自分を、かなたはほんの少し、誇らしく思っていた。

 

 もしかしたら普通の子ではないのかもしれない。愛想も良いとはいえないし、キツイ言い方をしてしまうこともある。

 それでも、大切な友達がいて、勉強もそこそこできて、日々悩みながらもなんとか学校生活を送れているのだ。


 少しはまともになれた気がした。上手くやっていけてるんじゃないかという自信が芽生えてきた。


 しかしそんな自尊心は、母親によってただの自惚れだと一蹴される。


「こころはこれから役者になるの。あなたみたいな不出来物がいるのがバレたら面倒だから、絶対に公言しないように。少しでも漏らしたら縁を切りますからね」


 名門小学校で天才美少女だと注目されたこころは、ジュニアタレントとしてスカウトされ早くも活躍の舞台を掴もうとしていた。

 両親はこころを全面的にバックアップすることを決め、父親に至っては十数年でベンチャーから東証一部上場まで成長させた会社を辞めてまで、こころの副マネージャーとして身を粉にして働くことを選んでいた。それほどまでにこころに期待していたのだ。それは親バカだから、だけではない。芸能関係者の誰もがこころの唯一無二の天真爛漫な可愛さにほれ込み、名物ディレクターが一目ぼれしてCMに抜擢起用されるほどだった。

 何億もの金がたやすく動く芸能業界において、母親はほんの少しでもトラブルの火種となるものを消したかったのだ。

 

「面倒なら学校にも行かなくていいですからね。学校で何か問題を起こされる方が面倒なので」


 母親にとってかなたはもはや、こころの芸能界を阻害する要因としか見ていない。

 かなたの学校生活や学業などには一切期待などしていなかった。


「お願いだから、何もしないで」


 これまでさんざん頑張れ、気合が足りない、怠けるなと叱責されてきて、手のひらを返すように翻される。

 

「……お母さん」

 

 これでかなたが親のことを嫌いになれば、ずっとずっと楽だったかもしれない。

 

 親を怨めるような性格なら、吹っ切れたかもしれない。


 だが。


 かなたはそれがどうしてもできなかった。


「お母さん、ごめんなさい……私、もっと、もっと、頑張るから……だから、見捨てないで……」


 親の愛情に飢えるかなたは、親に置いてけぼりにされてもなお、親を捨てることができない。


 かなたは欲しかった。

 無償の愛を。


 生きているだけでありがとうと言ってくれる、存在意義を見出してくれる、絶対的な愛を。


 

 ◇◇◇



 こころが芸能界デビューを果たし、露出が増え注目が集まる中ついに地上波ドラマ主演という快挙を成し遂げた頃のことだった。

 幼さと美しさを兼ね備えた絶世の美少女でありながら、算数オリンピックで金メダルを受賞、英語と中国語のトリリンガルという天才的な頭脳を併せ持ち、さらには片手倒立を練習無しで達成するなどずば抜けた運動神経を発揮する星映こころは、存在すること自体が奇跡と形容され、誰もが知る日本一の天才美少女として脚光を浴びていた。


 そんな最中、姉であるかなたの存在を目ざとく見つけてきた週刊誌の記者がいた。


 家の前でかなたが一人寂しく帰宅する様子を見張っていた記者は、突撃するようにかなたに接近した。


「こんにちは、星映こころさんのお姉ちゃんですか!?」


 かなたは親からの言いつけを守るように口を閉じる。

 ここでポロっと肯定するようなことをしゃべってしまえば、縁を切られるから。


「あの、無視しないでくださいね。あなたがお姉ちゃんだってこと、知ってるんですからね!」


「……」


「無視しないでくださーい! ねー! こっちむいてー! 妹譲りの可愛い顔みせてくだーい!」


「っ……」


 かなたは記者から離れるようにダッシュするが、あっけなく追いつかれてしまい、正面を向かれてしまった。


「ほら、逃げないでくださーい! お顔見させてくださー……なんだ、全然似てねえじゃん」


 記者の顔は一気に興味を失い、去り際に唾を吐くように一言つぶやく。


「ブスだなぁ」


 記者が去ってから、かなたは背中を丸めながら、重い溜息を漏らす。

 

「……言われなくても、分かってるよ」


 かなたとこころは、姉妹でありながらまったく顔が違っていた。体格も背が小さく未成熟な体をしているかなとは違い、こころは背も高く均整の取れたシルエットを持っている。それ故に、学校内でも妹がこころだと悟られることもほとんどなかった。


