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第75話 きみとなら わたしは

 気がつけば、かなたは1人だった。

 放課後の自習室に、かなたはいた。広々とした自習室は友達同士で隣同士座っている生徒たちも多く、私語厳禁の名目は半ば破られているような状況だった。


 そんな中、かなたは1人黙々と勉強している。

 いつもだったらクラスの友達と駄弁っているか、ailes d’angeでキャストたちとお客様と会話しているか、雫とオタク話に花を咲かせているか。どちらにせよ家以外の場所で1人になることはかなたにとって珍しいことだった。


 どうせ家に着いたら、孤独だから。

 だからせめて、家以外の場所では、誰かと一緒に居たかった。


(……そう考えると私、もしかして結構……寂しがり屋……なのか……?)


 数学の問題に行き詰まって別のことを考えてしまっていた自分に気がつき、ふう、と息を漏らす。

 

 腕をグッと真上に伸ばし、華奢なかなたの体からぽき、ぽき、と音が鳴った。

 

(雫にずっと勉強教えてもらう訳にもいかないし……そもそもこんだけ勉強すんのも元々私の我がままだし、そのわがままに付き合わされるのもアレだし……私なんかのために時間取らされるのも……あー、またマイナス思考になってる!)


 毎日丁寧に手入れをして育った滑らかな髪をくしゃっとかき分け、かなたは頭を切り替えようと、ふと顔を上げる。


「……あ」


 ひときわ大きな体をした男子生徒が、自分の座る席の右側前方に居た。

 いつの間に自習室に来たのかも分からない。示し合わせたわけでもない。


 自分の目線に気が付くこともなく、倫太郎は1人、一心不乱にルーズリーフに文字を書きなぐっている。

 おそらく暗記をしているのだろうか、カリカリカリ、カリカリカリ、とシャーペンを滑らせていた。


 隣に座っているのは倫太郎とは関係ない人なのだろうか、自習に飽きてスマホをいじっている。ほかにあたりを見渡してみても、友達と駄弁ったり疲れて眠っている生徒もいる。


 この空間では倫太郎だけが、真剣に勉強に向き合っていた。

 

 倫太郎の誰よりも大きな背中を見ながら、かなたは思う。


(……本気で、やってんだ)


 倫太郎のことを信頼していないわけではなかった。

 あの時、LANEで活き込んでいた倫太郎の言葉は決してまやかしなんかじゃなかった。

 自分の本気に、本当に向き合ってくれている。

 

(……わ、わわ)


 耳がキュッと赤くなって、何故だか急に恥ずかしくなった。倫太郎の背中から目を背けても、心臓の高鳴りが止まらない。

 疲れかけていた体力に不思議な活力が湧いてくる。


(あー、もう……顔が、ニヤけるぅ……)


 嬉しかった。ちゃんと、倫太郎が真剣にいてくれていることが。


(……頑張ろう)


 胸に抱いた思いを込めるように、かなたは再び教科書に向き合った。


 

 ◇◇◇



 家に帰っても、かなたは出来る限りの時間を振り絞って勉強に勤しんだ。

 その最中、倫太郎からLANEでチャットが入ってくる。


『今日こんなに紙消費しました!』


 と、書きなぐってヘタれたルーズリーフが十数枚も重ねられた写真が送られてくる。

 どうだ、と言わんばかりのメッセージに、かなたはふふっと笑う。


『やるやん 私も今日数学の範囲一通り終わらせたわ』


 お互いに、LANE上で戦線の状況を報告しあう。

 これまではテンセグやらなんやらのオタクの話で盛り上がっていたのが、今では勉強で互いにマウントを取り合うようにメッセージを送っている。


 もちろん、そのマウント取りは悪意はない。


 ――本気で30位目指すのなら、これくらいやって当然ですよね、鈴木さん?


