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初めてできた友達は、小さくて可愛いコスプレ好きなオタクの女子高生でした。  作者: 安田いこん
第三章 198センチの陰キャオタク君が球技大会で頑張る話
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親は最も身近な他人

「ただいまー、つって」


 今日もバイト楽しかったな、彼とも色々オタクの話して笑ったなとか思いながら、かなたは誰もいないアパートの部屋の玄関のカギを開け、中に入る。


 独り暮らし用の、一通りの備え付けの家具があるだけの部屋。長期出張のサラリーマンが暮らすような殺風景な部屋だ。

 そこに、かなたは中学生の頃から一人で住んでいた。


 一人暮らしをしていることを、かなたは誰にも言っていない。雫にさえも諭されないようにしていた。


 親に――いや、妹に迷惑をかけないようにするためだ。


「よっこらしょっと……」


 かなたは疲れた体をいたわるようにリビングの床に寝転がって、スマホの光を浴びながらSNSでネットサーフィンの旅に出る。


 夜7時。育ち盛りの女子高生であればおなかが空く頃合いのはずだが、かなたは何も食べる気にもならない。

 親から支給される生活費を少しでも浮かして趣味のお金に使いたいという思惑もあった。

 だが、それ以上に、既製品の食料品を食べることにかなたはわずかばかりの抵抗感があったのだ。


 本当に食べたいのは、コンビニ弁当なんかじゃなくて、心がこもった、温かい――

 

「っべ。化粧おとしてなかった」


 かなたは寝転がる体を必死にたたき起こし、何とか死に物狂いで立ち上がって洗面所に向かう。化粧したまま寝ても大丈夫でしょ、とコンカフェのバイト初めて間もないころに先輩たちに何気なく言ったところ、先輩たちから『洗いなさいっ!!!』『かなたちゃんまだ若いんだからそこで怠ったら本当にダメになるよっ!!!』と鬼気迫る顔で迫られ、今ではその教えを忠実に守っていた。

 

 化粧を落とすついでについでに備え付けのシャワールームで汗を流し、ドライヤーもそこそこに、先輩たちから『私には合わなかったからこの化粧品あげるね』『これ試供品余っちゃってるから使っちゃって』と言われて山ほどくれた乳液や保湿ローションを塗りたくってようやく一息ついた。


「はぁ、ここまでだりぃルーティンあんの女の子ってだるすぎンゴねぇ」


 JKってどうしてこうも面倒くさい工程があるんだろうとか思いながらリビングに戻る。リビングの棚には、かなたが置いている神楽坂やんやのアクリルスタンドが数体ほど並んでいる。

 小さくて、可憐で、穢れを知らない、大きな瞳。

 こんな面倒な化粧やら化粧落としやらの工程なんてなくても、そんなことをしなくても、二次元にいる彼女はいつだって美しく、そして可愛らしい。


「やんやはいつだって可愛い子だねぇ」


 そのアクリルスタンドの、頭の輪郭を指で愛おしそうに撫でまわす。

 

 この世界の汚いところを知らない、テンセグの世界で輝く一番星のようにキラキラと輝いて”生きている”、やんやのことがかなたは本当に大好きだった。


 そして、プレイヤーである自分に対し、とびっきりの愛情を向けていてくれることも。

 

 自分がやんやのことを好きであれば、やんやはそれにいつだって応えてくれる。

 

「やんや。私のライブ……よかったでしょ?」

 

 壁には、やんやのコスプレの衣装をハンガーで大切に飾っている。ライブで来た衣装だ。

 この衣装を纏って歌って、本当に自分がやんやと一つに慣れた気がした。

 色々トラブルはあったけれど、それでも最終的には本当にいい思い出になった。


「こんなどうしようもない私だけど……愛してくれるかな、やんや?」


 ふふ、と微笑みながらかなたはもう一度やんやの頭をなでる。

 やんやの答えは常に、かなたの頭にあった。


『すっごーいっ! かなた、すっごくお歌が上手なんだね! 私、とっても胸がドキドキしちゃった!』

 

 そう返してくれるだろうという確信があった。

 なぜなら、私とやんやは、結婚を決めた仲なのだから。


 家族になると、決めたのだから。


 家族であれは、お互いの心が分かって当たり前だよね。


 うん。


 当たり前。


 家族って、そう言うものだから。


<ピロリンピロリン>


 床に置きっぱなしにしていたスマホの着信音が鳴る。


「おっ。なんだろ、誰から?」


 名残惜しそうにやんやのコスプレから離れ、スマホの画面を見た。


「っ……」

 

 かなたの目が、凍り付く。


 途端に心臓が張り裂けるように高鳴り、めまいすら覚える。


 動悸が止まらない。浅い呼吸しかできなくなる。


 ガンガンと、後頭部が殴られるような感覚に陥る。


 スマホの画面で映し出されていた発信者の名前は、母親、だった。


 かなたを家から離れて一人暮らしをさせることを決めた張本人であり、


 かなたの全てを握っている存在。


「すう、はぁ、すう、はぁ」


 初めて呼吸を覚えたかのようなぎこちなさで、かなたは息を吸って吐く。


 スマホの着信音が鳴るたびに、心臓が突き刺されるかのような心地になる。


 やがてかなたは意を決し、唾を必死に飲み込んでから、通話ボタンを、押した。


 耳にそっと、スマホをあてる。


 ぎゅっと、目をつむる。


 何を言われるのか、何をののしられるのか、怯えるように。


「聞こえてる?」


 母親からの声が、かなたの鼓膜を揺らした。


 その一声を聞いて、かなたは悟る。


 母親の声は、怒ってはいない。


 たただた、確認のための電話だ。


 そう思えば、母親の、実の子に対して愛情も何も込められてないような声にでも、安心してしまった。


「き、聞こえて、ます」


 親に敬語を使うことをかなたは全く疑問視していない。

 

