第72話 私が、頑張らなかったのが、悪いんですから
三日三晩、寝る間を惜しんでただひたすら勉強した。やみくもに、痛い頭を押さえながら。
朝3時までただがむしゃらに勉強をして、寝不足のまま学校に行って、授業中もテスト期間中とあり「ここがテストに出るかもね」という普段は退屈そうに授業を受けている生徒たちの興味を惹こうとばかりに餌を垂らす教師のやり方にいら立ちながらも、かなたは眠い眼を必死に開ける。
途中、朝の登校時に初めて買ったエナジードリンクを飲んだ。
(な、なんだ、これ!?!?)
一口飲んだだけで頭が冴える。初めて食らうカフェインの暴力に、かなたは自ずと興奮する。
(無敵じゃん! これ飲んだら、なんでもできるじゃん! エナジードリンク最高や! 睡眠なんていらんかったんや!)
クラスメートからは「なんか体調大丈夫? 目が死んでるけど……」「メイクもボロボロじゃん、何かあったの?」と不安の声をかけられるが、かなたはカフェインの興奮の最中で「だいじょうぶだいじょーぶ!」といつにないほどのハイテンションで応えた。
これまで頭がぼんやりしていたのが嘘みたいだ。授業に集中できる。もうこれ一本で良い。
これを毎日飲み続ければ勉強だって、バイトだって、いくらでもできる。
睡眠時間だってもっともっと、削れる。
そう確信していた。
だが、普段から食生活が細く基礎代謝が低いかなたにとって、エナジードリンク1本はあまりにも劇薬すぎた。
放課後になってバイト先に向かう頃には、そのカフェインの過剰摂取の代償が早くもかなたに襲い掛かって来た。
(あ、れ……なんで、こんな、急に、眠く)
カフェインから覚め、前借していたスタミナが一気に枯渇する。
体力がほとんど残っていないような状態で、かなたはailes d’angeにたどり着くころにはもうフラフラな状態になっていた。
一日一本が目安だと注意書きがされているエナジードリンクをもう一本買って飲んで、気力を保とうとする。
おつかれさまでーす! といつも以上に声を張ってあいさつをして、化粧室でいつも以上に厚くメイクをしてごまかしきれなくなってきた目の隈を隠した。
他キャストたちは、かなたの様子がいつもとおかしいことに気が付いていたが、かなたは「大丈夫です!」「頑張るんで!」としか言わない。
それに、今日に限って客足が多い。かなはた一人ほくそ笑む。(やっぱりそうだ、ここで私が休んだら他の人に迷惑がかかるに決まってる。だから、私はちゃんとしないといけないんだ)
(私は、何も、間違っていない)
かなたは気が付く。
足に力が入らないことに。
頭は明瞭なのに、カフェインで思考がはっきりしているのに、体が自由に動かせない。
(動け、動けってんだよ、おい、バカ、何してんだ、私)
やらなきゃ、やらなきゃ――と、死に物狂いでデコレートしたパフェとコーヒーをトレイに乗せて、ドリンクを待つお客様の方へと歩いて、
膝が、笑った。
へにゃりと、糸が切れた操り人形のように、その場に倒れ込む。
その拍子に、トレイに乗せていた山盛りのクリームが乗ったパフェと真っ黒なコーヒーが、客の頭にめがけて飛んで――
◇◇◇
「今日のことは全部忘れて、帰っておいしいもの食べて寝ること」
後始末を他キャストに任せられ、かなたは店長にバックヤードに呼ばれた。
そうしてガチガチに緊張して顔をうつむかせていたかなたに向けられたその言葉に、思わず顔を上げてしまう。
「え……」
優しい言い方だった。
ミスをして、失敗して、期待に応えられなかったのに、そんな言い方されたのは、初めてだった。
絶対に、クビになると思ったから。
大切なお客様の服を汚してしまって、それにファッションに気を遣う人だったからその服の弁償のことも考えただけで今月のバイト代が飛ぶと思っていた。
行けるって大丈夫だって言ったくせにこの体たらくで、こんなどうしようもないカスみたいなミスをするような、大丈夫じゃないくせにバイトに来るような嘘つき人間なんて職場にいるだけで迷惑だと思われるに違ないと思っていた。
見捨てられてると思っていた。
母親のように。
「テスト期間中、まあ休みなさい。それで勉強しっかりやって、体力戻してから、またシフト入ること」
だから、もう二度とこの店で働けないと覚悟をしていたから、かなたはただただ、店長の言葉に驚いていた。
「……まだ、この店に、居ても、いいんですか」
「一回のミスだろ。それに……私の責任でもある。大切なキャストの体力状態をちゃんと見えていなかった」
弁償のことは考えなくてもいい。店の方で補填する、と店長はかなたを安心させるように付け加える。