「かなたちゃんって、有名人に凄い似てる気がするんだよねぇ。誰だったかなぁ……。あ、星映こころちゃんだ! 似てるかも!」


 唯一雫だけが正解にたどり着いていたが、それを一番の友達だとしてもそれを打ち明けるわけにはいかない。


「星映こころ? 知らんわ、それ。え、アイドル? アイドルとかよう見らんわ。あー、テレビも見ないからなぁ」


 そうかなたはごまかして、極力雫とアイドルの話をすることを避けるしかなかった。

 

「アイドル興味ないの?」


 だから――最初は、虚言だったのだ。


「あーまあ、うん、私はほら、えー、その……あれだ、二次元の女の子しか、興味ねーから、うん」


 その頃、漫画を借りて読んでこそはいたが、いわゆる美少女キャラが登場する表現媒体には全く興味を示すことはなかった。


「へえ、じゃああの、よく駅で広告出してるあの可愛い女の子キャラとか? あれ、なんだって。テンセグ? っていうの」


「え、あ、う、うん。それそれ」


 雫から言われ、かなたはよくわからないまま肯定した。テンセグがゲームなのかどうかすらも知らない。

 

 改めて雫に教えてもらった駅の広告を見かけたときは、


(え、なにこのでけえおっぱい……でかすぎんだろ……。てか、こんなんが公共の場にあっていいのか? 気持ちわりいなぁ……)


 とテンセグに対しては最初は否定的で、それ以降はテンセグに興味を示すことはなかった。


「これから家を出てってもらいます。一人で勝手に暮らしなさい」


 中学三年生の頃、親にそう告げられる暇では。


「え……な、んで……」


「雑誌の蛆虫どもがこの家の場所を特定したの。本当どこから漏れたのか……あんたじゃあないでしょうね!」


「ち、違います! そんなことしていません!」


「まあ、あんたがいつ漏らすか分かったものじゃあないから、これからこころと一緒に引っ越します。この家も引き払うわ。あなたはどこか適当なマンションを選んだからそこで一人暮らししなさい。お金は……まあ高校生になったらバイトでもして稼ぎなさい。お金を稼ぐのがどれだけ大変かを味わうことね。私たちがあんたにどれだけのお金を投資したか、その重みを知ることができるでしょ」


「ま、まって……まってください! わ、わたし、もっと、もっと頑張るから! 置いて行かないでください!」


「頑張る? 何を?」


「っ……!」


 かなたは頑張る目標を何一つとして持っていなかった。さんざん才能がないと詰られ、今更新しいことにチャレンジする気概を失っていたからだ。


「あなた、まさか私たちに才能がないって言われて落ち込んで、そのまま何も挑戦しないつもりだったの? ほんと、とことん気弱ねえ。誰かに言われて諦めるようなら、今更何をしたって変わりはしないわよ」


「ち、ちが、ちがうっ……! こ、こんど、こんどこそ、やる、から……!」


「だから何をするっていうの! 言ってごらんなさいよ! あんたが! 何をやっても長続きしないでベソかいて諦め癖がつくようなバカで鈍間なあんたが! 何が出来るって言うの!」


「……う」


「だからそこでひるむからダメだって言ってんのがなんでわからない! 怒鳴られた程度でたじろいで……! なんで、なんであんたはこうも生まれた頃からほんっとうにどうしようもない……! こころを見習いなさいよ! あの子がどれだけ頑張って、努力して今の地位にいるか……!」


「ごめん、なさい……」


「分かったらさっさと家を出る準備をしなさい。一週間後には出て行ってもらいますからね。高校はどこか適当な公立を受けなさい。高校に受かればそれ以上は面倒見ません。高校生はもう立派な大人です」


 そうして一週間後、本当にかなたは家を出ることになった。


 賃貸のマンションには両親は付いて行くことはない。去り際に父親が、かなたにスマホを一台手渡す。

 それはかなたがずっとずっとほしかったものだった。周りの友達のほとんどが持っている中、かなただけが持っていなかったのだ。


 ありがとう、と父親に感謝しようとしたが、それを遮るように父親が覚めた顔で言った。


「……完全に別居すれば、もうこころとは何の縁もゆかりもなくなるからな。お前がいくらネットで炎上しようとも、こころには何の影響もない。一人暮らしで生きていくにはスマホは必要だから、手渡したまでだ。決して、お前が何か成し遂げたからそれの褒美で渡したわけではない。それを誤解するな」


 そして、バイト代を入金するための通帳と身分証明書を事務的にかなたに渡した後、父親は一切かなたに話しかけることはなくなった。


 いくらかなたが何を言っても、何を泣きわめいても、黙っている。


 ――もうこれからは、家族でも何でもない、ただの他人だからな。

 

