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第30話 チェキ

 それから数十分後。朝の校舎にて。

 

(私だけを見ててよ あっちみないで そっちもみないで 私だけ見て)

 

 かなたは女子トイレの洗面化粧台で前髪を整えながら、ライブの曲を鼻歌で歌っていた。


(うーん、頭の中で歌うとまともな声なんだけど、声に出すとカスになるのどうにかなんねーかなぁ。いっそのことボイチャン使うかぁ?)


 そんなことを考えながらかなたは女子トイレを出て、友達が出てくるのを待つ。

 朝の女子トイレはそれなりに混んでいて、女子トイレ前がちょっとした渋滞地域であった。


「かなたちゃんおはよー」「おーっす」


 通り過ぎるクラスの女子に挨拶され、かなたは軽快に返す。


「またどっかでデパコス見にいこーね! SNSで話題になっての、試してみたいの! 絶対かなたちゃんに合うと思うなー!」

 

「おっけおっけ、また連絡してよ」


 かるーい約束をして女子が離れていくと、かなたは一息ついた。


(デパコスなんて恐れ多くて手がでませんわ。しっかし、女の子同士の遊びってカフェやらデパートやら、日本大橋とまるで縁がないから困る。カドショやらコスプレグッズ売り場に誘おうもんならとんでもねえモンみる顔で見てきそうだし)


 それはそれで自分のコスプレ喫茶のアルバイトがバレる心配がないので、好都合なことではあったのだが。


(ライブ……歌うときって棒立ちじゃだめだよな。なんかこう、ステップでもきかして踊ってみるとか? そうすりゃ声のダサさごまかせそうかも。でも私運動音痴すぎるからなぁ……バレエ教室も全然ターン回れんかったし)


 かなたは試しに窓際まで体をぽーん、とステップした。たどり着いた窓に映る自分の顔を見て(なにやってんだか、私)と苦笑いする。


「邪魔」


 すぐ隣から、男子の声が聞こえてくる。それは冷徹で、硬く冷たい氷のようで、そして麗しい声で。


「あん?」


 かなたはその男子の方を見やる。その男子は――常鞘雷華だった。


「邪魔だと、言っているのだが」


 雷華はちっこいかなたを見下ろしている。その目はぎろりと光り、かなたを威圧している。

 整った顔立ちと、無駄な表情を一切見せない不愛想な態度。

 雷華を追いかける女子たちにとっては”ご褒美”モノだったが、かなたは


(何睨んでんだこいつ)

 

 なんにもなびかない。ただただ雷華の態度が悪いことにシンプルにキレていた。

 

 とはいえ、歩こうとした道を急にかなたに遮られたわけだから向こうさんに言い分はあるということは理解はする。


「はぁ。すいませんでした」

 

 しぶしぶと、かなたは雷華に道を譲った。

 

 雷華は舌打ちをして、かなたの横をすたすたと歩き去って行く。


「んだ、あの態度。何をあんな朝からピリピリしてるんだよ」


 だが、かなたは周囲から妙な目線を向けられていることに気が付いた。


「……あの子、常鞘君に話しかけられた!?」「いいな、いいなー!」「え、じゃあ私も常鞘君の歩くところ邪魔したら話しかけてくれるのかなー!?」


(……な、なにこれ)


「ごめんね、お待たせ! かなたちゃん! ……どうしたの?」


 女子トイレから出てきたのは雫だった。ハンカチで手を拭いてかなたのもとに駆け寄るが、周囲の空気がどこか色めき立っていて、雫はかなたに尋ねた。

 

「いや、わっかんね。まあいいじゃん、行こうぜー」


 そう言ってかなたは歩き出し、雫は「まぁ、いっか」とかなたについていく。


「それで、ライブの準備は順調なの?」


 コスプレ喫茶に通う雫はもちろんライブのことを、さらにかなたがソロで歌うことも知っている。当日のチケットはすでに購入済で、最前線で応援する気で待ち望んでいた。かなた(こころん)とはるにゃんのファンサ団扇は目下鋭意制作中だ。


「まあ、ぼちぼちってところかな。見苦しいところは見せねえようにはするが、まあ雫も期待はすんなよ」


 ははは、とかなたは笑う。

 その笑い声にいつもの元気がないことを、付き合いが長い雫は分かった。


(釘矢君の通り、やっぱりずっと不安なんだな……)


