第12話 校則に書いてないのが悪い!
かなたが指さしたの2メートルほどある倉庫で、屋上には転落防止のための柵が一部を除いてちゃんと取り付いている。
元々は屋根付きのプレハブで使われていたものが、中古として学校に導入されていたものだという。
「元々は外付けの階段が付いてたらしいけどね」
階段があっただろう場所は、今では綺麗さっぱり切り取られている。そこだけ柵が無いのは、元々階段の動線の箇所だったからなのだろう。
「前聞いたんだけど、昔はちゃんと階段あって物置として使われたんだって。でも、上級生が昼休みに駄弁る場で占領しちゃってて、んでまあ男女がいろいろ”面白いこと”やりすぎちまって大問題になって、で階段取り外しちゃったんだとさ」
「……そ、それは分かったんですけど……でも、それで一体……?」
「君なら簡単に登れるでしょ」
実に歯切れのよい口調でかなたは言った。
「え、ええええ!? の、登っちゃダメじゃないですか!? 怒られますよ!」
「別に怒られないって。だって元々はちゃんとした屋上だったんでしょ。その屋上としての機能をただ使おうとしてるだけ。しかも、こんな人気のないところに通り過ぎる人なんていないし、ばれないばれない」
「い、いやぁ、でも……」
「そもそも”プレハブ小屋の屋上に上がるな”って校則に書いてないしね」
「それは、まあ、そうなんですが……」
「まあ別に登ったところ見つかったとて、ちょい注意されるくらいじゃん? 無断下校とかと比べると軽い軽い」
倫太郎は今一度プレハブを見上げる。
本来ならば屋上に登らせないようにするならば、階段の動線のために抜けていた柵もちゃんと付け加えて完全に封鎖すべきだ。
それを学校側がしなかったのは、こんな高いところに生徒がよじ登れることなんて想定していなかったからだ。
198センチもあるガタイの良い男子高校生が入学してくるかもしれないから登れないようにちゃんと柵を塞ぎましょう――とはならなかったのだろう。
「まあいったん登れるかどうかだけでも試してみてよ。ダメそうならまた別の案考えるからさ」
「は、はぁ……」
そもそも登れるのかなぁ、と思いながら倫太郎は長袖のシャツを捲った。
丸太のように太い二の腕が見え、かなたは一瞬びくっとした。
(でっか……私の太腿よりも太いんじゃない?)
そりゃあのクソ酔っ払い男も追い出せますわな、とかなたは感嘆とする。
「えっと……」
倫太郎は太く長い腕を伸ばした。198cm+腕の長さで、ちょうど柵の根本に手が届いた。
「ふっ」
目をつぶって、大きく息を吐く。両足をプレハブの壁にタン、タン、と小刻みに刻みながら弾ませ、体が浮く。根本をつかんでいた手を器用に上に滑らせ、数十センチ上のほうを握りなおした。
それを一回、二回、と同じリズムで淡々と淡々と、登っていく。
「すげ……」
じぃっとかなたは倫太郎の身のこなしを見つめる。
気が付けば柵の根元まで足が付き、そのままの勢いで柵を乗り越えた。
「いけたじゃん! すごい!」
下の方からかなたの歓声が聞こえてきた。体をぴょんぴょんと飛び跳ねているのか、うれしさが足音から伝わってくる。
「いけちゃった……」
倫太郎は屋上に立ち、空を見上げた。
初夏の青が空を眩しく染めあげている。
その青々とした色に、倫太郎はしばし目を奪われる。
「――い、おーい! 私も登らせてくれよー!」
ふと我に返って、ようやくかなたに何度も呼ばれていたことに気が付いた。
慌てて下を向くと、そこにはかなたが腕をぴーんと伸ばして不貞腐れるように頬を膨らませている。
「私にも屋上の景色見させろよー!」
ぷんすかと不満を漏らすかなたの声を聴くと、どこかくすぐったさを覚え、倫太郎は頬を緩めた。
「えっと、それじゃ……ええと」
倫太郎は手を伸ばそうとするが、異性であるかなたと手を握り合うというボディータッチに思わず躊躇してしまう。
(ど、ど、どうしようっ……せ、セクハラじゃないのか俺みたいなのが女の子の体に触れるって……)
「なーにおっかなびっくりしてんだ」
いつまでたっても伸びてこない倫太郎の腕に向かって、かなたがサラリと当然な風に言った。
「友達の手を握るくらい普通、だろ?」
そういわれてしまうと、倫太郎は返す言葉がない。意を決し、かなたの手を握った。
やわらかくて細くて、今にも壊れてしまいそうな腕だった。
「よ、よいしょ!」
軽いかなたは、腕一本だけで容易に釣り上げることができた。
「わ、わっ! わぁーっ! あっはは、あははは! 上がった上がった! すごいすごい! すごいなぁ君!」
うなじに一筋の汗を垂らしながらかなたは倫太郎ににかっと笑う。倫太郎は手に残ったかなたのやわらかい肌の感触が恥ずかしくてうつむいてしまった。
「ここってちょうど体育館が壁になって校舎の窓から見えないから、ちょうど死角なんだよねぇ」