 このスマホは、父親からの断絶の宣告だったのだ。



 ◇◇◇



 一人マンションで暮らすことになり、かなたはより一層孤独を味わうことになった。


 両隣の部屋が長期出張のサラリーマンで、毎晩晩酌で酔っぱらって大きな声でいびきをかくのを夜な夜な聞かされ、かなたは元々細い食がさらに細くなっていった。両親からの仕送りも生活できる本当にギリギリのお金しかなく、成長期だというのにかなたはご飯を切り詰めてなんとか生活をやり過ごすしかなかった。

 

 家族から完全に見放され、一人寂しく部屋に閉じこもる。


 愛なんてない。無償の愛なんてない。親から子の愛情なんて、あるわけがない。


 そんなものが本当にあるなら、なんで親は私を見捨てた。


 窓が淡く光る。近くを通る高架橋の電車の光が、明かりのないかなたの部屋を微かに灯す。

 

「……ここで死んだら、どうなるかなぁ」


 そんなことをうすぼんやりと考えていた。


 無償の愛をいつまでも欲し、そして永遠に誰からも愛されないのだと自暴自棄になり、ふさぎ込む。


 そうしてかなたが、うつろな目でスマホで自殺の方法を検索している時だった。自殺の方法を検索しようにも「あなたには生きている価値がある」と中々本当の方法を教えるサイトにはたどり着かず、しだいに苛立つ中、かなたは偶然見つけた。


『自殺で多額の賠償金を支払う羽目になった遺族の悲惨な末路がこちら……w』という露悪的なアフィリエイトサイトを開いていた時、スクロールするごとに差し込まれていた、ネットゲームの広告。


 目が大きくて童顔な美少女キャラがLive2Dで両手を広げて動き、頬を赤く染めながらこちらを甘えてくるように見つめ、gifで口上が差し込まれる。


『先輩ちゃん♡ だいちゅき♡』


 現実ではあり得ない、紅色にキラキラと輝く瞳。ふわふわとしていい匂いがしそうな、金髪の髪の毛。見るからに幼い躰で肩幅が小さく、庇護欲にかられる。

 こちらを無垢な眼差しで見つめるそのキャラクターは、その瞳に愛くるしいハートマークを宿していた。


 プレイヤーのことが好きで好きでたまらない――そんなキャラクターは今や当たり前のように存在している。物珍しいことではない。

 しかし、15歳にしてネットの世界に入り込んだかなたにとって、”自分のことが大好きな二次元キャラクター”がスマホの画面の大半を埋め尽くし視界をジャックされることは、初めての経験だった。

 スマホゲーム特有のやや過剰な表現で彩られた広告の画面が、まるで甘い砂糖菓子のようにかなたの脳髄に染みわたる。

 

『だいちゅき♡ だいちゅき♡ いっぱいいーっぱいぎゅーってしたげる♡』


 いくら美少女ゲームを好む者であっても、何度も見てしまえば苦痛に感じ”やはりスマホの広告は滅ぶべき”と脳裏に浮かんで仕方がない、そんな広告に、かなたは目が釘付けになる。


「……」


『今ならイベントクリアで神楽桜やんやがもらえる!』


 広告に差し込まれたメッセージの後、ゲームのタイトル画面が映し出される。


 蒼き乙女の統合世壊(テンセグリティ)、と。


「もらえるって……なに? 女の子をもらうって……そんな、モノ扱い……。なに、この子、奴隷なの……? 奴隷を集めるゲームなのこれ……?」


 スマホゲームをよく理解していないかなただったが、何度も何度もリピートして繰り返される、やんやがかなたをとろんとした目で見つめてくるそのイラストに、その美しさにどこか儚さを覚える微笑みに、夢中になる。


 そしてかなたは、まるで初めて成人漫画を読む少年少女のように、胸をときめかせながら、その広告をタップする。

 もしかしたら今からするのは悪いことなのではないか。

 これを押してしまったら親に全てバレてしまうのではないか。その所以で本当に縁を切られたらどうしよう。


 それでも。

 目に焼き付いた、自分のことを愛してくれている小さくて可愛いやんやが、かなたの脳に侵食していく。

 そして衝動のままにアプリダウンロードをタップし、無限にも感じられる数分間の後、アプリがスマホに入った。


 そのアプリをタップすればもう今にでもやんやに会えるのか――そう思ったのもつかの間、アプリ内で数ギガバイトのダウンロードが始まる。


 なんでアプリダウンロードした時に入ってないんだよ、と憤りながらも、ダウンロード画面に次々と映し出されるキャラクターのスチルに、やんやは目を奪われる。

 はち切れんばかりに大きな胸、髪の色、くびれ、足の細さ、そしてシミ一つだってない肌。

 

