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クロユリと因縁の地

「ふぅ……これでよし、と」


 手持ち無沙汰な中、しっかりと真田宛に報告のメールを出したところで、グッと伸びをする犬塚。そんな彼の膝上では、これまた手持ち無沙汰なクロユリがちゃっかりと丸くなっているが……クロユリの背中を撫でつつ、モニタに視線を戻せば。ついさっき送信したばかりだというのに、もう真田から返信メールが届いている。しかし、内容はどうやら、クロユリの歯を持ち込んだことに対する、純粋な返事ではないようで……。


***

結川の件で動きがあった。

すまないが、すぐに現場に急行してほしい。


場所は港区・元麻布の……

***


「えぇと、コンセプト・カフェ……? 何でまた……結川はこんな所に、潜伏しているんだか……」


 真田のメールによれば。東家宗一郎邸周辺の聞き込みをしていた際に、それらしい男女のペアを近くで見たと証言が上がったらしい。しかし、コンセプト・カフェとはこれいかに?


(そういう事か。このコンカフェ、胴元が地東會なのか。しかも、因縁の立地と来たもんだ)


 だが、メールをよくよく見つめれば。その所在地に妙な心当たりがあるものだから、「すぐに急行してほしい」の要請に従う前に、犬塚は「ある事」を確認するついでに「なるほどな」と唸ってしまう。


「しかも、ハコを居抜きで再利用しているんだな。元は()()()()だったから、なかなか買い手がつかなかったんだろうが。()()()()()()()()()()()、関係ないのかも知れないな……」

「キュウン?」


 時間がないので、流し読み程度になってしまうが。犬塚はサッと聞き込み調査の報告書に目を通し……渦中の地帯が地東會の隠れ蓑になりつつある事を理解する。どうやら、松陽組とのシマ争いに負けた地東會の残党達は、()()()()()()()()()だったようで。……あろうことか、高級志向の麻布エリアを縄張りにし始めているらしい。


「クロユリ、出かけるぞ。お前はお留守番でもいいが……どうする?」

「キャフ!」


 ピコンと耳を立てたクロユリの様子からするに、「私も行くワン!」と言ったところか。真田のメールにはクロユリの同伴については言及されていないものの、今までの様子からしても、勝手に連れて行っても怒られはしないだろうと踏む。少なくとも、クロユリの天敵(真田)は大喜びで迎えてくれる事だろう。


「しかし、多田見さんはこの場所に関して、何を思うのだろうな……」

「クフ?」


 尚も報告書を見つめながら、犬塚はやるせないとため息をついてしまう。

 犬塚がコンセプト・カフェの立地について「なるほど」と納得してしまったのは、示された住所には「とあるジャズバー」が存在していたことに起因する。そう、この場所こそ……多田見の両親がジャズバーを経営していた思い出の地であり、彼女の両親が自殺した非業の地でもあった。

 そんな曰く付きの事故物件を借り入れ、カフェを経営しているのが地東會ともなれば。憎っくき仇敵に思い出を踏み躙られた気分にならないのだろうかと、犬塚は尚も多田見の胸中に思いを馳せる。普通の神経であれば、「許せない」が真っ先に浮かぶ情念であろうし、勢いで凶刃を手に取ることだって……あり得なくない話だ。


(結川も、大胆で残酷なことをする。あいつにとっては、安全地帯にも思えるのかも知れないが。わざわざ煽るように、ここを潜伏先に選ばずともいいだろうに。思い余って、ブッスリ……なんて可能性、考えなかったんだろうか)


 クロユリを連れてセダンに乗り込むと、犬塚は真っ先にナビに行く先を入力するものの。入力した矢先に、結川のやり口が妙に鮮やか過ぎて、またもため息をついてしまう。

 もしかしたら、結川は多田見が自分の命を狙っているなんて、気づいていないのかも知れないが。偶然に潜伏先を選んだにしては、この選択は多田見に対する悪趣味な誘発剤になるだろう。両親を亡くした場所に同伴させられた挙句、跡地は地東會に利用されているともなれば。彼女の心中はさぞ、荒れに荒れ狂うに違いない。


(結川は、多田見さんを牽制しているつもりなのかも知れないな……。地東會の息がかかっている敵陣ともなれば、多田見さん1人では太刀打ちできないに違いない)


 それでなくとも、結川は元警察官である。同僚時代は所定通りに訓練していたと記憶しているし、スコアも悪くなかったはずだ。深山にコテンパンに伸されていた事もあるにはあるが、深山に勝てないのは犬塚も同じなので、彼女との対戦結果については、結川の腕前を測る判断基準にはならない。……純粋に、深山が強すぎるだけである。


(いけない、いけない。今は深山の異常さは忘れておくか……)


 いつかのレストランでも見せつけられた、鮮やかな実力行使に思いを馳せつつ。ナビ通りに車を走らせる犬塚。そうして、いよいよ因縁の地間近というところで……今度は「パァン!」と乾いた破裂音が響くものだから、驚いてしまう。


「いっ、今のは……銃声か⁉︎」

「キャッ、キャフッ⁉︎」


 犬塚の驚きに釣られて、助手席でビクンと跳ねた後……「お陰で、ビックリしたじゃない」とジットリと犬塚を横目で見つめてくるクロユリ。しかして、今はクロユリのご機嫌を優先している場合ではなく。とにかく現地へ急行せねばと、犬塚はハンドルを握り直す。


(さっきの銃声……聞こえた方角からしても、結川と無関係ではないだろうな。まさか、多田見さんが撃たれたのか……?)


 犬塚は焦る合間に、最悪の事態を想像せずにはいられない。もちろん、結川が撃たれた可能性もあるだろうし、そもそも、無関係だった……なんてオチもあるかも知れない。しかし、例のコンセプト・カフェのバックに地東會がついているともなれば。無関係で流す方が不自然であろうし、これを無関係と思える程に愚鈍ならば、警察官を辞めた方がいい。


(第一、多田見さんに武器らしい武器はないんだよな……。いくら、腕利きの探偵と言えど、彼女は一般人。もしかしたら、多少の護身術くらいは学んでいるかも知れないが……)


 銃弾に抵抗できるような装備を準備しているとは、考えにくい。それこそ、そんな所にまで配備が行き届いているのは、警察官くらいのものである。

 多田見の手に、警視総監から流されていた拳銃が残っているのなら話は変わってくるが。堺が押収した拳銃はきっちり2丁揃っていたため、多田見の手元には拳銃はないと考えるのが自然だ。だからこそ、犬塚は祈らずにはいられない。堺から多田見のバックボーンを聞かされてからというもの、彼女も1人の被害者にしか思えない犬塚にとって……多田見の無事は、何よりも重要に思えてならなかった。

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