 これは倫太郎にぜひ頑張ってもらわないと! と雫は思う。

 

「お、釘矢君じゃあないか」


「あっ! あ、お、おは、おはよ、ござ……」


 かなたが、向こうから倫太郎が歩いてくるのに気が付いた。いつもより遅い時間に登校してきたのか、カバンを背負ってこれから教室に向かうところなのだろう。

 雷華を前にして逃げ出してしまった自分を恥じていて、かなたに合わせる顔がないとばかりにうつむき加減だった。

 

「やー、なにそんな不安な顔してんだって! 朝なんだから明るくいこーぜ!」


 そんな落ち込んでいるような姿をしている倫太郎を、かなたは励まそうとする。

 他人を励ますことで、少しでも自分の不安をかき消そうとする自分のくだらない自尊心が嫌になりながら。


「なっ!」


「は、は、はひっ……」


 かなたはニコっと頬に指を立てながら笑い、倫太郎は可愛いという言葉を堪えようと顔を伏せていた。


「釘矢君、おはよう」


 雫は倫太郎に挨拶し、意味ありげに微笑む。


「あ、お、おはよう、ございます……」


 かなたに内緒にしている手前、昨日の通話のことは言えない。だが、目と目を合わすだけで通じ合えた。


「あっ、そうだこれ! せっかくだし今渡しちゃお!」


「え……?」


 雫はスマホケースのポケットに忍ばせていたあるものを手に取り、それを倫太郎に手渡した。


「それを見て、頑張ってね?」


「え、あ、ありがとうございます……?」


 動揺する倫太郎ににこやかに手を振りながら、かなたと一緒に立ち去った。


「あれ、何渡したの? なんかちっちゃいやつだったけど」


 それは、倫太郎を勇気づけるもの。

 かなたのために頑張ろうと、友達を作ろうと奮起する倫太郎を少しでも後押ししてあげるための、とっておきの代物だ。


「ふふ? 知りたい?」


「まあ、教えてもらえるもんなら教えてもらいたいもんだけどもよ」


「かなたちゃんとはるにゃんのチェキ」


「何渡してんの!?!?!?!?!?!」


「2人で指でハートマーク作ってるあのチェキ……いいよね……はるにゃんの晴れやかな笑顔もまたね、いいんだよね……」


 コスプレ喫茶でキャストのツーショットのチェキを取れるサービスがあるが、雫はそのチェキを集めるのが大好きだ。自分が映っているものよりも、キャストだけのチェキのほうが好きだという妙なこだわりを持っていて、ほとんどのキャストのソロのチェキと、二人同士のチェキを集めてはアルバムに収納して時折眺めては心の英気を養っている。その中でもかなたとはるにゃんのツーショットは雫にとって秘蔵モノだ。

 

「い、いや、ななな、なんで釘矢君に渡してんのさ私のチェキを!?」


「嫌だった?」


 言われて、かなたは一瞬怯んでしまった。


「い、いや……嫌じゃあ、ないけど……」


「釘矢君もチェキもらったことないと思うからね、私のを見て、もっと欲しくなるんじゃないかな!」


「……」


 そう言われてしまえばかなたは言い返す言葉が見つからない。


(いや、まあ、そりゃあ……チェキの一枚や二枚、釘矢君が持っていたとしても、いいだろ……だって、雫だって、他のお客さんだって、持ってるんだし……)


 だが、倫太郎が自分のコスプレ喫茶の衣装でピースしている写真を持っている――という事実が、かなたを言いようのない感情に包み込むのだった。


(ふ、不快なわけ、ではないけれど……なんだ、は、恥ずかしい……? な、なんでまた、彼にチェキが渡っただけでこんな……)


 悶々として黙ってしまったかなたを、雫はこれまたニコニコと満面な目で見つめる。


 そして一方の倫太郎は、手渡された代物を見て即座に制服のポケットに隠し、はち切れんばかりの鼓動を抑えるのに必死だった。


(え? こ、これって……はるにゃんさんと……こころんさん……鈴木さんの、チェキ……?)


 恐る恐る、誰にも見られないように注意深く、ポケットからチェキを見た。


「かっ……」


(可愛い!!!!!!!!!!!!!!)


 倫太郎は感情が爆発し、落ち込んでいたはずの心があっという間にホカホカにあったまったのだった。

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