かなたと一緒に屋上に立つ。
確かに、ここから校舎は見えない。ほんのわずかに見えるけど、体育館に阻まれて見えにくい。
そしてそれ以上に、空は大きかった。
息を吸って、吐く。
倫太郎はこの場所に立って初めて、安らかな気持ちになれた気がした。
学校の喧騒の中からシャットアウトされた空間で、倫太郎は自ずと心が安らいでいく。
「っはー、ここで気楽に昼休み過ごせるねぇ。デイリー回そ」
かなたはまるで自分の部屋みたいに胡坐座りした。柵に背中を預け、スマホを取り出す。
「あ、お、俺も回そうかな……」
つられて倫太郎も体育座りする。
「あらぁ今日もやんやちゃん可愛いねぇ。首が細くて可愛いねえ。今日はいつにもまして細く見えるねえ。それはそれで大丈夫そ? 大丈夫? そっかそっかぁ ふっふっふ……」
テンセグのホーム画面に映し出されるキャラクターを何度も何度もタップし、かなたは撫で声で囁いている。
「……鈴木さんっていつもそうやって声出ちゃうんです?」
「やっぱ萌えってこう、自然と声が出てしまうものだから。仕方がないんだよね」
「そ、そういうものなんですか……?」
「くしゃみみたいなもんだから。くしゃみを止めろっつっても難しいでしょ」
「そうかな……そうかも……」
「ちな君は誰待ち受けにしてんの。見せて見せてー」
「日替わりで変えてます。今日は日向流リウです」
「日替わりと尻軽男かよ」
「とんでもない罵倒が飛んできて泣きそうです」
「オタクなら嫁一人を愛しなさいよ。『〇〇は俺の嫁』という古き良き一夫一婦制のオタクの精神を忘れたのかい」
「いやぁ、でも……やっぱりキャラクターの関係性が、すっごい好きで……どっちかなんて推せないです……」
「そんなもんかね」
「芸人のテツ&トモのどっちかを推すことはないですよね、二人のコンビネーションが好きだから二人とも好きなわけであって一人だけ好きってことはならないんですよ。そういうものなんです。俺なんでテツ&トモで例えたんですか?」
「急に正気に戻らないで」
そんな会話をしながら、二人はスマホをポチポチとする。
鳥のさえずりが時折聞こえるだけで、空間はいたって静寂そのもの。
もくもく、もくもくと、デイリーを消化する。
周りを気にせずにスマホの音量を上げる。ゲームの音が聞こえても誰も気にしない。
だってお互いが同じオタクのゲームをしているから。
(あ、鈴木さんクリアした。旗艦役、やっぱりやんやなんだ。防御薄いのによくやり切れるなぁ……)
ゲームの音だけでかなたがどんなプレイングをしているのかわかる。癖があって、決して効率的ではない。
時として無茶苦茶な編成を組んで無駄にスタミナを消費してしまう。効率を求めてキャラクターを選ぶ倫太郎とは真逆の楽しみ方だ。
かなたは、それが楽しい。
好きなキャラをどんどん出して、そのキャラが活躍する様を、その声を、感じたい。
かなたの自由奔放とした性格が丸々っと伝わってくるようだった。
そんなことを考えながら、ぼーっと空を見上げて倫太郎は一息つく。
(ああ、気楽だなぁ……)
誰からも奇異の目で見られず、先生からも追いかけまわされない。
(屋上に登ってしまうなんて、全然考えもしなかった)
自分がこんな悪いことをしでかしてしまうなんて思いもしなかった。
それも、友達と一緒に、だなんて。
(なんか、俺……この高校に入って初めて、楽しいって思えたかも……)
予鈴が鳴った。
「さすがにそろそろ帰らないけんか」
パッとかなたは起き上がる。つられて倫太郎も立ち上がった。
さて、どうやって降りようか。
「よっと」
まず倫太郎が屋上の柵を両手で握って、そのままぶら下がる。そのまま手を放して、すとんと着地した。
「よっしゃ次は私な」
そして、それを迎える様にかなたが飛び降りた。
「う、うわっ!」
倫太郎はかなたを両手でキャッチする。両脇腹腹を。
「……なんか私がそうしろって言った手前あれなんだけど、これ赤ちゃんの高い高いみたいだね」
「言わないでおこうと思ってたことを……」
「ふう、じゃ、これから、気が向いたときに呼ぶわ。そん時はまた一緒に屋上で駄弁ろうぜ」
ブルーシート、それに日傘も必要かな、とかなたは悪そうな笑みを浮かべている。
そんなかなたを見て、倫太郎は思った。
(これまでずっと思ってたことだけど……鈴木さんはずっとずっと、すごい人だな……)
(好きなことを好きなように楽しんで、やりたいことをやっている……。アルバイトもできて、接客もできて、友達もたくさんいる。すごい……)
「俺、鈴木さんみたいな人になりたいです!」
「え?」
かなたはきょとんとする。そして、笑った。
「あっはは。私みたいなんにはならないほうがいいんじゃねえかな」
「そ、そんなこと言わないでくださいよ!」
かなたを追いかける様に倫太郎は歩く。
青春の春風が、二人を包んだ。