 ――当たり前だろうがよ。君こそ私の壁になるくらいにせいぜい頑張ることだな。


 互いに発破をかけあい、高みを目指していく。

 倫太郎が本気でいてくれるからこそ、自分も気を抜けないでいられる。


(……これまでよりも、今の方が、気持ち的には楽……)


 倫太郎との勝負を意識するのが不思議と、気持ちが楽だった。


 勉強するのは、変わりないのに。


 高すぎる目標に苦しんでいるのは、これまでと違いはないのに。

 

(……変な、感じ)


 火照った頬に手をやって机に肘をつきながら、かなたはほんの少しだけ物思いに耽った。


 油断すると、ついつい脳裏に倫太郎の顔が浮かんでくる。


『じゃあ、学年順位で負けた方が勝った方の言うことなんでも聞くとかどうや』


「……私、彼に負けたら、なんでも言うこと聞かされるのか……」


 自分で言っておきながら何言ってんだか、とかなたは自分で自分を嗤おうとして、はて、と考える。


「……というか、いやまあ、負けないように頑張るだけだけど……仮に負けたら、何されるんだろう、私……」


 オタク相手に”なんでも”という言葉を使うことはいろんな意味で極めて危険性が高い。

 その”なんでも”に無限の可能性を見出そうとしてくるからだ。


 例えば――


「……えっちなこと、とか?」


 かなたは下を向いて、自分の肢体を見やる。薄手のパジャマの生地は薄い胸にぺたりと張り付いていて、ふくらみもまるでない。

 女児用の着せ替え人形の平坦でちょっと骨ぼったい体が、そのまま人間サイズの倍率に変わったようなものだと自分の体をそう評する。

 

「……こんな私みたいな貧相な体になんの価値もないだろ、うん。それにほら、男子高校生なんてみんなおっぱいとか好きだし……………………あ˝ー、なんだか自分で言ってて恥ずかしくなってきたぁ……」


 そもそもとして倫太郎がそんな要求をふっかけてくるような人間ではないのは分かっているのだが、それでもかなたは”もしも”のことを考えてしまうと、そろそろ眠らなきゃいけないのにどんどんと目が冴えていってしまう。


「いや、うーん……テンセグのあのスチルの再現をしてほしいっていう……くらいなら……。指舐めはさすがに駄目だけど、タイツの足ですりすりならまぁやってやっても……いやでも、うーん……。素足って言われたらちょっとヤかなぁ……。腋すりすり、は……いや、もっとないな……地肌はやっぱり抵抗感あるな……まあ、足の裏見せるくらいなら、そういうプレイの一環として……テンセグのスチル再現しようぜみたいなノリでやってもまあ……いい、けど、いい、のか……なぁ……?」


 そもそもなんで負けたときのことを考えてるんだ私は! とかなたは冷静になるために自分の頬を叩いた。


「違う違う違う! こういう時は私が勝った時だろ! 勝った時……彼に”なんでも”言うことを聞かせられるのか……あー、何がいいだろ……。彼にしてほしいこと……。うーん。なんというか、彼……大体なんでもやってくれそうだし、実際やってくれたわけだし……今更というのもあるが……。どこまでセーフかって思ったけど、彼のことだから全部受け入れてきてきそうで怖いんだよなぁ。テンセグのジュエルを次のアニバ記念のガチャで全消費させる……は流石に鬼畜すぎるか。でも見て見てえんだよなぁ彼がガチャでどんどんジュエル溶かしていく様子とか。上振れても下振れてもめっちゃおもろい反応しそうだし……見てぇ~…………じゃなくて! 勉強しなきゃ! 今日ここまでやるって決めたんだから!」


 ふう、と息を吐いて、識りなおす様に机に向き直った。

 勉強はいつでもどこでも辛い。相変わらず何度やっても分からないところは分からないままだし、このまま30位以内を狙えるか不安になって仕方がない。

 

「……ふっ。やばい、彼には悪いけど……ガチャで大爆死した時の反応想像しただけで、笑い止まんねえ……」


 でも、倫太郎のことを考えたら、その辛さが忘れられる。

 


 

 そんな勉強の日々が数日続いた。

 最初は意味が分からなかった教科書の内容も、少しずつだけどだんだんと、分かってきた。

 何事もはじめの一歩が一番苦しい。何もわからず何もわからない状態から”理解”をすることは苦痛以外の何物でもない。

 でも、その苦痛をかなたは乗り越えた。


 次第に、最初躓いていた問題も、選択肢も、分かるようになってきた。

 分かり始めたら、なんだか、ちょっとだけ、楽しくなってきた。


 それが一週間、二週間と続いた、そんなある日のことだった。

 

