第55話 バケモノなんかじゃない
「思った以上に大長編で遠回りしちゃったぜ。大量にドライアイスもらっておいて正解だったな」
「す、すみません」
倫太郎はペコペコと頭を下げ、かなたは「いいよ、いいよ」と笑い飛ばす。
「それに、歩いて食べるアイスっていうのも新鮮だしねー」
「は、はい」
かなたはカップに入ったアイスをスプーンで掬って口に入れる。
クリームチーズにイチゴのジャムが混ぜ合わされたおしゃれな味で、名門店らしい華やかな香りと深みのあるコクだなー、とかなたはちょっとおちゃらけるように言う。
倫太郎は北海道の牛乳で作られたシンプルなミルクアイス。優しくて、心が安心する味だと、倫太郎は思う。
『大切な人たちと味わう』と銘打たれたアイスをかなたと一緒に食べていると、過去の心の傷を曝け出しても、胸が苦しくならない。
ずっとずっと抱え込んでいた重荷が、少しだけかもしれないけれど、解放された気持ちになる。
(それでも、七馬先輩に、ラグビーを諦めさせた罪悪感はずっと、ある……)
バケモノ。
そう呼ばれることに、陰で言われることに何も感じなくなってしまったのは、いつからだっただろうか。
「……私は、さ。ほら、運動なんて全然できないし、100%君の気持ちを理解できないかもしれない。でも……」
かなたは唇に付いたイチゴの粒を舐めながら、倫太郎を見上げる。
「好きになれないことを続けなきゃいけない苦しみっていうのは、わかるよ」
例えばお勉強とかな、とかなたは冗談めかしく言う。
倫太郎はつられるように、困ったように笑った。
「私もさ、親から勧められた習い事……その、全部長続きしなかったし。私の場合は全然上達しないからだけど」
「俺が、ラグビー……下手だったら、よかったんですけどね……」
「いやー、そりゃだってそう言ったら君の身長も体重もそうじゃない? 私だってもっと背ぇ高くなりたかったもん」
「……それも、そうですね」
「割り切れれば楽なんだけどな。そうもいかねえから難しいねえ、人生」
かなたはアイスを最後まで食べ終わり、倫太郎が持ってくれていたごみ回収用の袋にねじ込んだ。
「……鈴木さんは、その、人生で辛いこと、とか……」
「あるよ」
かなたは即答した。
平然とした顔で。嘘のない、瞳で。
「死ぬほど。ありえんほど。無限に」
「……鈴木さん、が……そんな、辛い、こと……」
「意外?」
「あ、いや、その……あ、あの、べ、別に、お、俺が世界で一番辛いんだとか、そんなこと思ってないです!」
「あはは、わかってるよ。君がそんな横暴な人間じゃないってことくらいさ」
かなたは軽快な声で笑い飛ばす。
「……無傷で人生を進めてきた人なんて、一人もいない。誰だって心に傷を一つや二つ、もってるもんさ」
「……」
「君と同じ痛みを抱えている人もたくさんいるはずだ。君が他の人よりも決定的に違うから、じゃない」
かなたはぴょこんと前に出て、倫太郎と向かい合う。
倫太郎は、かなたと初めて会った時のことを思いだす。
自分の顔を、怯えないで、怖がらないで――ただ一人のオタクとして見てくれる、その瞳。
「君は――釘矢倫太郎という人間は、バケモノなんかじゃないよ」
「っ……!」
「ちょっと引っ込み思案だけど、コスプレ喫茶のノリを全力で楽しんだり、好きなオタクのゲームの話になると口が止まらない、SNSで二次創作をサーチするのが大好きなオタク」
そして――
「"誰かさん”のために慣れない友達作りに励んだり、ライブのトラブルで助けてくれたりする、大したやつ」
ちょっとだけ恥ずかしそうにはにかみながら、かなたは言う。
「私にとって君は、一緒にいて楽しくて、頼りがいのある、友達なんだぜ。そしてそれは雫も、常鞘も同じだよ。みんな、君に幸せになってほしいって願ってるんだ。それをどうか、覚えていてほしい」
「……ありがとう、ございます」
かなたのことばを、倫太郎はかみしめる。
うれしかった。
自分という存在を、自分の内面を、こんな内気で情けなくてしょうがない人間な自分を見てくれる人が。
そしてそのなよなよした自分を、受け入れてくれるということが。
「……もしかしたら、球技大会に出たくないって君が思ってるのかもしれない」
かなたの言う通り、倫太郎は出たくなかった。こんな自分がバスケをして何を言われるか、分かったものではなかったから。
「癪に障るんだよ、私。変な噂のせいで君がそんな悲しい気持ちになるのは。球技大会って、本当はもっと楽しいはずなのに。君がクラスになじめる、いい機会なのに」
「……あ」
その観点は、倫太郎は考えたこともなかった。
球技大会でクラスメートと一緒に試合に出て、仲良くなる。試合に応援されて、友達が増える。
そう考えれば、球技大会は、友達を増やす、願ってもない機会だ。
