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犬歯と膝上のクロユリ

(真田部長達は結川の行方を追っていたのか……)


 帰宅しても尚、テーブルの上のパソコンと睨めっこの犬塚。パソコンの画面には真田に同行し、聞き込み調査をしていたらしい深山の報告メールが届いている。しかし……釣果は思わしくなかったようで。いかにも華やかな見た目の結川はともかく、多田見は言ってみれば、ごくごく普通の一般女性。あまり記憶に残らないタイプの容貌であるため、それらしい目撃情報もなかったようだ。


「やっぱり、青梅で引き返したのは失敗だったな……」

「キュゥン……」


 残念そうに呟く犬塚の膝上では、耳をペタンと伏せつつも、しっかりと定位置をキープしているクロユリが聞き耳を立てている。きっと、言葉の意味は分からないなりに、イントネーションや雰囲気を機敏に感じ取っているのだろう。犬塚のため息に耳をそよがせつつも、グイと顔を上げて見返し気味で犬塚を見つめてくる。


「あぁ、今のは何も、クロユリを責めているわけじゃないぞ。……そもそも、あのやり取りの最中に割り込めばよかったんだ。……判断が甘かったな」

「クフ……」


 割烹・りゅうぐうで梓と多田見の密会を見届けずとも、2人から話を強引に聞くことだってできたはず。片方はまだ警察の管理職だったとは言え、当時の時点で機密情報(結川の足取り)を内部で共有しないというヘマをやらかしていたのだ。その部分を詰めれば、彼女が管理職であろうとなかろうと。……あの日の段階でも多田見の()()()()くらいは可能だったに違いない。


(だが、堺部長の話からしても……多田見さんは結川を恨んでいるはず。それなのに、逃亡の手助けをするものなのだろうか? ……いや、違うな。きっと、彼女は機会を窺っているんだ。……結川、延いては地東會に復讐する機会を)


 それでなくとも、堺はこうも言っていたではないか。彼が関彩音の事件を知っていたのは、多田見がとある事件の被害者であったことを覚えていたからであり、彼女の人生の転落は全て地東會のせいだったと。だから、結川が無事なうちに逮捕まで漕ぎ着けなければ、()()()()()()を作り出す事になりかねない。


「キュフ?」

「うん? あぁ、大丈夫。お前が心配する事は何もないさ。……そうだ。夕飯の前に、散歩にでも行くか?」

「キャフ! キャフ!」


 保護した時はあんなに痛々しかった前脚の傷も、だいぶ良くなって。元からお散歩が好きなクロユリが、犬塚のお誘いを断るはずもなく。耳を最大限に倒して、柴犬スマイルを浮かべるお嬢様の尻尾は、飛べるのではなかろうかと言わんばかりにブルンブルンと旋回している。


「よーしよし。って……うん? クロユリ、お前……まだ、爪が剥がれたままなんだな……」

「キュフ……」


 痛みはないようだが、よくよく見ればクロユリの爪はまだ生え揃っていない。あの頑丈な扉を破ったのだから、それは当たり前か……と、犬塚は思いつつ。労るようにクロユリの前脚をニギニギとしながら、犬用ブーツを履かせる。前脚にしっかりとブーツを履かせてもらって、当のクロユリは得意気だが。彼女の根深い傷跡に、事件はまだまだ終わっていないと、犬塚は思い直していた。


「今更、こんな事を言うのもなんだけど。……クロユリが喋れれば、宗一郎氏の犯人が分かるのになぁ。お前はきっと……犯人を知っているんだよな?」

「ギャフ! ギャフ!」

「そうか、そうか。……クロユリの証言が取れれば、一発なのに。って、そんな事を言っていても仕方ないよな。こればかりは、地道に捜査するしかない」

「ギャギャフッ! ヒャフ……」

「うん? どうした、クロユリ。……そんなに口を開けて」


 あんよだけじゃなくて、お口も見て。そう言わんばかりに、クロユリが何かを示すように口をあんぐりと開けている。そうして示されるように彼女の口元を見やれば……下顎の犬歯が1本ない事に気づく。


「クロユリ……お前、ここの歯がないのはいつからだ? もしかして、保護された時からなかったのか?」

「キュフ……」


 可愛い盛りのクロユリは、歯並びも非常によろしい。ニコリとスマイルを炸裂させれば、クロユリの口元にはそれはそれは美しい白い歯がゾロリと並ぶ。その完璧な歯並びを見慣れていたらば、下顎の犬歯がないだなんて思いもしないではないか。


「……檀さんは気付いていただろうか……? 一応、明日連絡をとってみるか」

「キューン……! キューン……!」

「……」


 そう独り言ちる犬塚の足元で、クロユリが更に何かを訴えかけるように、か細く声を上げ、トントンと足踏みしている。どうやら、彼女の歯がないのにはそれなりの理由がある様子。


「ハハ……こうなってくると、人と喋っている気分になるな……。クロユリの歯がないのは、何か理由があるんだな?」

「キュフ!」


 考えてみれば、クロユリは事件現場からヴァイオリンの鍵を腹の中に隠し、持ち出した実績(と書いて悪癖と読む)がある。確かに、彼女はタダの物言わぬ犬ではあろうが、しっかりと我を通してくる意思表示のワガママさも含めて、相当に賢い。なぜこのタイミングでクロユリが犬歯の主張をしてきたのかは、定かではないが……?


(いや……そうじゃない。多分、俺が余計な事を言ったから、ヒントが浮かんだのかも)


 犬塚が言った「余計な事」。それはクロユリの証言が取れれば……というクダリの事である。最初に鍵を預けてくれた時はまだまだ信頼されていなかったし、彼女自身も傷だらけだったこともあって、そこまでの余裕は無かったのだろうが。今になって、何かを思い出したのかも知れない。


(そう言えば、前にも「お前が喋れれば、犯人も一発で分かるのに」なんてやり取りをしたっけなぁ……)


 犬に証言を求めるなんて、情けない限りである。それでも、可愛くて賢いお嬢様を前にしては諦めたように頭を掻きつつ。明日は関豊華への尋問と同時に、久しぶりに篠塚に会いに行こうと決める犬塚だった。

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