「い、いや、わ、私のせいです……全部、なにもかも、全部、私が、私が……」
その優しさを向けられても尚かなたは、ふるふると、拳を握りながら震えていた。
自分が見にまとっているメイド服が、なんだか馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
私、こんな格好して、何やってんだ。
「私が、頑張らなかったのが、悪いんですから」
「誰かに言われたのか。その言葉」
店長が、静かな声で言う。
「いや、じ、自分で、かんがえ、まし、た」
かなたは、嘘をついた。
「……いいか、若いうちから頑張りすぎるな。夜更かしとか、若いうちは出来るかもしれないけれど、不摂生な生活をすると十年後二十年後に必ず響いて来るからな。それにエナジードリンクも飲みすぎるなよ。あれは大事なイベントの時とかに、体力満タンの時に全力を出すためのものなんだからな」
健康が一番なんだからな、と店長は優しく諭す。
その優しさが、
かなたは、
真正面から受け止められなかった。
「あの……店長さん」
メイド服のスカートを握りながら、かなたは勇気を振り絞って言いたかった。
『どうして、私を、怒鳴らないんですか』
怒鳴らないということは、しからないということは、自分に対して期待していないからじゃないんですか。
私の母親は、私に期待していたから、もっともっとできるはずだって望んでいたから、ああやって怒鳴っていたんですよ。
でも、店長はなんでそうしないんですか。
優しくするんですか。
私のことなんて、どうでもいいとおもっているんじゃないんですか。
「……ごめん、なさい」
それを言いだす勇気も、元気も、今のかなたにはなかった。
◇◇◇
(今日、鈴木さん屋上来なかったな……。勉強で忙しいからっていうのは、分かっているんだけど……)
同時刻。寂しい思いをしながら、倫太郎は岐路に付く。
家には、母親と父親がいた。
いつも通りだ。
よそよそしくて、こちらの機嫌をうかがおうとしている。
「足りないものはある? ほら、お金、上げるから。好きなものに使っていいんだよ」
「い、いら、ないから」
母親から5万円を渡されそうになり、倫太郎は拒絶した。
あの時からずっとだ。
ラグビーを続けろと言われた時に、倫太郎は父親の肩を掴んでいった。『なんで、なんでっ……なんでわかってくれないんだよぉ!』と。
肩を掴むこと。それはコミュニケーションの内の一つのつもりだった。
ラグビーをやってきて、コンタクトをする機会が多かったから、自然にとった行動だった。
それに父親は、膝から崩れ落ちた 怯えた目をしていた
『わかった、わかった……だから、ゆ、ゆるして、くれ』
父親からしてみればもう、倫太郎は可愛い可愛い息子ではなかった。
一つ手をひねれば、簡単に大けがをさせられるような人間だと思われていたのだ。
『倫太郎、お願い、やめて、やめて……』
母親も、はたから見て倫太郎が父親に暴力をふるおうとしたと見えた。
倫太郎が何を言っても変わらない。
自分の息子が親を殴るような人間だと思われたことに、倫太郎は強いショックを受けた。
結局、それ以降、父親と母親は自分に対して常に機嫌を取るようになっていた。
不気味だった。
おこづかいが欲しいと言えばいくらでもくれるだろう。新しいスマホが欲しいと言えば買ってくれるだろう。
不気味だった。全部が。
「き、今日も、倫太郎が好きな唐揚げ、作ったから……た、食べて」
「いいよ、もう」
週に何回唐揚げを作るつもりなんだよ。そう心の中で呟きながら、倫太郎は私室へと向かう。扉を閉めてしまえば、両親が近寄ることはない。
家の中でここが唯一、一番安全で安心できる場所だった。
制服を脱ぎ捨て、中学校の頃のジャージに着替える。倫太郎の体の大きさともなると、ちょうどいいサイズの服装を探すだけでも精一杯だ。
「はぁ……いい加減、本気で勉強、しないと……」
倫太郎はこれまで勉強に真面目に取り組んだことがなかった。そんなことよりラノベやゲームをしていたかったから、という理由で。
その理由のまま、両親は何も言ってこない。倫太郎の好きなようにしなさい、と優しく言っているようでその実、腫れ物に触れたくない、暴力を受けたくないという怯えがあるからだ。
「殴るわけないし……自分より小さくて筋肉もない人なんて……」
誰からも勉強しなさいと言われないまま学生生活を過ごしていたら、中間考査は下から数えた方がはるかに早い順位だった。
バスケ組の友達と勉強しても、結局雑談に逸れてしまって雑談の方が頭に残ってしまうのも、勉強に熱意を持てないからだ。
「このまま勉強しないまま……だったら、大学どこにも受からないよな……」
