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第39話 変わる日常

 雷華とカラオケに行った日から、倫太郎の学校での日常は少しずつ、変わっていった。


 朝の学校。

 ガララ、と倫太郎は教室のドアを開く。


 教室にいた生徒たちが倫太郎の方を向いて、大きな体に少しびっくりした顔をしてすぐに友達との会話に戻る。何ヶ月経ってもなお、倫太郎の体格に誰も慣れていなった。今でも廊下で通り過ぎる時でも二度見三度見とコソコソ話されるのだ、誰も彼もが倫太郎のことを怯えている。


「お、おはっ……おは、よう」

 

 突として教室がざわついた。

 おそらく初めて倫太郎が教室で自分から声をかけ――その相手が、あの寡黙で気難しい雷華だったからだ。


「……ああ」


 雷華は倫太郎の方を振り返り、ぶっきらぼうで、でもはっきりとした声で答えた。


「い、いつも早いね、朝早起きなんだ?」


「だいたいいつも9時に寝て5時に起きる。そこから宿題とか色々と」


「そうなんだ、朝の方がリラックスできる、とか?」


「まあ、そんなとこ」


「す、すごいね」


「なにがすごいんだよ」


 はっ、と雷華は笑った。遠慮のない物言いに、


「あはは」


 倫太郎は恥ずかしげに頬を緩めた。


 倫太郎が机に膝をつき、雷華が椅子の背もたれに体を預けながら、二人は”談笑”している。

 あの恐ろしい体をした倫太郎が。

 あの人を寄せ付けない雷華が。

 

「え、ど、どういうこと……? 何が起きてんの……?」「なんで常鞘君があんなバケモノと仲良し気にしてんの!?」「というか常鞘あいつ怖くねえのかよ」「てか、常鞘、あいつ笑えるの? 俺見たことねえよあいつの笑顔」「いやそれはあの釘矢もそうだろ」「ど、どうしよう!? 常鞘君の笑顔めちゃくちゃ貴重なんだけど!!」「でもあんなバケモンに近づけないよぉ……!」


 騒めく教室をしり目に、倫太郎と雷華は駄弁っていた。


「そ、そういえば、あの、常鞘君って……オペラ好きだけど、こう、好きなオペラってあるの?」


「ヴェルディのオペラが好きだけど、特にイル・トロヴァトーレかな。イタリアのオペラな」


「どういうオペラなの?」


「ルーナとマンリーコという二人の男が一人の女を奪い合う話なんだけど」


「おお、情熱的だ」


「女はマンリーコの方を好いていて、ルーナがマンリーコを処刑しようとしたら女がルーナに泣きつくわけだ。私があなたに尽くすから処刑を止めてと」


「そんなNTRみたいなのオペラであるんだ」


「えぬてぃー……なに? なんだそれ?」

 

「あっごめん続けて」


「まあいいけど。で、マンリーコは助かるんだけど女が毒を飲んで自殺するんだよな」


「え、それは、その……決してほかの男のモノにはなりません、みたいなこと!? 怖……」


「でもルーナは女に騙されたってキレて、最終的にマンリーコを処刑する」


「す、救いがない……」


「で、ラストシーンで実はルーナとマンリーコは生き別れの兄弟であることが発覚して」


「うわ」


「肉親を殺したルーナが舞台で一人残されて、幕が下りてオペラが終わる」


「……常鞘君ってそういう鬱展開のオペラ好きなの?」


「いや、俺が好きな理由はさ、このオペラの脚本って割と展開が無理矢理で観てると付いてこれなくなりそうなんだけど、それを圧倒的な歌の力で客を力づくで”納得”させることで成立させてるってところなんだよな。半端な歌手では太刀打ちできない、恐ろしい劇だ」


「ご都合主義的なストーリーだけど画力で読者を引っ張る漫画みたいな……」


「漫画はあんまりわかんないけどまあそんな感じ。で、歌手の実力が備わってないとそもそも劇として成立しないっていうとんでもない難易度用意したヴェルディの歌の中で、俺が一番好きなのはマンリーコの『見よ、恐ろしい炎を』だな。こいつはハイCっていうもの凄い高い音が必要なんだが、テノール歌手にとって最大の難関って言われてる。失敗した時を恐れて原曲からあえて音を落として歌う歌手もいるくらいだ。このオペラの歌手に選ばれるような世界最高峰のテノール歌手でさえ二の足を踏む、超高難度の歌。これをマンリーコ役でジュゼッペ・ヴェルディ歌劇場の舞台で堂々とハイCを奏でてみせるのが俺の夢だ」 