倫太郎はずっと、スポーツが怖くて、噂が怖くて、そんな思考に至ることはなかった。
「……俺が、クラスで、友達を……増やす……」
「私は、君が独りぼっちになってほしくないんだ」
かなたは、慈悲深い眼でを浮かべる。
「こんなに良いやつが、周りから疎まれるような存在になってほしくない……これは、なんというか、私の我がままではあるんだけどね」
倫太郎は思う。
『球技大会になんて出なくていいよ。君のやさしさは私だけが知っているんだから』
と支配欲に駆られる母のような慰めを、かなたから言われたかったのだろうか、と。
(鈴木さんは、違う。いつだって俺を、引っ張ってくれる。殻に閉じこもる自分を、外に……)
それに自分がどれだけ救われただろうか。
「鈴木さん」
真面目で堅い、それでいてどこか安心に包まれているような温和な顔で、倫太郎はかなたに告げる。
「球技大会……は、で、出ます。抜けたりなんて、しません」
「そうか。うん、それがいいと思う。なんか、私が誘導したみたいになっちまったな」
「い、いやいや! お、俺の意思です……! が、頑張って球技大会で友達を増やそうっていう……!」
「あはは。君がそう前向きな気持ちになってくれたんだったらこれ以上言うことはないよ」
声に明るさが取り戻り始めた倫太郎を見て、かなたは満足げに頷いた。
「よーし、じゃあ走って雫と常鞘にアイス届けに行くぞー!」
かなたは走り出し、それに倫太郎は笑ながらついていく。
(俺だって、鈴木さんに伝えたいんだ。鈴木さんはとってもとっても優しくて頼りになって、俺を元気づけてくれる。世界で一番可愛くて、そして……)
何があっても守る、この体を挺してでも守る、大切な存在なのだと。
(鈴木さんのような人がいてくれるこの世界なら、生きていきたいと思えるようになったんだ)
「……そいで、雫は一体何をされているので?」
公園に戻ったかなたと倫太郎が見たのは、ベンチの背もたれで泥のように眠る雷華と、その雷華を至近距離で見つめる雫の姿だった。
「わぁ……鼻の形も、はるにゃんと似てるなぁ……。福耳も遺伝しているんだなぁ……、口元の雰囲気もそっくりだ……」
「推しの遺伝子に欲情してる人初めて見た」
「ははは……常鞘君起きたらブチ切れそうですね……」
「ほら、雫。遅くなってめんごめんご。アイス買ってきたで」
「それはありがとう! だけどもっと欲しいのがあるの! スケッチブック! 今日美術部の部室に置いて行っちゃった! あと画材!」
「今から画材屋さん行く?」
「今しかないの! 推しの弟様の顔面を間近で見ることができる機会なんてっ……! ああぁっ、もどかしいぃっ……!」
「あんだけ雫楽しんでたら、私らもうちょいダラダラして戻ってきても良かったっぽいね」
「まあでも、その、飴川さんが楽しそうなら何よりだと思います」
「君って雫に対して割と甘いよな?」
「でも、好きなことにとことんハマれることっていいことじゃないですか」
「そうかな……そうかも……」
「ああっ……ボールペンでもなんでもいい……この瞬間を……この眼が映し出すこの光景……写生したいっ……!」
「……………………あ、ああ! 写生ね! 絵描く方ね! やべえ素で聞き間違えたわ」
「鈴木さん」
「ごめんて」
そんなことを言いながらかなたは、いまだに寝ている雷華にアイスのカップを開けてその香りをかがせようとした。
「ひひひっ……ほーらほら、常鞘ぁ、アイスだぞぉ、起きろぉ」
いたずらをするかなたを倫太郎は困ったような笑顔で見ていると、こっそりと雫が倫太郎の方へと近づいた。
「……かなたちゃんと、たくさん話せた?」
「え、えっと……?」
「ふふ。かなたちゃんが『ごめーん、めっちゃ遅くなるから待っててー』ってLANEが来た時ね、思ったの。もしかしたら、釘矢君とたくさん話すことがあったんじゃないかなって」
「……そ、その、通りです」
気が付けば、アイスを買ってくると言って数分以上時間が経っていた。アイスを買うだけの行列に並ぶにしても待ちすぎだ。
雫は察していたのだ。
倫太郎が、かなたに自分の過去の話をしていたんじゃないか、と。
トラウマになったラグビーの話をかなたに打ち明けたんじゃないか、と。
「かなたちゃんと話せて、すっきりした?」
思いやりにあふれた雫の笑顔。
『あんだけ雫楽しんでたら、私らもうちょいダラダラして戻ってきても良かったっぽいね』
雫の一見して狂乱じみていた行為も、遅れて来ることになった倫太郎とかなたに負い目を感じさせまいとした心遣いもあったのかもしれない、と倫太郎は思う。
(……それはそれとして、本気で常鞘君の顔面を愛でていたのはガチなんだろうなぁ)
「私、釘矢君が人をわざとケガさせるような、そんな人じゃないって信じてるから」
雫が、倫太郎の顔をしっかりと見つめながら言う。
