第29話 冷酷な王子様は友達なんていらない
雫と通話して数日が経ったそんなある日の朝。まだ季節上夏ではないはずなのに、登校時間でもう太陽の日差しが暑いと思えてしまうほど、太陽の日差しはますます強まっていく。
暑いねー、汗かいちゃった、と友達と楽しそうに会話をしている生徒たちとは裏腹に、倫太郎は真剣な顔でイヤホンを付けながら延々とオペラの解説動画を聞いていた。
(オペラは16世紀のイタリアで誕生した……古代ギリシャの劇を再現しようと奮闘した人たちが始めたもので、この時に初めて台詞を唄うというオペラのスタイルが生まれて、最古のオペラは”ダフネ”……これは楽譜が現存しない幻の作品で……当時は宮廷の限られた人たちだけが鑑賞できたけど、大衆向けの劇場を作ってみると、これが爆発的に人気が広がって、ヨーロッパ全体に広がって、各国で独自のオペラ文学が流行して……オーストリアの偉大な作曲家としてはモーツァルトが有名で……)
(オーストリアってどこだ……? オーストラリアとは別……?)
(スマホで検索しよう。あ、ここなんだ……ヨーロッパなんだ……。ほかに有名な作曲家? っているのかな……シューベルト、が有名なんだ……そうなんだ……)
雫とLANEで通話した日の夜から、毎晩毎晩とスマホでwikipediaで一通り調べ鉛筆で暗記するように単語一つ一つを書いて脳に刻み、さらに動画サイトで適当に検索してヒットした動画で耳にも情報を残す。
(女声は、ソプラノ、メッゾソプラノ、アルト、男声はテノール、バリトン、バス……声の種類によって演じる役が異なって、例えばテノールだと王子様のような華やかな役を演じることが多く……)
(声の発声の仕方にはいろいろ種類があって……年齢とともに声が低くなっていって演じる役も変わっていくことも多くて……)
(というか、どうやったらそんな遠くまで声を出せるんだろう……喉潰れないのかな、なにかそういう声の出し方をしているのかな……)
とにかく一旦知識だけは身につけておかないと、と倫太郎はここ数日はずっと勉強そっちのけでオペラのことしか考えていなかった。それでもまだまだわからないことの方が多い。
こんなんで果たしてまともに会話ができるだろうか……そんなことを考えれば考えるほど、表情が暗くなってしまう。
周りの生徒たちも、不機嫌に見える倫太郎を見て恐れおののいて遠ざかるほどだ。
(オペラのこと、分からないけれど分からないなりに、知識とかを詰め込むことはできるから……)
そんな倫太郎のすぐ隣を、男子生徒が走り抜ける。
「おい、いつまで怒ってんだよ! 常鞘!」
(えっ?)
その男子は倫太郎を通り過ぎ、男子を無視するように背中を向けて歩いている常鞘に追いつこうと走っていた。
(あ、つ、常鞘君だ! イヤホンに夢中で気が付かなかった……常鞘君、遠くから見ても、すぐにわかる……)
坂道のはるか向こうに見える、雷華の姿。
小さな背丈だが、その背中ときれいに整えられた髪型、そして背中をピンと立てた姿勢の美しさ。
スポーツでも芸術でも、トップに君臨する人は皆すべからく姿勢が良いものなのだと、ラグビースクールのコーチによく言われていた。
倫太郎はその時はピンと来ていなかったが、今にして、雷華を見てそれがすべて諒解した。
(常鞘は……本当に、すごい人なんだ……)
真面目に、真摯に、何かに打ち込んできた人の背中だと、倫太郎は思う。
(そんな人に、こんな付け刃でしかない知識で話しかけていいのだろうか……。それに、歌を教えてほしいって……頼んでもいいのだろうか……)
倫太郎は怖気突いてしまい、雷華と彼を追う男子から目線をそらし、遠回りをして距離を置く。倫太郎の視界から雷華が映らなくなったところで、男子は雷華に追いついた。
「だから、おい、無視すんなって! なんでそんなに切れてんだよ!」
はあはあ、と坂道を走って息を切らして顔中を汗まみれにする男子とは対照的に、雷華の顔は冷たく無慈悲などに無表情だ。
淡々と、声を無視して歩く雷華の横を、男子は肩を揺らしながら並走する。