「常鞘君ってすごいな、そんな高い目標を持ってるなんて……」


「別に高い目標持ってるってだけで凄くはないだろ」


「あっ、ご、ごめん」


「別に謝ることはねえよ。努力したとて夢が叶うとは限らねえし。何にだって言えることだけど」


「常鞘君なら絶対に叶うよ。だってこんなにオペラが好きなんだから」


「……はいはい、どうも」


 そんな、さも普通の友達のように話している二人の光景を見て、とある男子がそろそろと近づいてきた。


「ど、どうもー……。た、多車って言いまーす……」


 多車たぐるま優孝ゆたか。小声で、恐る恐るといった具合で話しかけてきた。

 雷華が一人の人間に10秒以上話しかけているのなんて教室でも部活でも見たことがなかったから、多車は半分わくわくしながら、もう半分はびくびくしながらやってきた。


「……ふん」


 さっきまで倫太郎と話していた時とはまるで塩対応ともいえるほどに雑に雷華はあいさつに答える。

 塩対応なのは慣れたものだったが、普段よりかは微かに血色が良い顔だったので多車は少し驚いた。


「え、えっと……そして」


 多車はおずおずと倫太郎の方を向く。倫太郎はというと、


「っ!? あっ、お、おっ……お、おは、よっ!」


 突然クラスメートがやってきたことでテンパってしまって顔を真っ赤にしてしまった。


「どんだけ焦ってんだよ」


 はっ、と雷華は遠慮なく笑う。


「え、えっと……お、おは、よう」「ございます……」


 多車はまさか倫太郎から挨拶してくるとは思わず、動揺しながらも挨拶を返した。

 

(えっ? 釘矢って奴、ふ、普通に挨拶してきたんだけど……)

(て、てっきり雑魚が近づいてくるんじゃねえとか言ってぶん殴ってくるものだと……)

(でも、なんか噂で先輩を殴ったとかって聞いたことあったじゃん。案外キレやすいのかもしれん)

(いや……あんな恥ずそうに顔をうつむかせてる奴がそんなことするか……?)

 

 そんなことを頭の中で考えながらも多車は、こっそりと雷華の方へと寄る。


「な、なあ常鞘。お前あの釘矢って奴に脅されてたりとかしてな――」


「俺が高校生のガキに脅されて屈するような程度の低い人間だと思ってんのか?」


「お前も高校生だろ。じゃあなんだ、釘矢と普通に友達やってんだ……」


「……」


「そこは素直に友達だって言えよ!?」


 とりあえず多車は、倫太郎に尋ねてみることにした。

 どうやって雷華と仲良くなったんだろうか、と。

 

「釘矢、その、常鞘とどうやって仲良くなったん……?」


「あ、う、うん、えっと、その、つ、常鞘君とカラオケに、行った、よ」


「カラオケぇ!? あの常鞘とぉ!?」


 その瞬間、ずっと聞き耳を立てていたほかのクラスメートたちは一様に驚いた。


「え、ど、どういうこと!?」「もうカラオケに絶対行かないっていってたじゃん!」「ちょっとまってもしかしたらあのバケモノ、常鞘君の美声聞けたってこと!? 全然許せないんだけどぉ!」

