第64話 覚醒
ドクン、ドクン、と血液が熱く波打つ。喉から出てきそうになるほどに、心臓が高鳴る。
倫太郎の肉体を、再び、蘇らせる。
(……そうか)
倫太郎は思い至る。人間が怒りの臨界点を超えた、先を。
(本当に怒ると、人って……こんな、冷静に、なるんだ)
すべてが、静寂の中に居た。
知覚するすべてが、鋭利に感じる。一挙一足の自分の動作を機微に捉えられる。
過剰な集中力で、倫太郎の汗が引く。
「お前、なぁ、俺が疲れてプレス止めると思ってんだろ。試合終わるまで続けてやるよ。だから惨たらしくつぶれろ、ゴミが」
「もういいから」
「あ?」
「もう、しゃべらなくていいから」
倫太郎はボールを、股下から投げた。
「なぁっ!?」
突拍子もない倫太郎の奇行に水木原は虚を突かれるも、それが苦し紛れでしかないだろうと高を括っている。
倫太郎が手を伸ばすよりも先に、水木原は転々と転がるボールを取った。
「悪あがきかぁ!? くたばれカスぅ!」
そのまま、自然と、左腕の側で、抱える。
倫太郎の手が、ボールを掴んでいた。
「……は?」
倫太郎が向ける先は、転がるボールではなかった。水木原が先に取ることは分かっていた。
だから、水木原が癖で構える向きに向かって、手を滑らせていた。
倫太郎の手により、ボールがはじかれる。
「なぁ!?」
はじかれてフリーになったボールを倫太郎は、瞬歩がごとく長い脚で、数歩でとらえる。すぐにつかみ、そのままドリブルで突っ走る。
状況が硬直していた中、他の選手たちの反応が鈍る。
倫太郎は誰よりも先に、ゴール下に近かった。
「ダンクだぁ!!」
観客たちが色めき立つ。
ついにあの水木原のプレスを突破したのだ。その解放感で、一気に逆転ののろしを上げるダンクを、ここで決めるんだ。
そんな期待感で怒涛のような歓声が体育館を響き渡らせる。
その歓声に煽られるように、水木原のチームが一斉に倫太郎を止めようと向かう。
止めなければ。何が何でも、倫太郎にダンクをさせたら、”流れ”が変わってしまうと。
「……」
倫太郎は、冷静だった。
10点差を埋めるために必要なものは、2点のダンクじゃない。
流れでもない。
3点入るスリーポイントシュートだ。
倫太郎はノールックで、風治にパスを渡した。
信じていたから。
風治ならきっと、勝つことを諦めないでいてくれて、自分にボールが渡ることを予測しているはずだから。
「お前……恐ろしい奴だよ……」
風治は倫太郎からのボールを、余裕をもって受け取った。
風治も分かっていた。ここでダンクしたら、逆転の可能性が低くなるだけだと。
「そうなったら俺がここで……外すわけにはいかねえじゃねえかよ」
風治は完全フリーになった状態で、シュートを放つ。
スリーポイントラインを優に超える位置から放たれたボールは、きれいな曲線を描き、ゴールポストに滑り込んだ。
11対18。7点差になった。
「す、すげえ!!!!「スリーポイント入ったぁ!」「反撃だぁ!!」「いけえ! 頑張れー!!!」
試合を見守っていた生徒たちは理解する。ただの憂さ晴らしのダンクで2点を取るんじゃない。勝つために、シュートが外れるリスクを負ってまで3点を取りに行ったんだ、と。
「風治君、ナイスシュート!」
倫太郎が風治に声をかける。溌溂とした表情と声に風治はちょっとびっくりした。
まるで人が変わったかのようだった。
倫太郎の声に、風治は軽快に答える。
「勝つぞ、釘矢」
「うん」
スリーポイントシュートを、よりによって馬鹿にしていた風治に決められ、水木原は苦々しい顔になる。
「よこせ! 速攻で行くぞ!」
怒鳴りながら水木原はボールをもらう。そしてドリブルで一気に走り抜けようとする。
「は……はぁ!?」
水木原のドリブルが、止まった。
「同じようにプレスかけてやる」「僕とっ……」「暇木君、そして、常鞘君の、三人ならっ……!」
雷華、暇木、手知が、三人で水木原にゾーンプレスを掛けに来たのだ。
「こ、この、カスぞろいがぁっ……!」
雷華たち三人は、倫太郎がゾーンプレスで追い詰めされている様を見ていた。
自分がどれだけ頑張ろうとしても、助けられない。そんな状況を見せつけられていたのだ。
