クロユリに結婚事情を理解するのは、難しい
「……実を言えば、彩音との結婚を反対していたのは兄貴じゃなくて、彼女の姉なんです。多分、刑事さん達も知ってると思いますが。関豊華ですよ、彩音と俺の仲を引き裂いたのは。……アイツさえいなければ、俺達は今頃……」
やるせなさげなため息と一緒に、純二郎の口から吐き出されるのは、関豊華への怨みつらみだった。
純二郎と彩音が「お付き合い」していた時期は当然ながら、関豊華は東家グループの顧問弁護士ではなく、弁護士事務所に所属していた一介の弁護士でしかなかったが。東家純二郎がどんな人物かを、豊華は調べ尽くしてもいたのだろう。妹を溺愛している風の事を言っていた事からしても、豊華は彩音が可愛いあまりに、純二郎に嫁がせるのを猛反対したのかも知れない。
(確かに、愛人がいるような相手に妹が嫁ぐとなったら……普通は反対するよな。それでなくとも、関さんは彩音さんを大切に思っていたようだし……)
彩華に落胆し見限ったのだって、元はと言えば、彩音という「理想の妹」と比較して彼女があまりに自堕落だったから。しかし、豊華のそれはやや独善的過ぎやしないかと、犬塚は心の片隅で違和感を覚えっ放しだ。……どことなく、豊華は彩音という存在を必要以上に美化しているようにも思えてならない。
「……そんな時ですよ。兄貴から、彩音が死んだって知らされたのは。確かに彩音と連絡を取れなくなっていたし、インターンシップも終わっていたから、勤め先の学校にも出勤してなんかいないし。だから、俺は……結局は兄貴も俺と彩音が結婚することに反対だったから、下らない嘘をついていたんだと思っていました。そして、関豊華が彩音を隠しているんだと……」
「いやいやいや、あり得へんって。いくら結婚に反対だからって……なんで、そんな不謹慎な嘘をつかな、あかんねん。……あんさん、どこまでもアホやねぇ……」
「……そうですね。でも……きっと、俺は認めたくなかったんでしょう。彩音が死んだ事も、彼女がいなくなった事も。……いっそ、嫌われて婚約破棄になっていた方がまだ良かった」
この表情……演技ではなさそうだ。犬塚は悲しげに肩を落とす純二郎を見つめては、彼は本気で彩音と結婚するつもりであったのだろうし、娘も引き取るつもりだった……と、そこまで考えて。犬塚はそもそも、純二郎は娘の存在を知らない可能性があるのではないかと、思い当たる。
(どうしようかな。万が一、純二郎さんが彩華ちゃんの事を知らなかった場合……この様子だと、娘がいた事自体は喜ぶかも知れない。だけど、問題は……)
大怪我をさせてしまった相手こそが、自分の娘かも知れないとなったら。……純二郎はどのような反応を見せるのだろう。
彩華は一命を取り留めているとは言え、未だに意識不明の重体であることは変わりない。意識を取り戻した時に後遺症が残っていないとも、限らないのだ。娘が生きていると分かったところで、彼女の容体が楽観視できない状況である以上、純二郎自身をも精神的に追い詰めかねない。
「犬塚、どうした? 何か、気になることがあるんなら、聞いとき?」
「……」
聞くべきか、聞かざるべきか。第一、純二郎が娘の存在を知っているかどうかは、宗一郎氏殺害事件には何ら関係ない事項である。いや……そもそも、彩華の父親を確認することだって、本来ならば捜査範囲外だろう。それでもこうして犬塚が面談にやってきたのには、「もしかしたら」という直感と、堺の好奇心によるものだったが。
(彩華ちゃんの存在を知っていても、知らなくても……純二郎さんを追い詰めそうだな……。だが……関さんは彩華ちゃんの父親を知っていたようだし、もし純二郎さんが彩華ちゃんを知らなかった場合は……関さんを洗うのに、使えそうだ)
そこまで考えて、犬塚は思い切って口を開く。純二郎も関豊華も、宗一郎氏殺害の容疑者候補でもあるのだ。ならば、事件に少しでも関係しそうな事は聞いておいてもいいだろう。
「ところで、不躾な事を聞くようですが……純二郎さんと彩音さんに、お子さんは?」
「いませんよ。あぁ、もちろん……結婚を前提にしていましたから、婚前交渉はありましたけれど。彩音からはそんな話はありませんでしたね」
「……そう、ですか。いえ、失礼な事をお伺いして、すみませんでした」
「あぁ、大丈夫ですよ。……彩音がもういない以上、とっくに終わってしまった話でしょう。隠すようなことでもありません」
それなりの仲であったことはアッサリと認めるに、純二郎には彩音への後ろ暗い感情はないと見ていいだろう。そして……どうもこの雰囲気だと、純二郎はあまり嘘はつかないタイプなのかも知れないと、犬塚は少しずつ理解し始めていた。
(考えてみたら、愛人が何人もいたとか、不祥事を起こしたとか。色々と誤魔化すのが、下手過ぎる。嘘が上手な人間であれば、ここまでのボロは出さないだろうし……純二郎さんは自分の感情に正直なのかも知れないなぁ)
ともなれば、今の反応からしても純二郎は娘……彩華の存在を知らないと考えて良さそうか。
上林の母親や、周藤兄妹の母親に対してもやらかしていた経歴もあるようだし、これらは「若気の至り」で許せるような内容ではないが。おそらく……純二郎は一過性で頭に血が上りやすく、思い込みが激しい部分があるのだろう。こればかりは検査をしてみない事には、分からないものの。やってしまった後に猛省している事からしても、間欠性爆発性障害、或いは、多動性(ADHD)の傾向もありそうだ。
「さよか……。なるほど、そういうこっちゃねんな……。犬塚、ぼちぼち行こか」
一方で、犬塚の質問の意図を正確に読み取ったらしい。堺は彩華の存在に触れる事なく、締めの挨拶に入り始める。きっと、舌も回るが頭も回る堺のこと。……犬塚が不用意に踏み込まなかった理由も、お見通しに違いない。
「……純二郎さん、今日は貴重なお話をおおきに。お兄さん殺害の犯人はまだ、見つかっておらへんが……なぁに。きっちり捕まえちゃるさかい、楽しみに待っとって」
「そうですね。兄貴には迷惑をかけ通しでしたし……今更ですけど、犯人が捕まるといいなと思っています」
「せやな。とは言え、あんさんの罪状は殺人未遂からは変わらへん。……ちゃんと反省して、罪を償うてや」
堺の念押しに、「もちろん、そのつもりです」と丁寧に頭を下げる純二郎。ある意味でメリハリが効きすぎている態度に、犬塚は少しばかり不憫にも感じるが。……いずれにしても、彩華のことは伏せておくのは、一旦は正しい判断であろう。




