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第77話 幻滅されたくない

 次の日。定期考査まであと一日。


 昨日と同じ時間に、倫太郎は学校の自習室にやって来た。そしてやはりかなたが自習室に居た。昨日と同じ、窓際の席。


「お、おはようございます……!」


 今日も一緒に頑張りましょう、と声をかけ、かなたは「おう」とノートを開きながら返事を返す。


 そのたった一言の、なんでもないかなたの声に、倫太郎は違和感を覚えた。


(……? どうしたんだろう、なんか元気が……?)


「あ、あの……体調、大丈夫ですか……?」


「……なにが?」


「え。あ、いや、その……ちょっと、いつもと様子が……」


「……まー、土日休みなく勉強してるからね。ちょい疲れちゃうわけよ」


 はっは、と自分の爪を見ながら笑うかなたの表情は、傍から見ればいつも通りの飄々としたものに見え、特に変だとは思わないだろう。


 倫太郎は、そうではなかった。


 昨日のような、太陽の日差しよりも眩しく見える快活さが、倫太郎の眼では萎んでいるように見えた。

 それをただの疲労で片づける方が、逆に無理があるとさえ思った。


 なぜそう思えてしまうのか。昨日から、何が違うのか。倫太郎は必死に考えようとする。

 

「……あの、本当に、大丈夫、ですか?」


「おうよ」


「……」


 これ以上聞き出そうとしても、おそらくかなたは答えてはくれないだろう。倫太郎はあきらめ、昨日と同じく隣の席に座る。

 

「……」


「……」


 倫太郎が勉強の準備を進める中、奇妙な無言の時間が続いた。

 いつもなら、かなたから話しかけてきてくれて、そして話題がどんどん膨れ上がる。

 それが、今日だけに限って、ない。


(思えば、いっつも会話を盛り上げてくれるの、鈴木さんからだったな……)


 会話の流れをかなたに任せっきりであったことに倫太郎は心の中で自省する。


(とはいっても……自分から、話しかけるにも……いや、なんか、今日は、なんだろう……話しかけてこないでっていうオーラが、出てる、ような……)


 嫌われた!? と不安になるが、隣に座ること自体は受け入れてくれているから、おそらく多分きっとそうではない……だろう、と倫太郎は希望的観測に縋る。


 チャイムが鳴る。一時間目の授業が始まる時間だ。


「じゃあ、頑張りますか」


 そう言ってかなたが教科書に目を落とし、勉強し始めた。

 

(……あ)


 そして倫太郎は気が付く。


 今の今まで――


(俺に、眼を合わしてくれない……?)



 その妙な違和感は、一日中続いた。

 休み時間も、一つや二つ、会話はあった。あの問題が難しいとか、公式の良い覚え方とか。

 それでも、かなたは倫太郎とは目を合わせなかった。

 隣に居るというのに、一緒に肩を並べて勉強しているというのに。


 かなたの会話や声には、倫太郎に対する拒否感や忌避感はなかった。

 普段通りの、いつも通りの会話。


 冗談を投げかければ返してくれるし、笑ってくれる。


 それでも、倫太郎とかなたの目が合うことがない。


 嫌われているのか、単に気分がすぐれていないのか、他に何かあったのか――かなたの真意がつかめないまま、午前、午後と過ぎて行った。


「ふー、頭詰め込んだわ。これで明日なんとかなるか。じゃ、帰ろか」


 自習室が閉まる時間になってもなお、かなたは倫太郎と目を合わせない。

 

「……は、はい」

 

 一緒には帰ってくれる、だから問題はないはずだ、自分が何か昨日失礼なことをかなたに言ってしまったわけではない、と倫太郎は自分に言い聞かせて平静を保とうとする。

 

(……いや、そうじゃないだろ。自分だけが安心していいわけがない。鈴木さんは明らかに様子がおかしい。それを、自分は嫌われてないだろうからって安心して、それで放っておけなんかできないだろ)