 ◇◇◇


 

 明後日の月曜日に定期考査が控える、土曜日。かなたは学校にいた。

 テスト前は部活動が禁止されていて、普段であれば野球部やサッカー部の声や吹奏楽の音が鳴り響く校舎が、しんと静まり返っている。

 その代わりに、学校はテスト前に勉強する生徒のために自習室を開放していた。

 これまでの土日は家で勉強していたが、学校の方がより集中できるかなと思い、単身乗り込んできたのだ。

 解放されている自習室は、朝早く来たこともあってまだ人気は少ない。


「ふぅ」


 窓際の机を確保して、カバンを置く。窓の方を見ると、空は真っ青だった。透き通るような、晴れ晴れとした、さんさんと輝く日差し。


「夏だなぁ……」


 なんだか青春みたいな空気を感じた。

 まあ、一人ぼっちだけど、とかなたは自嘲気味に笑おうとして、

 

「あ、あの……」


 背中から誰かが声をかけてきた。

 

「え?」


 振り返ると、そこには――


「って、釘矢君じゃん!」


 かなたは驚いた。まさかこの土日にもやってくるとは思わなかったから。


「お、おはよう、ございます」

 

 にへら、と倫太郎はかなたに柔らかな微笑みを浮かべる。


「き、来てたんですね……」


「おうよ。家よりも学校の方が集中しやすいと思ってさ」


「あ、わかります……図書館とかも考えたんですけど、自習のスペース埋まってたりとか、案外うるさかったりするので……」


「学校だと変に誘惑するもんないしなー」


「あ、あと……制服着てるのも、こう、気持ちがしゃきっとするって言うか……」


「それもあるわ。学校私服で行けんからだるいと思ったけど、逆にこのほうがやる気出るよなぁ」


 そんな当たり障りのない会話をしながら、倫太郎は、


「……あ、あの」


 思わせぶりのように躊躇った様子で次の言葉を探っている。


「なに、どうしたのさ急に」


 窓のサッシに背中を軽く預けながらかなたは笑った。


「……と、隣、いいですか……?」


「え? ああ、うん、いいよ?」


 何を恥ずかしがっているんだか、とかなたはクスっとしながら、隣の椅子を倫太郎のために引いてあげる。


「ほら、どうぞー」


「……ありがとう、ございます」


 大きな体を懸命に小さくして椅子に座る。倫太郎の規格外の体格では、学生用の机はあまりにも小さい。背中を無理に丸める必要があり、見るからに大変そうだ。


「本当に今更だけど、君って体でかいよねぇ」


 感心するようにかなたはその隣に座る。お尻周りのスカートを手で押さえるようにして座り、さらりと綺麗な髪をたくし上げながら倫太郎を見上げる。


 倫太郎の高い背から、かなたのうなじ、白くて柔い後ろの首筋が見えてしまい、倫太郎は目をそらしながら「は、はは……」と頭を掻く。

 

(お、思い切って隣いいですかって聞いてみたけど……へ、変に思われてないかな……!?)


 これまで放課後の自習室でかなたを何度も見かけていたが、席が早々に埋まる都合上隣に座る機会はそうそうなかった。

 いつも毎日のように夜遅くまで頑張っていて、(おそらく教室で駄弁っていたのであろう)クラスの友達と肩を並べて一緒に帰る様子をずっと見ていた。


 自習室ではずっとかなたは1人だった。

 だから、自分も一緒に、2人で、勉強したいとずっと思っていた。


 かなたの隣で、支えてあげたかった。

 

(驕り高ぶりかも、しれないけど……)


 一方のかなたと言うと、


(しっかし本当に手も肩もでけえなおい)


 倫太郎の想いやりの方向とは全く別のことを考えていた。


(まあなんか、体がデカいからかもしんないけど、釘矢君が隣に座ってると安心するわな)


