第86話 家
電車に乗ってから、一駅、二駅と通り過ぎた。
このまま本当に終点まで行くのかと倫太郎は思ったが、次の駅を前にかなたは立ち上がる。
先ほどまで雫と電話でやりとりをしていた。知りたい情報は得られ、倫太郎はスマホを仕舞う。電車が止まりドアが開く。かなたがホームに足を踏み入れ、それを車両越しに追いかけて、倫太郎も車両を出た。
電車のドアが閉まり、発車する。
降りた駅のホームで、かなたはどこか遠くを見ているように、視線を泳がせていた。
(まだ、俺に気が付いていない……?)
恐る恐る、倫太郎は声をかけようとして――
「本当についてくるやつがいるかね」
「え」
かなたは振り返って、倫太郎を見た。視線を泳がせていたのは、倫太郎の前でこんな暗い顔を見せたくなかったからだった。
くたびれた顔に、陰鬱な瞳は光なく濁っている。涙で腫れた頬は引いてこそいるが、病的なまでに白く青ざめている。
ただ立っているだけ。そこに目的も、意味もない。
呼吸をしていることすら、何の理由すら見いだせない。そんな廃れた表情で、生気のない表情で、倫太郎を見つめている。
倫太郎が隣の車両でかなたを見つけたときから、すでにかなたは気が付いていた。体が大きくて、その大きな影がせわしなく動いていてはむしろ見過ごす方が無理だ。
「で、なに? 来るなって、言ったでしょ」
「……」
倫太郎は覚悟を決めるように、一歩ずつ、かなたに近づく。
「……んだよ、その顔」
かなたは後ろに下がろうとするも行き止まりで、逃げ場がない。諦めて、かなたは無人のホームの椅子に座った。大股で太腿に腕を預けながら、倫太郎を見上げる。
「なんで、付いてきてんの。学校は、どうしたの。授業中でしょ、まだ」
「早退、しました」
「早退したの、はは。何やってんの、それ、仮病じゃん。悪い奴だなぁ」
「無断下校した、鈴木さんには言われたくないです……」
「……言うようになったなぁ、おい」
「飴川さんも、先生も……鈴木さんのこと、探していました。僕が見つけたことを報告したら、皆さん、ホッとしていました。心配していたんですよ、たくさんの、人が」
「……それは」
人に迷惑をかけてしまったという罪悪感を覚え、かなたはバツが悪そうに目線をそらす。
「……ごめん」
かなたはしおらしく項垂れた。
自分をわざわざ追いかけてきてくれた倫太郎にツンツンとしてしまう自分が、かなたは嫌になる。
「……さすがに、衝動的な行動すぎたよな、うん」
「俺は、鈴木さんが周りの迷惑を考えずに行動するような人じゃないってこと、知っています。だからこそ、そうしてしまった理由が、必ずあるはずなんです。だから……教えてください。鈴木さんが、学校を抜け出してしまった理由を」
倫太郎のシャツは汗で濡れている。おそらく、自分を追いかけて走ってきたのだろうか。
そこまでして、労力をかけて自分を見つけ出そうとした倫太郎の実直すぎる思いを感じ、かなたは胸が痛くなる。
「……君はさ、どうしてそこまで私の面倒をみようとするのさ。大変じゃない? 仮病まで使って、そんな、汗かいてまで走って」
「それは」
――鈴木さんのことが、好きだからです。
(って、堂々と言えたらかっこいいんだけど……うぅ)
かなたを助けたいという思いだけが先行して、恋心を伝えるだなんていう考えまで及んでいなかった。
「ただ……鈴木さんのことが、心配だから、です。それが理由では、駄目ですか」
「駄目とは言ってないけれどもよ……」
そこまで実直な顔で言われると、気恥ずかしさでかなたは思わず視線をそらしてしまう。
「わかった、わかったから……あのさ、こんなところじゃなくて、その……場所移してもいいか?」
「あ、はい、わ、わかりました……」
ふう、とかなたは椅子から立ち上がる。
元々、どこに行こうと決めて飛び出したわけではなかった。1人になれる場所で、そこで閉じこもるつもりだったのだ。だから、降りた駅はかなたが通学で1番使う駅で……。
「……私の、家で、いいか? 最寄りが、この駅なんだ」
「えぇ!?」
倫太郎はかなたからの提案に、情けないほど裏返った声を出してしまった。
「はは、なんちゅう声を出してんだ」
「え、あ、い、いや、そ、そのっ……い、家、だ、なんて……」
「まあ、あれだ、うん。そんな緊張するもんでもないよ」
「いや、いやいやいやっ……! だ、だって……!」