 かなたは、プレイヤーが思わずガチャを引きたくなるよう巧みにデザインされた美少女たちが、現実世界の女性よりも遥かに、可愛く見えた。


 誰もが崇め奉る、完璧な美少女アイドルの――両親が自分を置いてけぼりにするほどに綺麗な、星映こころよりも、ずっとずっと、可愛い。


 あの子なんかよりも、やんやのほうが、可愛い。


 可愛いんだ。


「あっ」


 巡り変わるスチルの中に、やんやの姿を見つけた。

 他のキャラクターに手を引かれて、朝日が昇る草原を背景に裸足で歩く、やんやの満面の笑みを。

 イラストレーターの癖が詰まった足裏に、はだけた服から垣間見える鎖骨に、良い匂いがしてきそうなふわふわな髪の毛に、かなたは心臓がどくどくと高鳴る。


 この子が、私のことを、大好きって言ってくれるんだ。


 くれるんだ。

 私に。


 愛を。


「早く、会いたい、会いたい、会いたいっ……」


 ダウンロードの完了パーセンテージが1,2と遅々ながら増えていくのを、かなたは食い入るように見つめる。

 それだけが、かなたにとって救いだった。


 どんなものでもいいから、欲しかった。

 安心したかった。


 たとえゲームの中でもいい。

 存在しなくてもいい。


 愛をくれるのなら。


「き、きたっ……!」


 全ダウンロードが完了し、そうしてかなたはテンセグのゲームの世界へと飛び込んでいった。

 

 ストーリーなんてどうでもいい。はやくやんやに合わせてほしい。そんな切迫した想いで、かなたはがむしゃらにイベントストーリーを進める。

 キャラクタの育成もゲームシステムもよく理解していない。今このゲームがどんな世界観なのか、他のキャラクタのかけあいも興味がない。


 だが、やんやが絡む話だけはスキップを止めて、まるで愛娘を愛でるようにじっくりと台詞を読む。


「かわいい……かわいいよ……やんや……」


 世間知らずで、それゆえ穢れを知らない、無垢なる少女であるやんやは、プレイヤーに『だいちゅき♡』と甘い声で囁く。かなたはその声が芸歴20年を超えるベテラン声優だということを後で知ることになるのだが、その幼くて鼓膜が溶けそうになるようなやんやの声に、かなたは夢中になる。


「私も、だいすきだよ……やんや……」


 画面の中に存在するやんやに、かなたは何度も語り掛けた。

 そうしていくにつれ、本当に自分がやんやと恋仲であるかのように錯覚する。

 自分はやんやのために生まれて来たのではないか。

 自分はやんやに愛されるために生まれて来たのではないか。


「……好き、好き、好き……」


 中毒のように何度もその台詞をリピートしては、かなたは脳が甘美なまでに刺激されていく。

 ついさっきまで、線路に飛び込まんとしていたのがまるで嘘みたいに。


 かなたは、自らの人生の救いを、二次元に求めた。


 美少女スマホゲーム戦国時代のこの時代、その秀逸なキャラクターデザインや魅力的なストーリーで、テンセグは数多のプレイヤーを引き込み夢中にさせてきた。人生がつらくても、現実世界が苦しくても、このテンセグの世界にいるプレイヤーは、美少女に愛され尽くされ、そしてそこに自分の存在意義を見出す。

 

 かなたは、そんな数あるプレイヤーの内の一人にすぎない。


 しかし、年若く多感な時期にあるかなたは、テンセグの世界こそが自分に与えられた唯一の救いなのだと、本気で錯覚した。


 本気だからこそ、やんやが(それがあくまでプレイヤーにガチャを引かせるよう意図された空想でしかなキャラクターだとしても)自分に向けてくれる愛情を、真剣に受け止める。

 

 現実には存在しないとしても、それが都合よく作られたキャラクターだとしても、関係なかった。


 かなたは信じていたから。

 やんやと自分には、ゆるぎない愛で結ばれているということを。


 ある意味で言えば、”2人”の愛は最初から保証されている。

 愛と言う実体のない目に見えないものであるがゆえに、保証された愛は、反論を許さない愛は、それが確かなものであるということを証明してくれる。


 やんやは決してかなたを裏切らず、そしてかなたが愛する限り、やんやとの絆は未来永劫続く。


 その愛こそが。

 

 絶対的に存在することが保証されていて、誰もが自然にそう信じている、親が子に向ける無償の愛であり、


 かなたが人生の中で得られることのなかった、無償の愛だった。

 

 

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