5
雀の鳴き声で目を覚ましたとき、僕はカーペットの上で仰向けになっていた。ベッドでは佐伯が掛布団にくるまっている。服をまとめて皺を引っ張り、部屋の隅に畳んで置いた。
キッチンに行って適当なコップに水を汲んで飲んだ。喉が渇いていた。2杯3杯と飲んでも足りなかった。冷蔵庫にデジタル時計がくっ付いていて、05:48を指している。昨日のことを思い出すと足が竦んだ。
やや迷って、シャワーを浴びた。汗ばんでもいないし寒くもないが、全身にへばりついたものを洗い流したかった。
放り投げられていたタオルで全身を拭いて部屋に戻ると、目を覚ました佐伯がこちらを見ていた。
「洗濯機に入れといて」
ややあって、タオルのことだと分かった。
「ごめんシャワー浴びてた」
「すぐ出るから」
「どこ行くの?」
「どこでも」
佐伯が洗面所に入った隙に、僕は服を着てテレビを付けた。淡々とニュースを流す情報番組か、誰が買うのか分からない通販か、古い歴史ドラマしかやっていない。
ニュースを流していたが、どれも他人事ばかりだった。
洗面所から出てきた佐伯は、白いレースのシャツにブラウンのロングスカートを履いていた。クローゼットからレザージャケットを引っ張り出して、羽織りながら「行こう」と言った。
「えっと、どこに」
「どこでも。あ、じゃあマック」
コンバースを履いて佐伯は言い直す。
僕らは15分近く歩いてマックに辿り着いた。ドライブスルーのある店舗だったが、車は通っていなかった。
通りに面したカウンター席に並んで腰掛け、モバイルオーダーで注文した。他に客はいない。注文はすぐに届いた。
「実家暮らし?」
ハッシュドポテトを齧りながら佐伯が言う。
「うん」
「私地方から出てきたの」
「へえ、どこ?」
「ずっと片親だったんだけど、高校のときにママが再婚して」
「大変だったんだ」
「新しいお父さんに襲われそうになってさ」
「えっと、それで家を出たってこと?」
「高校中退して無理矢理こっち来て。高卒資格取ってから受験した」
佐伯のハッシュドポテトはなくなって、今度はマフィンにかぶりついている。
何と答えればいいのか分からず、逃げるようにポテトを食べた。彼女が親にバレたくない理由が分かった気がした。
「あのさ、佐伯」
返事はない。代わりに視線が向いた。
「俺今日午後からリモート面接あるんだけど」
「あっそ」
「家貸してくんない? あとスーツも」
「ジャケットならいいよ」
僕らは朝食を済ませた後、遠回りをして自宅に戻った。
どこでも、と言った佐伯の希望は叶えられなかったし、警察が来る気配はまるでない。そのお陰で、油断ではないけど、昨晩のような義務的な正義感から解放された。
「君はストレートで大学?」
歩道を進みながら佐伯が言った。
「うん。4年生、今年で22」
答えながら、佐伯がそうではないことを感じた。
足元では赤いコンバースが左右交互に進んでいる。履き口から白い陶磁器みたいなくるぶしが見えた。佐伯の肢体を支える足首は、華奢で頼りない。
「弁護士に相談しよっかな」
アパートが見えていた。佐伯のジャケット着られるかな、とか服装自由って言ってたけど今度は本当かな、とか考えていたから冷や水を浴びせられたような気分になった。
「自首するってこと?」
「しない」
「じゃあ相談しなくてもいいんじゃない」
「分かってる」
それは何をどこまで、分かっているのだろう。おそらく佐伯自身にも分からないのだろう。
自分の分かっていることが、分からない。だから思いつく限りの分かったようなことを言うしかない。
僕は分からなかった。「分かってる」なんて口が裂けても言えないくらい、何もかも分からなかった。
分かっている佐伯が――たとえ分かっているいうな素振りであっても、途方もなく大人びて見えた。
部屋に戻ると、佐伯はすぐにジャケットとシャツを脱いだ。