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第76話 意外とモテる倫太郎?

 チャイムが鳴る。一時間目の授業が終わった合図だ。


「んおあぁああああぁあぁ」


「なんていう声で背伸びしてるんですか」


「いやあ、集中しきった後の背伸びめちゃくちゃ気持ちよくてさぁ……おああぁ」


「まあ気持ちは分かりますけれども」

 

 倫太郎もかなたにつられるように腕を伸ばし、ぽき、ぽき、と指を鳴らした。


「君が指鳴らしてるの、めっちゃ威圧あるなぁ」


「え、もしかしてやめた方がよかったりします……?」


「いや別に全然いいけどさ。てか、なんでぽきぽきするの?」


「なんというか、こう、癖で」


「こう首を抑えながらコキ……ってするのあるけど、あれ首の骨鳴らすの実はあんまりよくないらしいな」


「でもしちゃうんですよね」


「わかるー。てか君、あれ出来るの? ほら、ヤンキーが喧嘩する前にぽきぽき鳴らすやつ」


「あー、こう、ですかね?」


「うわめっちゃ鳴る! できるんだ、すげえ。私どんだけやっても鳴らんのよな。うわーいいなー、鳴らしてー。コツとかあんの?」


「こ、コツですか……? いや、あんまり……練習して出来るようなもんでもないような気が……」


「いやね、私も不審者を相手にしなきゃいけないときにも、こう、腕を回しながらオイコラやんのか、って威圧するためにも指を鳴らしたいわけだよ」


「そんなことしないで逃げてくださいね……」


「やっぱ逃げないとダメ?」


「だめです……あの、本気で心配なので……」


「そうマジレスされると返す言葉がねえな」


「そういえば、カバンにかけてるその、スイッチみたいなのって……」


「あー、これ? そうそう、防犯ブザー。信じられんくらいにでけえ音するんだって」


「なるほど……こういうのがあると安心ですね……」


「つっても、まだ一度も鳴らしたことないからどこまで大きいかは分かんないけどね」


「でも、きっとそういう危ない時になったら、声なかなか出せないと思いますから、これがあるだけでもだいぶ助かるんじゃないかと思います」


「それ思うんだけどさ、なんか気合でどうにでもなりそうじゃね? 助けて―って言うだけで良いんでしょ?」


「いや、どうなんですかね……実際俺は、そういう不審者の人に襲われそうになったことはないので……」


「まあ君に襲い掛かる様な奴はそうそうおらんかもしれんなぁ。いうて私も声掛けくらいはあるけど襲われは流石にないよ」


「声掛け!?」


「ああ、なんか事件性のある感じじゃなくて。なんか変な”集い”をやってる人たちが『集いませんか……?』っつって声かけてきたりとか、良くわかんないセミナー勧誘とか、そういうのばっかりだけど」


「ああ、よかった……」


「でも小学校の頃一度会ったわ、一人下校してた時に、なんか知らんおばはんみたいなのが急にやってきて『早くこっちに来て!』っていうの。はえーなんじゃろなって付いて行きかけたわ」


「いやあるじゃないですかめちゃくちゃ危険な出来事が!?」


「まあなんかすぐ近くにバカでけえ黒い車があるのが見えて本能的に『ヤベぇ』と思ってすぐ逃げたけど」


「え、こ、こわぁ……」


「多分そこらの女の子、こういう経験一度や二度はあると思うよ。みんな首尾よく逃げれただけで」


「に、日本って治安良いんじゃないんですか……?」


「せやったらこんな防犯ブザーなんていらんいう話だわな」


「うおあぁー……なんか、聞いてる俺もすげえショック受けます……」


「おいおい、なんで君がショック受けるんだよ」


「……俺ってこう、体デカいから、そういう事案とかこれまで遭ったこともなかったから……そんな事件一歩手前みたいな出来事が世の中に普通にあるんだなって思って……自分って視野が狭いなぁ、って……」


「まー、あんまこういう話は積極的にするもんでもないしなぁ」


「あ、あの、俺が一緒に居る時は……絶対に、あの、守るので……」


「頼もしい限りだわ」


 わはは、と軽快に笑うかなたを見ながら、倫太郎はふと思う。

 気が付けば、オタクじゃない、普通の会話をしている、と。

 オタク同士の会話とは違う……普通の男子と、女子との会話みたいな。


(……なんで今更ドキドキしちゃってるんだ、俺)


