第65話 どうなったって、もう、いいよ
「いい加減に、しろっ……!」
水木原は倫太郎が倒れている隙に、速攻のドリブルでシュートを決めた。17対20。いとも簡単に3点差に戻る。試合はあと、1分を切った。
「風治、わたせ」
雷華がパスを要求し、そのまま自分で自陣ゴールへとドリブルをする。それに手知と暇木が必死な顔になってついていく。互いに目を合わせながらパスを送る。
三人も、疲労が限界を迎えようとしていた。走るだけで息が途切れ、呼吸が上手くできない。
そんなの、関係なかった。
倫太郎の必死のプレーを見て、全力を出さないなんていう選択肢はなかったから。
「手知、絶対入れろ。入らなかったらぶん殴る」
ディフェンスが手薄になっていた手知に、雷華はパスを送る。シュートを決めるチャンスは、ここしかない。
雷華の強い言葉に萎縮は、しなかった。
(絶対に、絶対に、絶対にっ……決めるんだぁ!)
手知はゴール下で、必死にジャンプして両手でポンと、ボールを高く上げた。そのボールは奇跡的にゴールリングの内をころころと転がり、ポストを揺らした。
19対20。試合終了まであと、30秒。
「相手止めろ! 全力でボール奪えっ!」
風治が声を張り上げる。雷華たちは最後の力を振り絞り、相手選手の前に立ちパスを防ごうと必死になる。
そしてボールを持つ水木原に、倫太郎が立ちふさがった。
もう目の焦点が合っていない。こっちを向いているようには見えない。
それなのに、倫太郎の左右を抜けられない。
反射的に塞がれる。倫太郎の加速するスピードに、一瞬でも追いつかれたらボールを奪われるから。
だから水木原はボールを奪われないことだけに集中する。
もう、シュートは決めなくていい。
(ああ、クソったれがぁっ……! このまま、時間切れで終わらせてやるっ……!)
屈辱だった。最終的に、倫太郎のチームに時間稼ぎまでしなければならないなんて。
考えもしなかった。ここまで接戦になるなんて。
(ボール奪う、奪う、奪う奪う奪う奪う奪う奪う奪う奪う奪う奪う)
時間を稼がれているのは倫太郎は分かっていた。だから、ボールの行方を倫太郎は目で追う。水木原の最後の力を振り絞ったステップやフェイクを、倫太郎はかろうじてついていく。
これ以上、立っていられなくても。
たとえ、足が震えていたとしても。
(賭けに、出るしかないっ……!)
倫太郎はわずかに見せた水木原の隙を突こうとして、右手を水木原の抱えるボールに向ける。それで水木原の体勢が僅かに崩れれば、そこから足を踏み出して、水木原の逃げ場を潰そうとした。
ズルッ。
倫太郎の視界が急に揺らいだ。
(えっ)
右足がガクッと崩れる。コート上に滴った汗で、右足が滑り、それを堪える筋肉がもう、残っていなかった。
ダンッ!
