第81話 暗転
「……風治君。ちょっと聞いてみたいことがあるんだけど、いい?」
次の日。昼休み後の授業で、倫太郎のクラスは体育だった。鈍色の曇り空で、眩い太陽はすっかり隠れてしまっている。
競技はソフトボールで、倫太郎は自分の打席を地べたに体育座りで待ちながら、傍に立つ風治に問いかけた。
「え? あ、まあ、いい、けど……なんだよ?」
こいつから話しかけてくるの珍しいな、とバットを振るフォームをしながら聞いてみた。
「……どうやったら好きな人を振り向かせることができるのかな」
風治はド派手に空振りした長嶋茂雄みたいにずっこける。
「お、お前なぁ……!」
こっちだって飴川に何もアピールできてないんだそこのヤロウ、と恨めしい目で睨んだ。
「その……俺、恋、とか……生まれてはじめて意識して……何をどうすればいいのかなって、何が正解なのかなって……それで風治君は、飴川さんと付き合うためにこれまでどんなことをしているのかなって……」
「お前じゃなかったらぶん殴ってるところだわ」
はあ、風治は思いため息をつく。
「俺だってどーしたらいいのかわかんねえよ。俺が教えて欲しいくらいだわ」
と、風治は多車の方を見る。多車は相手チームで内野を守っていて、ちょうど軽やかな守備を魅せていたところだ。顔立ちも良く人柄も穏やかで優しい彼には、中学の頃から付き合っている彼女がいた。
「あいつに聞けよ、俺なんかじゃくて」
「……でも、俺は風治君に聞きたいんだ」
「なんでだよ」
「多車君はこう、まぶしすぎて……光の陽キャ過ぎて参考にならなすぎるというか……」
「それはまあ……うん」
倫太郎の言いたいことはおおむね分かった。最初からオールAみたいな男に相談したとて、みたいなところはある。
「それに……せっかくなら、風治君と一緒に頑張りたいなって、思って……。ほら、一緒に頑張る仲間がいると、嬉しい、し……」
「……そりゃ、どうも」
相変わらず真っすぐな眼差しで言うものだから、風治も無下に扱うこともできない。
「というか、お前、好きな人いるんだな」
そもそもそういうことを他人に言うことかね? とも思うが、それは自分に対しての信頼の裏返しなのかもしれない、と風治はひとまず納得することにする。
「へ……へへへ」
「で、どんなやつ?」
「あ、それで相談したいことがあって、どうやってアプローチしていけばいいかなって」
「ふうん、なんか変わってる奴なのか?」
「いや全然そんなことなくて、可愛い女の子で、すっごく優しくて頼りになって、みんなから愛されている凄い人で……」
「へえ」
「ただ、二次元のキャラクターの女の子と結婚したい願望があってそれをどう乗り越えようかなって」
「ちょっとまてい」
再びズッコケそうになりながらツッコミを入れようとするも……
「あ、あの、釘矢君……つ、次、バッターだよ」
のそのそとやって来た暇木が、倫太郎に声をかける。皆が打席に立ちたい立ちたいとばかりに前の方の打順を選ぶ中、運動に苦手意識のある暇木のような引っ込み思案な生徒たちは後ろのほうの打順になっていた。そんな中で倫太郎は最後の打順となっており、ちょうどお鉢が回ってきたところである。
「あ、ありがとう、暇木君」
「今、あの、満塁になってるよ……」
「うわぁ」
倫太郎の顔が強張る。なんだってこんな盛り上がる場面で打順が回ってしまったんだ、と頭を抱えた。
「その話は後にするとして、釘矢、思いっきりぶちかませや。かっこいいところ見せてみろよ?」
風治は倫太郎に発破をかける。
「あ、はは……はい……」
暇木から手渡された金属バットを手に取り、時間が限られている試合の時間を少しでも遅らせることがないよう倫太郎は急ぎ足でバッターボックスに向かった。
「うわぁ、来たぞ来たぞ釘矢だ!」「おい外野バック、バック!」「うわやっば、バット構えるだけで信じらんねえくらいに威圧感ある!」「まって俺こいつにボール投げんのぉ!?」「下がれ、下がれー!」
相手チームは倫太郎を前にビビり散らかしている。ただ、その表情には笑顔があった。
バスケの試合を経て、倫太郎に対する恐怖心はなくなった。代わりに、倫太郎の恵まれた体格から繰り出されるとんでもないフルスイングと打球にどこか期待しているようですらあった。
「よしいけいけー! 釘矢! 一発かましたれー!」「場外ホームランやれー!」「頼んだぞ釘矢-! 満塁ホームランで逆転だぞー!」
味方チームからも熱い声援が飛んでくる。強靭な肉体を持つ倫太郎が果たしてどんな打球音を放つのかと今や今やと待ち望んでいる。
この体育の授業で一番の盛り上がりと言ってもいい歓声が響き渡っていた。
「うわー、大谷翔平と対戦するピッチャーってこんな感じなんだなー……よーし、かかってこいや、釘矢! 打てるもんなら打ってみやがれってんだ!」
相手チームのピッチャーは倫太郎を挑発して見せる。
「あはは……お、お手柔らかに」
倫太郎は苦笑しながらバットを握って構えた。その構えは素人でありながらセンスのあるバッティングフォームで、狙いすましたかのように放った相手ピッチャーの内角低めのボールを、ものすごいスイングスピードで――
時を同じくして。かなたのクラスは自習中だった。しかし、皆どこかソワソワとしている。
1人ずつ生徒が別室に呼ばれたかと思うと、数分したら手に成績書を抱えて帰ってきた。
そう、今はテスト返却の時間だ。そしてかなたは別室に呼ばれて……