女の子の家に初めて行くとあって、倫太郎はその大きな図体をくねくねと身もだえるように揺らしていた。
傍から見ればちょっとした怪異だ。
「っぷ」
かなたは思わず吹き出してしまった。
さっきまで堂々としていたのに、いざ家に行こうとしたらこんな慌てるなんて変なやつだなぁ、とかなたは笑ってしまった。
倫太郎と話すと、不思議と気が抜けてしまう。張り詰めていた緊張の糸も、いつのまにか緩んでしまう。
(……あ)
倫太郎は、悲しみと後悔で塗れていた顔に一筋の光が差したかのようなかなたの笑みを見て、心がじんわりと仄かに暖かくなった。
(やっと……見れた……。鈴木さんの、笑顔)
「はー……なんか、君といると、変に塞ぎ込むのが馬鹿らしくなっちまうな」
泣き疲れてヘトヘトになって、取り繕う気力もなくなった。
倫太郎が隣にいるだけで、安心する。
これまで生きてきて、感じたことのない初めての感覚が、じんわりとかなたの心に染み渡った。
◇◇◇
倫太郎は、かなたの家に向かう道を一緒に歩いていた。今からかなたの家に行くのだという緊張と、かなたが毎日みているこの道すがらの風景を共有しているのだと思うと胸が高鳴ってドキドキが止まらない。
「歩いて大体15分くらいかなー」
かなたはそう言うが、倫太郎は目に映るもの全てが特別なものに見えて、徒歩の道はあっという間だった。
「……で、ここが私の住んでるマンション」
かなたが指差す。建物としてはそこまで古くはないが、無骨で色合いが地味だ。
長期出張のサラリーマンがマンスリーで借りるような素朴さ。
それでも倫太郎はここならかなたが住んでいるのだと思うと特別な場所であるかのように感じた。
「さ、行くよー。3階ね。で、まあ、ここで1人で住んでるんだけど」
さらっとかなたは言いながらエレベータに乗る。
「……え」
倫太郎は戸惑いながらもエレベータに乗る。かなたがボタンの前に立ち、倫太郎は恐る恐るかなたの後ろに立つ。
「あの、えっと……1人暮らし、だったんですか?」
「うん」
妙に口数が少ないことに不安を覚えつつも、エレベータが3階に着いて、かなたを先頭にかなたの住む部屋へと廊下を進む。
ある程度掃除はされているが、かなたの隣の部屋はビール缶が無造作に置かれている。あまり治安は良くないのかもしれない。倫太郎は不安になる。
「たまに酔っ払って帰ってくる人と廊下で鉢合わせそうになるから、そういう時は一緒になんないように階段登ったりしてるけどね。ま、JKが1人で住んでるってことはあんまりバレたくないじゃん?」
倫太郎の感情の揺れを察してか、かなたはなんでもないよと言う風に流そうとする。
「……あ、危ないくないですか!?」
かなたが玄関の前に立ち、鍵を開けようとするその背中を見ながら、倫太郎は焦るように言った。
「お……女の子が、あ、あんまりよろしくなさそうな……マンションに住んでる、のは……。せめて、オートロックとかのほうが」
「まー、大丈夫っしょ。いざとなればこの防犯ブザー鳴らせばいいだけだし」
「い、いや……その、そう、じゃなくて」
真剣なんです、ということを伝えたくて一旦息を吸って、吐いて、倫太郎は努めて落ち着いた声で諭す。
「……ご両親も、もっと、他のマンションを選んだら――」
「ウチの親、私のこと見捨ててるからなぁ」
ガチャリと、鍵を開ける音と共に、かなたはなんでもないという風につぶやいた。
「……え、え?」
倫太郎はかなたの意図が分からない。
冗談で言うには、あまりにも、あまりにも寂しすぎる。
そしてそれがもしも冗談でないとしたら……。
「ほら、入ってよ、我が家に」
どうぞー、とお茶らけたようにかなたは腕を広げ倫太郎をご案内して見せる。
「は、は……い」
戸惑いながらも、倫太郎は玄関を進む。
かなたの、甘くて可愛らしい匂いが鼻をくすぐる。女の子らしい、優しい匂い。
そして、倫太郎の眼にまず飛び込んだのは、やんやのコスプレ衣装だった。ハンガーで壁に掛けられていて、その傍らの机にはやんやのアクスタが丁寧に置かれている。いくつか写真建てがあり、そのほとんどが二次元イラストで、やはりやんやのイラストだった。
コスプレが好きなかなたらしい、と思うのもつかの間だった。
「……」
倫太郎は遠慮がちにかなたの部屋を見ながら、違和感を覚える。
物がほとんどない。低くて小さい机と、薄いマットレスと掛毛布だけ。
草臥れたサラリーマンなら無造作に缶や弁当が置かれているものだが、その形式もない。