そこで黙って傍観しているほど、落ちぶれてなんかいない。
『おい、暇木。手知。もし釘矢が突破してゴール決めたら、アレと同じこと水木原にやるぞ』
雷華がプレーの合間、暇木と手知に伝えていた。暇木と手知は即座に合意した。
ただただ倫太郎が苦しい姿を見ているだけなんて、嫌だったから。
自分たちも、倫太郎のためになんとかしてあげたい。あれだけチームのために献身的に頑張っている倫太郎のために、自分たちができることをしたい。
その思いが、即興のゾーンプレスを産み出す。
「か、カスがぁ! 雑魚が集まったって関係ねえんだよ!」
即興であるがゆえに、水木原のドリブルを止めるのに精いっぱいで、デイフェンスは穴だらけだ。
パスが通る隙間が生まれる。
その隙間を見抜き、水木原がパスを出した。
「あぁ!?」
隙間を生んだのは、暇木だった。雷華との間のスペースを埋められず、その隙間をボールが通ってしまう。
自分のミスでパスが通ってしまい、暇木は自らの失態で目の前が暗くなる。
「通すよね、その隙間」
倫太郎がパスコースを防いだ。
「はぁ!?」
水木原は眼をむく。
倫太郎は三人のディフェンスを見ながら、暇木と雷華に隙があるのを見抜いていた。だから、そこに十中八九通すと確信していた。
だからそこにあらかじめ目星をつけ、パスを受け取る相手の選手との距離感を精査し、予想通りにボールを奪う。
「く、釘矢君っ! ありがとうっ……!」
暇木が歓喜の声を上げる。どこか、信じていた。自分のミスをきっと、倫太郎ならフォローしてくれるだろうと。
「風治君っ」
相手選手がすでに反対側のコートでパスを待ち構えていた分、自陣は水木原以外味方しかいない。倫太郎は悠々と、風治にパスを送る。
「冷静に、冷静に……」
風治は呼吸を整えながら、フリーの状態で再度のスリーポイントを決めようとする。
「カスがぁ! お前みたいな試合で役立たずが二回も打たせると思うんじゃねえ!」
(……あ、これ、どうしよう)
水木原の突進を見て、倫太郎は反射的に、その進路に自分が入れば防げるのではと思った。
ルール上、倫太郎が体を固定した状態で立っていれば、倫太郎がファウルを取られることはない。相手の進路をふさぐブロッキングという立派な戦術である。
そして倫太郎は、ファウルを取られないようなブロッキングができる余裕が、あった。
(あー……通そう、かな……)
あったが、倫太郎は、あえてそれを無視した。
体との接触を恐れていた……ではない。
自分が正当な立ち位置にいて、そこに水木原が突っ込んでぶっ倒れる分には、倫太郎にとって何も躊躇するようなことではないから。
ただ、直感があった。
(風治君なら、この距離感なら、決めてくれる)
風治がシュートするタイミングと、水木原が間に合うタイミングを考えたとき、わずかに、風治が先にシュートを完遂できる。
もしも、水木原が勢い余って風治と接触する可能性があれば……。
倫太郎は、水木原を、見逃した。
見逃されたことを知らず、水木原は風治を体を張って止めようとした。
水木原が予想するよりも早く風治はシュートのモーションに入った。両手で、ゆったりと、しかし確実に、放つ。
そしてそのコンマ秒差で、水木原は風治の手を、叩いた。
水木原の予想では、そこにボールがあるはずだった。それをはたき倒す予定だった。
そのボールは宙を浮き、ゆるやかに下降し……ポストを揺らす。
14対18。4点差になった。それだけではない。
白宮が、水木原のプレーに呆れた様な表情を浮かべながら笛を吹く。
「……ファウルアフターシュート」
シュート後に水木原が風治にファウルをしたとして、スリーポイントの得点が認められた状態で、なおかつフリースロー1回が風治に与えられたのだ。
4点分……ダンク2回分の働きだ。
「すげえええええ!!!」「あ、あっという間に点差縮まってる!!」「これまさか、これまさかがあるっ!?!?!」
今日一番の盛り上がりと言っていい歓声が体育館を埋め尽くした。
呆然とするのは、風治。
(え、入った……入った……? 二連続で……? 俺が……?)