 普段通り、普段通り、と倫太郎は自分に言い聞かせる。


「……かなた、さん?」


 ふと倫太郎は、視線に気が付く。その視線の先は、倫太郎の知らない女子生徒だった。おとなしそうな女子で、ゆっくりとかなたの方へ近づいていく。恐る恐ると、しきりに倫太郎の方を気にしながら。

 

「おー、来てたんだ!」


 かなたが手を振ってその女子を出迎えた。かなたの手を握って、ニコッと笑う。おそらくクラスメートなのだろうか、かなたとその女子は一言二言親し気に話している。


(じ、女子ってやっぱり気軽にボディータッチするんだ……)


 手を握り合う二人の様子を倫太郎は新鮮な気持ちで見つめていた。


「あ、あの……その、あの人と、お知り合いなの?」


 その女子は倫太郎の方をちらっと見てはすぐにかなたに戻した。


(すいません、怖いですよね、俺がいるの……)

 

 心の中で倫太郎は謝りながらも、『お知り合いなの?』と言う言葉になんと返せばいいものかと迷った。

 かなたはコンカフェでバイトしていることを公言していない。それゆえ、かなたと倫太郎との接点をどう説明したらいいものかと頭を悩ませる。


「そうそう。球技大会の時に私鼻血だしたじゃん。彼もバスケの試合でぶっ倒れて保健室来たから、そこで会って色々話をして、なぁ?」


 しかしかなたはあっけらかんとした顔で答えてみせた。かなたの言葉に倫太郎も「あ、はい」と便乗するようにうなずく。


「そ、そうなんだ……」


 そこから仲良くなったんだ……と女子はつぶやきながら、また再び倫太郎の方を見た。


 最初は、倫太郎の方を怖がっているのだと思っていた。特に異性に怖がられるのは慣れてしまっていたし今更傷つくこともないが、とは言え倫太郎もちょっと気まずい思いをする。

 

「あ、あの、釘矢、君……だよね?」


 だが、その女子は次第にかなたから倫太郎の方へとゆっくりと、視線を移していく。


「え? あ、は、はい……」


 まさか話しかけに来るとは思わず、倫太郎は驚いてしまった。

 

「あの、バスケ……す、すごかった、ですね……」


 その女子は少し恥ずかしそうにうつむきながらも、倫太郎にそう告げる。

 仄かに桜色に頬が染まっている。上目遣いで、もじもじしながらもしっかりとその言葉を倫太郎に伝えるために、勇気を出しているかのようだった。 


「え、あ、は、はい……?」


 女子から褒められる機会なんてめったにあるものではなく、倫太郎は困ったようにソワソワとしてしまう。


「あの、す、すごく近くで、だ、ダンク見て……あ、あんなに、高く飛べるんだって……」


 彼女は熱っぽい眼をしながら、もう一度しっかりと、倫太郎の顔を見つめた。

 

「かっこよかった、です……」


 胸元を手でぎゅっと抑え、倫太郎に思いを伝える。

 倫太郎のバスケの試合は、これまで恐怖の対象であった倫太郎の印象を変えただけではなかった。チームの頼れる存在として戦う倫太郎の姿に時めく者も、少なくはなかった。彼女も、そのうちの一人だったのだ。

 

 色めき立つ女子の目線を向けられて、倫太郎は――

 

「あ、ありがとう、ございます……」

 

 しかし、感謝以外の感情は湧かなかった。

 バスケの試合を褒められるのはシンプルに嬉しかったし、悪い気持ちになるわけもない。


 ただ、それだけだった。


 チャイムが鳴る。二時間目の授業が始まる合図だ。

 

「……あ、えっと、そ、それじゃあ、ね……かなたさん」


 彼女なりに倫太郎からの反応に”脈がない”ことを察して、かなたに手を振りながら彼女は逃げるように二人から離れて行った。


 倫太郎は特段気にもしないように、勉強の準備をしている。

 

「ずいぶんとそっけないねえ」


 かなたはぽつりと、ちょっといたずらっぽくつぶやいた。

 

「え、あ、そ、そうでした!? いや、あの、そっけないつもりはなくて……その、女子の、人に怖がられることが多かった、ので、自然とよそよそしくなっちゃったんだと思います……」


「ほぉん」


 実は恥ずかしがってるのを隠してるだけなんじゃないか、とかなたは邪心するが、倫太郎の表情を見るに本当に鈍感なのだろうかと察する。

 