倫太郎があおむけに、倒れた。
風治達が思わぬ事態に仰天する暇もなく、水木原は倫太郎を侮蔑するように見下しながら、倫太郎の脇をドリブルで通り過ぎる。
「だっさ」
もとより、倫太郎の肉体は限界だった。少し足を滑らせただけで持ちこたえられないほどに筋肉を使い果たしていたのだ。
「あぁっ、ぁっ……」
倒れ行く体で、手を、無謀にも、水木原に向ける。むなしく、空を切った。
「そこでみじめに試合が終わるの見てろよ」
水木原は嘲り笑いながら、そのままドリブルでボールを……
「……!?」
手にしていたはずのボールが、無かった。気が付けば、すぐ近くに、風治がいた。
水木原が倫太郎に目線を僅かに向けていた隙を狙った。それに全てを賭けたのだ。
「てっ……てめえええ!! 雑魚がぁ!!」
風治は水木原の怒号を無視し、一気にゴールへと向かう。
相手の選手も、気力を尽くしてディフェンスに戻っていく。囲まれ、シュートコースがふさがれる。
風治は絶好のシュート位置に居ながら、止まってしまっていた。
「あっははあぁ! お、お前っ……ほんっとうにディフェンスがいるとシュートできねえんだなぁ!」
「そうだな」
風治は高くボールを上げた。
ディフェンスの選手の頭上をはるかに超える、高さに。
「当然、お前、立ってるよな?」
何度も何度も、自分がそこにいることを信じてパスを渡した倫太郎。
だから最後のプレーは、倫太郎を信じたかった。
「ぼー、る……」
倫太郎の足はもう、力が入らない。それでも、高く上げられたボールの意味を、知っている。
誰もいないゴール下。そこに高々と飛ぶ、ボール。
「いか、な、きゃ」
全部の力を使って、倫太郎は立ち上がった。確固たる意志があって立ち上がったわけじゃなかった。
本能だった。
立ち上がらなければならないから、立ち上がる。どんなに意識がもうろうとしても呼吸をすることは忘れないことと、全く同じだ。
もう今度こそ、肉体がバラバラになる。多分、着地ととともに、意識を手放すだろうと、倫太郎は悟っていた。
自分が傷ついてまで、しんどい思いをしてまで、呼吸が絶え絶えになるまで動いてまで。
自分の動きが、まるでスローモーションのように思える。だが、トップスピードでかけ走り、膝を曲げ、ジャンプの姿勢になる。
どうしてここまでやるんだ。
(自分の、ため、じゃない……。自分だけのためだったら、こんな、しんどい思いなんて、しない……。じゃあ、誰のためなんだ)
自分以外の、誰かのため。
(……みんなの、ため……)
自分が疲れてへこたれて座り込む。
そうしたっていい。
それは、自分の名誉が傷つけられるだけなら、もしかしたらそれでいいかもしれない。
でも、それだけじゃない。
戦ってくれる、雷華。風治。暇木。手知。
応援してくれる雫。
そして、自分のために戦ってくれた、かなた。
みんなの名誉を、誇りを、守る。
そのために、走る。飛ぶ。投げる。
それが、スポーツなのかもしれない。
(ジャンプしたら、もう、後はなにも、ない……)
倫太郎は、膝を曲げ、高く、高く、ジャンプした。
「高えええええっ!?」「すげえ、飛んでるっ……!」「え、まって、あ、あれってっ……も、もしかしてっ……!」
わぁっと高らかな声が上がる。皆、倫太郎を見上げている。そして、ある予感を抱く。
もう試合時間はわずかだ。パスをする余裕もない。
そして倫太郎がキャッチした地点は、ゴールのすぐそばだ。
まさか、まさか、まさか来るのか。
最後の最後に、一発を、お見舞いするのか。
高く飛んだ倫太郎の眼に、バスケのリングが見える。ボールを持った両手は高々と、上げている。
最後の力を、懸命に、振り絞る。
「いっけええええ!! ぶちかましたれぇ!!」
試合を見守る生徒たちの歓声の中から、かなたの声が聞こえた。
かなたのためなら。
体を張って戦ってくれたかなたのためなら。
この後、ぶっ倒れたとしても。
「どうなって、もう、いいよ」
倫太郎はボールを両手でつかみ、そのまま、ゴールポストに、それを、たたきつけた。
ドォォンッ!!
倫太郎の最後の力を振り絞ったダンクが、決まった。
それと共に、試合終了のブザーが鳴り響く。
得点ボートに、刻まれる。倫太郎のダンクが。
21対20。
最後の最後で、倫太郎のチームは、逆転した。
味方の選手の声が聞こえる。周りの生徒たちの驚きの声が聞こえる。
それがまるで、さんざめく草木のように穏やかのように聞こえて――倫太郎は、目を閉じ、ゆっくりと意識を、手放した。




