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 東京メトロ千代田線から赤坂で降りて地上へ。

 高いビルか、瀟洒な建物か、ローマ字のブランド。あるいは凄そうな美術品。一体僕に合う街はどこにあるのだろう。

 街中の全てが近寄り難いハイソサエティの場所に、それでも来なければならないのは、やはり就活のためだった。


 年間休日数120日以上。夏季休暇年末年始休暇有。基本給25万~(20時間の見なし残業を含む)。残業平均15~40時間。

 これでも僕には働きすぎな会社に思えたが、妥協して許せる範疇ではあった。

 こうやって偉そうに言ってはいるが、内定はひとつもないので選べる立場にはない。妥協の理由はそこにある。


 数年前にできたばかりの、新しいIT系企業だった。服装自由髪色自由。説明会の案内にも「ラフな格好でお越しください」とある。

 もちろんそれを真に受けるわけがなくて、革靴をコツコツ鳴らしながら赤坂を歩いている。大学の入学式――つまり3年前に買ったスーツは、肩の辺りがきつい。ビジネスバッグもずっしりと右手に食い込むが、それはひとえにノートパソコンを入れているせいだ。


 エレベーターに乗ってビルの8階に行き、案内に従って会場へ。

 セミナーのような大会議室を想像していたが、ダークブラウンのインテリアと一面ガラス張りの窓が張られた応接室に通された。


「佐藤こうたさん、ね。今日の説明会を担当する大岡です」


 シルバーフレームの眼鏡を掛けたツーブロックの男は、本当にIT系の人間なのかと疑いたくなるほど、ガタイがよくてハキハキと喋った。

 現役のラガーマンと言われても違和感がない。さり気なく襟元に手をやった。


「よろしくお願いします」

「今日は君の他にもうひとりいるから。その方が到着したら始めますね」


 恭しく頭を下げると、脳天の辺りに大岡の声が刺さった。


「そういえば佐藤くんさ、服装自由って書いてあったよね」

「あ、はい。一応スーツにしたんですけど……」

「真面目だねえ。うちは本当に服装自由だからさ、別にデニムとかジャージでもなければ何でもよかったのに」


 皮肉なのか冗談なのか分からない大岡に、せめて愛想笑いを浮かべて応える。今になって、彼がスーツではなくネイビーのジャケットを羽織っていることに気付いた。


 肘掛け付きのレザーチェアに腰を下ろして、就活生ごときがこんな椅子に座っていいのか疑問だったが、大岡が「佐藤くんてJリーグとか観る?」と聞いてきたので、別に構わないのだと思った。


「いえ、サッカーは……」

「あー観ないかあ。僕は浦和レッズを応援してるんだけどさ、今年も優勝できそうになくてねえ」


 大岡が何の抵抗もなく話を続けるので、何かを間違えて「観ます」と言ってしまったのかと疑った。

 自分のことは信じられないし、大岡は興味のないサッカーの話を続ける。窓の向こうでは鳥の群れが弧を描いて飛んでいる。


 話の流れで僕がDAZNを契約することになったとき、もうひとりの参加者がやって来た。開始時間の5分前だった。


「こんにちは」


 選考を受ける側とは思えないほど、ぶっきらぼうな声を出す彼女には見覚えがあった。

 白桃色のパーカーにアディダスのスウェットパンツを履き、足元はコンバースのスニーカー。

 服装自由を真に受けた彼女の、その出で立ちなんかよりも、儚げな目元や赤いインナーカラーの方がよほど目を引いた。


「佐伯ユナです」

「佐伯さんね……よし、じゃあ彼の隣に座って」


 大岡は彼女の非常識を非難するか勇気を称えるかを迷って、結局中間を選ぶみたいに余計なことを口走らなかった。

 僕はいっそ拍手喝采でも送ろうかと思った。紋切り型のマナーを押し付ける就活市場に一石を投じ、臆さずに我が道を突っ走る佐伯は自由の女神さながらだ。


 堂々と椅子に腰掛けた佐伯は、ショルダーバッグを背もたれに掛ける。僕は彼女の背中に会釈をしたが、佐伯は一瞥もくれなかった。彼女のたおやかな手がバッグに伸びて、思い直したように引っ込む。スマホを触りかけたのだと思った。



「モバ充、ある?」


 説明会を終えて「簡単な面談をするから」と大岡が姿を消したときだった。僕らは選考アンケートなるものを渡されて、そこに名前やら大学名やら選考中の企業やらを書いていた。

 佐伯がそう言って、僕に声を掛けたのだと気付くまでに数秒かかった。


 驚いて振り向くと、緩やかなアイラインの引かれた目がこちらに向いている。同情を誘う儚い垂れ目は侮蔑的でもあって、それが余計に僕の心を吸い込んだ。


「iPhoneのモバ充。持ってないの」


 焦れもせず、和らぎもせず、佐伯は言葉だけを変えた。

 

「ああ、ある」


 慌てて頷く。佐伯が2度瞬きをして、ため息をつく。


「貸して」


 充電コードを巻き付けたモバイルバッテリーを渡すと、佐伯は「ん」と口も動かさずに言って受け取った。

 今の「ん」は、ありがとうの意だと解釈した。


「おまたせ、じゃあ佐藤くんから。これ選考関係ない面談だから、気楽にね」


 先に呼び出されたのは僕で、モバイルバッテリーを貰いそびれたのには、そういう事情がある。

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