 倫太郎の体で作られる大きな影に守られるように、かなたは安心しきった顔で勉強の準備を始める。


「で、勉強の具合はどうよ? 前にLANEで送ってた時はずいぶん英単語の暗記進んでたらしいけど」


「あ、は、はい。とりあえず一通りは覚えた、つもりです。発音記号はちょっとまだですけど」


「あれって覚える意味あんのかねってずっと思ってんだよな、発音記号。ライティングでリスニングすな、って思っちゃうわ」


「でも英語の先生そこすごい気にする人じゃないですか。授業の時とか頻繁に英文読まされますし」


「あー、そういうタイプの先生よな。今回のテストも発音記号の問題でるんかなぁ」


「10点分は出そうじゃないですか?」


「だよなー、うぜー。じゃあはい問題。alternative、ってどこが強調するでしょうか?」


「え、あ、えっと……あー、なんだったっけ……”na"、ですか?」


「ぶぶー。"ter"でしたー」


「え、あ、そうなんですか!? オルタァ! ナティブか……」


「まって強調が極端すぎて笑う」


「わ、笑わないでくださいよ……オルタァ! ナティブ」


「追撃やめろばか」


 腹を抱えながらかなたは倫太郎の脇を手で突っついた。


「あ、あひゃぁ」


「なんだその発音」


「く、くすぐりは弱いんですよ、俺……」


「……」


「良いこと思いついたみたいな顔するのやめてください!?」


 チャイムが鳴る。平日と同じ時間で、今がちょうど一時間目の授業が始まる合図だ。朝早い自習室は静かで、かなたと倫太郎の二人の声がちょっと目立つくらいには人が少なかった。


「べ、勉強やりましょうか」


「うむ」


 チャイムを合図に、さっきまでの楽し気な会話をきっぱりと切り上げ、2人は粛々とテスト勉強に集中した。


 隣同士というのを意識しすぎもせず、ただ無関心と言うわけではなく、程よい緊張感で二人は集中する。

 すぐそばに勉強を頑張っている人がいる。そんな状況で手を抜けるわけがない。


 それが10分、20分と過ぎていく。

 家よりも集中しているためか、疲労もたまりやすい。

 倫太郎は自分なりにまとめた数学の公式集をもう一度おさらいするようにノートに書いていくが、ちょっとした覚え間違いが1つ、2つ見つかった。ああ、もう、テストはもうすぐなのに、と嫌な気持ちになる。

 本気で勉強してきたつもりだった。英語も数学も理科も社会も、覚えることが多すぎる。暗記をするにも範囲が多いし、なんど覚えてもすぐ忘れてしまう。

 正直、嫌になることの方が多い。いくら単語単語を一つずつ覚えても、それが理解につながらない。基礎的な要素しか出てこない一問一答形式のテストならできるかもしれないが、例えば記述問題やら応用問題になるともう手が付けられない。数学の問題も、ちょっとカッコの位置が変わるだけでもう意味が分からなくなる。


 自分には勉強の素養がない。掘っても掘ってもダイヤモンドにたどり着けない(例の画像みたいな)。

 

 スポーツや芸術なら、たとえ不慣れであっても”才能がないから”で済まされるのに、こと勉強となると”やればできるでしょ”みたいになるのが本当に嫌だ。勉強だって向き不向きがあるだろ、と思いたくなる。


(ああ、嫌になる……)


 無意識のうちに奥歯をギリギリと噛みしめる倫太郎は不意に、隣に居るかなたの横顔を、見た。


「……」


 倫太郎の目線に気が付かないほど集中しているのか、かなたは一心不乱にノートに向き合っている。

 勉強自体に集中できること自体、そもそも凄いことなんじゃないかと倫太郎は思う。

 

 まつげがピンと立ち、小さな唇と頬が、柔らかな餅のよう。

 いつもは笑って冗談を言う表情が、真剣そのものの目つきでペンを走らせている。

 

 時折口元に人差し指を押し当て、思案する。背景は窓から差し込む青い空。BGMは、暑い日指しで透けるカーテンの擦れる音。

 

 多分、きっと、いや絶対――


(……世界で一番、可愛い人だよな……)


 そんな人の顔を間近で見られるなんて、なんて幸福なんだろうか、俺は。そう思うと自ずと活力が湧いてきた。

 気だるい暗記にも取り掛かろうという気持ちが湧いてきて、倫太郎は腕をまくってペンを握りなおす。


(……見すぎだよ、えっち)


 かなたは心の中で、倫太郎にあっかんべーした。

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