プロローグ
初めてです。よろしくお願いいたします。
何もしたくない。静かに暮らしたいだけだった。
いつからそう思うようになったのかは覚えていない。たぶん会社に入ってからだろう。
喜怒哀楽を感じて生きること、それが人間らしさだと言うなら、
私の人間らしさはとうの昔に踏み潰され、泥だらけの団子になっていたと確信している。
生まれてから社会に出るまで、与えられる刺激にただ耐え、うつむくことに慣れていた。
自分には大きな忍耐袋があると勘違いしながら、実は違ったのだ。
誰かが仕事を押し付けてきたら黙って受け取り、たとえ自分の担当外でも引き受け、
助けを求めても無視され、最後には責任までなすりつけられる。
そうして私はどんどん濁っていった。
単純に自分をごまかしていただけだった。
「これが正しいんだ」と、自分に自己暗示をかけながら。
笑顔という仮面はとっくにひび割れ、砕け散っていた。
誰かが今の私を見れば、市場で売られているサバの目よりも濁り、
生臭い何かだと扱うだろう。
たった一度だけだった。
誰かに向かって自分の意見を口にしたのは。
反抗と言ってもいいだろう。
社畜生活7年。
私の態度が気に食わないと、いつも文句ばかり言う直属の上司に、
屋上で一対一で尋ねた。
「どうしてそこまで私に当たるんですか」と。
本当に疲れていたから、限界だったから。
「テメェなんか理由もなくぶっ殺したくなるんだよォオオオ!」
上司の右手が見えなくなった瞬間、目の前が真っ暗になった。
ああ、殴られたんだな。
きっとライトフックが私の顎にきれいに入ったのだろう。
不幸にも意識はまだ残っていた。
だから浴びせられる罵声と痛みを、ただ黙って受け入れるしかなかった。
断続的に感じる体への衝撃は、おそらく蹴りを受けているのだろう。
「ただ、テメェのツラ見てるだけでムカつくんだよ!死ねよバカ!」
生きてきて、私に好意的でない人間は少なくなかった。
他人に迷惑をかけないように努力してきたつもりなのに、なぜこうなるのか。
直属の上司は、その答えを明快に教えてくれた。
「お前は、ただ見てるだけで殺したくなる存在だったんだ。」
「理由なんかない。ただ死ねって思うだけなんだ。」
ああ、理由なんてなかったんだ。
理由なんかなくても、嫌悪され殺意を向けられる存在があるんだな。
でも、それにしては上司の様子がおかしい。
まるで悪霊に取り憑かれたかのように、理性を失っている。
上司は激しい暴力に少し疲れたのか、荒々しくタバコに火をつけた。
「はぁ……バレちまったか。」
何を言っているのか分からなかった。
突然、訳の分からないことを口走り始めた。
「浮気がバレて、もう完全に終わったんだ。」
なぜか突然、懺悔を始めた。
「もうすぐ訴訟も起こされるし、家も奪われるし……」
「金も取られて、人生終わりだ。」
額に激しい痛みが走った。
焦げた肉の臭いが鼻をかすめる。
間違いない、タバコの火を押し付けられたのだ。
「はぁ……終わりだ、俺の人生。」
体が急に軽くなった。
徐々に視界が戻り、意識を取り戻した頃には、
上司に担がれ、どこかへ運ばれている最中だった。
屋上の手すりがどんどん近づいていた。
「だから、どうせ終わったんならやるんだ。」
「殺したかった奴、一発やっちまおうってなァァァ!」
放り投げられる。
屋上から遠ざかっていく。
落ちていく。
吸い込まれるような感覚。
もうすぐ死ぬはずなのに、走馬灯とかは特に見えない。
ただ、一つだけ不思議な安堵感があった。
もう、何もかも我慢しなくていいんだ――
そんな、救いにも似た安堵感だった。