第50話 小さくて、変な人
小学六年生の頃の記憶。
下校途中の倫太郎の背後に向かって、二人乗りの自転車がイタズラ半分で突撃してきたことがある。
ちょっとした衝撃が、背中に走った。
「……え?」
背中から何か当たってきたと思って後ろを振り向くと、そこには自転車から転げ落ちうずくまる同級生の男子がいた。
その時の倫太郎は、身長184センチ、体重82キロ。それを差し引いたとしても、時速20キロで襲い掛かる自転車にぶつかられても痛くもかゆくもない倫太郎の体は、あまりにも規格外すぎた。
「あ、あの、だ、だいじょうぶ……?」
「い、いてぇ……! く、くそぉ……!」
自転車で突っ込めば倫太郎とてぶっ倒せるに違いない、とイキがっていた男子二人は逃げるようにして立ち去る。
「ふざけんなよ、この、バケモノがっ……!」
怖いものを見るように。
人ではないナニかを、見るように。
『あいつが、俺ら自転車漕いでるところを、急にぶっ倒したんです! ほら、俺ら、肘折れたんですよ!?』
後日、男子たちは真っ赤な嘘を学校の先生に吐いた。先生は倫太郎の話を聞かず、その男子たちの言葉を信じた。
先生に校長室に呼ばれ、先生や校長に詰問されている間、倫太郎は、この学校で自分に味方してくれる人はいないのだと悟った。
大人よりもはるかに大きな体で、力も強い。仮に倫太郎が暴れて同級生を殴ろうものなら、怪我どころでは済まされない。
だから周りの大人たちは徹底的に倫太郎を戒めようとした。何をされても、何を言われても、何も抵抗するな、と言い続けた。
その通りに卑屈に生きてきたのに、男子たちの嘘で大人たちは倫太郎を責め立てる。
何をやっているんだ、自分が何をしているのかわかっているのか。
『お前の体は、簡単に人を殺せるんだからな』
「大丈夫、倫太郎がそんな酷いことするなんて、お母さん思ってないよ」
それでも家族は、倫太郎のことを守ってくれた。唯一の、頼れる大人だった。
その母親のぬくもりと、父親の「一方的に相手の言い分しか聞かないだなんて信じられん! 今から学校に直談判する!」の頼れる言葉だけが、倫太郎の心を癒してくれた。
母父ともに体格はむしろ小さい方だ。身長も倫太郎の方と比べると頭一個分以上も低くい小柄な体格。それでも両親は自らの子どもを可愛い愛すべき一人息子だと愛してくれた。その無償の愛だけが、幼き倫太郎の寄る辺だった。
両親の助けもあり、一時は刑事事件に勃発する大事へと発展したのが、事故当時の周りにいた近所の人の証言もあり、倫太郎がむしろ被害者であったということが証明された。
晴れて無実になったはずだった。男子二人とその両親からも、形だけではあるが謝罪の場で頭を下げられたから、これで一件落着となるはずだった。
『あいつ、自転車に乗ってたやつ、ぶっ倒したんだって』『うわ! それマジ!?』『骨も折ったらしいよ!』『あのバケモン、やりそー!』
だが、噂だけは残り続けた。
あのバケモノは、気に食わない奴をぶっ倒すような奴だ。図体がデカくて、逆らうやつをぼこぼこにするんだって、と。
(俺は……これからもずっと、周りから恐れられて、生きていくんだ)
唯一の救いが、小説と漫画、ゲームだった。一人で家にいることが多い倫太郎を少しでも退屈にさせないように、という両親の心遣いに倫太郎はどっぷりとつかる。
架空の世界の自分は、どこか情けなくて、頼りない。それが自分の才能を見つけ、仲間たちに助けられ、誰も倒せないような強敵に立ち向かい撃破する。
他のプレイヤーからしてみれば、ごくありふれたストーリーで、凡作だと評価されるかもしれないゲームが、倫太郎は大好きだった。
だから中学に入学し、倫太郎の大きな体にほれぼれとする上級生たちが体育会系部活に誘っても、倫太郎は断り続けた。
部活なんかよりも、ずっとずっと、創作の世界の方が楽しいに決まっているから。
倫太郎は学校に自分の居場所を求めなかった。
誰からも怖がられてもいい。仕方がない。
家でじっとしていますから、それで許してください。
そういう風に、ひねくれて開き直った。
『放課後、お母さんのお手伝いしてみない?』
勧めもあり、母親が参加する地域のNPO団体の活動に倫太郎は加わることになる。
中学から数多の体育会系部活に勧誘されるのを逃れるためもあるが、デカいだけの自分の体が少しでも誰かのためになるなら、という意味合いもあった。
『おお、おっきいねえ……あ、こ、これ、運ぶの、お願いしますね……』
貧困家庭への食料品の提供や無料学習会の開催、子ども食堂の支援活動を行っている団体で、倫太郎は主に裏方の荷物運びなどの雑務に従事する。
小さな子どもたちと接するのは怖がられるからしたくない、でも、体を使うだけの仕事ならできる。
自分の働きが、誰かのためになる。自分が、この世界に多少なりとも存在してもいいかもしれないと思える。
大人たちは自分のことを怖がって見ているけれど、少しでも前向きに、倫太郎が思い始めていたころの、ある日のことだった。
「……うわ、で、でかい人だ……」
NPO団体の活動に、とある人物が訪れた。
身長は倫太郎よりも少し低い。それでも、倫太郎は見た瞬間思った。
(この人……強そうな人だな……)
自分より身長が低い人に対しそんなことを思ったのは、初めてのことだった。
「お久しぶりです。どうですか活動は? 順調? それはなによりです! いやぁ、引退してからなかなかこれなくてすみません。セカンドキャリアの事業がようやく軌道に乗り始めたところで……」
その人は元プロラグビー選手なのだと、倫太郎は小耳にはさんだ。
(ラグビー……って、プロの人っているんだ……?)