「そんなにあれか!? カラオケ歌ってるの撮ったのそんなに怒ってんのか!?」
「……」
その男子の言葉に、雷華はわずかに眉をぴくっと動かす。
「いいだろ、動画撮るくらい! 同じ陸上部の集まりなんだから! それにお前くそ歌うめえんだし、撮られて損することないだろ! ほら、お前声すごく良いらしんだからさ!」
「……」
「お前あれだろ、中学のころ全国のコンクール大会で入賞したんだろ? 要するに俺らの世代で一番歌が上手いってことじゃん! その歌声を聞かせたっていいだろ、なあ!」
先週の休日のことだ。陸上部の部活終わりに一年生同士で遊びに行くことになり、雷華も誘われた。雷華は一度は断ろうとしたが『今後三年間陸、陸上部でこの連中と接するわけだから』と現実的な利益を考え、仕方なくついていくことにした。
そうしていくつか遊び場を転々とし、最終的にカラオケ店に行きつく。
そこで雷華は歌うつもりなどつゆほどもなかった。だが、雷華が声楽をやっているということをめざとく知っていた男子に歌え歌えとせがまれ、これ以上耳障りな声を聴きたくなかったから一度限りだと何度も断りを入れて雷華はマイクを握る。流行りのJPOPを歌え、なんかかっこいいオペラの曲を歌えとのたまう男子たちの言葉を無視して雷華は日本の童話を一曲だけ歌った。
予想とはまるで違う曲ではあったが、男子たちは『声楽をガチでやってる奴が歌う曲を聞ける』という満足感に浸り、その場はそれで収まった、はずだった。
「お前の歌うまかったからそれをクラスの女子にLANEで共有しただけだろ!? いいじゃねえか女子のやつらが喜んでて!」
「俺は見世物ではない」
「……は?」
何を言っているんだこいつは? と男子は心底から理解できないという風に口をへの字にする。
「そして」
雷華は立ち止まる。急に立ち止まられて男子は思わずのけ反り、後ろに下がってしまう。
男子は、朝日の逆光を浴びる雷華に見降ろされ怯んだ。
「女に縁のないお前が俺の動画を使って女と接点を持とうとしたその軽薄であさましい行為が気に食わない」
「あ……あぁ!?」
男子は図星をつかれ、それをごまかそうとばかりに雷華に詰め寄る。
モテない彼にとって、雷華の歌の動画を女子から「ほしい! ほしい!」とせがまれるのは実に良い気持ちだった。動画を共有するために何人もの女子とLANEを交換することになったときは、自分がまるでモテモテの男子になったのだと夢心地に浸りそれはそれは心地いいものであった。
それを雷華に見透かされ、剰えそれを糾弾され、男子は顔を真っ赤にしている。
だが、雷華は男子の憤る顔を見ても、何も動じない。
「それ、怒っているのか?」
「あ、あぁ……!?」
「てっきり痰を吐こうとしているのだと思っていた。みっともない顔で勘違いしていた」
己の怒りを”あ行”の言葉でしか言い表すことのできない表現力が著しく低い痛々しい人間を見るような目で、雷華は蔑む。
「殺すぞお前っ!」
男子が殴り掛かろうとするその直前――
「常鞘君!!」「きゃあっ、常鞘君だ!」
女子たちが雷華の姿を見つけ、小走りしながら雷華に笑顔を振りまく。
「……」
無視する雷華でも、女子たちは「今日もクールだっ……」「黙っててもイケメンなんだよなぁ……」とすっかり骨抜きになっている。
その間、雷華の近くにいるはず男子には、女子たちは目もくれない。
男子は女子が近くにいる手前、雷華に殴り掛かろうとすることができない。苦々しい顔をして、男子は「くたばれ」と呪詛を吐いて立ち去っていく。
「ねえねえ、一緒に教室まで歩こうよ!」「私たち、ただしゃべってるだけだから、ね!?」
男子が居なくなりこれ幸いとばかりに女子たちは雷華の左右に挟まり、きゃあきゃあと色めき立っている。
そのさなか、雷華はただただ虚無だった。
(……くだらない男、くだらない女)
こんな低俗な人間に囲まれて三年間を過ごさなければならないかと思うと、雷華は重い溜息をつくのだった。
読んでいただきありがとうございます! 評価、ブックマークよろしくお願いします!