不自然なまでに、生活らしさがない。
「そんなじろじろ部屋の中見ないでよぉ、えっち」
かなたはからかうように笑いながら、机に置いている写真建ての一個をさりげなく伏せた。
その写真建てには、かなたと、もう一人の女の子が抱き合ってこちらを見て笑っている、つつましくとも暖かい姉妹の写真が飾られている。それをかなたは、倫太郎に見せたくなかった。
「……す、すいません」
倫太郎は首を垂れる。かなたの私生活を垣間見たいだとか、そんな思惑はない。
ただ、かなたの生活が、あまりにも必要最低限すぎて、不安になったのだ。
ちゃんとご飯を食べられているだろうか。
一人暮らしのお金は足りているのだろうか。
そんな”余計なお世話”が、頭の中をぐるぐると回る。
「ま、なんだ。君の言いたいことは分かるよ、うん」
かなたはフローリングの上に座り、「座布団なんて高尚なものが無くてすまんけど、まあ座りなさいな」と倫太郎を促す。それに倫太郎はおずおずと、思わず正座した。
「あっはは! そんな畏まらなくていいって! 面白いなぁ、もう」
す、すいません、と緊張しながら倫太郎は体育座りに直す。
「いや胡坐で良いって。え、こっちのほうが落ち着く? まあ、それならいいけども」
パン、とかなたは手を叩く。
「で、だ。どうよ、私の貧しい部屋は」
「え……い、い、や、そ、そんなこと……」
「あっはは。まー、ビビるわなぁ。一番高いもの、このコスプレ衣装だけだもん。これライブで使うからって、バイト先に前借りしてもらって買ったのよ。それに前に君と一緒にカードも買っちゃったじゃん、おかげで当分は食パン生活よ。あ、気にしないで? 私こんなうすほそボディだからごはん全然要らないのよ。前に家系ラーメン食べたときも、あれで次の日の夜ご飯まで食べる気しなかったし」
全然、そこは心配しなくていいよ。そう、かなたはケラケラと笑いながら言う。
倫太郎はその笑いに、付いて行くことができなかった。
「……その、さっきの……ご両親の、ことって」
「あー、もう、本題入る?」
もうせっかちなんだからぁ、とかなたは頭を掻く。
「君が思う通り、なんだ、その、仕送りはほとんどないのよ。だからバイトしてんだけどね、うん。高校生がバイトだけで生活できますかって言う話。だから物も本当に好きなモノ以外はいらない。ご飯も極力削って、化粧品もお姉さま方から譲ってくれたりとか、お洋服もそうだね。これだけだとなんだ、相当の苦学生に見えるな、わはは」
「……」
「というわけで、だ。お察しの通り、私は両親から見捨てられてる。見捨てられたくないから勉強頑張ったけど、それでも褒められなかったし逆に叱られた。そんで全部いやになって学校飛び出したって訳。事の顛末としてはそんな感じ。どう、納得した?」
「できるわけないです」
倫太郎は即答した。
だってそうだろう、あって良いはずがないだろう。
こんなに毎日頑張って、誰からも愛されて、好きなことに夢中になって、素敵な可愛らしいかなたのような娘に、なんでそんな仕打ちができるのか。
この怒りをかなたに向けるのはとんだお門違いだ。だから、倫太郎はその怒りを、握りこぶしに込める。
「はいそうですか、そうなんですね、って言えるわけないじゃないですか。納得も、理解も、出来ないです。鈴木さんが言っていることすべてが、意味が分からないんです」
「……じゃあ、まあ、一つ一つ、説明していこうか? うちの両親が、私を見限るまでのお話。こんな私の身の上話に興味があるなら、だけど」
「聞かせてください。全部、論破しますから」
「ははは、大した意気込みだ。それじゃ、ま、話しますかね」
そう言ってかなたは「おっと」とふと立ち上がって「客人に飲み物出さねば」と冷蔵庫を覗いて「ごめんなんもなかったわ」と笑いながらまた座った。
「大丈夫です。話して、ください」
「……はいはい。まずは、私の両親のことから」
かなたは腕を組みながら、こんこんと、語り出した。
「世界を股にかける才色兼備のフルート演奏者の女性が、京大卒の年収2千万のコンサルタントの男性と出会って結婚したんだけど、そんな二人から生まれた子どもが、信じられないくらいに地味で平凡で、なんの才能もない子どもだった……っていうところから話は始まるんだけど。
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