「どんな魔法使ったのっ……!?」「やっぱりそうだよ、あのバケモノが脅したんだよ常鞘君のこと!」「つってもあいつが釘矢に威圧されても普通にあしらいそうじゃね?」


 自分の一言で怒涛のように教室が湧き、倫太郎はわたわたとする。


「え、えっと、お、俺なんかしちゃったかな……?」


 素でなろう小説の主人公みたいなセリフ(※いうほど最近の作品ってそんな言ってなくない?)(※それはそう)を言う倫太郎に、雷華は呆れた顔で「知らね」と息を吐く。


 そうして一日中、教室中の話題は倫太郎と雷華の関係性についての考察で持ちきりだった。 


「実は幼馴染だったとかじゃない?」「いやでも入学した時からは別に仲良い感じじゃなかったよな」「昨日今日で仲良くなったってこと?」

「どうにかしてあのバケモノから仲良くなれる方法を聞き出すことできないかなぁ!?」「だめだよ、近づいたら絶対殴られるって私たち女で弱いんだから」

「じゃあ常鞘に聞くか……いやそれも無理そうだな……」「兎にも角にも謎すぎる組み合わせだ……」「中学とか学校違ったっけ」「あの釘矢と中学同じだった奴いねえの?」

「いや釘矢の中学ってこっからだいぶ遠い気が」「くそ、てがかりがねえ」


 詮索したいのはやまやまだが、クラスの生徒は容易に倫太郎と雷華に近づけない。

 雷華としてもいつも通り必要以上に人が寄り付かない学校生活を送れていて特に不満もなく。

 倫太郎としては、初めての友達で、教室で独りぼっちではなくなったことにいたく感動して、大いに満ち足りていた。

 

 少しずつ、しかし確実に、

 バケモノ呼ばわりされていた倫太郎の孤独は学校生活は、変わっていった。

 

 ◇◇◇


 

「わーたしはあなたの背中の硬い背中にだきつきたーくてー、おっと、ここでエマージェンシーコーリング使うぜー」

 

「あ、それチェーンして、うらうらで無効化します」

 

 かなたが魔法カードを使い強力な効果を使おうとしたところで、倫太郎はそれを封じる。

 

「まじか、そこ止められんのかー、きちいぜ……。き、きーつ、きー。あ、あー」

 

 昼休みの体育館倉庫の屋上に、いつものように倫太郎とかなたはそこにいた。

 昼ご飯もそこそこに、屋上の地べたにカードを並べながら、日本大橋で一緒に買ったカードゲームのストラクチャーデッキでデュエルに興じている。


 最初はスマホでwikiを片手にルールがどうたら裁定がどうたらと相談しながら、時には巻き戻しながらゲームをしていた。

 このカードゲームにおいてもはや通過儀礼である”最強サイクトロン”をしっかりと二人とも体感して、何回かゲームを重ねていくにつれてようやくスムーズにゲームを回せるようになっている。スリーブもつけず、自由気ままにプレイを楽しんでいた。

 

「バトルフェイズ入りますけど何かありますか?」

 

「(意味深に伏せカードを確認する)」

 

「あの伏せカードなんなんだ……全然発動してないし」

 

「これがミラファである可能性を考えな」

 

「じゃあ前の俺のターンの時に発動してるじゃないですか? あ、いや、そうとも限らないのか……?」

 

「くくく、考えるがいいさ。その間私はボイトレしてっから。あーあー、愛してるって、簡単には言えなくてー」


 普段のカードゲームとは違っているのは、かなたが歌を歌っていること。

 これまでなら、ボイトレを他人の前でやろうとは思わなかった。

 へたくそな歌声なんて聞かせたくなかったから。


 けれど、雷華の歌声を聞いて、憧れを抱いた。自分も雷華のように気持ちよく歌ってみたい。

 そのためにはもっともっと練習しなければ、と心に熱をともすようになった。


「……」


 楽し気に歌を歌うかなたの様子を見て、倫太郎は顔が綻ぶ。


(歌うのが苦しんでいたように見えていたから……前向きになってくれていて、よかった。常鞘君にお願いして本当によかった……)


「んあ? なんだよ私のほう見て」


 けらけら、とかなたは笑った。

 無意識のうちに自分の手札ではなく、かなたのほうを見ていることに気が付いた。

 それも――地べたに胡坐をかく、かなたのスカート部分が見え――

 

「あ、ち、ちが――って、これ、何回目ですか。もうだまされないですからね」


「んだよぉ、慣れやがって。エフェクトヴェーリアみたいにはいかねえか」


 ちょっと残念そうにかなたは口をとがらせる。

 胡坐をかいてこそいるが、愛用のタオルを上にかけているから下着はもちろん肌も隠れている。


 デュエルが佳境を迎えているころ合いにかなたは番外戦術とばかりに仕掛けてきたが、そろそろ倫太郎はかなたがタオルでしっかりとガードしていることを覚えてきたので通用しなくなっていた。

