第36話 ”才能”という言葉の無意味さについて
それからみっちりと、一切の妥協のない雷華のレッスンが始まってから1時間がたとうとしていた。
「一旦休憩にする。肩ひじを張る癖永遠に治らないのどうにかしないと次のステップに行けないからそこ休憩時間の間にも意識し続けておけよ」
雷華が平然とした顔で言い、
「お、おうっ……」
汗だくだくになりながらかなたは背中を丸め、どかっと椅子に座った。ずっと立ったままことあるごとに姿勢を注意され続け、神経がだいぶ摩耗されていた。
「だ、大丈夫ですか、鈴木さん……?」
「おう、ま、任せておけぇ……し、姿勢いちいち指摘されるの死ぬほどだりいけど、でも姿勢よくしたら声の通りがダンチなの実感するんだよな……。釘矢君、私のバックからお茶もってきてくんねえか?」
「あ、は、はい!」
倫太郎がかなたのカバンに手を伸ばそうとするのを、雷華が制した。
「お茶飲むなよ、喉が傷める。水にしろ」
「あ、じ、じゃあドリンクコーナーからお水持ってきますね! あ、えっと、常鞘君は?」
「俺は軟水しか飲まない。ペットボトルの水無くなったからコンビニ寄ってくる。帰ったら再開だからな」
そう言って雷華はすたすたとブースを出て行こうとする。
「おいっすー、いってらー……あ、そうだ、常鞘やい」
疲労でぐでーっと体を伸ばしながら、かなたは雷華に尋ねた。
せっかくカラオケに来たのだし、と。
「いっちょ常鞘のお手本というか、歌を聞いてみたいんだけど、どう? 一曲」
この一時間みっちりと雷華の指導を受け、その的確で厳格なアドバイスを一身に受けて今更雷華の実力を疑うつもりはもちろんない。
とはいえ、せっかくの機会なのだし”師匠様”の歌を聞いてみたい、というかなたのちょっとした好奇心が浮かんだのだった。
「拒否」
それだけ、ものの見事に端的な言葉で否定して、そのままブースから立ち去って行った。
「うーっす」
「あ、あはは……なんというか、す、すごい厳しいですね……」
「いやぁ、優しくはあると思うぜ? こんなへたくそな声を一から指導するってんだから、相当根気いるだろうし……変なこと言うけど、適当に教えてはいサヨウナラってこともできるわけだしさ」
雷華が居なくなったブースで、かなたは倫太郎に素直な思いを吐露する。
「大した奴だぜ、あいつは……」
一方の雷華は、カラオケ店から出て最寄りのコンビニへと歩きながら、かなたの練習のことを考えていた。
(しかしまあ、よく俺の指導を文句もなく続けられるもんだ)
雷華にしてみれば、かなたはよくやっているほうだと思っていた。
雷華は、人に歌を教えるのは初めてだった。いや、正確に言えば中学の頃に急に話しかけてきた女子が猫撫で声で「私にも歌教えてほしいなぁ♪」とか言ってきたことはあったなと雷華は顔を顰めながら思い出した。
歌を教えてほしいと言っておきながら歌いたい歌もなく、結局それを口実として2人きりになりたいだけなのだと気がついた時は、怒りを通り越してもはや呆れてモノも言えなかった。
(ああ、くそ。変に昔のこと思い出してむかついてきた)
コンビニの窓に映る自分の顔を見る。
中性的だと見初められ、モデルのようだと褒められつくされる自分の、昔から変わらない顔。
(……小学校の頃は、女々しい顔だって揶揄われたけど)
『お前声高っ! ぎゃはは、顔も声も女みてぇ!』
小学生の頃、自分の声の高さを笑われた。
それが嫌で、雷華は同級生と話すのを避けるようになった。
無口で外で誰かと遊ぼうとしない雷華の姿は、同級生たちにとって格好の標的になった。
今でさえ雷華の細い体に白い肌は同級生の女子たちに取って美しく華やかに見えるが、小学校の男子たちからしてみれば"弱っちいやつ"にしか見られない。その男子たちに詰られる雷華は、当時の女子たちは情けなく頼りないように見え、軽蔑さえしていた。
雷華はその屈託した思いを、声に出して吐き出せなかった。教師に言っても、両親に言っても、自分の声が笑われるかもしれないと思ったから。
小学校で良い思いでなんて一つもない。
そんな雷華がとあることがキッカケで声楽を志し、ボイストレーニングと声変わりを経てしっかりとした低い声を出せるようになった。
さらに女っぽいと揶揄われた高い声も繊細で華やかなテノールとして開花し、元々の素質であった広い声域が安定した。そして身体も成長期を迎え脚がより一層長くなって無駄な脂肪のないスリムな体格になり、コンクールに出るために身だしなみを整えて始めた頃から、女子が急に媚びを売るようになった。
『常鞘君って本当に綺麗な声だよね……』『体もスラッとしてて、イケメン……』
絡んでくる女子たちのうわずいた浅はかな言葉を聞くたびに鼓膜がけがれるような思いになる。