「週刊誌があんたの居場所を嗅ぎまわってる。家を出る時は身なりに注意しなさい。不審な行動をとらない。仮に記者が近づいてきても、何か言われても黙ること」

 

 かなたは背筋を伸ばしながら「は、はい」と言う。


 そうだ。

 私と言う存在は、母親にとって邪魔な存在だ。

 できる限り、この世で空気のようにいなければならない。

 そのために私は両親と……あの子と、妹と、別居しているのだから。

 

 日本中から愛されている、妹のために、私という存在は、出来損ないである自分は、隠れないといけないから。

 

「もうすぐ”あの子”の全国ツアーが始まるから、ここで余計なゴシップでも流されて活動に支障が出たら、どれくらい迷惑が被るか分かっているわよね」


「……はい」


 かなたは重々承知してた。

 親としても、妹をマネージメントする立場としても、わずかな炎上の火種は徹底的につぶさないといけない。


 全国ツアーにどれほどのお金が動いているのか、かなたも言われずとも知っている。


「それじゃあ、いつものように口座にはお金入れているから。あんたの好きなように使いなさい」


 母親はそう言って、通話を、数か月ぶりだという愛娘の電話だというのに、1分もたたずに切り上げようとする。

 それがかなたは普通だと思っていたから、それを受け入れようとした。


 わかりました。


 その一言で、終わろうと思っていた。


 なぜか、


「あの……お母さん」


 かなたは、とっさに、母親に言葉を投げかけた。


 今までだったら、自分から母親に何かを言うことはしなかったかもしれない。


「なに」


 冷たい母の声がする。


 その声で、幾度となく自分の自尊心が削られてきたのをかなたは身をもって知っている。

 自分は才能がないだけでなく、やる気も情熱もない、”ちゃんとしていない”子どもなのだというレッテルを張られ続けてきた。


 妹があんなにできるのに、どうしてお前はできないの。

 妹はこれもできる、あれもできる。お前は何で何もできないの、怠けているの、ふざけているの。

 

 どうして毎日真剣に真面目に生きていないの。

 

 妹のように。


 だから”自分なんて”と思うことが普通だった。

 自分なんて大した人間じゃない。どうしようもない存在だと、親に言われ続けてきたから。

 

「あの……」

 

 だけど、自分の中で、何かが変わってきた気がする。


 あのライブを経て、一生懸命歌を頑張って――数十人のライブ会場だけど、それでもものすごく盛り上げることができて、みんなから褒められて……。


 何かが、自分の何かが、変わった気がした。

 

 もう、あのころの、親に呆れられてばっかりの自分じゃない。


 成長しているんだ。自分だって。


 だから、だから、だから。


「あの、その……」


 かなたは声がおぼつかなくなる。


 それがあの倫太郎っぽいなって思ったら、かなたは変に緊張が解けた。


「え、えへへ」


「何笑ってるの」


「あの……私、これまで、何も、出来なかった。お母さんに、褒められるようなことができなかった。でも……」


 コンカフェで働いているんだよ。そのコンカフェでライブもしたんだよ。

 学校だって球技大会でみんなから応援されながら戦ったし、それに……。


「私が言ったの覚えてないの? あなたにはもう何も期待していないって」


「っ……あ、は、は……で、でも、でもっ……」


 ダメだ、このままだといつも通りだ。


 何か、言わないと。


 何を言えばいい。


 何を言えば、お母さんに褒めてもらえるんだろうか。


「私、私……つ、次の、き、期末考査で……い、いい成績出すよ」


「……」


 母親は黙っている。


 そうだ、母親は明確な数字を言わないと認めない。

 頑張るとか、そんな抽象的な言葉ではだめだ。

 じゃあ、どうする。


「が……学年、さ、30位以内に入るよ!」


 確か、学年30位以内に入っていることが、大学の推薦を受けるために必要な条件だったはずだ。

 受けたい大学なんて、ないけど。

 

「……はぁ」


 呆れている。

 これは、自分ができるわけがないと思っているんだ。

 じゃあ、やってやればいい。


 そうしたら、母親の予想を超えることが出来たらきっと、褒めてくれるはずだ。


「私、頑張るからね!」


 電話が切れた。


 ドッと、汗が出る。


 言ってしまった。

 母親に、やる、と。

 宣言した。


 そうしたら、やるしかない。


 プールの教室で上のクラスに上がる。

 バレエの発表会で主役を張る。

 絵のコンクールで入賞する。


 これまでさんざん親に期待だけさせてそれに応えられなくて、ついに習い事を全部やめさせられた。

 それはそうだ、決めた目標をことごとくやぶったのだから。

 それは当然のことだ。


 期待に応えれば、あの子のように、親も、褒めて褒めて、褒めつくしてくれるのだから。


 定期考査まで、気が付けばあと3週間。

 前の定期考査の順位は、210位だった。

 どう考えても、絶望的な目標だ。

 それでも――


「……やるしかない」


 やんやのコスプレ衣装を見る

 その袖を、つかむ。


「やんや……ごめんね、こんな、ダメ人間で……でも私、頑張るから」


 やんやのコスプレ衣装は、何も言わない、何も語らない。


 ただただ、そこに居た。

 かなたが愛する存在のシンボルとして、姿形を変えず、どこにも行かず、無言で、鎮座していた。


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