 

「ちぇー。最初んときはこれで動揺させてプレミ誘ったんだけどなー」


「さすがに何回も同じ目に遭っていると学びますから、俺も」


「変わるかー、君も」


 そしてどこか感慨深そうに、かなたは言った。


「顔色もだいぶ明るくなったしね。なんかいいことあったでしょ」


「は……はい! お、俺、クラスで初めて、と、友達と会話したんです!」


「常鞘か、いいじゃん! あたしゃ嬉しいよ、君がこうして元気になってくれるのはさ」


「それは、鈴木さんが――」


 かなたが居てくれたから、今こうして自分は楽しんでいる。

 その感謝の想いを伝えようとしたが――


「ほれ、攻撃するのかどうか決めようぜ。そろそろ昼休み終わるべや」


「あ、は、はい」


 かなたにそそのかされて、カードゲームに意識を戻す。

 結局、かなたに感謝する機を逃してしまった。


「……これがミラファだとすると、攻撃したらこっちのモンスターが全滅する、けど……でも、前の俺のターンで攻撃した時は発動しなかった……」

 

「温存してる可能性全然あるからな」

 

「……いやエンドサイク……?」


「さあどうだろうねぇ」

 

「それか、レッドリブータの可能性ありそう……」

 

「おい、なんでだよ」

 

「……初めてデュエルしたときに俺が絶好のタイミングで発動したダルカルをレッドリブータで無効化してそのままバトルフェイズでリミット解除して殴り倒した時の快感が忘れられずにこっそり日本大橋のカードショップでもう2枚買ってレッドリブータ3枚積みにしてる可能性全然ありそう……」

 

「私がそんな短絡的なデュエルをするもんだと思うかね」

 

「じゃあバトルします。アタック」

 

「ぐあああああ!!!!」

 

「通ってんじゃないですか。一枚伏せてエンドです」

 

「次の私のターンでぜってえ倒すからな。ドロー!」

 

「あ、スキドラ発動します」

 

「バカがぁ! レッドリブータ再びぃ!!! おらぁ!!! ミラファじゃありませんでしたー!」

 

「チェーンして神宣発動します」

 

「残念でしたぁカード発動した後は相手はトラップ発動できないですぅ! 残念でしたねぇ!」

 

「カードの処理が終わった後ですよねそれ。チェーンしてるので最後に出した神宣の効果が優先されるはずです」

 

「まて。カード見る」


「……」


「え、これマ?」

 

「マです。場にスキドラ効果発動してます。フィールドのモンスタの効果無効になってます」

 

「は? なんもできぬが?」

 

「何もないですね。次俺のターンです。直接攻撃です。たいありでした」

 

「もう一回! もう一回!」

 

「いやそろそろ昼休み終わりそうなのでもう戻った方がいいですよ」

 

「あーっ、マジで悔しい! もっかい組みなおす!」


 きーっ! とうめき声を出しながらかなたはしぶしぶとカードを片付ける。


「コスプレ喫茶でデュエル大会したら面白そうですけどね。お客さんもカードゲーマーの人多そうですし」


「あれねー、一回店長に相談したんだけど風営法でNGらしい」


「だめなんですか」


「接待っちゅうもんにひっかかるかもってさ」


「そうなんですね……」


「で、接待と言えばよ」


「はい」


「あいつ、いつうちに来るんけ?」


「……あ、完全に忘れてました」


 雷華の取引の対価である、姉が働くコスプレ喫茶への付き添い。確かに早いこと実現させてあげなければならない。


「ちょっと日程聞いてみますね。土日のほうがいいです?」


「そうだなー、はるにゃんは基本火、木、日出勤だから日曜日の方がいいかな。今週の日曜日でいいか常鞘に確認とっといて」


「了解です!」


「あ、んでさ、せっかくっていうか、あれなんだけど……」


 屋上から軽々と飛び降りて次に降りようとするかなたを抱えながら、倫太郎はかなたの提案に耳を傾けた。


「それ、すごく良いと思います! きっと、常鞘君も喜ぶんじゃないかと!」


「せやろせやろー」



 ◇◇◇



(っ!? な、なんか、嫌な予感が……)


 一方の雷華は謎の寒気に襲われていた。

 



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