 ――私にはよそよそしくならないんかい。


 というツッコミをかなたは飲み込んだ。


 なんか、それを言ったら、自分まで恥ずかしくなりそうだったから。


 

 ◇◇◇



 そのあとも、一緒に昼ご飯を食べたり、互いに問題を出し合ったり、互いに得意不得意な科目を教えあったりと、2人は一日中一緒だった。


 自習室にはそれなりに生徒たちが来ていたが、半数くらいは休日の緩い空気に誘われるように勉強に手が付けずに無為に時間を過ごしていた。その生徒たちに比べたら、倫太郎とかなたの2人は極めて有意義な時間を過ごしていたと言えた。


 自習室が閉まる夕方になり、あっという間に時間が過ぎたと倫太郎はどこか達成感に満ち溢れたような気持になる。


「いやぁー、頭詰め込んだぜぇー」


 かなたは満足げな表情で机の上を片付けて、そして隣に居る倫太郎に言う。


「ありがとな。君のおかげで、いつも以上に集中できたぜ」


「こ、こちら、こそ……これだけ一日中勉強漬けになったの、高校受験の時以来……いや、あの時以上かもしれないです……」


「あはは。そりゃーよかった」


 さて、とかなたは立ち上がる。「帰りますかー」とつぶやき、倫太郎はつられるように「あ、はい」と答えた。

 

 当たり前のように、一緒に下校する友達が居る。そのことが倫太郎は、いつまで経ってもちょっと慣れない。

 妙な気恥ずかしさと、そして、身に染みわたる様な嬉しさ。


「小学校の頃さ、七夕ゼリーあったじゃん。ailes d’angeでそれをメニューに入れようって前に話が上がった時があってさ。いろんな色のゼリー作ろうって。お菓子作りとかやったことないからわかんないけど、推しと推しの色を組み合わせるのとかお客さんめっちゃ喜びそうじゃね?」

 

「あっ、楽しそうですね……鈴木さん、ゼリー作るんですか?」


「お店でねー。家ではまぁ……作らんわな。君はあれか、お母さんに作ってもらってんでしょ、ねえ」


「俺は……弁当、は、自分で、作ってます」


「え、マジ!? すご」


「ま、まあ……ヨーチューブを見て、見よう見まねで、やってるだけですけど」


「それだけでも相当すげえよ、てか、何作ってんの?」

 

「魚の、照り焼き、とか……あと、チキン、ソテーとか……凄い簡単なものしか作ってないです、けど」


「へー! ようやっとるやん、たいしたもんだよほんと」


 学校から駅までの道のりを歩いている間の何気ない会話でも、倫太郎は幸せをかみしめていた。


 駅に着く。倫太郎とかなたは反対方向だ。ホームで別れ際に、かなたは言う。


「また、明日な!」


 小さな体で大きく手を振るかなたのしぐさに愛おしさを覚えながら、倫太郎は元気よく答えた。


「はい、また、明日!」


 そうして別れた後、かなたは1人電車に乗っていた。今日も大分頭を使ったな、家に帰って今日くらいは早めに寝ようかな、と思っていた。


(それにしても……釘矢君、やっぱり私の事情、知らないで勉強についてきてくれたんだな……)


 電車の窓の、移り変わる景色を見ながらかなたは、安心しきったように息を吐く。

 それがうれしかった。

 知られたくない自分の苦しみや悲しみから、遠いところに居てくれる。


 それがうれしい。


 自分の穢れきった心を、悟らないでいてくれる。


(釘矢君だけが、この世界で、純粋な存在で……)


「……あ、はるにゃんからだ」


 ふと、LANEの通知が来ていることに気が付いた。 


 そういえばあのailes d’angeで大ミスした時にはるにゃんから慰めのメッセージが送られてきたときに返事を返したきりだ。あの時の返事も平静を保とうとしていて、いつものメッセージの空気と全然違っていたのを今更ながら思い出し、苦笑する。


『明日試験だよね 釘矢君と一緒に頑張ってるんだよね 応援してるよ!』

 

 そのはるにゃんのメッセージの文章を見て、ふふっと笑いながら返事をしようとした。


 しかし、返事を返そうとした指が、ふと止まる。


「……あれ?」


 かなたは顎に指を置き、しばし考える。


「……なんで、はるにゃん、釘矢君の名前知ってんだろう」

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