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第37話 好きがなければ才能なんて

 倫太郎の純朴な表情で発したその言葉に、思わずぽかんとした。


 『ものすごく歌が大好きなんだなって!』


 そんな倫太郎の言葉に、雷華は拍子抜けしてしまい、自分が立ち止まってしまったことに気が付くまで数秒のラグがあった。


「……はあ、そうか」


 少しばかりの動揺を隠す様に雷華は乱暴にソファに座る。

 

 今日日、歌が好きなんですねなんて言われたことなんてない。せいぜい、天才児と言われるくらい。


「ず、ずっと鈴木さんに歌を教えてるときとか、う、歌を歌うことについてす、すごい技術というか、知識量を持ってるなって思って……それで、じ、実際に常鞘君の声も、その、きれいで……その、もともと声が高いっていうのもあるかもしれないですけど、それに加えて多分相当ボイストレーニングを、こう、努力を重ねてずっとやってきたんだろうなって」

 

「話続けんの?」


 雷華は呆れた声を漏らす。


「あ、す、すいません……お、俺なんかが」


「まあまあ常鞘よ、彼の話を聞いてやってくれんか。私が常鞘のこと話してたら、なんか私以上に熱を持ちはじめてだね。すっごい語るんだから」


 かなたが言う。さっきから笑顔が絶えない奴だな、と雷華は心の中で悪態をつく。

 

 俺に媚び売ろうとしてんのか? と言おうとしたのを止める自制心は雷華にはあった。代わりに不遜な「はぁ?」の言葉を漏らしたが。


「で、なに。ボイストレーニングしてきてえらいねって俺に言いたいのかお前?」


「やさぐれすぎてて草」


「黙れ」


「はーいっ」


 きゃっきゃっとかなたは膝を抱えてころころと揺らしている。何が楽しいんだ、と雷華はかなたに向かって舌打ちをする。もちろんかなたは気にかける様子もない。

 

「いや、あの、えっと……」

 

 そんな最中倫太郎はというと、二人の会話に入れずわたわたとしていた。大きな背丈がせわしなく不器用に震えている。


(こいつ、体でかいくせにビクビクしてんな)


 そもそもなんでこいつ運動部に入ってないんだ? と雷華は思う。

 198センチあるというその体は、ありとあらゆる運動部から引っ張りだこに違いない。身長だけではなく筋肉もあって、雷華が正直羨ましくなるくらいの”首の太さ”がある。

 あれだけ太く丈夫な喉があればどれだけ安定した声を出せるだろうか、と思わずにはいられない。


(ほんと、もったいないなこいつ。さっさと運動部にでも入ってればいいのに)


 帰宅部で燻っていて、こんなカラオケルームで申し訳なさそうに座っている様を見ていると、誰もが欲しがる貴重な資源を無為に捨てているような、そんないら立ちさえ覚える。


(……はぁ、なんでこんなんにいら立ってんんだか)


 ふと我に返って、雷華はもっと大きなため息をついた。

 雷華のため息を倫太郎が機敏に反応し、その大きな肩幅を強張らせる。


「あ、あの、ふ、不快にさせ、ちゃったら、ご、ごめんなさい……」


「誰がお前ごときに神経使うんだ」


「は、はいぃ……」


 雷華の言葉に畏まって背中を丸める倫太郎だが、


「そ、その、歌う持久力のための筋肉ってあるじゃないですか……」


 込み上げてきた思いを止められないか言葉を連ねていく。その熱意で、倫太郎の顔が汗ばんでいる。


「その、声楽のこと、いろいろ調べてて、ね、ネットで知っただけの知識で本当に申し訳ないんですけど……の、喉の筋肉って毎日毎日動かさないと強くならなくって……あの、え、偉そうなことを言ってしまって申し訳ないんですけど、お、俺の言いたいことは、その……せ、声楽のこと、し、知ろうと思ってて、それで……声を出すのにこんなに筋肉がいるんだって思って、それに、声の出し方とか、要所要所で声を太くしたり細くしたりだとか、せ、繊細な声の出し方を、それもマイクを使わずに遠くの人に届けなきゃいけないって……ものすごいことをしているんだなって、思って……。き、きれいな声を出すためにどれほど努力、し、したんだろうなって……」


 語れば語るほどに感情が込み上げてくるのか、倫太郎は雷華の反応を見る余裕もなくなるくらいに自分の語りたいことを口走っている。早口で。


「ち、中学の頃に、一人で歌を披露したって、う、噂で聞いて……ど、独唱っていうんでしたっけ、た、体育館のステージに一人だけ立って声を出すだなんて、そ、それも……ひ、表現をする、って……体育館にいる人、すっごいたくさんいる人たちに、こう……ひ、評価を下されるっていうことじゃないですか……そ、そんなこと、お、俺絶対に、で、できないですし……。ど、どれだけ歌に自信があっても……ステージに立つって、か、簡単にできないと、思って……」