「それで、最近は学校生活は順調かしら? ……はいはい、そうね、うん。クラスにも友達がいていつも仲良くしていて、それとあと確か同じ中学だった……そうそう、飴川さんね。友達関係は特に何か問題はない? そう、良かったわ。テストの最終結果を渡す前に、そう、ちょっとの時間しかないけど、担任の私と1ON1で面談するの。そこで何か困っていることがあったら言ってもらえれば、別日に改めて相談するのだけど……え、何もない? バイトも全然大丈夫? だから早く結果を……ああ、ごめんなさいね、一応これもルールだから。もう、そんなに急かさないの」
早く早く、早く! とばかりにそわそわとするかなたに、担任の教師は困ったように笑う。
「……早く結果を知りたい気持ちもわかるわ。鈴木さん、ほんとうによく努力したわね。中間考査の結果はそれはもうちょっとひどかったけど……ここまで成績が伸びるなんてすごい。だって推薦枠の30位以内にまで食い込むんだから――わ、どうしたのそんな拳をだんだんと振りあげて。あ、喜んでるのね、なんか急に怒り狂ったゴリラみたいな仕草したからびっくりしちゃった。はい、じゃあもう特に悩みはないってことで、面談は終わりにするわね。はい、これテストの結果通知書。次の人呼んで来て――そんな早口で『失礼しました』って言えることあるんだ」
教室に戻って来たかなたは次の生徒を面談室に呼び、そして自習中の最中に待ち構えていた友達の輪に飛び込む。
かなたのやってやったぜという表情を見て、友達は悟った。自然と笑顔が浮かぶ。
「勝ちもいた!」
どや顔で両手でガッツポーズを決めるかなたに、友達は「「「おめでとうございまーす!!!!!」」」と(自習中なので)小声で音を立てずに万雷の拍手を送った。
「見て見て! 21位だって! ちょっとヤバすぎワロタではあるんだけど!」
かなたはこそこそ話をしながら友達に成績書を見せる。
「本当だ、すごいっ……!」「こんな高い順位初めて見た……」「え、てか英語の順位9位ってヤバくない?」「一番悪い科目でもこの順位か……こりゃすごい」「ちょっとズバ抜けてるよこれ」「このままの成績でいったら率明環大学とか狙えそうじゃない?」「率明!? 超ハイパーエリートじゃん!」「なんだか……かなたが遠くに行ってしまったみたいだよ……」
「えへへ……」
友達から一斉に褒められ、かなたは照れを隠せないで口を緩ませ破顔していた。
自分でも正直、出来すぎだと思っていた。学年21位――目標を優に超える成績だ。
本当に頭がよくなったのだと自惚れても……いいのかもしれない。そう、かなたは思った。
嬉しい。自分がここまでの可能性を秘めていたことなんて知らなかった。
確かに勉強していて、だんだんと分かっていくのが楽しいと思えた。勉強して楽しいだなんて思える時点で、多分自分には勉強ができる素養があるのかもしれない、と。
友達は率明だと言っているけれど、せっかくならもっと大きな目標を立ててみたい。例えば……旧帝大とか。
(そういえば雫も旧帝大狙ってるって言ってた気が……狙っちゃおうかな、ふふふふふ)
「これで最新のスマホ買えるじゃん!」「かなたの親もこれにはびっくりしてるだろうなぁ」「いやいや、そこは子の努力を信じてたっしょ」「いいなー、私も親にそんな期待されてみたいわ。親におんなじこと言ったら、は? とか言われそうで鬱ー」
そう。これで、お母さんに褒められる――かなたは心が浮き立つ。これまで、自分がやると決めてやり遂げられたことはなかった。ずっと失敗してきた。
でも、今回は目標を果たした。それも、とても高い目標を。
これなら褒めてくれるに違いない。
ワクワクした。親に褒められるのを期待できる日が来るなんて。
「かなた、すっごいニヤついてる」「そりゃ嬉しいでしょ、最新スマホよ? カメラの画質めっちゃいいんだろうなー」「生成AIとかなんか色々使えるんでしょ?」「よかったね、かなた!」
「うん! ありがとう!」
かなたはVサインを決めてみせる。嬉しくて嬉しくてたまらない。ああ、早く、お母さんから電話が来ないかな。
私から電話かけるようなことは、たとえ私が事故で怪我したとしても許されないから。
だからかなたは、母親からの電話を今や今やと楽しみに待っていたのだ。母親の電話をこんなに待ち遠しいと思ったのは初めてだ。
(とは言っても……そうそうかかってくることないから、また2ヶ月後くらいかなぁ)
そんなことを呑気に考えていた。
<ピロリンピロリン>
「え」
かなたの制服ポケットから、スマホの着信音が鳴った。学校にいるときは基本マナーモードにして音は鳴らさないようにしていたが、例外はある。
それは、母親からの着信音。
授業中であろうとも関係ない。着信には、すぐに出なければ――
「ちょいトイレ行ってくるわ!」
かなたは走るように教室から出て行った。そのあまりの突然さに友達たちはきょとんとする。もっともっとかなたを褒めたかったのに、と少し名残惜しそうにしながら。
かなたはスリーコール目で通話ボタンを押した。母親からの電話とは言え、授業中に教師に見つかるような場所で通話してはダメだと思い、かなたは校舎の階段をのぼりながら叫ぶ。
「あ、あの、お母さん、ち、ちょっと、待ってください! 今1階で、4階まで上がったら誰もいないと思うからそこまで待ってくださ――」
「貴方、とんでもないことをしてくれたわね」
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