たかが体つき、声が変わっただけで、こんなに近寄ってくるのか。
恥を知れ。
更にその声が高まったのは、当時所属していた合唱部の顧問から是非と請われ、文化祭で独唱を披露した頃から。
雷華が歌ったのはAn die Musik。シューベルトの最高傑作と名高い曲だ。
音楽家になることを厳格な父によって反対され、音楽学校を辞めさせられ失意の最中にいたシューベルトに手を差し伸べのは、彼の音楽の才能を信じた友のショーバー。そのショーバーが彼のために記してくれた詩――自由もなく絶望的で色褪せた人生を、音楽が暖かい愛の光と共に照らしてくれる――その詩にシューベルトが乗せた美しき旋律は、救いである友への感謝、そして音楽の希望が込められている。
雷華もまた、周囲から声を否定され貶されていた幼少期の時代は、音楽が心の支えだった。音楽への敬愛に、遠い昔の偉人であるシューベルトと心が通じ合えたような気がして、雷華はその歌を歌うのが本当に好きだった。
そんな曲を、雷華は体育館の舞台で、音楽への感謝を込めた美声で堂々と歌い、退屈そうに独唱を待っていた生徒たちの目を一瞬のうちにして覚まし、圧倒した。
その頃から女子たちは雷華にこぞって近寄ってきたが、彼女たちが媚びる言葉には『常鞘君って声楽の才能すごいよね!』『将来声楽家になるの!? かっこいい!!』など、雷華の音楽への深い愛を感じ取らない、雷華にしてみれば浅く薄っぺらい言葉。
(天才とか、好き勝手言いやがって。この声を出せるまで、俺がどれだけ苦労したか)
(生まれつきの才能だとか……くだらない。声楽がそんな素質だけでたやすく成せる道だと思われていることが気に食わない。ああ気に食わない)
喉がガラガラになるまで歌ったこともあった、何度唄っても声楽の講師に音程を注意されて悔しい思いを何度だってした、それを何年も何年も続けてきた。
(才能だけで全部上手くいくわけがないだろうが)
コンビニに入る。店内の広告のディスプレイに全面的に張り出されているのは"天才歌姫少女"と銘打たれた女性アイドル。
「Secret a Riotの星映こころ(ほしうつし こころ)です! 今流れているのは、私たちのニューアルバム”Star Right"に収録されている新曲の”すべての涙は過ぎ去る過去、です! この曲は武道館で初めて披露した、私たちが活動する中で大事にしている絶対にあきらめないっていう信念を、歌に込めているもので――」
星映こころ――中学一年生ながらその才能溢れた歌声とダンスで今芸能界を席巻しているタレントだ。
『トー横界隈』を題材にした過激な地上波ドラマの主役として当時10歳だった彼女が抜擢され、そのたぐいまれなる演技力で瞬く間に話題になった、”元”天才子役.
そんな彼女がアイドルに転身するというニュースは一時大きな論争を招いたが、今では紅白に出場するまでに成功を極めている。
アイドルにはまるで興味がない雷華だが、星映こころの存在は知っていた。
アイドルという業界がいかに過酷であるかということも、ある程度の知識として持っている。ただ顔がいいだけ、歌が上手いだけ、では乗り越えることができない世界だということも。それは声楽の世界でも同じことだと思っていた。
だからこそ。
星映こころの顔が映し出される画面に『天才アイドル』だとか形容されることに対して、
(努力して今の地位にたどり着いてるのに、天才だとか言われるの、虚しいだろうな)
雷華は、同情した。
天才――雷華が一番嫌いな言葉だ。
雷華はお気に入りの飲料水をセルフレジで会計しながら、今一度、その天才歌姫少女の顔が全面に打ち出されている広告を見て、
誰かに似ていると一瞬だけ思って、
(……苗字が違うしな)
思い違いだと考えて目をそらした。
(まああと一時間くらい指導して終わりにするか。休憩後はブレスの位置を決めて、そしてリズムを取る練習をして……スマホのアプリのメトロノーム使えばいいか)
そんなことを考えながら雷華はカラオケ店に戻り、ブースに入ると――
「――だからすごいんですよ常鞘さんって!」
「やっぱそうよなぁ」
「まってなんの会話してんの?」
雷華は、二人が意気揚々と自分のことを話題にしているところに乱入する形となった。
「あ、いや、その……常鞘君って、やっぱりすごいなって」
突として現れた雷華に驚きながらも、倫太郎は姿勢を正して言う。
「すごい?」
(ああハイハイ、俺の声が天才的だってことね)
さんざん言われ飽きたよと心の中でうんざりしていた雷華だったが……
「ものすごく歌が大好きなんだなって!」
「……は?」
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