 しゃべる言葉も、考えもまとまっていない。不格好で、言葉も途中で突っかかるし、口走る焦りがこっちにも伝わってくる。

 猫背で言うものだから声も通っていない。

 

「……」


 だが、自分を、申し訳なさそうにしながらもまっすぐに見つめてくる倫太郎のことを、雷華はどうにもこうにも、無下にすることができない。


(……こいつ、本当にしゃべるの下手だな)


 雷華が思う通り、倫太郎はコミュニケーションについてはまったくもって不器用である。

 

 陰キャで人付き合いが苦手で、自分よがりな語り口調になってしまう。相手の顔色をうかがいながらしゃべられない。

 自分が言いたいことばっかり言ってしまって、それで相手を困らせてしまう。

 

 かなたや雫のように”優しく受け止めてくれる”人がいてくれて初めて流暢に自分の好きを語れるほどに、倫太郎はしゃべるのが苦手なのだ。

 そんな、意思疎通がシンプルな下手な倫太郎の言葉が、その、熱意が、

 

「……あっそ」


 これまで自分に媚びを売ろうとしてきた耳障りな声よりもずっとずっと、伝わる。

 そこに媚びもへつらいも、なかったから。


(……まあ、天才だとかふざけた言葉を吐かないことは褒めてやるか)


 倫太郎の言葉に心が揺れたことを勘づかれたくなくて、雷華は腕を組みなおして倫太郎から目をそらす。


「その、俺……だから、常鞘君って、本当に歌が好きなんだなって……努力できて、すごいなって」


 まだ続けるのかよ、と雷華は胸がムズムズとしだし、それをごまかす様に棘のある言葉を吐いた。

 

「好きなモノを努力するのは当たり前のことだろう。お前にはないのか?」


 ハハッと、雷華は皮肉っぽく笑って見せる。


 

 途端に、倫太郎は黙り込んでしまった。



「……?」


 急に言葉を詰まらせた倫太郎に、雷華は訝しむ。さっきまで調子よくしゃべってたんじゃないのかお前、と。


「あー……さっきまで、そこんところの話を私としてたところでね。好きと努力っていう話を」


 気まずそうな空気が流れてきたところで、かなたが割り込んできた。


「そうだよな、釘矢君?」


「あ、は、はい……」


「……はぁ、で、それが?」


「あの、俺」


 うつむきながら、大きな拳を握りながら、倫太郎は言う。

 

「……好きだという気持ちは、生まれ持った素質よりもずっと大切だと思うんです」

 

「そんな当たり前のことを急にどうした」


「あ、あはは」


 きっぱりと言われ、倫太郎は笑う。から笑いだった。

 

「……そ、その……お、俺って、か、体、大きいじゃないですか」

 

 また当たり前のことを言ってるなこいつ……と雷華は心の中で呟く。


「それで……」


 好きなことを努力して続ける雷華の姿に感化された倫太郎は、胸につっかえていた、これまで長年詰まらせていた言葉を、ゆっくりと、大きく、吐き出す。

 

「いろんな人から、大人から……スポーツをやれとやれと言われ続けてきて……好きじゃないんです、その、スポーツが」


「はぁ」

 

「人と競うのが苦手で……それよりも一人でライトノベル読んでいるほうがずっと楽しくて……」


 正直な所、雷華は、人と競うことが苦手だという意味合いがよくわからない。

 人と競おうとしたことがないからだ。

 自分の表現を十全に発揮することを至上の命題とする芸能の道を追求する雷華にとって、対戦相手と明確な勝敗を付けるスポーツという分野は、雷華にとって未知の領域だ。

 だから雷華は単純に倫太郎に対して『それだけ体が大きいのなら、気に入らない相手をぶっ飛ばすくらい造作もないだろ』と気軽に思っていた。

 スポーツなんて、自分が勝って喜ぶのが当たり前のものなんだろうだから。


「中学に入って、その……とあることがきっかけで、ラグビースクールに入って……」


 倫太郎の口からラグビーの言葉が出て、かなたは少しばかり緊張する。

 トラウマになっていないか不安だったが、倫太郎は慎重に言葉を紡ぎ、思いを吐露していく。

 

