プロローグ『流星、それは終わりの始まり』
一組の夫婦がいた。
初々しい新婚の夫婦で穏やかそうな笑みを浮かべる妻の腹は大きく膨らんでいる。
「もうすぐね、私たち人の親になる」
「あぁ。大切に育てよう。大丈夫、僕たちの子ならきっと賢くて優しい子に育つ」
「ふふ、そうだといいわね……」
女性は優しく自分の腹を撫でた。
すると軽い衝撃が内側から生じた。
「あら、あなた。この子がお腹を蹴ったわ」
「本当か! はは、元気だなぁ」
外は静かな夜。
山間部にあるこの別荘は天体観測目的で建てられた別荘だ。山の中腹にあり、外に出れば街の光が迎えてくれる。二人は都会の喧騒を避けるためにしばらくここで暮らしていた。案ずることなかれ、産婦人科の病院はすぐそこにある。
──ゴゴゴォォ!!!
突然大気を震わせる巨大な音が別荘を叩いた。
驚愕する二人はすぐさま互いに身を寄せ合い、子を守ろうと抱きしめ合う。
揺れは徐々に強くなり、それはあからさまにこちらに迫ってきている。
「大丈夫! 大丈夫だから!」
なにが大丈夫かは分からなかった。しかし男性は己が伴侶と子を守ろうと、音に負けないほど大きな声で叫び続ける。それをあざ笑うかのように音が大きくなり、そして別荘を震わせる。途方もなく近づいているのだ。
いったいどういう運の悪さか。男は女におぶさりながら奥歯を噛む。
──ドガガァァァァンンンン!!!!!
明らかな衝突音とともに衝撃が別荘を叩く。家具が倒れ、小さな調度品が床に落ちていく。
それはしばらく続き、止んだ。どうやら落ち着いたらしい。
男は怪我がないか、すぐに女の様子を確認する。
「大丈夫かい!」
「はぁ……! はぁ……!」
興奮の色は見られるが口元には小さな笑みがある。
「ごめんなさい、あなた怪我しているわ」
「そんなことはどうでもいいよ。それよりも何か不調はないかい?」
「えぇ……。この子も大丈夫。ビックリするくらい落ち着いているわ」
「はは、それはよかった……」
何かがぶつかったであろう男は額から流れる血をハンカチでぬぐい、周囲を見渡す。
まさに嵐が過ぎ去ったかのような様相。お気に入りの別荘だったが、最も大切なものを守れたため、気にはならなかった。
「いまから街に下りよう。ここは危険だ。一体何が起きたのか……」
男は女の手をとり、外に出る。
「あぁ……! 嘘だろ!!」
車は横転し、まともに走れる状況ではなかった。
もちろん男一人で車を戻せないし、妊婦の足でこの山からは下りられない。
絶望を感じる時間などない。男はどこかに携帯で連絡すると、腰を落とし、両手を突き出す。
「今、救急車を呼んだ。少しでも時間を縮めるために僕が君を抱えて山を降りる」
「……!!」
賢い女はそれしか方法がないことを理解する。
意を決した二人は動き出す。
だが、そこに第三者の影が落ちる。
「待て待て待て、お前らは運がいい。なぜなら俺様がいるからだ」
「「!!??」」
二人は驚愕し、声がした方を向く。
そこには純白のスーツを着た男と和服を着た女が立っていた。
ここには夫婦しかいなかったはず。一体いつの間に……。
疑問を察したのかスーツ男はシルクハットを軽く上げて挨拶する。
胡散臭い、とてつもなく胡散臭い。
「俺様は怪しい者ではない。こう見えて公務員で、旅行帰りでここを通りかかったのだよ。そこで困るお前たちを見つけたのでな、血税で暮らす身としては助けねばと思ったのだ」
「……それはありがたい。でもどうやって」
見たところ移動手段は徒歩だ。
スーツ男の指にはめられた十の指輪が月光できらめく。
そのうちの一つ、右手の中指に口づけをする。
「『万象羅する真改の愛』」
