第10話 「友達になってください」って言ってもいいですか?
そのあともすっかり楽しんで店から出た倫太郎は、しばらくビルの前で余韻に浸っていた。長いこと居たため外はすっかり暗くなっていた。
会計を済ませる際には、カードの名前が共有されていたのか、確かにドリンク代は請求されなかった。
(楽しかったな……鈴木さ……じゃなかった、こころんさんや、はるにゃんさんと話すの……)
あの後オタクの話で盛り上がって、
『召し上がれ……♡』
こころんの囁き声を思い出し、かぁっ、と耳が赤くなる。
(ほ、本当にすごかったっ……思い出すだけで、ドキドキするっ……)
倫太郎が楽しく過ごせたのはそれだけではない。
店内の雰囲気もうるさすぎず静かすぎず、倫太郎にとってとても落ち着ける場所。
ゆったりとオタクの空気感を感じながらコーヒーを飲むだけでもリラックスができて、プラスアルファでボイスなどのお楽しみも経験できる。
客の中にはライトノベルを持ち込んでコスプレ喫茶というオタク全開の空間でのびのびと読み進めていて、倫太郎はついついそれを次に試したくなっていた。
(……って俺はなんで次も行こうとしてんだ!)
倫太郎はぶんぶんとかぶりを振る。
この一回限りで、この店には来ないと決めていたはずだ。
もう十分楽しんだんじゃあないのか。
これ以上俺みたいに図体がデカい客が来ても困るだけじゃないのか。
これまでどこにも馴染めなかったような陰キャ丸出し人間がいていいのか。
(そうだ、その通りだ。俺が居ても誰かの迷惑になるだけ)
そう自分に言い聞かせて、納得したはずだ。
なのに。
(……どうして俺は、ここから離れられないんだろうか)
ビル三階の窓に張られている"ailes d’ange"を、ずっと見つめてしまっている。
名残惜しそうに。
……離れたくない。そんな思いが倫太郎の頭の中をぐるぐると回り続けていた。
(でも、俺なんか、俺なんかがっ……!)
「おい」
「うひゃぁ!?」
突として誰かから横腹を突かれ、倫太郎は驚いた声を上げてしまった。
巨体の倫太郎に対しそんなちょっかいをかけられるのは――
「す、鈴木さん!?」
「んだよ」
かなただった。倫太郎が気が付かないうちに一時間近く経っていたのか、仕事が終わり制服に着替えたかなたが、小さい手で倫太郎の横腹を何度もつついていく。
「う、うわっ、や、やめっ……」
「出待ちしてんじゃないよ。ウチそういうの禁止だぞ。メニューのとこの禁止事項ちゃんと読んだかー?」
冗談めかしくかなたは笑いながら言う。
「……出待ち?」
倫太郎はその言葉にピンと来ていない。その言葉の意味すらよく分かっていないようだ。
「出待ちって、なんですか?」
「なんだ知らないの。出待ちっつうのは、キャストの退店の時間を狙って待つこと。悪質だぞ~」
「え、あ、い、いや、俺はそんなつもりじゃ」
「わかってるっつうの。そもそもこそこそ隠れて出待ちしようとするやつがそんな堂々と道路に立ってるわけないからね」
わはは、と笑いながらとかなたは学校のカバンを肩に持ち直す。
「君って帰りの電車って何線のどの方向?」
そう倫太郎に顔を向けながらすたすたと歩きだした。慌てて倫太郎はついていく。
「え、えっと、学院都市線で、花天駅の方向です。花天駅の近くが家なので……」
「同じ線だけど逆向きだな。じゃあ駅まで行くか―」
「え、あ、えっと……?」
なんで駅の方向を聞いてきたんだろう、と倫太郎はぽかんとした顔をする。
「って、なに立ち止まってんだ? もう暗いぞ」
夕焼けが沈む日本大橋の路地で、優しいオレンジ色の逆光に包まれるかなたが倫太郎の顔を見つめていた。
「え、あ、あの……」
「……駅、こっちだぞ?」
ちょいちょい、と拱きする。
ここでようやく倫太郎は思い至った。
(え、も、もしかして……一緒に帰ろうとしてくれてる!?)