想像もしたことがなかった。
だって、何回も何回も練習しても、本番の試合で一本もスリーポイントが入ったことなんてなかったからだ。
だから、練習した努力なんてなんの意味もないと思っていた。
全部、無駄だと思っていた。
モテようとしたあさましい自分のあがきが、全部くだらなくてみじめだと思っていた。
だけど、今は――
「風治ーーー!!! かっけええぞーーー!」「お前やるじゃねえかぁー!」「どんどん決めたれー! 逆転しろー!!」
生徒たちから熱い声援を送られている。男子も、女子も。そして……
「すごい、すごい、すごいっ!!」
きゃあきゃあと、飛び跳ねながら喜んでいる雫の姿を風治は見た。
自分のプレーをみて、喜んでいる。
たゆんたゆんと、魅惑的な胸を揺らしながら。
(やば、し、集中ができなく……)
「風治君、さすがだね!」
倫太郎が元気な声で飛び込んでくる。それと同時に雷華も「お前バスケ上手いな」暇木も「え? なんで今ファウルになってフリースローになったんですか? バグ?」暇木も「と、とにかくスーパープレーってことじゃない!?」と思い思いに風治をたたえる。見守っていたクラスメートたちも風治の逆転を呼ぶビックプレーに歓喜の声を上げていた。
(お、俺……い、今、めっちゃ、震えてる……やばい、に、にやけが……)
突として背中をバンと強くたたかれた。
外野からやって来た多車だった。
「風治。ここからだからな。ここでフリースロー、決めてからだからな」
多車は風治に気合を入れなおす。
「……分かってるわ」
その多車の言葉で冷静になった。まずはこのフリースローを決めないと、お話にならない。
風治は気合を入れなおす様に、指を鳴らす。
「ちょっくら、3点差にしてくるわ」
倫太郎たちは声を上げて風治を後押しする。ムードは完全に、倫太郎のチームだった。
「……今のは誰がどう見ても完全なファウルだ。お前、なにしてんだ? あんなファウルを覚悟してまでする点差でもないだろ? 何考えてんだ? 考えてバスケしてんのか? お前がこんなくっだらないプレーするとはな。中学で何学んできたんだ?」
白宮は、一人肩を落とす水木原に、冷酷な言葉を投げかける。
「……」
水木原は何も反論できない。ただただ、背中を丸め、全身で呼吸することしかできない。
そんな水木原に味方選手が声を掛けようとするも、その水木原の負のオーラで近寄れない。
きっと、どんな言葉をかけても、水木原のプライドを逆撫ですることになるだろうから。
さらに、水木原の単独プレーで、選手たちは辟易とするものを感じていた。
一人でバスケをやって、試合を終わらせようとする。いくらそれが勝ちに一番近い方法だとしても、反感を覚えるのも無理はない。
水木原のチームの熱意は明らかに、冷え切っていた。
風治のフリースロー。ディフェンスもいない。一人だけの世界。
風治は冷静沈着に、フリースローを決めた。
15対18。3点差。
「ああ、もう、もう、もうっ……!!}
水木原がボールを受け取りながらも、試合の残り時間を確認する。2分を切ってる。
だったら、もう、わざわざ危険を冒してまで速攻する必要はない。
ゆっくり、じっくりと、時間をかけて攻めればいい。
水木原は苛立つ心を抑え込みながら進もうとする。雷華と暇木、手知も即興のゾーンプレスが一回限りでしか意味がないことを分かっているから、仕掛けてはこない。
(カスどもが、ラッキーパンチでいい気になってんじゃ……)
ヌッと、水木原の正面に大きな影が覆いかぶさる。
倫太郎が、水木原の進路をふさぐように立っていた。
「はっ。もう、スタミナ尽きてんのに、ようやるわ」
さっきのゾーンプレスで、倫太郎が精魂尽き果てているのは分かっていた。ダンクまがいでのダッシュも、試合直後のスピードと比べてだいぶ落ちていることも分かっていた。
体力がなくなった今、ただの物置でしかない。
これまでと同様に、ステップであっさりと倫太郎の傍を通り抜けようとする。
だから、倫太郎のディフェンスもこれまで通り余裕で抜かせると、水木原は確信していた。
倫太郎の体が、水木原の視界を覆うまでは。
「っ……!?」
あり得ない。水木原は動揺する。
自分のスピードに、倫太郎が追いつくことなんて、試合中一度もなかったから。
抜こうとすれば簡単に抜けられていたからだ。
「……」
倫太郎は無言で、水木原を威圧する。
もう二度と、抜かせはしないと。
「ふ、ふざけっ……」
水木原はもう一度ステップをきかせ、抜こうとする。倫太郎の手が水木原の握るボールに触れる寸前まで近づき、水木原は慌ててそれを戻した。
「は、はぁっ……!? お、お前っ……ま、まさか、これまで、わざと、抜かせてっ……!?」
そう考えないと理解が追いつかない。
「……」
倫太郎はその問いに答えない。
なぜなら。
自分でも分からないからだ。
なんで今、水木原を止められているのか。
なんで今、限界なはずの体が、機敏な動きをできているのか。
全く分からない。
教えてほしいくらいだ。
どうなっているんだ、俺の体は。
(俺の体、誰が動かしているんだ……?)