「「!!!」」
スーツ男が光る右手をかざすと、横転していた車が小さな四角形の光の集合体に包まれる。まるで生まれ変わるような、そんな感想を男は抱いた。
光が終わるとそこには新車同然の車がまっすぐ座していた。
「こ、これは……!!」
「『異能』を見るのは初めてか? 星崎博士」
「私の名前を……!」
「レイド様……」
「あー、悪い。適当なのは俺様のよくない癖だな」
スーツ男レイドはコホンと息を吐く。
「嘘をつくのは苦手なのだ。凛桜」
「はい……」
和服の女性凛桜が持っていた包みをレイドは受け取る。
赤子のような大きさの重量感のある物体のようだ。レイドはゆっくりと包みを開くとそこにあったのは……、
「それは『星』、ですか」
隕石。しかし眩い金の光を発する隕石だ。
分野に詳しい星崎博士も初めて見る種類のものだった。
「あぁ、さっきの衝撃はこれが落ちたせいなのだ。俺様の目的はこれの回収なのだよ」
「まさかここに落ちてくることを予測していたと?」
「あー、長話はよそう。そちらの彼女を病院に送らんとだろう」
「そうだった! 絵里!」
星崎博士は妻絵里を振りかえる。彼女は小さく手を上げてそれに応えるが、顔色が優れない。
彼は素早く彼女に寄り添う。
「大丈夫かい?」
「ごめん、産まれそう……」
「えっ!!」
星崎博士は目を丸くする。まだ予定までひと月はある。まさかこのタイミングでとは……。
「がはははは! どうやらよほど相性がいいらしい。俺様の立場からするとなかなか複雑な感情だが、うだうだ言うのも男らしくはない。凛桜、彼女の子供を助産しろ」
「はい。お任せください」
凛桜はゆっくりとした動きで別荘の中に入っていく。
「待ってください! あなたたちのことは信用していない! 怪しすぎる!」
「その様子だと街まで持つまい。迷えるほど贅沢な時間はないぞ」
レイドは凛桜に続いて別荘の中に入っていく。
「なに、凛桜はああ見えて何百人も一人で子供を取り上げている。失敗はすまい。まぁすべてお前が決めることだが」
意地の悪い笑みを残してレイドは中に消えた。
今まで平然だった絵里がいきなり産気づいたのはあの『黄金の星』を見てからだ。突如落ちてきた隕石。あれになにか仕掛けがあるのだろうか。レイドという男は何を知って、何を企んでいるのか。星崎博士は目を強く閉じる。
考えている暇はない。今はこの場にある命を最優先しなければならない。
敷かれたレールに乗っている自覚はあった。
それがどこへ向かうのか見当はつかない。
それでも彼は『父親』だった。
「絵里、きっとこの決断でキミを不幸にするかもしれない。この子に何か起きるかもしれない。それでも、この場でこの子を産もう。もし何かが起きるのなら、あの男を殺してでも守る……!」
絵里は薄く開いた眼で星崎博士に目線をしっかり合わせる。そして彼の手を優しく握った。
「大丈夫よ、あなた……。この子はこの子の意思で生まれようとしている。なんとなくそれがわかるの……。はぁ……はぁ……、きっとこの子は幸福な人生を歩むわ……」
「わか、った……。この子、『在守』を頼む……」
「えぇ、頼まれたわ」
星崎博士は彼女の体を抱え、別荘に戻る。
この決断がいいか悪いかはまだ判断できない。悪魔の魂を売ったのか、神の手のひらで踊らされているのか分からない。この国の『異能』は『太光宮』によって管理されているはず。彼の公務員である発現は信憑性があった。
しかしそれを保証するものはない。
「どうか、神様……!! 二人を守ってください……!」
無力な男はただ、家族の幸福だけを願い続けた。
続くか続くないかはあなた次第!