「い、いいんですか、その、俺と一緒に帰るのって……」
「ん? なにが?」
コロン、と不思議そうに首を傾ける。それが可愛い猫のようで、メイド服の時とはまた違った制服姿のかなたの可憐さに倫太郎はドキッとする。
「あ、いや、な、なんでも……ないです」
そう声を漏らしながら、倫太郎は恥ずかしそうにかなたと一緒に歩きだす。
(ほ、本当にいいんだろうか、俺、一緒に歩いて……迷惑じゃないのかな……)
「で、お店の時に言ってたけどハウィ10連で出たのってマジ?」
「あ、は、はい」
「スチル見せて」
「あ、は、はい」
従順なまでに倫太郎はかなたにスマホを渡した。
「おっ……おぉ…………いいねぇ、うん……ほぉ……」
横断歩道の信号が赤の間、ずっとスチルを見つめてはにやにやと笑みを浮かべていた。
「私のスマホすげえ古いオンボロだからデカい画面で綺麗な画質で見れるの素直に羨ましいわ」
「あの、このシュシュの柄が後輩の黒藤ライレイのセーラー服と一緒なんですよね。よくないですか?」
「汗ばんだ体操服が肌色っぽくなってるのスケベすぎるな。太腿の内側に垂れてくる汗とかもなかなか……」
「あ、あんまり反応しずらいこと言うのやめてください」
「あんだよ君だってこんなイラストを見てエロスを感じないわけないだろう」
「いや俺、テンセグのキャラクターにエロは正直感じないです!」
「そんな真面目な顔で言われるとちょっと笑っちゃうからやめて」
「テンセグってほら、こう、キャラクターの辛い思いとか悲しみとか、そういうのをやっぱり一番に感じるので、そういう邪な思いは……」
「ごめん私テンセグのことイラストレーターの性癖展覧会っていう目でしか見たことなかったよ」
「えぇ!? あ、あんなに重いストーリーはっ!?」
「なんか事件とか大変なことが起きてんなーって感じの雰囲気で読んでおるよ」
「あ、だからストーリーの会話の中に練りこまれてる編成の組み合わせのヒントを読み飛ばしちゃってるからストーリーのイベント戦なかなかクリアできなかったんですね」
「第二章のアルゲリヒュルド海域の戦いでソヨギとキハヤが隣同士になる編成にしないと雑魚敵が異様にステが高くなるのってそういうことだったんだ」
「ストーリー読みましょう。そして伏線とかキャラクター同士のカップリング要素とかで話盛り上がりましょうよ!」
「私カップリングあんまなんだよなぁ……プレイヤーにラブラブしている二次創作イラストが一番”脳にクる”から(人差し指をこめかみにトントンと当てている)」
「あ、俺と完全に逆ですね。俺そっちがなんか地雷……ってわけじゃないですけど、プレイヤーのほうを見るよりかはキャラクター同士で見つめあってほしいっていうか(ろくろを回すような手をしている)」
「壁になりたいとかそういうタイプ?」
「そうです! それです!」
「えーっ……キャラとイチャラブしたくない?」
「いや俺はあんまり……」
「ロリに後ろから抱き着いてうなじの匂いとかすーーーーーって嗅ぎたくならない?」
「な、ならないっすね……」
「ならないのね……いやなんか、このお店のお姉さまたちもオタクだからいろいろ聞いてんだけど、みんな君と同じような壁になりたい派なんだよね。夢女子が意外といない」
「あ、そうなんですね」
「……君って性別は」
「男ですよ!? この見た目でみたらわかるじゃないですか!?」
「いやそういう見た目で判断するのはちょっとこのご時世……ね」
「そう言われると俺もちょっと反論しずらいっ……」
んで、とかなたは倫太郎にスマホを返すと、腕を組みながら言った。
「君は一体何を考えて頼んだんだ」
「……え?」
「ボイスだよ、ボイス! いきなりびっくりしちまったじゃあないか!」
「それは……ドリンク無料だと申し訳なさ過ぎて……で、何かを頼もうとしたんですけど、原価的にボイスの方がいいかなって思って」
「どういう気づかいだよ」
「それに……ガチ恋が一番値段が高くて、たぶん……鈴木さんに、マージンが来るかって思って」
「……は? じゃあなに? それだけで頼んだの?」
「……は、はい」
「あほくさ!」
はーっと、かなたはため息をついた。
「まー、これから別にそんなの気にしなくていいから」
「す、すいません……」
でも、と倫太郎は続ける。
「……すごい、ドキドキしました」