 駅までの道を歩く。歩幅をいつものようにかなたに合わせながら、国道の車のクラクションや街路樹のざわめき、空を飛ぶ飛行機の音を聞きながら、いつもよりも明確に口数が少ないかなたに、その理由を聞きだす機会を倫太郎はうかがっていた。


(会話って、どうやってはじめればいいんだっけ……)


 変に力が入ってしまい、肩ひじ張った状態でうまいこと会話を始められない。

 いたたまれない沈黙が続く。


(あー、うー、なんて、なんてしゃべればいいんだっ……!)


「……」


「……」


「……………………あ、あのっ!」


「ごめんね、今日顔合わせられなくて」


「え」


 倫太郎が言いかけるよりも先に、歩道のコンクリートを見つめながらかなたはぽつりとつぶやく。


「いつもの、感じじゃなかったよな、私。ごめんね」


「あ、いや、それは……」


「まあ、あからさまに目合わせなかったら、そりゃあ……君もびっくりするよな」


 乾いた笑いをしながらかなたは、今日初めて、倫太郎の顔を見つめた。

 倫太郎が見たかなたの表情は、何かあきらめた様な笑顔だった。


「……はるにゃんから何か聞いたでしょ?」


「っ!? え、い、いや、え、えっと……そ、それは、な、なんの、こと、ですか……?」


 倫太郎は思わず動揺してしまい、必死に取り繕うとするが呂律が回らない。

 

「あっはは。顔に出すぎだし慌てすぎ……昨日さ、帰りの電車に乗ってる時にはるにゃんからLANEが来てさ」


 まあはるにゃんらしいっつーかなんつうか、とかなたは苦笑いしながら言う。


 はるにゃんからのLANEのメッセージは、明日に控える定期考査を応援するものだった。どうしてはるにゃんが定期考査の時期を知っているのかは疑問だったが、勉強で疲れていたしそのまま気にしないで返事をするつもりだった。


「そしたらはるにゃんが、釘矢さんと一緒に頑張ってね! って言うもんだから、あれ? なんで釘矢君と勉強してるの知ってんだ? というか釘矢君の名前なんで知ってんだ? って思って。で、なんか気になっちゃって、はるにゃんに問いただしたんだよね。『なんか釘矢君と話したんですか?』って。そうしたらまあ……はるにゃんからめちゃくちゃ動揺したメッセージが飛んできてね。『なんでもないよー!』じゃあないんだよな。変に隠し事されるのもなーって思って、ちょっと突っついてみたら……全部吐いちゃったよ。はるにゃんってさぁ、誤魔化し切れるような性格じゃないのよね」


「……そう、なんですか」


「いやー、まさかね、はるにゃんから常鞘君経由で君に伝わるとは……たはは」


 かなたは自嘲するようにおどけて見せる。それに倫太郎はつられて笑うことができなかった。


 かなたに知られてしまった。

 自分が、かなたの大ミスを知っているということを。そして、自分が勉強する動機が、かなたを勇気づけるためだということを。


「……あ、あの、お、俺は」


「まー、君が本気で勉強に付き合ってくれてるって言うのは分かったよ。ありがとね」

 

「……は、はい」


 そうかなたに言われてしまったら、もう何も口に出せない。


「まあ元々は私がへましたのが悪いんだから」

 

 私ってホント頓馬だからなあ、と自虐する。


「……ごめん、なさい」


「だーかーら、謝るなって。何度言ったらわかんねん、もー」


 だって、と言いかけた口を倫太郎は閉じる。


(……今日、眼を合わさなかったのは……ailes d’angeでミスしたことを俺に知られて、嫌だったからですよね……なんて、わざわざ俺の口から言ったところで、なんの意味もない……)


