第83話 助けたい
「な、なんで、君が……」
倫太郎が目の前に現れ、かなたは咄嗟に顔を腕で隠そうとする。しかし倫太郎はかなたが泣いていたことに気がついていた。
あの時――校庭から見上げて、一瞬だけ見えた顔がかなただとすぐに気が付いて、そしてその顔に涙を浮かべていたから、倫太郎は大歓声の体育の授業を尻目に、急いで走って校舎の4階までやって来たのだ。
かなたのことが、心配だから。
「体育の、授業中だろうが。早く、戻った方が、いい」
自分のことを棚に上げてかなたは倫太郎を帰そうとする。
「でも、鈴木さんが……」
よほど急いで走ったのか、倫太郎はぜえぜえと息を吐いていた。それでも目だけはしっかりとかなたの顔にむけている。腕で隠していても、涙で腫れた頬や濡れた袖で確信していた。かなたはここで、泣いていたのだと。
「何か、あってんですか。誰かに……殴られたりされたんですか」
倫太郎は拳を握る。仮にそうだとしたら、倫太郎は"仕返し"することを躊躇うことはできなかった。大切なかなたを傷つけるような奴は、何があろうとも許せないから。
「ちがうよ、そういうんじゃない。私がただ、勝手に……自滅、しただけだから」
かなたは倫太郎から離れるように、一歩遠ざかる。倫太郎は一歩、前に進んだ。
「だから、いいから。近寄らなくて、いいから」
「そんなこと、できるわけないです」
倫太郎は静かに、はっきりと、言う。
「……これまで、俺のことを沢山、救ってくれた、鈴木さんが……悲しんでいるを見て、放っておくことなんて、できません……!」
かなたは、倫太郎を直視できない。あまりにも眩しく見えたから。
こんな情けない自分にはとても不釣り合いなほどに。
もう全てがどうでも良くなって、今すぐにでも何処かへ消えてしまいたいのに。
「関係ないだろ、君には」
だから、近づかないで。私の心に、触れようとしないで。
君みたいな純粋な人に、触れられて欲しくないから。
「そんなこと!」
倫太郎は思わず叫んでしまった。本心をひた隠そうとするかなたの殻を破りたいと思ったから。
それは――自分と同じように、殻にこもっていた自分を救ってくれたかなたと同じことを、してあげたかったから。
救いたかったのだ。本心で。
しかし――
「っ!?」
かなたは突然の大きな声に、ビクッと体をこわばらせた。背丈の大きく太い腕を持つ倫太郎に――本能的に怯えてしまったのだ。
もちろん、倫太郎が暴力を振るう人間なのだとは露ほどにも思わない。だが、弱った心と追い詰められた状況の中で、かなたは咄嗟に危機を感じてしまった。
身を縮み込ませ、怯えた目を震わせている。
「……あ、あ、ご、ごめん、な、さい」
倫太郎はかなたが怖がっていることを悟り、顔面蒼白となった。
恐怖でこわばるその顔は、今まで見たことがなかった。ライブで突然音声が止まった時とは、全然違う。
根源的な恐怖だ。
支配されるのではないかと言う、恐れ。
かなたは、自分を見て、怖がっている。
「お、俺……そんな、つもり、じゃ……」
それに倫太郎は、反射的に怖気突いてしまった。
かなたのことを守りたいのに、怯えさせてしまっている。
「……ほ、本当に、ご、ごめんなさ――」
もう一度謝ろうとする倫太郎を、
「いいから、もう、いいから」
かなたは制する、怖がられたというのがあまりにショックなのか、それが倫太郎は顔に出すぎている。怯えた子犬のように、今にも泣き出しそうな顔をしている。
そんな顔を見て、かなたはバツが悪そうに言った。
「……君は、悪くない。ちょっと、私がビビりすぎた、だけだから」
気まずい空気が流れる。倫太郎は何かをいいたげに、言葉を探している。
ああ、きっと私を慰めようと考えてくれているのだとかなたは察して、そして申し訳なくなる。
もういい、もういいんだよ、釘矢君。
私はもう、全部、嫌になっちゃったから。
「ああ、じゃあさ、あの、賭けに勝ったからさ、何でも言うこと聞くんだろ?」
かなたは倫太郎に諭すように言う。
「今日見たことは全部忘れろ。な?」
「そ、それは……」
できるわけがない――といいかけるのを、かなたは制した。
「約束、だろ? 男なら約束を守らないと、な?」
チャイムが鳴る。いつのまにか授業の時間が終わっていたようだ。
「じゃ、私は戻るから。君も次の授業あるんでしょ? 早く体操服から着替えなきゃ」
そう言い残し、かなたは駆け足で走り去っていった。その背中を、小さくて、寂しそうなかなたの後ろ姿を、倫太郎は追いかけることができなかった。
空は沈黙を纏るように薄暗く、重苦しい空気が廊下の窓から倫太郎に伝ってくるようだった。
「……」
かなたを怖がらせてしまったと言う罪悪感と、差し伸べようとした手を拒絶されて無力感で、倫太郎は立ち尽くす。
