クロユリのご主人は、勘を働かせる
「……犬塚、どう思う? 純二郎はん、嘘をついてるようには見えへんかったが」
駐車場に停めてあったセダンに乗り込んだ途端、堺が切り込んでくる。助手席の堺はかすかに眉間に皺を寄せ、思わしげな表情を崩さないが……犬塚も違和感を抱いているためか、彼の疑問も納得できてしまう。
「そうですね。俺も純二郎さんは嘘をついていないように思います。それどころか……彩華ちゃんの事については、不自然なまでに何も知らされていないようでした。この事から察するに……」
「せやね。……宗一郎氏と関さんとで、彩華ちゃんについては純二郎はんにわざと知らせなかったん、ちゃうか」
堺の指摘に、犬塚も深く頷く。本格的なDNA鑑定をしていない以上、まだまだ断定はできないが。関豊華という真面目な姉がいる以上、彩音の身持ちは硬いと考えるのも自然な推測に違いない。そして、豊華が縁故を理由にスムーズに養子縁組を成立させている事からしても、彩音が彩華の母親であることはほぼ確定している。
この事から察するに、彩音も純二郎との結婚には前向きであったのだろう。それこそ、フライングでの婚前交渉を受け入れる程に。……ここから先は憶測でしかないが。この事について、豊華は激怒したのだろうと犬塚は想像力を働かせる。
《彩華は怠慢そのもの。正直なところ、自分の娘だと思われるのも煩わしい》
彩華を「怠慢」と切り捨て、一方で彩音を「努力家」だと褒め称え。そんな上から目線の評価を無意識に下せてしまう程に、豊華自身も勤勉で真面目であることは想像に容易い。そして……彩音に対しても自身の理想を押し付けていた部分があったのではないかと考えるのは、流石に飛躍しすぎか。
「純二郎さんの目線の動きは、非常に自然でした。なので、先程彼が言った事については、ほぼほぼ事実と考えていいと思います。しかし、一方で……純二郎さんの気質については、少し引っかかるものがありました」
「純二郎はんの気質?」
「えぇ。堺部長、気付きませんでした? ……純二郎さん、途中から口調がガラリと変わっているんですよ」
最初に犬塚達が入室した時の純二郎は「もう、俺は死刑でいいよ」、「今更ながら、馬鹿な事をしたと思ってるよ」……と、ややタメ口に近い砕けた口調だった。だが、指輪を見せた途端、彼の口調は非常に丁寧なものへと変化している。その事からしても……純二郎には軽微ではあるものの、二重人格にも近い精神的な疾患がある可能性が高い。
「言われてみれば、確かに……。じゃが、それはあまり事件には関係ないんやない?」
「えぇ、宗一郎さんの殺害には大きく関わらないことでしょう。いや……今回のお話で、純二郎さんはそちらについてはシロじゃないかと思いました」
「ほぅ? これまた……そのココロは?」
「純二郎さんは嘘をつけない……或いは、嘘を隠すのが致命的に下手な人間だと思いますよ。それでなくとも、純二郎さんが宗一郎氏殺害の犯人だった場合は状況からしても、クロユリも一緒に葬っているはずです。彼にとって、クロユリの存命は遺産分与の面からしても不都合ですし、衝動的に行動してしまう傾向が見られるとなれば、まずまずクロユリを生かしたまま宗一郎氏を殺害するだなんて、器用なことはできないでしょう」
事件当時、クロユリは防音室に閉じ込められていた。分厚い防音扉を根性で掘り尽くし、脱出はしていたようだが……聡いクロユリのこと。万が一にでも、犯人に怪しい気配を感じたらば、防音室への幽閉も許さなかったに違いない。要するに、宗一郎殺害の犯人は、勘の鋭いクロユリさえをも欺ける器用な人間であり、心理戦にも非常に強い人間であると推察できる。
「推察だけの話になってはしまいますが。……先程の様子からしても、純二郎さんはお兄さんの殺害には関与していないと考えます」
「ほぅ、それはまた……なかなかに鋭い推理やね。犬塚はやっぱり、鼻が効きよる。のぅのぅ、どや? 次回の配置換えで、クロユリちゃんとセットで鑑識課に戻ってこうへんか?」
「それにはまず、クロユリを警察犬として鍛えなければなりませんし……。何より、堺部長がクロユリを愛でたいためですよね?」
「ま、3分の1くらいはそうやなー」
関西弁で朗らかに笑う堺ではあったが。彼の隣で「全く……」と言いつつも、彼の評価は前向きに受け取っておくべきだろうと犬塚は肩を竦める。
「さて……そろそろ、クロユリを迎えに行ってやらないと。それで、明日は……」
「……関さんへの事実確認やね?」
「えぇ。純二郎さんの話だけで決めつけるのはまだ早いのですが……おそらく、関さんは純二郎さんの傾向も知っていたのではないかと思います。そして、その傾向も加味した上で、彩音さんとの結婚を反対していたのでは。彩華ちゃんの存在を純二郎さん相手に隠蔽をしたのには、宗一郎氏と何らかの理由で共謀し、彼に徹底的に伏せることを決めたのでしょう」
一見、事件には全く関係ないようにも思えるが。生前の宗一郎の周囲の人間関係を洗わない事には、犯人を絞るのも難しい。憶測含みで上林に続き、容疑者が1人減ったと……犬塚は内心で判断するものの。東家グループ程の巨大企業ともなれば、怪しい人間はいくらでも沸いてくる。
(だけど、その中でも……関さんはかなりクロに近い。遺言の中身を知っていた上に、彩音さんの事もある。何より……)
クロユリを生かす旨味を誰よりも知っていた相手。もし、宗一郎氏殺害に至った経緯に遺言書以外の事由が含まれるのなら。関豊華には、それなりの動機があったのではないかと犬塚は考える。おそらくだが……宗一郎と豊華は揉めたのかも知れない。彩音の忘れ形見・彩華の扱いについて……。