「……はるにゃんがとった行動は、まあ、単純に言えば私がバイトでしくじった後のLANEの返事がもうちょい速かったらよかったんだな。そうすればそこまで心配されることはなかった。君に相談する必要もなかった。まあ、はるにゃんも悪気があったとは思えないし、そこはもう、別にどうでもいいよ、うん」


「……」

 

(知り合いに、自分の嫌な過去とかを知られるのは、嫌なはずなのに……)


 水木原に七馬を怪我させてしまったことを言いふらされた時も、苦しくて辛かった。


「……その、そこまで露骨に落ち込まれると私もちょっと苦しいところはあるよ?」


「っ!? あ、す、すみませんっ……!」


 倫太郎は申し訳なさそうに何度も何度も頭を下げるが、それをやめてほしいんだけどな、という気持ちになる。とはいえ、元々の原因は自分にあるわけだしここで自分が不機嫌になるのも違うし……どうしたものかとかなたは頭を掻く。


(……よく考えたら、彼もなんで私が30位以内に入ろうとしてんのかわかんねえよな、それでなんで私がここまで必死こいてんのかも知らんだろうし)


 ここで言ってしまうのもアリなのかと、かなたは思った。

 自分が親から離れて別居していることを。

 それで親への愛情に飢えてしまっていることを。


 3週間もの間、自分のために本気で勉強に付き合ってくれた倫太郎になら、言ってもいいのかもしれない。


「……えー、その」


 だが、かなたはうまく言葉に出来ない。

 恥ずかしさもあるかもしれない、だが、それ以上に――


(こんな、親に依存してしまってる情けない自分を知られるのが、怖いって、考えてしまう。これ以上彼に、みっともない自分を知られたくない……)


 あれだけ長く友達として付き合ってきた雫にも言えなかった、吐き出せなかった。長年隠し通してきたことでかなたは、自分に正直に吐露する勇気をとうとう持てないでいた。


 倫太郎がラグビーのトラウマを教えてもらったのも、倫太郎には相当勇気がいることだったのだろう、そう、かなたは思う。自分には持ち合わせていない勇気が、どこか羨ましくなる。


 声にできないまま、歩くことだけしかできない。


「……鈴木さん?」


 何かを言いかけようとして黙ってしまっているかなたを、倫太郎は不安そうな目で見つめている。

 

(……どうしよ、釘矢君困っとる)


 今度は焦るのはかなただった。

 

「……まあ、なんだ、うん。えっと……あれだ、あれ。あの、親が……ね」


「……ご両親が、ですか?」


「あれだよ、あの、30位以内に入ったら、スマホ買い替えてくれるって言ってくれて、で、それで頑張ろうとしたわけだ。まあ、だから、それが勉強頑張ろうとした理由」


「……そう、だったんですか」

 

 どこか安心するように、倫太郎は息を吐いた。


「あ、はは……なんというか、あの、かなたさんらしいですね。スマホ新しいので、やんやをもっと綺麗な画面で見たいってことですか。そりゃあ、30位目指すして頑張りますよね」


「そやね。そうそう」


「飴川さんから……すごい、切羽詰まってたって聞いてて……。最初びっくりして……よほど大変な思いとか、しているんじゃないかって勝手に思ってました」


「まあ、うん」


 その嘘で、かなたはやり過ごそうとした。

 倫太郎に嘘の理由を教えたことに対する罪悪感が体にのしかかる。


(……釘矢君に嘘つくの、なんでか分からないけどなんか、ヤな気分になるな……)

 

 だが、仕方がない、これでいいのだと自分に言い聞かせる。


 倫太郎にはこんな話を聞かせる必要なんてない。知らなくていい。倫太郎はいつものように、自分に接してくれればそれでいい。

 