「本当はやめたかったんですけど、一度入ったら抜けられる空気じゃなくて……」


「その時から身長どんだけあったんだ?」


「あ、えっと、185、以上はあったと思います。中学に入ってから10センチくらいしか身長伸びてないので」


「そんだけデカかったらさぞかし注目されたんだろうなぁ」


「……い、一応、都道府県の大会の選抜、とか……選ばれては、いました」


「本当に注目されてたのかよ」


 何だお前、と雷華は突っ込み、自慢か? と鼻で笑いかける。


「監督からは、ラグビーやり続けたら日本代表になれるぞって言われ続けたんです……でも……どうしても、続けられなかったんです」

 

 倫太郎の大きな肩幅が、縮こまる。

 

「周りのチームメイトは、練習に耐えて耐えて、もっとうまくなろうって必死になってて……練習の後にさらに自主練をするくらいに、頑張ってて……」

 

 その熱量に、倫太郎は耐えられなかった。

 

 どれだけ大人たちから期待をされても、どれだけ自分が才能があると言われても、練習がただただつらかった。

 走るのがつらい。タックルの練習をするのがつらい。

 パス練習を延々と延々と、単調な運動を何十回何百回もするのが、つらい。

 

「自分だけが、かえって漫画読みたい、ゲームしたい、ってばっか思ってて……周りも、そんな真剣にラグビー上手くなろうとしない俺のことを、避けるようになっていって……皆、レギュラーになりたい、試合に勝ちたいって思ってて、それは試合に出て勝つことが”好き”だからで」

 

 だから、あんな厳しい練習でも耐えて耐えて、耐え凌ぐ。

 倫太郎にはそれができない。途中であきらめ、練習後の自主練もしないでそそくさと帰る。

 

 スクールの中で一人だけ、向上心がなかった。


 それだけならまだよかったのかもしれない。倫太郎にとって悪かったのは――そんな必死に体を鍛えなくても、倫太郎のフィジカルであれば試合で大活躍できてしまうこと。

 

 倫太郎がボールを持って走れば二人がかり、いや三人がかりではないと止められないし、倫太郎がタックルして止められない相手は周りで誰もいなかった。


 周りが必死に努力して努力しても身に着けられないパワーを、特に努力もしない倫太郎はすでに持っていて、それを持て余してさえいる。

 

 そんな倫太郎のことをチームメイトは、好きになるはずもなかった。

 

「結局……”色々なこと”が、あって……二年生の時にやめてしまったんです。これ以上、そういう空気に、耐えられないから」

 

「……」


 雷華は倫太郎の話を、黙って聞く。

 

「それに、監督も俺にものすごくひいきしていて、俺だけ、罰走も免除されたり、特注のシューズ渡されたり、車で送迎されたり、高校のスカウトに呼ばれてコーチと面談させられたり、とか……そういうのをされればされるほど、チームメイトから恨めしい目でみられるのが、耐えられなくて……」

 

 雷華は思う。

 こいつが辞めるとき、大人は何て声をかけただろうか。


 お前は才能があるのだから続けろ。


 そう言ったんじゃないのか。


 好きとか嫌いとか、そんな気持ちを見ることもなく。体格だけで見て。その分かりやすい才能だけを見て。

 

(そうか、俺は、こいつのことを……)

 

 体が大きければどんなスポーツでも活躍できるだろ――と倫太郎に対して思っていたことは、そっくりそのまま、自分に跳ね返ってくる。


 ――それだけ綺麗な声をしていれば、声が高ければ、天才的な音楽の才能があれば、なんだってやれるでしょ?

 

 自分が言われて傷つく言葉を、俺はこいつに言ったのか。


「……俺は」


 雷華が何かを言おうとしたが、

  

「そんなことをはねのけるほどに試合に、勝つということを好きになれたら……続けられたと思うんです」


 倫太郎の声にかぶさって、消えてしまった。

 

「俺は、世の中で、何かを成し遂げたり努力したりする人のことを、本当に尊敬するんです。俺にはできなかったことだから。どんなに、元から上手でも、天才でも……好きじゃなきゃ続けられないと思うんです。プロのスポーツ選手とか、芸術家とか、いろんな職業のプロ、とか……この人は、本当にそれが大好きなんだなぁって、思うんです。……常鞘君も、本当に歌が大好きで大好きで、たまらないんだなって。何かを表現することとかが、本当に、やめられないほどに好きなんだなって」

 

 倫太郎は朗らかな笑顔を浮かべている。

 雷華が今浮かべている表情とは、正反対の、晴れ晴れとした笑顔で。


 ごつい体には似つかない、どこか幼さを残すような、弱弱しくて暖かい、純粋な――微笑み。

 

「っ……」


 その微笑みで――雷華は思い出した。自分が声楽の道を志した、本当の理由を。


 

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