そんなことさえ、倫太郎は思う。
正直、水木原のドリブルについていけばいくほど、肉体が悲鳴を上げている。
筋肉の繊維がブチブチと切れる音が聞こえてくるよう。誰かが勝手に、自分の肉体のリミットを外しているとしか考えられない。
自分で自分を殺しているような感覚さえ覚える。
それが、なぜか、倫太郎は、
楽しかった。
「っ!」
倫太郎はわずかに水木原の手元から浮いたボールを、叩いた。
「しまっ……!」
倫太郎はこぼれたボールをすぐに取ろとする。だが、叩く力が強く、コート外まで出そうになる。
「うああああああっ!!!」
倫太郎はダイブし、ボールを片手で必死にコート内に戻した。
そのダイブの勢いが止まらず、倫太郎はコート外に倒れ込んだ。
倫太郎のダイブで、見守っていた生徒たちが驚いたように身を引く。ボールは雷華の手元に戻る。風治にパスを渡そうとするが、相手のディフェンスの方が速いことを見抜き、雷華が自らシュートを放った。
雷華が静かに拳を握る。シュートが決まり、 17対18。とうとう、1点差に迫った。歓声がより一層、一層と大きくなる。
試合は続いている。倫太郎は、一度倒れ込んだまま、立ち上がれない。
周囲が、ざわざわと騒ぎ始めている。誰かが、保健室の先生を、呼ぼうとしている。それくらい、どうしようもない状態のように見られているのかと、倫太郎は変に冷静になる。
分かってる。立ち上がらなければならないことなんて、分かってる。
だが、一度足を止め倒れ込んでしまい、肉体が”休んでもいい状態”なのだと脳が錯覚していた。
地面は冷たく、頬がひんやりとする。
気持ちがいい。心地がいい。
ずっとこのまま、寝そべってしまいたくて――
「頑張れっ!」
ハッと、倫太郎は顔を上げた。肉体の、精神の限界を超えた反射速度だった。
「あともうちょいだぜ、頑張んな!」
かなたが膝を抱えながら、おどけた微笑をたたえ、つぶらな瞳で自分を見つめている。
鼻に詰め物をしていてもなお、その鼻は小さくこぶりで、それすら可愛くさえ見えてしまう。
「勝つんだろ?」
幻覚だと思った。都合の良い夢だと思った。
でも、これが現実だと倫太郎は理解していた。
こういう時、かなたは、倫太郎の背中を押す。
決まっていつもそうだ。自分を一歩前に踏み出そうとしてくれる。
そんなにコスプレ喫茶が怖いなら、無理していかなくていい。
そんなに人が怖いなら、無理して掃除のバイトに行かなくてもいい。
そんなに球技大会が嫌なら、無理して参加しなくてもいい。
そんなこと、一度たりとも言わない。
疲れただろ? もう十分頑張ったんだから、もういいよ。そのまま、倒れたままでいいよ。
だなんて、言う訳が、ない。
倫太郎は起き上がった。周囲の生徒たちがやおら驚く。試合の笛を握る白宮は、倒れ込む倫太郎を無視して進めようとしている。
「ありがとう、ございます……」
倫太郎は、かなたにそう言い残して、コートへと戻って行った。
かなたの近くにいたクラスメートは、恐る恐るかなたに声をかけた。
「……あ、あの人の表情、なんか、こ、怖く、なかった……? 真剣な顔、なのは分かってるんだけど、わ、私、が、頑張ってって、声をかけるのも、無理だった……」
かなたは笑い飛ばす。
「怖くなんかないよ。だって」
倫太郎の大きくて広い背中を見ながら、かなたは言うのだった。
「かっこいいじゃん。スポーツする人って」
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