 倫太郎にこれ以上、心配されたくない。気を遣われたくない。


「というわけで、まあ、そんなに心配されることでもないんだなこれが」


「……は、はい。あ、で、でも、あの、一つだけ、いいですか?」


「……うん?」


 地下鉄の駅へと向かう階段に一歩足を踏み出したところで、かなたは振り返る。倫太郎は立ち止まり、どこか気恥ずかしそうな顔をしていた。


「どした?」


「いや、あの……その……ちょっと、思ったことがあって」


「なになに、言ってごらんなさいよ私に」


 足を倫太郎の方に向きなおし、腕で顔を隠しながらもごもごもと言っている倫太郎に近づき、話を聞いてあげる。


「……俺、これまで、勉強なんて自分からしたことなかったんです。でも……鈴木さんのおかげで、初めて自分で勉強したいって思えるようになって……それで、なんか、これまで全然興味なかった、大学とか、そういえばいろんな学部あるなって思って……で、勉強したら、電車乗る時に窓からよく見るあ大学とか行けるのかな、とか、考えるようになったんです。すごく、こう……可能性が広がったなって、それが、嬉しくて」


「……そっか」


 嘘偽りない、心からの倫太郎の言葉に、かなたは胸がチクチクとする。


「鈴木さんも、与えられた目標に向かって全力で頑張ってるじゃないですか。スマホが欲しいって。その、本気になるっていうのが、俺、これまでなくて。勉強も適当でいいや、とか、ちょっと斜に構えて人生してきたなって。勉強なんてできない、って自分を、こう、セルフハンディキャップしてて。そうしたら失敗しても、ああ、やっぱりできなかったなって、自分を安心させるって言う。でも、鈴木さんってちがうじゃないですか。バイトもライブも全力でやってて。俺とは全然違う、前向きな人だなって、その…………思って」


 違う。

 私は、君みたいに、前向きな人間じゃない。


 親に見捨てられて、それでも縋ろうとして醜くもがいている情けないガキだ。自分の居場所を無くしたくないからいつも誰かと一緒じゃないと不安だし、バイト先で失敗した時は周りから無能だと思われたんじゃないか、クビになるんじゃないかと狼狽して周りを心配させたしょうもないガキだ。


 でも。


(彼には、私はそういう風に、見えるのか……)


 倫太郎は思いの丈を伝えた気恥ずかしさで顎を胸の方に下げているが、倫太郎が語る時の目の光が、背の低いかなたから見える。それは憧れの存在を前にときめいているかのように、強く、そして眩い。


(尚のこと……彼にとってすごい存在に、ならなきゃな)


 ここまで自分のことを尊敬するような人は初めてだった。それが、親に見放されたことで棄損された自尊心が、ボロボロに崩れ去った克己心が修復していくのを感じる。たとえそれがツギハギであったとしても。もしかしたらすぐに壊れてしまうかもしれないけど。


「なんか、そこまで言ってくれると恥ずかしさ通り越して怖くなるわ」


「えっ」

 

 かなたはぽつりとこぼした本音を、


「あはは。冗談冗談」


 すぐに隠した。


「頑張ろうな、明日」

 

 尊敬する存在として倫太郎の前にいるために、必ずや30位以内に入らないといけないと心の中で強く誓う。


 正直、今日の今日まで、本当に30位以内に入れるのか、入れないのか、怖くて仕方がなかった。全部逃げ出して親に五体投地して謝りたかった。無茶なこと言ってごめんなさい、許してください、と。


 でも、今は、今だけは。


 目の前にいる倫太郎に幻滅されたくないから。


 何がなんでも目標を果たしたい気持ちになっていった。なんだか、この想いをもっていれば、どんなことでもやり遂げられそうな気がした。


 ドクン。

 

 不意に胸が高鳴る。それは初めて覚える、不思議な高揚感だった。


「はい……! 頑張りましょう!」


 力強く頷いてにっこりと笑う倫太郎に、かなたはどこか救われた気持ちになった。

 そして不意に、心に浮かんだ。


 この長く苦しい期間を共に耐え抜いたからこそ、言いたかった言葉があった。

 

「そうだ、ねえ、釘矢君。あのさ、定期考査が終わったらさ……」

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