「……そういうのは今言わないでいいの!」
かなたはもっと大きな力でどついた。倫太郎は照れ笑いしながら痛がるふりをする。
「原価とか気にしないの。次から好きなもん頼みなさい」
「は、はい」
(つ、次から……次からも、来ていいのかな、俺……)
あれだけ今日が最後だと決心していたのに、かなたにそう自然に言われてしまうと次のことを考えてしまう。
「なにニヤニヤしてんだい君は」
どつかれた場所をニコニコとさすっている倫太郎に、思わずかなたは突っ込みをいれる。
「なんか……うれしいんです」
倫太郎はかなたを見下ろしながら、目を輝かせて言う。
かなたとしゃべると、いつもそうだ。
心が不思議と、前を向く。
これまで延々と後ろ向きなことを心の中で叫んでいる自分が、居なくなっていく。
対等な関係で、対等な会話で、親し気に話してくれる、友達みたいな人。
そんな人と、出会ったことがなかったから。
気が付いたらもう駅の改札だった。改札を抜け、一番線と二番線をつなぐ階段の前までたどり着く。
「あ、あの、今日は本当に……ありがとうございます……」
倫太郎は仰々しく頭を下げた。大柄な男子高校生が小さい女子高生に遜っている様子に、興味深そうな周囲の目線が集まる。
「わ、ち、ちょっとそんな頭下げるなって」
「でも、その、本当にうれしかったから……」
「……私もまぁ、なんだ、その、割とこのコスプレ喫茶のことが好きで、大切な場所で」
ぽりぽり、とかなたは頬を指で掻く。
「だから、そういう場所を守ってくれた君には、大変感謝してるんだ」
「そ、そんなこと! 俺だって、鈴木さんが誘ってくれたおかげで……」
「いいからそんなかしこまるなって」
「……そし、て、その」
倫太郎は何かを言い淀んでいる。
怖い、これを言ってしまうのが怖い。
拒絶されたらどうしよう、という思いが倫太郎の頭を苛む。
『お前に友達なんてできるわけないだろ』
『誰からも受け入れない』
『邪魔者扱いがぴったりだ』
自分を詰る自分の声が聞こえてくる。
だけど――
「どした?」
さらさらとした髪。ぱっちりとあいた瞳。小動物ような愛らしさで距離感が近い、そして自分を引っ張ってくれる、頼れる人。
そんなかなたの顔を見て、倫太郎は勇気を振り絞ってその幻聴を消し飛ばす。
必死に、必死になって、倫太郎は声を振り絞った。
「あのっ! 友達に、なって、く、くださいって言ってもいいですか!?」
「えっ……? あ、ど、どうぞ(言ってもいいですかってなんだ……?)」
「あっ……ありがとうございます! えっと、その、そ、それじゃあ、あのっ……」
ずっとずっと、願っていた。かなたと友達になりたかった。
「と、友達に、なってくださいっ……!」
だから、倫太郎は勇気を振り絞って、言葉を放つのだった。
「あ、うん。おけおけ」
かなたは人差し指と親指で丸を作る。
「え!? そんなあっさり!?」
あまりに簡単にオーケーをもらえて、倫太郎は驚いてしまった。
自分のような人間をそう簡単に受け入れてくれるなんて、倫太郎は思いもしなかったから。
あまりにも初めてのことで、倫太郎は胸がジーンと熱くなる。
「いや、というかなんかさっき二度手間みたいな質問なかった?」
「や、やったぁ!!!!!!!!!!!」
倫太郎は腕を天に伸ばしてガッツポーズした。
「うれしいですっ……! 初めての、友達ですっ……!」
倫太郎は目を輝かせて、そして言った。
「これから、よ、宜しくお願いします……鈴木さん!」
「お、おう」
かなたは戸惑いつつも、倫太郎のことを想う。
これまでずっと我慢を強いられてきたであろう倫太郎のこと。
そして、あらぬ噂まで流れて学校にも居場所がない倫太郎のこと。
(……初めての、友達か)
この年になると『私たち友達だよね?』なんて言い合うようなこともなくなった。
だからこそ、倫太郎のド直球な言葉が、かなたの心に印象的に響いた。
(まあ、こういうのも悪くないな)
ふふっとかなたは笑う。
「それじゃ、これからもよろしくな。釘矢君」
「は、はいっ!」
釘矢倫太郎。15歳。
人生で初めて友達が出来た。
お相手は、小さな女子高生で、コスプレ喫茶でメイド姿で働く可愛い子で、そしてロリコン気質のオタク。
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