カラオケで歌の練習のために雷華に指導をお願いしようとした。かなたの勉強を一緒に頑張ろうと提案した。そのどれも、かなたは受け入れてくれた。倫太郎が差し伸べた手を、握ってくれた。
だから、今回も握り返してくれるものと思っていた。自分なら、かなたのことを救えると思っていた。
「とんだ……思い上がりだ、俺は……」
自分は、かなたにとって、数いる中のただの友達の中の1人だ。
本当に辛い時に助けを求められる人なんかじゃない。
「俺、じゃ……ダメなの、かな……」
肩を震わせながら倫太郎は、己の無力感にただただ、打ちひしがれていた。その場から倫太郎は、一歩も動けずに――
「なんでこんなとこにつったんでんだ、馬鹿野郎が」
ふと背後から、誰から声をかけられる。呆れるようで、それでいて透き通るような綺麗な声で。
「つ、常鞘君……」
倫太郎は振り返る気力もなく、そのまま背中を丸めうつむいている。
「お前、勝手に体育の授業抜けて来るなよ。教師もどこに行ったんだって慌ててたぞ。それに、”あいつら”も無駄に心配しやがってからに……」
なんで俺まで捜索に付き合わされなきゃならんのだ、と雷華は体操服の上着で汗をぬぐいながら息を吐く。
「早いこと着替えて教師に伝えろ。勝手にほっつき歩いたままだと無断下校疑われるぞ」
「……」
「おい、なんか言ったらどうだ。何黙ってんだ」
倫太郎は何とか言葉を必死にひねり出そうとする。自分がいかに無力化を思い知らされ、打ちひしがれて、喉が苦しい。
「……もう、どうしたらいいか、わからなくて」
「いや、分かるだろそれは。早く着替えろ」
「……そういうん、じゃないよ」
「じゃあなんだよ」
「わからないよ……常鞘君には……」
ガッ!
え? と倫太郎が声を上げる暇もなく急に肩がガクンと掴まれたかと思うと無理やり振り向かされ、そして胸ぐらを手でギュッと握られ、顔が強制的に下方向に引っ張られる。
目線の先には、雷華の苛立った顔があった。
「わかるわけねえだろお前が何も喋んねぇんだから。俺はそれを察しろっていうのか? バスケの時みたいにまた黙って自分の殻に閉じこもるのか? 同じこと繰り返すな」
「う……」
体格差に怯えることなく、雷華は胸ぐらを掴み倫太郎に啖呵を切る。
「言わなきゃわからないことを黙るな。しゃべれ。なんのために口が空いてんだ」
「……」
雷華はいつまでもナヨナヨする倫太郎に腹が立って仕方がない。もっとシャキッとしろ、と戒めるつもりで口に出した。
その強烈な言葉に、自分の頭の中で負の思考ループに陥っていたことに倫太郎は気がついた。
粗治療だが、倫太郎を目覚めさせるには十分なパンチ力だった。
「……ごめん」
雷華は倫太郎から手を離し、呆れたように腰に手を置く。
「じゃあ、さっさとしゃべろ」
倫太郎は意を決し、今起きたことを話そうとして――
「あー! いた! ようやっと見つけた!」
4階まで探してやって来た多車が、体操着姿のままで嬉しそうな声を上げて現れてきた。
「んだよ、ここに居たのかよお前」「い、いたぁ……」「よかったぁ……」
その後ろから風治、暇木、手知が続けてやってくる。
「み、みんな……?」
突然の襲来に倫太郎は驚いた。
「お前、授業中トイレだっつって急に抜け出して、いつまでも戻ってこねえから体育の教師が俺らに指示出したんだよ。仲のいいお前らで探して来いって」
やれやれ、と頭を掻きながら多車が言う。
多車が言うには、次の授業がテスト返却のための自習時間だから、多少教室に戻るのが遅れてもいい、それよりも倫太郎のことを探しておけ、と命じられたとのことだ。
常に生徒の交友関係を見ている教師から見て、彼らのことはいつも仲良くしている友達だと判断していたのだ。
「とも、だち……」
改めて倫太郎は自分の周りに集まってきてくれた人たちの顔を見る。
自分の身を案じてくれている多車。呆れながらも付いてきてくれている風治。怖がらずに近づいてきてくれる暇木と手知。そして、面倒くさそうな表情を浮かべながら見捨てないでくれている、雷華。
これだけの友達が居てくれる。それにとてつもないほどに幸福感を覚える。
それも、かなたがいてくれたからだ。かなたがいてくれたから、今がある。
だからこそ。
だからこそ。
だからこそ。
「……みんな、心配かけてごめん。俺が、授業を抜け出したのは……」
そうして倫太郎は、大切な友達の前で、本音を伝えた。
助けたい。
助けたい。
大切な、可愛くて頼りになるかなたのことを、助けたい。
恥も外聞もない。ただその一心しか、なかった。
「……俺の好きな、人を……助け、たいんだ」
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