ラグビーという競技の存在は倫太郎はほとんど知らなかった。中学の部活にもなかったし、テレビでもネットでも見たこともない。スポーツのプロの人なんて野球やサッカーくらいしかないと思ってた。
ポジションがナンバー8らしいのだが、そう言われても何もピンとこない。何の何をするポジションなのかもさっぱりだ。
その人が所属していたプロチームは地域密着の活動をしていて、試合や練習の傍らこうして地域の人々と交流したり支えていたりしているとのことらしい。
「……そんなこと、するんですか? プロの人が……?」
活動の中身を聞いて、倫太郎は新鮮に驚いた。まさかそんなことまでしてるなんて、と。プロ野球選手が駅のごみ拾いや、災害時の家屋の片づけに参加したなんて言う話、聞いたこともない。
そんな雑用みたいなことするんだと、新鮮に驚く。これは倫太郎の偏見だが、正直、プロのスポーツ選手なんてブランド品を買いあさるようないけすかないひとたちだと思っていたから。
「あの人はね、よくここに来てくれたんだよ。そこで小さい子どもたちと遊んでくれたり、障がいのある子どもたちをグラウンドに連れて行って一緒にボールを使って運動したりしてくれてるんだよ」
引退した後でも、こうして地域活動を継続しているのだと、近くの大人たちが熱心に倫太郎に教えてくれた。
そういう人たちからも信頼されている人なのだと、倫太郎は思った。
(す、すごい人なんだな……)
体の大きさもあるが、倫太郎が目を引いたのは、その首の太さだった。顔の幅とほとんど変わらない。首の太さなんて、トレーニングでどうにかなるものなのだろうか。
どんなトレーニングをして、そんな体になったんだろう。倫太郎は思わず、その人の体をじっと見てしまっていた。
「君、良い体しているね!」
そうしたら、視線に気が付いたその人が、倫太郎に爽やかに声をかけた。
笑顔だ。
体が大きくて、太くて、強そうで、日焼けしていて、怖そうなのに。
恐ろしいはずの肉体をしているはずなのに。
その笑顔が、なぜか、怖くなかった。
不思議だった。
ラグビーの選手というのは、そういうものなのだろうか。
「この子ねぇ、引っ込み思案で……なのに体が大きくて、周りから馴染めないんです」
母親が言う。あんまり勝手なこと言わないでほしいな、と倫太郎はちょっと嫌な気持ちになる。
馴染めなくなんていい。周りと仲良くする必要なんてない。
だって、周りは自分のことを、恐怖の対象としてしかみていないんだから。
「なるほど。なおさら君は、ラグビーをやるべきだ」
「……え?」
「僕ね、ちょっと遠いけど中学のころにラグビースクールに通っていたんだ。あそこはいいぞぉ? グラウンドは天然芝だし、OBがたくさんいて支援金もあるから備品も綺麗だ。なにより、日本一を目指すモチベーションが高いチームだ! ラグビーチームは野球やサッカーみたいにセレクションだなんて門前払いはしないぞ、誰でも大歓迎だ! だってそもそもラグビーに来る子自体が少ないからな! ははは!」
(それは笑っていいのかな……)
「とにかく、見学に一回来て見てほしい! きっと、君の望む場所がそこにあるよ!」
望む場所……という言葉が、倫太郎の心に刺さる。
望む場所なんて、架空世界の中にしかないに決まっていたから。
「ねえ、せっかくだし、倫太郎、見学に行ってみない?」
母親が倫太郎に言う。
倫太郎は、母親の気持ちを無視できなかった。
中学に上がったんだし、少しは友達もできるんじゃないかしら。そんな希望的観測を中学に上がる間際にひしひしと感じていた。
それは母親なりの期待の表れでもあったのかもしれない。あえていい意味で捉えて言えば、だが。
その期待に、応えられない自分がいた。NPOの活動も、本当はもっと人と話したりコミュニケーションをとってほしかったから誘った、のかもしれない。それをしないことに引け目を感じていたのも事実だ。