漠然とした将来の不安だけがあって、かといってじゃあ真面目に勉強するかと言う気持ちにもならない。
「はぁ……自分に甘い人間だ、俺……」
そう考えると、テスト勉強に精を出すかなたがすごいと思う。
「いつもすごい人だけど、鈴木さんは……。なんというか、バイトも、ライブも……あんなに一生懸命に、頑張って……」
これまでの人生で、自分が胸を張って頑張れたと言えるものはなかった。
かなたなら、きっとたくさんあるんだろうな、と倫太郎は思う。
ちょっと前会った時は様子が変に見えたけれど、多分きっと、大丈夫だろう。
「鈴木さんはすごい人なんだから……大丈夫。それよりもまず自分のこと考えないと……」
そう思いながらも、教科書に手を伸ばす動きは鈍く、代わりに(まずはイベント戦の攻略情報を見るか……)とテンセグのまとめサイトを見ようとスマホに向ける目だけはするりと動いて――
突然、LANE通知が来た。
しかも、電話で、
しかも――
「つ……常鞘君からっ!?」
まさか、と言うのも失礼かもしれないと思うものの、雷華の電話の要件がまるで思いつかない。個別でメッセージのやりとりをしたこともないし、そもそもLANE自体をどこか嫌っている風ですらある。
何か自分が失礼なことをして雷華を怒らせてしまったのか? という変な方向にまで考えが及んでしまい通話ボタンを押す手に緊張が走ってしまう。
「は、はい……も、もしも――」
息を呑んで、決意するように通話ボタンを押すと――
「あっ! クギ様っ! え、あ、えっと、あの、その……く、釘矢君、でいいんだよね!? え、らいか、らいかー! これクギ様のLANEで合ってるよね!? え、クギ様って呼ぶなって? だってしょうがないもん! お店以外でこうして会話するの初めてなんだから! クギ様の本名も今日初めて知って――」
「まってまってまってください!? え? あ、あの……あ、あなたは……?」
倫太郎の記憶が間違っていなければ、電話口の声は、ailes d’angeのキャストで、かなたと仲の良い……
「あ! ご、ごめんね! え、えっと……常鞘遥陽です! あ、ちがった本名じゃなくて……はるにゃんです!」
「はるにゃんさん!?」
確かにはるにゃんは雷華の姉だ。だから雷華のスマホを借りて自分に電話をかけてくるのは別に不可能じゃない。
だが、電話口のはるにゃんは相当混乱しているのかわちゃわちゃと話していて要領がよく掴めない。
断片的に伝わってくるのは、ailes d’angeのこと、パフェのこと、そして、ソフィアのこと。大変で、どうしたらいいのかわからない、自分が何ができるのかわからない、どうしたらいいのか――
「あ、あの、はるにゃんさん、その……」
遠慮がちに倫太郎が要点をまとめようとして話を最初から戻そうとすると、電話口の向こうで雷華の呆れたような声が聞こえてきた。
「だからお姉ちゃん、慌てて言うなって。そんなに焦ってんなら電話する前に自分が何を言いたいのかまず紙に書いて要点を――俺が代わりに言ってって!? はぁ、もう、お姉ちゃん……いいよ、かわるからスマホ返して。うん、大丈夫。大丈夫だから。はいはい、別にこれくらいで呆れたりしないから。好き好き。お姉ちゃんのこと好き。はい、これでいい? まったくもう……」
慌てふためいている姉を宥めすかし、雷華はため息をつきながらスマホを握り直す。
ゆったりとしたコットン生地の長袖長ズボンの部屋着で私室のベッドの上に腰かけ足を組み、倫太郎と通話を試みた。
「おい、聞こえるか」
「え? あ、うん…….(さっき、お姉ちゃんのこと好きって言ってなかった……?)」
「なんか言いたいことあんのか?」
「え!? あ、い、いや、な、なんにもないよ!?」
「……さっきのこと聞こえてたら、そのこと誰かに言いふらしたら殺すからな」
「い、言わないよ……ただ、仲良いんだなぁ……って、ほっこりしちゃっただけだから……」
通話越しからでも雷華の重いため息が伝わってきた。
「嫌味を言う才能でもあんのか?」
「ええ!? そ、そんなことないよ!? お、俺……一人っ子だったから、羨ましくて……」
その言葉に、雷華は嘘偽りのない純粋無垢な倫太郎の表情が思い浮かび、舌打ちを打つ。悪意がない分、それはそれでタチが悪い。
「……まぁ、いい。で、鈴木のことだが……」
「そ、そうだ! す、鈴木さんに一体、何が……」
「それを今から言うから黙って聞け」
そして雷華は、はるにゃんが店長から聞いたと言う、今日かなたがコンカフェで巻き起こしたトラブルを話した。
読んでいただきありがとうございます! 評価、ブックマークよろしくお願いします!




