第113話
「こ、この野郎……妻に何を……」
意識を取り戻したのか、宰相は俺に掴みかかろうとしたが、アステルがその手を掴んで制した。
「……アステル? 何を……」
その間に俺はメリーの肩に手を置き、呪いを探り始めた。
他の者にかけられていた呪いより少し強い。
とはいえ、リアネットやオデリアにかけられていた呪いに比べれば可愛いものだ。
たかがこんなもので、この屋敷の人々は地獄のような日々を送らされていたのか。
馬鹿げた話だ。
そうして最後の呪いを吸収し、メリーに"万物修復"を施した。
彼女の髪色がアステルと同じ赤に変わった。
肌にも生気が戻った。
状況を飲み込めない宰相は俺を見て問いかけた。
「お前は……一体……?」
俺は三人を眠らせる前に言った。
「お前の古き友、フェレオラ領主が送った贈り物だ」
俺は屋敷を出た。
次元移動・収納から教皇がくれた贈り物を取り出した。
黒いローブと黒いマスク。
外では鎧と兜が目立つだろうからと、変装用にくれたものだ。
黒いローブの内側は白になっていた。
変装用の服として教会騎士団のものも用意されていたが、俺はそれを断った。
代わりにイビルスの服を剥いで着ることにした。
黒いマスクは目元を覆う程度のサイズだった。
何か思い出しそうになったが、あえて無視した。
『ここは魔力探知の影響を受けない区域です』
そうしてマスクとローブを纏い、ゴルディ宰相の屋敷近くを回っていると、テムが告げた場所で立ち止まり、空を見上げた。
雪がゆっくりと降っていた。
俺はため息をついた。
吐く息は白くならなかった。
首飾りを持ち上げ、静かに呟いた。
「教皇様、任務は終わりました」
その言葉が終わるや否や、間もなくして教会の人間がゴルディ宰相の屋敷に一斉に押し寄せた。
まるで俺の任務が終わるのを待っていたかのように。
彼らはイビルスを含む魔導至上教の関係者を容赦なく拘束し、教会本部へ連行した。
その他の人々は看護を受け、徐々に回復していった。
教皇が渡した強化型魔道具によって、治癒魔法の速度と効果が向上したらしい。
そして屋敷内の魔法探知型魔石を含む魔導至上教に関わる全てを回収して持ち帰った。
教皇は最後に屋敷へ現れ、長らく世間から隔絶されていたゴルディ宰相を訪ね、状況を説明した。
魔導至上教はほぼ一掃されたこと。
残るは資金源としてゴルディ宰相を脅していた一味だけだということ。
それは女神の使徒が奇跡を起こして解決したということ。
「……最後の一言はいらないだろ」
俺は屋敷の外で、教皇を呼んだ場所に座りながら"万物修復"と"万物理解"を通してその話を聞いていた。
宰相は当然教皇の言葉を信じた。
そして泣きながら自分の罪を告白した。
これまでイビルスに脅され、仕方なく魔導至上教に金を渡していたこと。
監視のため誰にも言えず、死ぬほど苦しかったこと。
最後には自分の命を絶つことで終わらせようとしていたことまで。
「女神様は異端に屈せず必死に抗ったあなたをお許しになるでしょう。だからこそ、あなたに奇跡を授けられたのです」
俺を送ったのは教皇、お前だろうが。
「フェレオラ領主も……この奇跡を授かったのか」
「はい。だからあなたに奇跡を起こす贈り物を送ったのです」
「ああ……神よ……本当にありがとうございます」
宰相も辛かっただろう。
家族や使用人の命を脅され、望まぬことを強いられる人生など、生きていても生きている気がしなかっただろう。
そうして教皇は屋敷の全員と話を交わし、慰めた後、俺のもとへ来た。
「ご苦労さまでした」
「……小事ではありませんでした」
教皇は身を屈め、俺の体に積もった雪を手で払ってくれた。
俺は顔を向けて教皇を見た。
教皇は微笑んで言った。
「ひとまず、教会本部へ戻りましょうか」
そう言って教皇は教会本部への転移ゲートを開いた。
「その姿、よく似合っていますよ。ちなみにローブは裏返しでも着られます」
俺はローブとマスクをつけたまま、教皇の部屋で茶を飲んでいた。
「お褒めいただきありがとうございます、教皇様。これで俺の任務は全て終わりですよね?」
教皇は俺の質問に答えなかった。
ただ笑みを浮かべるだけだった。
「……教皇様?」
「捕らえた者たちの尋問が終わりました。そして新たな事実が分かったのです」
嫌な予感がする。
「それは教皇様が対処すればいいのでは?」
教皇は困った表情をして少し俯いた。
「それが……少し厄介でして。教会は王家に手を出せないのです」
「……王家?」
「もう少しお付き合いいただけませんか?」
「ゲート! フェレオラ行きのゲートを早く開けてください!」
「まあまあ……」
「教会の最高位にいる方が、なんでそんな制約が多いんですか? 権威はどこへ行ったんです?」
「上に行けば行くほど力も増しますが、その分責任や義務、色々な事情が増えるものです。だからこそ、あなたが必要なのです」
「必要としないでください! じゃあ教皇を辞めればいいじゃないですか!」
今のやり取りを誰かに聞かれていたら、不敬罪で捕まっていただろう。
それでもこれはあんまりだ。
「そうしたらアウロラに殺されますよ……」
教皇は小さな声で呟いた。
宰相ならまだしも、王家とは。
つまり王族を相手にしなければならないということだ。
これでは静かに暮らしたいという俺の目標から大きく外れてしまう。