「……わかったよ」
だから、ラグビースクールの見学に、倫太郎はしぶしぶ了承した。
どっちみち、見学したとて、断ればいいだけの話なのだから。
あくまで母親の期待に応えるアリバイが欲しかっただけ。それだけの気持ちだった。
そして見学当日になった。
遠いから車での移動だったが、渋滞してしまって着いた頃には練習はもう中盤にさしかかっているところだった。
母親が慌てながらグラウンドに倫太郎を連れて行く。
動きやすいからということで体操服姿に着替えさせられた倫太郎は、グラウンドに立つ。
周りは工場の建物で埋め尽くされる中、このグラウンドだけが緑一色だった。
風が舞う。
その匂いが、倫太郎の鼻をくすぐる。
草の匂いだ。
砂利の学校のグラウンドとは全然違う。
足を踏み入れてみる。ふんわりとする。やわらかくて、つい、寝転がってしまいたくなる。
思わず芝を撫でてみる。くすぐったい。少し湿り気がある。
心地良い。
それが、倫太郎がラグビーのグラウンドに初めて入って、感じた感情だった。
「なんだあいつ」「やべえのがきたぞ」
練習が一区切りついたところだろうか、ラグビースクールの生徒たちが倫太郎の存在に気が付いたようで一斉に自分の方を見た。
皆、身長は自分よりも低い。なのに、体が大きい。意味が分からないけれど、そう感じた。
体の芯が大きいからだと、倫太郎は感じた。なんでこの人たちはこんなに芯が太いのか、倫太郎は理解ができなかった。
「へぇ、あれがコーチが言ってた秘密兵器?」「社長出勤とはいい根性してんな」
ヘッドギアとマウスピースを外しながら遠目でこちらを見てくるラグビー選手たちの目線に、倫太郎は咄嗟に縮こまってしまう。
向こうでは、遅れて申し訳ございませんと謝り続ける母親と対照的に、コーチが実ににこやかな笑顔をしているのが印象的だった。
遅刻くらい構いませんよ。それにしても息子さん、素晴らしい体をしていますね。
いやぁ、将来有望です。
ウチのスクールで鍛えれば、高校は花園、いやワールドカップも夢では……。
そんな声が、聞こえてきたような気がする。
(け、見学に来ただけだから……ちょっとだけ練習見て、それで、帰るだけだから……)
「おー! お前、ラグビーやんの!?」
「え?」
快活な声が飛んできたかと思えば、いつの間にか目の前まで誰かが走ってやってきた。
視線を下にする。身長149センチの、小さい背丈の人だった。
短髪で、いかにも勝気そうな顔つき。眉が太く、瞳は電のごとく倫太郎の顔を射抜くように光らせながら見上げていた。
こんなに小さい人が自分を前に堂々としているのなんて、ありえないことすぎて、倫太郎は怖気つく。
怖くないのだろうか。俺みたいなのが、目の前に居て。
「あ、あの、え、えっと」
「お前、あれだな! まだ体が全然出来上がってねえな! 体の重心が高い! まずは足腰を死ぬほど鍛えねえと! あと肩も肉乗ってねえな! そんなんじゃスクラム組んだらつぶれて死ぬぞ!」
「は……はぁ?」
いきなり何を言い出すんだこの人は、と倫太郎は思う。
突然やって来たかと思えば自分の体をダメだししてきて、流石に動揺する。
「おーい、七馬! 練習再開するぞ!」
遠くからラグビースクールの生徒たちの声が聞こえてくる。
おおー悪い悪い! と返事をして去り際、七馬と呼ばれたその人が倫太郎に言う。
「俺に言わせればお前……まだまだだな。俺ならタックルで余裕でボコせる」
「……はぁ、そうですか」
練習に戻っていく七馬の背中を見る。
体が小さいあんな人に、あそこまで言われたんだと思ったら、ちょっと笑ってしまった。
「小さくて、変な人だなぁ」
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