美しく清らかな雫の目が、倫太郎の顔を映す。
「はい。信じてください」
倫太郎は堂々とした顔で、はっきりとした顔で、言うのだった。
「俺は……故意で、人を、傷つけたりなんて、していないです」
「なんでそれを言うのにこんな時間かかってんだよ」
「え」
「あれ?」
「おん?」
寝ていたと思っていた雷華が、のっそりと起き上がる。
口にアイスを入れようとしていたかなたからアイスのカップを無理矢理ひっぺがし、大きく口を開いて自分の手で掬って食べる。
「はー……で、お前は悪意あって誰かに暴力振ったわけじゃなないんだろ?」
足を組んで雷華は倫太郎に言う。
「あ、お、起きてたんだ、常鞘君……」
「質問に答えろ。で? 答えは?」
言われて倫太郎はもう一度、言う。
三人に、しっかりと。
自分の過去のトラウマを、乗り越えるために。
「……お、お……俺は、先輩のことをラグビーのタックルで、大けが……させた。でも、それは、わざとじゃない。先輩のことは……すごく、信頼していたし、ずっと、叶うならば、一緒にラグビーしたかった」
風が舞う。
公園の草木が、揺れる。
倫太郎の心の内を表すかのように、さめざめと、悲しく、憂ながら。
それでも。
過去の悲しみから決別しようという、覚悟の表情をしていた。
「怪我をさせたのは、事実だ。でも、悪意なんて、無かった。どうかみんな……それを、信じて、ほしい」
「信じるもクソも、お前が危険タックルやる人間だったら水木原の勝負の時にぶっ倒してただろ。んなのに、お前が変に肯定も否定もしねえからこんな面倒くさいことしなきゃならなかったんだ。最初から否定しとけよ、バカタレ」
はぁ、と雷華は呆れたようにため息をつく。
「え、あ、あの、つ、常鞘君……? し、信じて、くれるの……?」
「そりゃーだってねえ、常鞘ぁ!」
かなたは雷華にニヤリと笑いかける。
「私たち、友達だから、だろ?」
その言葉に、雫も深く深く、頷く。
「み、みん、みんなっ……」
これまで友達なんてていなかった。
自分が暴力なんて振るわないと信じてくれた友達なんて、いなかった。
ずっと、孤独だった。
でも、今は、目の前に三人の友達が――
「顔にアイスを塗りたくろうとしてるやつが友達だなんだって?」
怒りの業火が燃え盛る音聞こえてくるかのような気迫で、雷華はかなたをにらみつけた。
「ぬ、塗りたくってないよ! ち、ちょっと食べさしょうとしただけだから、さ! ね、ねえ! ほ、ほら! あーんみたいなもので! 決してからかってやろうだとか、赤ちゃんみたいで可愛いみたいなそんないたずら心があったわけではないんだけどね!?」
「……飴川。お前、あいつ羽交い絞めにしろ」
「え? え、えっと……」
「そうしたらお前がなん十分もの間俺の顔ガン見していたのを不問にする」
「わかりましたっ!」
「雫ぅ!? ってかお前随分早い段階で目ぇ覚めてたのかよぉ!!」
雷華の命令に即座に従った雫に、かなたは後ろからしっかりとホールドされた。
「ぎゃー! やめろー! 何する気だ常鞘ー!」
「手前の価値観だとあれか? 友達にはあーんをさせるもんらしいな、あ?」
雷華は雫の分のアイスを受け取り、それを倫太郎に渡す。
「お前、あいつにあーんしろ」
「……え、えぇ!?!?」
「な、何を言ってるんだい常鞘!?」
かなたは突然の雷華の命令に驚き慌てふためいた。
「あーんするのはお友達同士なら普通なんだろ? じゃあ、お前されろや。俺が見ててやるからよぉ」
「や、いやぁ、それは、ち、ちょっと……ね、ねえ? なんっつーか、さあ! じ、冗談っつーかさぁ! 言葉の綾っつうかさぁ……って釘矢君!?!?!」
「あ、あーんを……さ、鈴木さんに、あーんを……」
倫太郎はドキドキと胸の高鳴りが収まらない。
あの小さい顔と口、愛くるしくて、かわいらしい。
そんなかなたに、美味しいアイスを、食べさせてあげたい。
勇気を出してトラウマを払しょくしたその勢いで雷華に命令され、倫太郎は謎にテンションが上がってしまっていた。
「い、今から、た、食べさせてあげますねっ……!」
「釘矢君! 私がかなたちゃんをしっかり押さえているからね!」
「雫ぅ! きさまぁ! 何をやっているぅ! ふぅざぁけるなぁ!」
「ほら、やれ。釘矢」
「はっ……はい!!」
「や、や、やめ、やめてぇっ……」
恥ずかしくて体が蒸発するくらい体が熱くなって、猫背になって逃げようとするのを雫にしっかりと拘束されるかなたは、
「ど、どう、ぞっ……!}
「ひゃぁぁぁぁぁああああぁぁぁっ……!!」
倫太郎にあーんをされる様を、雫と雷華に見られるという特大の羞恥プレイをさせられたのだった。
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